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夏詩の旅人

CHU CHU TRAIN 「夏詩の旅人 スペシャル」

作者: Tanaka-KOZO

2013年 5月


「まさかとは思ってたけど、ホントに君だったとは…!」


ハルカと一緒に暮らし始めてから、しばらく経ったある平日の午后2時。


僕はハルカに見せて貰った名刺を手に、フリージャーナリストへと転身したリョウ(野中涼子)と、由比ヶ浜海岸から電話で話していた。

ちなみにハルカは今、材木座のデリカショップへ、パートに出ている。


「ふふ…、私も驚いてるわ。まさかあなたが、ハルカさんと知り合いだったなんてね」

穏やかな口調でリョウが言った。


「ねぇ、なんでみんなの前から、姿をくらましたりなんかしたの?」

続けてリョウが、素朴な疑問を僕に問いかけて来た。


「ああ…、それは…」

僕は口ごもる。

そして、彼女にどう答えたら良いべきか考えた。



僕は先日、久しぶりにギターを手にして、自分の曲を弾いてみる事にした。

だが、まったくギターが弾けなくなっていた自分に、僕はショックを受けるのだった。


 あの時もそうだった…。

7年前の鎌倉国立大学でのテロ事件で、左腕を銃で撃たれ負傷した僕は、指がまったく動かない状況となり、以後、ギターに触る事は、ほとんどなくなった。


家や車、その他身の回りのもの全てを売り払い、旅に出た僕は、音楽活動を普通に続けている仲間たちの傍にいる事が耐えられなかったのかも知れない…。


「まぁ…、いろいろ事情があるんでしょう…」

僕が理由を話し出す前に、リョウは触れて欲しくない話なんだと悟った様だ。

そう言うと、彼女はこの事についてはこれ以上、聞いてくる事はなかったのであった。


「そう言えば私、この前、グリオさんと電話で話したのよ」

電話口のリョウが話題を変えた。


「グリオと…?」

僕が言う。


「ええ…」とリョウ。


グリオとは、僕とリョウが以前勤めていた、サーフ系雑誌“F”で一緒に働いていた同僚である。

僕らは、CDアルバムで使う写真素材を一緒に撮影しに行った仲なのであった。

CDアルバムというのは、もちろん僕のCDアルバムの事だ。


「あいつ鶯谷のオンナと結婚しても、まだ君に連絡して来るのか?」

鶯谷のオンナとは、自宅の最寄り駅が鶯谷駅だったグリオの彼女の事である。


「鶯谷のオンナぁ…?」とリョウ。


「あいつの嫁さんだよ(笑)」


「ああ!、グリオさん結婚したんだよね?」

「その鶯谷のオンナってのは、私の専門学校時代の友達なのよ」


「ええ~!、マジかよ!?、なんで?」


「ほら、あの頃、よくグリオさんと中出(ナカデ)氏が、私に合コンを設定させてたじゃない?」


「なぬ~~~ッ!?、あいつ、リョウとの合コンで結婚相手見つけたんだぁッ!?」


「知らなかったの…?」


「いや、まったく…」


「だから鶯谷のオンナは(笑)、私と連絡取り合ってるから、グリオさんとも話す機会があるって事」


「そうか…、そうだったんだ…?」

「そういえば、あの頃は君は大変な時だったから、グリオの結婚式には来てなかったもんな…?」


「うん…、あの時は亡くなったヒロミの事とかで、いっぱい、いっぱいでね…」


「そうだな…、あの時、君は大変だったもんな…」

「あれから10年かぁ…、東日本の震災から…」


「そうそう!、グリオさんね、あなたに会いたがってたわよ」


「え!?」


「TVのニュースで事件のこと知って、あなたに電話したら番号が解約されてたって…、心配してたわよ」


「まぁ…、俺はあいつの結婚式に出てるからな…」

「結婚式の来賓といえば、親も同然というぐらいだから…」


「それは、仲人でしょ!(笑)」


「ああ、そっか!(笑)」


「それでね。グリオさんって転職したみたいよ」


「へぇ…、何やってんのあいつ?」


「大手広告代理店に入ったんですって」


「大手~?、どこに?」


「アドイー・ディ・ケイだって」


「ええッ!、アドイー・ディ・ケイって言やぁ~!、伝通や伯報堂に次ぐ、業界No.3の大手広告代理店じゃんかぁッ!?」


「すごいよねグリオさん!?」


「あんな変人を、よくアドイー・ディ・ケイも採用したもんだな…(笑)」


「会ってみたら…?」


「グリオに…?」


「良いんじゃないの?、彼なら音楽とは関係ないんだし…」

リョウは、僕の真意をお見通しだった様だ。


「携帯電話を処分しちゃったから、グリオの連絡先が分からないよ」


「私が知ってるじゃない!?、もお!、子供みたいな事言わないでッ!」


「はぁ…」


こうして僕は10年ぶりに、“F誌”の同僚だったグリオと会う事となったのである。



6月下旬のある土曜日

グリオが我が家にやって来た。

(我が家と言っても、居候させてもらっているハルカの自宅なのだが…)


玄関のブザーが鳴ったので、僕は扉をガラガラ…と開ける。


「アニキィ~…、久しぶりです~ぅ…、すすす…」

開けた扉の前には、あの頃と変わらない、何か悪巧みを考えている様な笑顔をしたグリオが立っていた。


「お前、ちょっと太ったか?」

目の前に立つグリオに僕が言う。


「幸せ太りですよ~、アニキィ~…♪」

ニヤケ顔で言うグリオ。


「ふぅん…」

(こいつ手ぶらか…)


「へへへ…」と、ニヤ突くグリオ。


「お前らしいな…」

含み笑いの僕が言う。


「何がですか?」


「いや、何でもない…。まぁ上がれよ…」


「はい…」

グリオがそう言うと、僕はグリオを家の中へ上げた。


「はじめまして…」

キッチンにいたハルカが出て来て、グリオに挨拶をする。


「ああ…!?、どうも…」

澄まし顔のグリオはそう言ってハルカに会釈すると、値踏みする様に、無言で彼女の事を見つめるのだった。


「…?」

なんだろう?という顔のハルカ。


「ほら!、早く来いよ!」

僕はグリオにそう言うと、やつを奥の座敷へと連れて行った。


「ル~マニア~…、ル~マニア~…」

僕らにしか分からない内輪ネタを口ずさみながら、グリオは僕の後をついて来る。


卓袱台を囲む感じで、僕とグリオは座布団に腰を掛けた。


「なかなか可愛いじゃないですか…」


上から目線のグリオはそう言うと、卓袱台の上にあったリモコンを手にし、TVのスイッチを入れた。

TVが点くと、番組はテレビショッピングをやっていた。


「お前はビールだったな…?」

飲みに行くと、いつもビールしか飲まなかったグリオの事を思い出した僕がやつに言う。


「ええ…」とグリオ。


「悪いがウチには発泡酒しか置いてない。だから淡麗になるけどで良いな?」  


「うちもですよ。子供が生まれてからは贅沢できなくなりましてね…」


「えっ!?、何お前、子供生まれたのか?」


「小学2年の娘がいます」


「そうなんだぁ…?」


そう言うと、僕に向かって突然、手を差し出すグリオ。

「はい!」


「何だよ?」


「お祝いですよ…。はい…!」

そう言って、再度「何かよこせ」という風に、グリオが僕に手を差し出す。


「お前な…、たった今聞いて、そんなの用意してねぇって!」


「まったくアニキは、そういうところは常識に欠けるというか…、何と言うか…」

ヤレヤレという顔のグリオ。


「手ぶらで来るお前に、言われたかぁねぇよッ!」


「じゃあ、おあいこという事で…」


「何がおあいこだよッ!、意味わかんねぇよ…」

グリオの、ワケの分からない理論に付き合ってられない僕は、こいつと早速呑み始める事にした。


「ハルカ!、悪いが淡麗、冷蔵庫から出してくれるかぁ?」


「は~い」


僕が、隣のキッチンで料理を作っているハルカにそう声を掛けると、彼女が返事した。


ホワイトデニムを穿いているハルカが、冷蔵庫の扉を開けて腰を屈める。

ビールを取り出す彼女の後ろ姿を、敷居越しから眺めてるグリオが、僕に振り返り小声で言った。


「いいケツしてますね…」


「お前…、10年前と言う事、変わんねぇなぁ…(笑)」


グリオの言葉に、ちょっと呆れ気味に僕が言う。

そしてグリオに向かって、僕がドヤ顔で言った。


「今日は湘南のおでんをお前に食わしてやるから、楽しみにしとけ…」


「おでん~…?、この季節にですかぁ…?」

グリオがちょっと嫌な顔をする。


「バカ!お前、おでんは湘南の名物なんだぞ!、タコやイカとかの海鮮の練り物、めちゃめちゃ美味ぇんだぞ!」

「ほら、俺の曲の歌詞にも出て来るだろ?、おでんの事が…」


「ほぅ…。で、オチは…?」


「オチなんてねぇよッ!、まったく!、オメェに食わせるのが勿体ねぇ気がして来たよッ!」


「分かりましたよ…、おでんで良いですよ…」

渋々快諾するグリオ。


「なんか腹立つなこいつは…」

「お前なぁ…、ハルカの作るおでんは美味ぇんだぞ!、食ったら感動するぞ!」


「料理が得意だと…?」


「ああ、そうだ…」


「良いじゃないですか…、いいケツしてて、オッパイも、そこそこあるみたいだし…」


「お前って、ケツとか胸とかばっかで、人の内面とかを全然褒めないやつだよな?」


「ポリシーですから…」


「へぇ…、結構な事で…」


「そう言えばアニキ!、いいケツと言えば、ほら、昔、鵠沼のイベントで一緒になった女社長…」

「美人でスラッとした…、あの…、なんだっけ?、み…、みうら…?」


「岬不二子か…?」


「そう!、あの女性(ひと)!、あれもイイケツした女でしたねぇッ!」

女性蔑視にもなりかねない発言を、何の躊躇もなくグリオは笑顔で言う。


「ああ…、そうだったな…」

僕は鎌倉国大のテロ事件当日、不二子に旅の記録が書かれた手帳を、託したままだった事を思い出した。


あの事故のとき、1番心配してくれていた不二子に、僕は何も告げずに姿をくらましてしまった。

彼女は今、どうしているのだろうか…?


その時ハルカが、お盆に乗せた淡麗缶を、グラスと一緒に2つ持って来た。


「はいビール…」

笑顔のハルカがそう言って、卓袱台に淡麗を置いた。

するとグリオがハルカに訂正する。


「発泡酒ですよ…」(グリオ)


「うるせぇバカ!」(僕)


僕らのやり取りを見て、ハルカがクスクスと笑う。

彼女の心の広さには、ホント感服させられる。


「おでん、もうちょっと待っててね。取り合えず、この、タタミいわしと胡瓜の漬物でやっていて…」


「ええ~ッ!」

グリオがわざとらしい、残念がるリアクション。


「うぜぇ~…」

僕が言う。


「ははは…」

面倒くさがる僕にグリオが笑った。



「では、乾杯…」

それから僕らは、グラスに注いだビールを手にして、互いのグラスをカチンと軽く合わせた。


「懐かしいな…、お前とこうして呑むのも…。三男坊以来じゃないのかな?」

三男坊とは、当時2人でよく行っていた居酒屋の事だ。

僕は当時を懐かしむ様にグリオへ言った。


「そうですね…」

だがグリオの方はあっさりしてる。


「よく行ったなぁ三男坊には…」

それでも僕は、当時の事を思い出しながら言う。


「魚二郎もですよ…」

グリオが言った魚二郎とは、三男坊の向かい側にあった系列の居酒屋だ。


「あの店長どうしてるかなぁ…?」

あの頃、僕らに良くしてくれた店長を思い出して言う僕。


「さぁ…?」と、あまり興味のないグリオ。


「ダンゴ・ザ・カンクルーも…」

その店で働いていた、お笑いタレントの事も僕は思い出して言う。


「さぁ…?」

箸でつまんだ胡瓜の漬物を見ながら、グリオは素っ気なく言う。


「お前さ、ハナシの腰折るねぇ…?」


「いやいや…、それよりもサキちゃんて、今、何してるんでしょうねぇ?」


他人の話にはまったく興味のないグリオが、話題を変えて来た。

サキとは、あの当時、僕らと一緒に三男坊でよく呑んでいた、プロドラマーだった女の子だ。


「実家の福岡に戻ってからは、俺もまったく分からんよ…」


「アニキ…、あのときヤッテないとか言ってましたけど、ホントはサキちゃんとヤッテたでしょ?」

イヤラシイ笑みでグリオが言う。


「お前ね、空気読めよ…。ハルカに聞こえたらどうすんだよ!」

「俺はあのコとは何もないよ…。大体、あの子は19歳だったんだぜ」


「ハルカさんは今、おいくつで?」


「35」


「ブルゾンちえみですか?」


「そらぁ35億だろがッ!、懐かしいなそれ!」


「サキちゃんだって、今は34とかになってますよ…」

「大体アニキは、恋愛とは、齢の近い者同士が一緒になるべきだとか、いつも言ってませんでしたっけ…?」

イヤラシイ眼差しのグリオが言う。


「うう…ッ!」


「言ってる事とやってる事が違いますよね?」と、ニヤニヤ顔のグリオ。


「は…、ハルカは、たまたまなんだ…」


「そうやって、サキちゃんの事も、あの当時、アニキはイヤラシイ目で見てたんですよねぇ…?」

イヤラシイ笑みで、グリオが僕を追い詰める。


「イヤイヤ…!、それは無いってッ!」

手を左右に振って弁解する僕。


「何?、何の話?、楽しそうね…」

その時、ハルカが、おでんの入った土鍋を持って来て言った。


「うわぁッ!」

イキナリ現れたハルカに、僕が仰け反りながら声を上げた。


「ん!?」

そう言って僕を見つめるハルカ。


「……。」

僕は息を止めて黙り込む。

その光景を、グリオはイヤラシイ笑みでニヤニヤと見つめていた。


しばらくすると、ハルカはまたその場を外し、キッチンへと戻って行った。


「ぷはぁ~ッ!」

ハルカが向こうに行ったので、急いで口を開く僕。

何故か息も同時に止めて黙っていた僕は、はぁはぁ…と、苦しそうに息を吸い込んだ。


「なぁ…、もう女の話題はヤメようぜ…」

目の前で、ハルカの作ったおでんをパクパク食べ続けているグリオに僕が言う。


「いいじゃないですか…」

おでんを頬張るグリオが、またイヤラシイ笑みをしながら言う。


「お前、俺の分のおでんも残しとけよ!…、あッ!、お前、タコ揚げ2つ食いやがってッ!」

「それ2つしか入ってねぇんだぞッ!、まったく…、ホント信じられねぇやつだよな…」


「このおでん、かつ節があると良いんですけどね…」

僕の話を聞き流すグリオが言う。


「そりゃ静岡おでんだろが!」


「そう言えば、マイちゃんも結婚したの知ってます?」

相変わらず人の話を聞かないグリオが、また話題を変えた。


「いや知らん…。お前何で知ってんの?」

マイは、僕らと一緒に“F誌”で働いていた後輩だ。


「リョウちゃんから聞きました。なんかガイジンと結婚して、群馬に帰ったとか…?」


(ガイジン…!?、もしかしてAFNのチャーリーなのかな…?)

グリオからの情報に、僕はそう思うのであった。


「それから歌手の櫻井ジュン…。あの人も結婚しましたねぇ?」


「ああ…、それはTVで観て知ってる…」


「アニキは学生時代に、櫻井ジュンとバンド組んでたんでしょ?」


「ああ…」


「アニキは櫻井ジュンと…?」


「ヤッテませんッッ!!」

グリオが言おうとしている事が想像できた僕は、先回りして否定した。


「ところでアニキ…、聞くには及ばないと思いますが…。当然、ハルカさんとは…?」


「あのな…、言うまい、言うまいとは思ってたがな…、驚くなよグリオ…」

「実はハルカと俺は、一緒に暮らしてるのにも関わらず、まだなんだよ…」


「ええ~ッ!!」(オーバーリアクションをするグリオ)


「しかもキスさえもだ…ッ!」

卓袱台に手をついて、前のめりに話す僕。


「どッ…、童貞じゃないすかぁッ!?」


「童貞~ッ!?、なんでッ!?」


「大人は半年セックスしないと、童貞として見なされるんですよッ!」


「えッ!、そうなのッ!?」


「まぁ…、都市伝説ですけど…」


「なんだよ都市伝説かよ…。脅かすなよ…」


「でも、限りなく小野と一緒という事ですッ!」


「小野とぉッ!?」

小野とは、僕らの元同僚で、童貞である事を、いつもイジラレていたやつである!


「そういう事ですッ!、どほほほほ…ッ!!」

グリオがそう言って、小野という男の、独特の笑い声をモノマネする。


「嫌だぁ~ッ!、やめてくれぇぇぇえええッ!」


「どほほほほ…ッ!、どほほほほほ…ッ!」

追い打ちをかける様に、グリオは僕に向かって、小野の笑い声をモノマネする!


「分かったよッ!、もう勘弁してくれよ!」

グリオを手で制止ながら僕が言う。


「ところでアニキは、今、何やってんですか…?」

グリオが僕に、何をして働いているんだと聞いて来た。


「実は、何もしてないんだ…」


「ええッ!?」


「左腕が不自由だから、肉体労働もデスクワークも採用してもらえないんだよ…。当然、音楽関係も無理だ」


「ヒモじゃないですか…?」


「まぁ、そう言うなよ…。家には金は入れてる」

「今までの貯えや、家や車などを処分した金が、今のところはあるからな…」


「そのうちそれも無くなりますよ…」

僕を突き放す様に言うグリオ。


「分かってる…」


「そしたらハルカさんに、家、追い出されますね?」


「それまでには何とかするよ…。俺に出来る何かを探す」


「アニキのオンナを、最期に見る事が出来て良かったですよ…」


「何だよそらぁ…?(笑)」


ハルカの力になりたいと思って暮らし始めた僕であったが、実際は、何の力にもなれていない自分を情けなく思うのであった。


「早くやった方が良いですよ…」


「何を…?、仕事か…?」


「セックスですよ!」


「え?」


「情で離れられなくするんですよ…。アニキのテクで…」

グリオがまた、いかがわしい眼差しで、僕を見つめながら言った。


「そんな情けない事できるかよ!」

グリオに吐き捨てる様に言う僕。


「まぁ…、目的は何でも良いんですけど…、一緒に住んでるのにヤラナイってのは変ですね…?」

「なんでヤラナイんですか…?」


「お前は下品な質問をホント躊躇なくしてくるよなぁ…」

「分からんよ…。とにかくそういう場面にならないんだ。何か意図的に彼女の方が、そういう雰囲気にならないように避けてる様な感じがする…」


「じゃあ彼女は、アニキの貯金が目当てですね!、やっぱ金が切れたら縁の切れ目ですよ!」


「そういう、人の心をえぐる様なこというなよバカ!」


「アニキ…」(ニヤニヤ顔のグリオ)


「何だよ…?」

その胡散臭い笑顔に、僕が顔をしかめる。


「良い方法を伝授しますよ…」


「方法~?」


「セックスに持ち込む方法です!」


「一応、聞いてみよう…」


「例えば僕はですね~。彼女が料理を作ってる後ろ姿に、ムラムラするんですよ…。ほら、あんな風に…」


そう言ったグリオは、キッチンに立って料理を作っているハルカの後姿に顎をしゃくって言う。

僕もハルカの後姿をぼーっと眺めた。


「そして、僕は後ろからソ~っと近づきます…」

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…とね」


「ガタンゴトォ~ン…?」

僕は、グリオが低く押し殺した声で言う「ガタンゴトォ~ン…」の意味が分からないのでやつに聞いた。


「電車の音です…」

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」


「なんで電車なんだよ!?(笑)」


「別に意味なんてありませんよ。とにかくこう言って近づいて行くんです」

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」


「痴漢じゃねぇか!」


「良いんですよ。そうすれば僕はコーフンするんです」

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」


「そしたら彼女はどう反応するんだよ?」


「いやッ!、やめてッ!って、恥ずかしそうにモジモジしながら拒みます(笑)」

グリオはその場面を、器用に1人2役しながら、身振り手振りで再現して僕に説明する。


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」


「分かった!、もお良いよ!、そんなアホみて~な真似できるかよ!」

僕がそう言ってもグリオはイヤラシイ笑みを浮かべながら、いつまでも「ガタンゴトォ~ン…」と繰り返し続けるのであった。



「それじゃアニキ…、また!」


玄関に立つグリオが、手を少し上げて僕に言った。

夕方となり、やっとグリオは荻窪の自宅へと帰るのだ。


帰り際、グリオは、あのイヤラシイ笑みで僕の方をチラッと見ると、「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」と呟きながら帰って行った。


そのやつの後ろ姿を、玄関から見送る僕とハルカ。


「面白い人ね?」

隣に立つハルカが、グリオを眺めながら僕に笑顔で言った。


「変わってるけどな…」


「あの人が中出氏さん?」

ハルカと初めて出会った頃、僕は中出氏の話をした事を彼女はまだ覚えていた様だ。


「グリオは苗字だよ。中出氏はまた別の変人だ…」


「そうなんだぁ…?、私、中出グリオっていう名前なんだと思ってたよ!」


「あいつらがフュージョンなんかしたら、おそろしい事になるよ…」

そうハルカに言った僕は、ふふふ…と含み笑いをした。



「今夜の晩御飯はどうする?、お腹全然空いてないでしょ?」

僕の運んだ食器を洗いながら、ハルカの背中が言った。


「うん…、全然ハラ減らないよ…」


「やっぱりね…。だって、おでんあんなに食べるんだもの…」


「美味かったよ…。あいつもそう言ってた…」


「そう…。ふふ…、良かった…」


「晩御飯は何か軽く作ろうか?、オムライスでも…?」


「いや…、今日はもう食べられないからいいや…」


「そう…」


「でも、食卓には一緒にいるから…」


「え?」

振り返るハルカ。


「ハルカ一人で食べてたら寂しいだろ?」

そう言って微笑む僕。


「ふふ…、ありがとう…」


「家族団らんだ…。その代わり俺はチューハイ飲んでるけどね…、枝豆で…」


「どうぞお好きに…」

微笑んだハルカはそう言うと、振り向き直し洗い物を続けた。


ハルカの後ろに立っている僕。

僕はハルカの後姿をぼーっとしながら眺めていた。


僕の目線が下から上へと移って行く。


ハルカの足首。

ハルカの脚。

ヒップライン。

ウエスト。

背中。

そしてうなじ…。


「ガタンゴトォ~ン…」

そのとき、つい無意識に出たあの言葉。


「えっ?、何?…」

僕が突然つぶやいた言葉に、ハルカがパッと振り返る!


ゲゲッ!、グリオの野郎がず~っとそればっか言ってたもんだから、俺の脳裏に焼き付いてて、思わず出ちまったじゃねぇかッ!


「ガタンゴトン…?」

それは何?という感じで、僕に聞くハルカ。


「わ~ッ!、わ~ッ!、なんでもないッ!、なんでもないッ!」

慌てて言う僕。


それでも僕の頭の中には、あのイヤラシイ笑みで「ガタンゴトォ~ン」を言い続けているグリオの顔が、頭から離れない!


「頼むッ!、ハルカッ!、信じてくれッ!」

両手を合わせ拝むポーズの僕。


「何言ってるのあなた…?」

あっけにとられるハルカ。


「俺は違うからッ!」

手を左右に振りながら、懸命に無実を証明する僕。


「ふふ…、ヘンなひと…」

そう言うとハルカは、振り向き直し洗い物を続けた。



ポチャン…。


「ふぅ~~~~…」


湯気がもくもくと沸く浴室。

僕は湯船に浸かっていた。


「ったく…、あのやろう…」

あのやろうとは、グリオの事である。


「今日はつくづく思ったよ…。あいつには大切な人はゼッタイ会わせられんって事がよ…」

そう呟いた僕の頭の中には、あのイヤラシイ笑みで僕を見つめるグリオの顔があった。


「まぁ…とは言っても、グリオが言ってたキスも無いってのは、確かにおかしいよな…?」

「ハルカは一体、何を考えてるんだぁ…?」


「まぁ…、悩んでてもしょうがないか…。なるようになるしかないってか…」

僕はそう独り言すると、気持ちをリラックスさせ、湯船に肩まで浸かった。


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」

「あわわ…ッ!、いけねぇッ、いけねぇッ…、油断したらまた口から出ちまったッ!」


どんなに気を付けてても、あのグリオの発した「ガタンゴトン」が、頭から離れない僕なのであった。



そして翌日の晩。

僕は、晩飯の後片付けの洗い物をしているハルカの背後から言った。


「なぁ…ハルカ…」


「なぁに…?」

振り返るハルカ。


「キスしたいよ…。ダメかな…?」


「ふふ…、そういうのって、相手に聞いてからするの…?」


「じゃあ…」

僕はハルカにキスしようと近づく。


「待って!、ダメよ…」


「え?」


「そんな顔した人とキスなんてできないわ」


「顔…?」


「ええ…、あなたは哀しい目をしてる」

「そんな哀しい顔をした人とキスなんてしても、幸せな気持ちになれないわ。だからいや…」


「哀しい顔…?、俺が…?」


「ええそうよ。悲壮感が漂ってるわ」


「悲壮感…!?」

ハルカから思いもよらない事を言われた僕は、ショックを受けた。


「そうか…、そうだよな…。分かった…」

僕はそう言うと、TVのある奥の居間へトボトボと歩いて行った。



体育座りの様な姿勢で、僕はTVを無言で見つめていた。

そこへ後片付けを済ませたハルカがやって来た。


「ねぇ…、怒ってるの…?」

僕の肩に自分の顎を乗せてハルカが言う。


「いや…、怒ってないよ」

TVを見つめながら僕は言う。


「嘘…」


「いや本当だ…」

「ハルカ…、俺さ考えてたんだ…」


「何を…?」


「以前さ…、仕事で一緒になった女性がいてさ…、その子はすごく頑張ってたんだ…」


「うん…」

頷くハルカ。


「その子は小さな会社の社長で、社員が誰もいなくてたった1人で頑張ってた努力家で、仕事に対しても、とても真摯に向き合っていたんだ」


「その彼女には夢があって、いつか人を雇えるような会社にしたいって僕に言ったんだ」


「そう…」


「それで僕は彼女にこう言ったんだ」

「そんな悲壮感漂う顔をして頑張ってたら、返って幸運が逃げてしまうよって…、そんな事を確か彼女に僕は言ったんだ」


「で…、それがまさに、今の俺なんだってね…」

僕は、岬不二子と初めて出会った時の話を、ハルカにした。


「何を悩んでるの…?」

ハルカが僕に聞いた。


「君の力になれていない自分をさ…」

「仕事も出来ずに、迷惑ばかりかけてる自分が情けないよ…」


「迷惑だなんて…、あなたは家にお金だってちゃんと入れてくれてるし、とっても助かってるわ」


「でもそれじゃ、男として情けないんだよ!」


「ねぇ…聞いて…、あなたは働こうという意思をちゃんと持っている…」

「だけど今は怪我のせいで、それが叶わないだけ…、それはだらしのない男の人とは違うと思うわ」


「その時が来たら働けば良いじゃない…?」

「男だの女だの関係ないわ…、とりあえず身体が動く方が、外で働けば良いじゃない…?」


「でも、力になりたいんだ…ッ」


「なってるわ…。あなたが傍にいるだけで、私の心の支えになってる」

「一緒にいてくれるだけで、私は今、幸せよ…」


「すまない…」


「ふふ…、あなたのそういうところ…、好きよ…」

そう言うとハルカは、僕の頬に軽くキスをした。


「えッ!?」と驚く僕!

そしてハルカに振り返る!


その時であった!

あのイヤラシイ笑みをしたグリオの顔が、またしても僕の頭の中に現れたのだ!


くそッ!、グリオッ!

てめぇッ、消えやがれッ!


僕がどんなにそう思っても、やつのあのイヤラシイ、意地悪く微笑んだ顔が消えない…ッ!


僕の頭の中では、グリオの口元がアップで写る。

何も聞こえて来ないが、グリオの口が動いて、何かを言っている!


何だよグリオッ!?

何が言いてぇんだよぉッ!


ああん…ッ!?


頭の中に浮かぶグリオの口元を見つめる僕。


グリオの口がゆっくりと動いている。

僕はその口の動きから、やつが何を言いたいのか想像を張り巡らした!


「が…?」


「たん…?」


「ご…?」


「とん…?」


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」

あの忌まわしい表情のグリオが、低く押し殺した声で言うあの言葉だ!


やつは、イヤラシイ不敵な笑みで僕を見つめながら言うのだった!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(アニキッ!、今ですよッ!)

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(今行かなくて、いつ行くんですかッ!?)


うう…ッ!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(ほらアニキッ!)

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(良いんですよ!、同棲してるんだからぁッ!)


僕の頭の中で、グリオがあのイヤラシイ笑みで、畳みかけて来る!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(そういうとこダメですよね?、アニキは!)

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(だから小野と一緒だって言うんですよッ!)


うう…ッ、それはイヤだ…ッ!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(大丈夫!、あの子は待ってますよッ!)

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(愛してるんでしょ?)


うう…ッ、もちろんだ…ッ!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(だったら、ほらぁッ!)


い…ッ、良いのかッ!?


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(良いんですよ…!)


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(ほらぁッ!)

「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(早くぅッ!)


ああ…ッ!、ううう…ッ!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(アニキッ!、駆けこみ乗車はご注意下さい!)


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(指差し確認よしッ!、発車オーライ…)


ああ…ッ!、ああ…ッ!!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(しゅっぱぁぁつッ!)


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」(進行~~~~~~ッ!)


「はッ…、ハルカッ!」

彼女の肩を掴んだ僕が言う。


「えっ!?、何っ!?」


「ガッ…、ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」

僕はそう言いながら、ハルカへ強引にキスをしようとした!


「ちょっとッ!、どうしたの~ッ!?」

慌てるハルカが、僕の猛攻をかわす!


だが僕は止まらない!

なぜなら、グリオのあの卑しい笑顔と、ガタンゴトォ~ン…が鳴りやまないからだ!


「ガタンゴトォ~ン…、ガタンゴトォ~ン…」


きゃぁ、きゃぁ、はしゃぎながら逃げ惑うハルカ。

2人の笑い声が部屋中にこだまする。


僕は、そんなハルカをしっかりと捕まえると、彼女と初めてのキスをしたのだった。



 その夜、快速急行湘南ライナーは、鎌倉駅で横須賀線と念願の連結を果たした。

(何のこっちゃ…?)


めでたし、めでたし…(笑)


fin

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