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初めから何かがおかしいと思っていた。
イアンの実家である邸宅に到着して、玄関扉をくぐる前、アシュリーは迎え出た執事に引き留められた。貴族であり高名な魔法使いでもあるハルベルトが話を通してくれているのだから、難なく入れてもらえると考えていたので驚いた。
しかし、正確には止められたのはアシュリーではなく、ルーヴィスだったらしい。
執事は頑なに犬を屋敷に入れるわけにはいかないと言った。
何度もルーヴィスは犬ではなく精霊だと説明したのに聞き入れられず、ルーヴィスが人の言葉を話しても信じないのだから、一緒にいたブレッドとエステルも呆気にとられていた。
訪問先の玄関前で騒ぎ続けるわけにもいかず、頼りになる大人もいない。だからルーヴィスが大丈夫だというように頷いたこともあって、アシュリーは彼の説得は諦めて、ブレッドとエステルの三人で屋敷に入ったのだ。ルーヴィスは学校の時と同じように、姿を消して近くにいてくれているはずだ。
そして案内された応接室で、イアンは問診中だから待っていてほしいと言われ、出された豪華なお茶と菓子には目を輝かせてしまった。この時点で、見舞いに来たのにこんなものが用意されたいるのはおかしいと思える程、三人はまだ大人ではなかったし、貴族とはそんなものなのだろうと思っていた。
アシュリーは存分にお茶とお菓子を堪能した後、小用に向かわせてもらった。そして部屋に戻ろうとした時、誰かに腕を強く引っ張られたのだ。
それが誰なのかは後ろ姿しか見えなくてもすぐにわかる。毎日顔を合わせていた兄弟子だったのだから。
「イアン……? えっ、どうしたの?」
アシュリーの疑問には答えず、イアンは手を離さないまま、ずんずんとどこかへ向かって歩いていく。
「具合はもういいの?」
これにはなぜか苛立った空気と、腕を強く握られることで答えられた。
どうやら相当に怒っているらしいことがわかる。
ブレッドから敵対視されているという話は聞いたが、これはそれだけではないだろう。
仕方なく付いて行くと、アシュリーはカーテンが閉じられた薄暗い部屋に入れられた。ベッドと書物机がある、アシュリーの感覚からするととても立派な部屋だ。しかし、私物らしきものがないから、きっと客室なのだろう。
イアンは放り込むように乱暴にアシュリーの手を離すと、扉の前に立って言った。
「お前、何をしたんだ」
アシュリーは驚いて目を見開いた。
意味がわからなかったというのもある。だがそれよりもイアンがあまりにも憎々しげな目を向けてきたからだ。ただ嫌いな相手を見る目ではない。
「おかしいと思っていたんだ」
硬直するアシュリーに、イアンはたたみ掛ける。
「魔力暴発を起こすくらい大きな魔力と、常に希少な精霊が側にいたがるくらい質のいい魔力? そんなものを持っている奴が、なんで急にあいつら並の魔法使いでしかなくなるんだ」
「え?」
「もっと、俺よりもっと強い奴が来てしまったんだと思って悔しくて仕方がなかったのに、なんで急に成長が止まるんだ!? 本当は大したことなかったのかって、安心した俺が馬鹿だったよ!!」
苛立ちが爆発したように、イアンは拳を振り上げて後ろの壁をドンッと殴った。アシュリーの体がびくっと震える。
彼はアシュリーが手を抜いていることを知っていた。そのことを怒っている。しかし、この嫌悪の目はそれだけであるはずがない。そんな私情ではなく、彼はアシュリーが極悪人だと決めつけているように思えた。
理由を知りたかったが、こんな怒りのこもった血走った目をぶつけられて平気でいられるほどアシュリーは人生経験豊富ではない。
アシュリーは小さく、本当に小さくルーヴィスを呼んだ。
魔力は込められなかった。イアンに気づかれそうで、もしそうなったら火に油を注ぐことになっただろう。ルーヴィスさえ来てくれればどうとでもなるのに、それでも怯んでしまうくらい、今のイアンは恐かった。
魔獣と相対するのとは全く違う恐さだった。イアンはアシュリーを殺してやりたいとでも思っているのではないか。そんな眼差しだ。
「何が目的だ? お前、人間を犠牲にしたのか!?」
「え……」
アシュリーは瞬いた。
あまりにも突飛なことを言われたせいで、恐怖が薄れる。
「なん……のこと?」
「しらばっくれるな! 魔獣のことだ。お前がやったんだろう!」
「え……? 魔獣って……あっ、ち、違う! どうして!」
昨日、話していた魔獣のこと。原因がわからないと言っていたそれを、イアンはなぜかアシュリーのせいだと決めつけていた。
そんな馬鹿なと、アシュリーは混乱するしかない。
「魔獣が強くなったこと? そんなのわたしのせいなわけないよ。わたしに何ができるっていうの」
アシュリーはまだ十四歳の孤児で、魔法を教わってから半年くらいしか経っていないような人間なのだ。そんな規模が大きくてだいそれたことをできるわけがない。
「だいたい何のためにそんなことを」
「そんなもの、お前が魔女の生まれ変わりだからだろ」
「え……」
今度こそアシュリーは言葉を失った。
それはアシュリーとルーヴィスしか知らないことのはずだ。アシュリーは誰にも話していないし、いつも側にいる、魔力の高さを隠せとアシュリーに諭したルーヴィスだって話すはずもない。
いや、落ち着けとアシュリーは自分に言い聞かせる。
イアンは魔女の生まれ変わりとしか言っていない。ちゃんと確かめないと。
「どういう意味?」
「魔女サディ」
ひゅっとアシュリーは息を飲んだ。
「疫病の原因を擦り付けられて処刑された、二百年前の魔女だ。お前、その魔女の生まれ変わりなんだろ?」
「どうして」
それを、イアンが知っているのか。
その疑問が顔に出ていたのか。イアンは口元を歪めて嗤った。
「やっぱり、そうなんだな。高い魔力を持っていたせいで、冤罪をかけられて処刑された魔女。こんなことをするのは復讐のつもりか?」
「え……?」
さっきから理解の追い付かないアシュリーは、またしても何を言われたかわからなかった。
「でも、こんなことしても、あんたを貶めた人間は皆もう死んでいるんだ。復讐なんて逆恨み以外の何でもないんだよ」
「ま、待って、待ってよイアン!」
とんでもない方向へ向かっていく話を、アシュリーは慌てて遮った。
「待って、わたしはサディの生まれ変わりなのかもしれないけど、でも、その時の記憶なんてなくて、いや夢で見たから少しは知っているんだけど、でも同じ人間じゃないし、逆恨みなんてしていない。復讐するつもりだってないよ。何でそんなことになっているの。わたしは何にもしてないよ」
とにかく否定しなければという思いが先走って、アシュリーはサディの生まれ変わりであることを認めてしまった。しかしそれも仕方がないことだった。アシュリーはもう、混乱の極みにいた。
「なんでイアンがそんなこと知っているの?」
イアンはアシュリーの言い分を頭から疑うような視線を向けた後、得意げに言い放った。
「お前の言うことなんて信用するかよ。俺は神獣から聞いたんだからな」




