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少し早めに食堂へ行くと、まだ誰も来ていなかった。
昨日は旅の疲れもあって、少し早めに休ませてもらったので他の弟子にも会っておらず、食事の席が決まっているのかどうかもわからないのだ。勝手に座ってはまずいだろう。
手持ちぶさたで待っていると、食堂の扉が開いて少年が入ってきた。
彼はアシュリーを見て目を丸くしている。
「あんた新入りか!?」
「えっ、うん」
同い年か年下にしか見えなかったので、思わず孤児院の子供たちと同じような対応をしてしまう。
「よっし! これで俺の仕事が減る! あんた今すぐエステルを起こしに行ってくれ」
「えっ」
「屋根裏の奥から二つ目の部屋だ。扉ガンガン叩いていいから。でないと起きない。早くしないとまた朝食を食いっぱぐれるって言ってくれ。ほら、早く! でないと俺とあんたまで怒られることになるぞ!」
「えっ、わ、わかった」
よくわからないが、もうすぐ朝食の時間だというのに、まだ寝ているかもしれない人がいることはわかった。
一番下っ端なのだと教えられていたアシュリーは、言われた通りに一階の食堂から屋根裏まで階段を駆け上がる。天井が高いのでなかなかしんどい。
少年に言われた部屋の前に立ち、少し強めに扉を叩く。
「えっと、エステルさん! 朝食の時間です。起きてますか?」
返事を待ってみるが、扉の向こうはしんとしている。
「エステルさん、起きてください! ご飯食べられなくなりますよ!」
アシュリーは容赦なく扉を叩いた。でないと起きないと言われているし、寝起きの悪い子供を起こすのは慣れているのだ。
「うぅー。起きたからぁ。先に行っててー」
何度も叩いているとようやく返事があり、アシュリーはほっとした。
「じゃあ、急いでくださいね!」
もう朝食は始まっているかもしれないので、アシュリーはまた階段を駆け下りた。実を言うとアシュリーは朝食をとても楽しみにしていたのだ。
孤児院にいた頃は毎日オートミールだけだったのだ。ここでは他のものも出してくれるんじゃないかと思っている。昨夜の軽食も、軽食だと言われなければわからないくらい、豪華でおいしかったから、期待値はかなり高い。
食堂に戻ると、そこにはさっきの少年と、もう一人、アシュリーよりも三つ程年上らしき少年がいた。彼らはすでに食事を始めている。
「おう、ありがとな。あんたの席そっちだから、早く食えよ。そういや、名前なんだっけ?」
気さくな少年は口にパンを放り込みながらしゃべっていて、少し行儀が悪い。対して年上の方は、澄ました顔で品よく食事をしていた。
「アシュリーです」
「そうそう、名前だけじゃあ、男か女かわかんなかったんだよな。女で助かったよ。エステルの世話すんの大変なんだ。あ、俺はブレット。よろしくな。この人はイアン」
「よろしくお願いします」
新入りらしく、アシュリーは丁寧に挨拶したが、ブレットは笑顔で応えてくれるものの、イアンは素知らぬ顔だ。こういう態度の人には何度か遭遇したことがある。孤児なんか相手にしたくない、というものだ。
これから同じ弟子としてやっていかなければいけないので気になるところではあるが、それよりもアシュリーは、今は朝食が気になった。
席に着いてテーブルを見下ろすと、感嘆の声を上げてしまう。
オートミールなどなかった。ロールパンにゆで卵にベーコンや果物まである。しかもロールパンは中央の篭に山盛りだ。
「すごい、ベーコンがあるよ、ルー。ねぇ、食べる? 食べる?」
数年に一度しか口にすることがない、アシュリーにとっての高級食材を見て興奮してしまった。ルーヴィスに人間のような食事が必要ないことはわかっているが、おいしいものは食べたいかもしれないし。
しかしルーヴィスは目を細めながら首を振った。
「そいつ何? 何でそこにいんの?」
「ルーヴィスだよ。いつも一緒にいるの。いただきます」
食事に集中したいアシュリーは、おしゃべりなブレットに適当な相槌を打ちつつ、焼きたてパンの食感に感動する。スープに浸さなければ食べられないパンとは大違いだ。
幸せを噛み締めつつ、いつにない早さで食べ終ようとした時、食堂の扉が勢いよく開いた。
「はぁっ……はぁっ……間に合った……」
アシュリーと年の変わらない、赤毛を一つ括りにした少女が息切れしながら入ってくる。走って来たのだろうが、それでもまだ瞼が重そうだ。ふらつきながら椅子に座る。
それどころではなさそうなので、挨拶は後にしたほうがいいだろう。
「おはよう。ちゃんと起こせてたんだな。やるじゃん、アシュリー」
ブレットのアシュリーを見る目が変わった。そんなところで評価されても困るのだが。
「エステル、また寝坊したのか」
背後から突然もう一つの声が聞こえてきて、アシュリーは驚いて振り返る。隣でエステルが咳き込んだ。
ガードナーが苦い顔をして立っている。
「まあ、朝食を無駄にしなかったのだから、今日はよしとしよう」
「はい……。ごめんなさい」
エステルはバツが悪そうに縮こまって謝る。
「食事を続けなさい。用があるのはアシュリーだ」
「はい」
ちょうど食べ終えていたアシュリーは、立ち上がってガードナーの前へ行く。
「君は今から学力テストを受けてもらう。魔法に関係ないとはいえ、閣下の弟子が馬鹿では困る。これから通う学園の基準を満たしていないようなら、しばらくは寝る間もなく勉強漬けだ」
「うぅ……」
なぜかブレットが呻き声を上げた。苦悩の表情まで浮かべているのは、辛い記憶を刺激されたからかもしれない。
嫌な予感がしつつも、アシュリーに拒否権などなく、ただただ頷いた。
幸運なことに、アシュリーのその予感は外れた。
ガードナーが驚いた顔をしながら、「合格だ」と言って学力テストの答案を返してきたのだ。
王都の学力の基準がわからなくて覚悟していたアシュリーだが、彼女がいた孤児院は院長が元教師なこともあって、勉学を疎かにはしていなかったのだ。アシュリーは院長に感謝の手紙を綴ろうと決めた。
「準備もあるから編入は五日後だ。学年はブレットと同じ。用意するものは一学年上だが、エステルに聞いたほうがいいだろう」
「はい! ありがとうございます!」
上機嫌なアシュリーは、はきはきとお礼を言う。ガードナーは少しイラッとした顔をした。
「学校が終わればすぐに帰宅して、そこから魔法の授業を夕飯までの間、私が行う。どちらも落第は許されない。覚悟しておけ」
「はい!」
すでにガードナーの言葉を脅しとしてしか見ていないアシュリーの元気は失われない。
アシュリーは無言でテストの追加を叩きつけられた。