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読み切りシリーズ 『溺れる者は藁をも掴む』

作者: 立花KEN太郎

 高校2年生、及川(おいかわ)大和(やまと)は追い詰められていた。


 諺とは先人達が自身らの経験則から、日常生活におけるパターンを割り出し、それに対する対抗策を行うための知恵、そして子孫、後の世代に残すべき教訓である。――ヤマトにとって、今この瞬間ほど『後悔先に立たず』を全身で感じている時はなかった。


 「絶対、赤点を回避しなければ……!」


 今日は、2学期期末テストの日である。


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 2学期の中間テストから最近の授業の日までの、自分の授業に対する愚かな態度を呪わずにはいられない。


 先生の目を盗んでは友人の持ってきた漫画を読んだり、スマホを起動してソシャゲに興じたり――集中して臨んだ授業など両手で数える程しかない。しかも、その大半は『保健体育』である。ヤマトは、自身が今まで己の欲求と男の性に沿って行動してきたしょうもない男であることを実感したのだった。


 「『distribution』……『分配』、『adolescent』……え、えーと……」


 そして、今日この日の自身にとってかなり悪いことに、最も赤点を回避しなければならない教科、『英語』の授業を真剣に受けた記憶は、脳の引き出しの何処を探しても見つかることはなかった。


 「――やべえ、やべえよ……赤点駄目ゼッタイ、じゃねえとお小遣いが……」


 「期末テスト、英語で赤点とったらお小遣い無しにするからね」母親の1ヶ月前の言葉が、現在のヤマトを崖っぷちに追い立てていた。尤も、その言葉を引き出したのは、中間テストで15点をとって母親を不機嫌にさせたヤマト自身であるのだが。


 その言葉を聞いてから、ヤマトは真摯に英語の授業を受け――ることは無かった。母親の子を思う通告、子供にとっては残酷な脅迫の言葉を受けた夜、ヤマトは気持ち新たに英語の教科書に予習に向かった。その気概は良かった。英文が全く読めずに心が折れ、「明日から頑張れば良いや」でずるずる行ってしまったのがまずかったのだ。


 「ちくしょう、何で日本人なのに英語勉強しなきゃいけないんだよ、必要ねーじゃんか」


 完全に因果応報、自業自得。しかしそれを甘んじて受け入れる程のメンタルの強さをヤマトは持ち合わせていない。自分可愛さについ的外れな愚痴がこぼれてしまう。


――こうして愚痴を漏らしていても、状況が何ら変わることが無いのは明白であり、ヤマトも勿論それに気づいているからこそ、ただただ虚しさが募るのみであった。


 賢くない行動はもう辞めようと決意し、ヤマトは昨日徹夜で自作した単語帳を繰る。だが、ヤマトは一度見ただけで全ての物事を記憶できるような人種ではなく、日常の反復練習で学習内容がようやく定着するような凡夫の一人である。故に、ヤマトはテスト範囲の単語の5割弱しかその意味を記憶することができていない。昨晩の徹夜だけで凡夫が苦手な教科の点数を大きく上げることができたなら、世の大人は全員東大生である。


 「どうすれば……どうすれば……」


 まさに今の状況、ヤマトは人気(ひとけ)の無い川の中で溺れているも同義。河童でさえ油断せずとも川に流されることがあるのだから、英語という水流で泳ぐことが元々苦手なヤマトが油断していたのだから、現在の結果は当然の帰着である。


 ――『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』の機械旋律が響き渡る。ヤマトの高校ではありふれた予鈴の代わりにモーツァルトの名曲の一部が使われており、長い予鈴は怠惰な生徒達に諸手をあげて歓迎されているのだが、今のヤマトにそんな余裕は無い。15分後には英語の試験が始まるのだ。200余年前に音楽の天才が作曲した小さな夜の曲が、現代の凡才にとっては鎮魂歌であった。


 「だめだ……全く自信が無い……どうすれば」


 ヤマトの頭の中に、母からお小遣いの撤廃を宣告される光景が容易に浮かぶ。お小遣いがなければ、欲しい漫画やグッズは手に入らないし、1円たりとも課金することができない。もはや赤点を回避するしか方法は無いのだが、そのヴィジョンは全く脳内に投影されない。


 何か、依りどころが――希望が、必要なのだ。


 「……そうだ」


 天啓。降りて来たアイデア。閃き。ヤマトは真に驚くべき、そして極めて素晴らしい縁起を思いついたと自画自賛し、


 ――学年一番の天才の元へと歩みを進めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 神谷(かみや)拓巳(たくみ)の得意なことは、自他ともに認める、『勉強』である。


 幼い頃から運動よりも本を読むことが大好きだった彼は、新しい知識を得ることの喜びを覚えた。昼休みは外で無邪気に遊ぶ同級生を尻目に、ひたすら図書室に籠って学習漫画やらを読んでいった結果、同級生の5倍は物事を知る少年へと成長したのだった。


 テストのための勉強も苦ではなく、中学校の定期テストにおいて、彼にとっての目標は平均点でも同級生のライバル超えでもなく、100点であった。彼の人生においてテストは、高校受験で体調を崩して滑り止め以外合格出来なかったことを除けば、失敗の一切無い代物であった。


 「……よし、ここの単語も全部覚えたし、長文で問題に出て来そうなところも把握した」


 そう呟いたタクミは、精神統一のために教科書を閉じ、目を瞑って、今ハマっているアニメの主題歌を小さく口ずさんだ。こうすると大体気分が良くなり、集中力も高まる。体調も良くなった気がして、受験の時のイレギュラーの不安が払拭されるようだ。


 あらゆる教科のテストの前の、彼の不変のルーティンである。


 「――あのー、神谷くん、ちょっといいかな?」


 突然、タクミの世界を侵害する者が現れた。少し機嫌を悪くしたタクミが声の方向に顔を向けると、そこには完全に余裕を無くした顔のヤマトが立っていた。


 タクミは、自分から積極的に人間関係を作ろうという性格では無い。学校の行事などで協力しあった同性とは仲良く交流しているのだが、目の前の男とは生憎会話を交わした記憶がほとんど無い。覚えることは得意なタクミが、その名前を思い出すのに少々時間がかかった程だ。


 ルーティンを邪魔されて気分は良くなかったが、それ以上に自分の歌を聞かれていないかという羞恥心が募る。幸いにもヤマトの頭は鮮やかなアイデアで彩られていてタクミの歌など全く気づかなかったのだが、それはタクミの知るところでは無い。ここは快く応対して、さっさと目の前から立ち去ってもらおう――そうタクミは頭を高速回転させた。


 「何か用、えーと……及川くん?」


 用事の内容が全く思い付かず、心臓をドキドキさせているタクミに対し、ヤマトは自分のアイデアをいざ実行に移すということでドキドキしていた。そして、


 「――シャー芯を1本、貸して欲しいんだけど」

 「……は?」


 タクミの予想の範囲外の懇願が、ヤマトの口から飛び出たのだった。


 「……いや、そのさ、神谷くんって、頭いいじゃん?だからさ、神谷くんのシャー芯使ったら、俺も、テストで良い点が取れるかなー……って」


 面食らったタクミに対し、ヤマトは何とか作戦を成功させようと、必死に懇願の理由を説明した。頭のいい神谷くんなら、話せば分かってくれるだろう、と。


 一方、タクミはヤマトの説明に対し、鼻で笑いたい気分だった。弘法筆を(えら)ばず、という言葉があるように、その道に長けた者は道具を選ばない。逆に、出来ない者が出来る者の道具を使ったところで上手くなる訳でも無い。別に目の前の人が英語が出来ないのかどうかは知らないが、やはり点数アップに繋がるとは思えない。全く、何の意味があるというのか。


 「そんな訳……」


 ヤマトの論理を否定しようとしたところで、タクミは思いとどまる。


 これは、ゲン担ぎだ。ドラフト会議で利き手で抽選くじを引くように、大事な試合の前にカツカレーを食べるように、人には科学的には何の関係も無い行為をして、それを依りどころとするのだ。


 そうして人は自信をつける。自身のある人間の行動は、大体が成功に結びつく。何より、自分が1分程前に行っていたことがそれの一種ではないか。彼の依りどころのみを否定する道理は無い。


 「……いや、何でもない。シャー芯1本ぐらい、ほら、やるよ」

 「おっ、まじか!サンキュー!」


 タクミはヤマトに1本シャー芯を手渡すと、ヤマトが跳ねるように自席に帰っていったのでほっとした。おそらく、あいつは俺のルーティンなんて意に介してないのだろう、と。そして、今のがきっとあいつの役に立つのだろうと、少しいいことをした気分になって嬉しくなった。


 ――そうしてほっとしたら、今ので単語をいくつか忘れてしまったのではないかと不安に駆られ、タクミは教科書のページを必死にめくったのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「よし、これがあれば……」


 ヤマトは、自らのゲン担ぎの物体を大事そうにシャーペンに入れた。すると、そのシャーペンが何か聖なる力を持ったような気がした。


 これが空元気だってことは分かってる。シャー芯1本で何か変わるなんて馬鹿馬鹿しいということは分かってる。しかし、ヤマトにとっては天才の使っているシャー芯こそが、溺れかけている時に縋りたい藁である。その藁は折れやすく、ある意味本物の藁より脆いものだ。だが、希望はこれしかない。


 「はーい、皆席につけー、テストを配るぞー」


 試験官の先生の号令と共に、教科書や参考書に視線を固定していた者、友人と情報交換をしていた者など、教室中の生徒が姿勢を正して椅子に座り、机の上の筆記用具以外の物を片付けた。


 問題用紙と解答用紙が配られ、定められた試験開始時刻になるまでの緊張した時間が流れる。言葉を一つも発してはならない時間、多くの者が緊張することを強いられた。ヤマトはもっと緊張していた。お腹の調子が悪くなる気さえした。


 「はい、始め」


 先生の始めの合図と共に、紙を裏返す音の連鎖が教室中に響き渡る。生徒たちはそれに慣れているかのように無視し、視覚情報を問題用紙内に限定する。そして、利き手のシャーペンを解答用紙に走らせるのだ。


 そして、このテストに毎月のお小遣いがかかっているヤマトはというと……


 「……わ、分かる!読める!読めるぞ!重点的に覚えたところだ!ツイているぞ!!」


 奇跡的にペンがスラスラと走っていた。


 「これは、絶対神谷くんのシャー芯のおかげだ!!本当にありがとう!!!」


 試験終了まで、あと60分。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 今日は、英語のテストの返却日である。


 「クラスの平均点は60点、最高点は――100点だ」


 満点をとった者がいると英語教師が告げたことで、教室は騒然とした。そして、生徒たちの多くが、満点をとった者の名を確信していた。


 「やっぱり、神谷くんはすごいな……それより、問題は自分の点数だ」


 ヤマトもその一人だったが、すぐに自分の成績を念頭においた。その如何によって、今後の自身の生活が大きく変わってしまうかもしれないのだから。


 「大丈夫、だ……問題も6割くらい答えられたんだ、半分以上正解すれば俺の勝ちだ」


 30点以上。それが今のヤマトの望む全てであった。


 「よし、では返していくぞ。出席番号順だ。まず、秋山」


 苗字が及川なヤマトの出席番号は7番。すぐに結果が目の前に来る。待たされない喜びと、心の準備が出来ない悲しみに心臓の鼓動が高まる。


 「――次、及川」


 名前を呼ばれた。教卓へ歩みを進める。教卓につくと、二つ折りにした解答用紙が手渡される。点数はまだ見えないが、赤ペンの○×印が透けて見える。×印が目立つが、○も一定数ある。


 ――これは、行けたか?


 解答用紙を開かぬまま、ついに自分の席へと戻ってきてしまった。赤点を回避したのかどうか、分からない。


 ――怖い。怖いのだ。結果を確認するのが怖い。お小遣いが、今後の生活がかかっているのだ。


 怖くて、とっさにタクミの方へ目を向ける。苗字が神谷なので、自分のすぐ後に返却されているはずだ。彼には高得点が約束されている、気楽でいいなあ、とヤマトは醜い嫉妬心を向ける。


 ……が、タクミも何やら手を震わせながら解答用紙を開けている。意外だ。彼も怖いのか。


 そして、結果を確認したであろうタクミは、一切の動揺を見せることなく、解答用紙を再び閉じた。


 「……やったんだな。神谷くん、君はすごい、すごいな」


 視線を落とすと、自分のシャーペンが目に入る。この中には、彼のシャー芯が入っている。そのパワーで、ヤマトは自信をつけ、テストに臨むことが出来た。


 神谷くんが満点をとったのだ。自分も赤点を回避したに違いない。


 「人事を尽くして天命を待つ」。今更どうこうできる訳じゃない。試験当日、自分にできるだけのことはやったんだ。


 腹は、決まった。


 なお震える両手をなんとか動かし、解答用紙の上下端をつまむ。そして上下に開いて、その中身を確認する。


 ――ゆっくり、ゆっくりと……






































 29

 ―

 完

※なお、タクミは単語を一つ間違えて98点だったそうです。

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