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「そうなのよねぇ」
「うわっ」
背後からいきなりどんよりとした声が聞こえてきて、振り返ると半眼のエステルがいた。
睨んでいるわけではない。寝起きはいつもこうなのだ。
「おはよう、エステル。起きてる?」
「うん」
ゆらゆらと揺れながら、説得力のない肯定をされる。
「それねぇ。わたしも思っていたのよ。閣下たちは隠しているのか、まだはっきりとしたわけじゃないから下手なことを言えないだけなのかわかんないけど、強い魔獣が出たっていう話はやっぱり多くなっているのよね」
しゃべりかたがゆったりしていて怪しいが、言っていることはしっかりしている。
「でも魔獣が以前よりも強くなっていたなんて、たまにあることだろ? そういうのは不安で多くなっているように見えるだけで、実際はそうでもないもんだぜ」
ブレッドが反論すると、エステルは瞼を少し上げて彼を見る。
「じゃあどのくらいの頻度なのか把握してるの?」
「え?」
「例えば魔獣が強くなっていることについての、去年から十年間の過去の頻度と、今年に入ってからの頻度がほとんど変わらないっていう記録とか持ってるの、ブレッドは。持ってないわよね」
「えっ、いや、まぁ」
何かのスイッチが入ってしまったのか、畳み掛けるエステルにブレッドがたじろく。
「うちは商人なのよ。ギルドではそういうのの記録をちゃんと取っていて、統計だってしているの。それで、今年に入ってから、強い魔獣が増えているっていう結果が出ているのよ。ただそれが強い魔獣が現れることが増えたのか、元々いた魔獣が強くなってしまったのかはまだわからないの。でも、わたしは魔獣が強くなってしまったんだと思う」
「どうして?」
アシュリーが尋ねると、完全に瞼を開けたエステルがはっきりとした口調で言う。
「やっぱりそういう記録があるからよ。把握できる範囲の魔獣の数は増えていないのに、強い魔獣は増えているんだもの。でもこれはまだ確証が持てるような数字じゃないのよね」
「……なんかエステル、いつもと違うくない?」
魔法の制御が四人の中で一番不得意なエステルは、どこか抜けた印象があったが、今日はやけにしっかりしているように見える。
「そんなことないけど、でもパパが言っていたのよ。『数字を敬え、噂に惑わされるな』って」
「何ていうか……うん、商人の鑑だな」
ブレッドが呆れと敬意が入り交じった顔をする。
「えーっと、何の話をしていたんだっけ」
微妙に会話の内容がずれている気がして、アシュリーは首を傾げる。
「そうだ、ルー、イアンに会いに行きたいの?」
見舞いに行くかどうかというところから、魔獣が強くなっているという話になったのだった。つまりルーヴィスはその真偽をイアンに聞きに行きたいということだろうか。イアンの怪我もそのことが原因なのかもしれない。
「はい。ガードナーでも治せずに療養する必要がある状態、というのも気になります」
「あっ、そうか。ガードナー先生が一緒だったなら、ノームに頼んで治療してもらえばいいんだもんね。それができないってことは、ゆっくり治さなくちゃいけない程の大怪我ってことなんだ」
それは気になるし、やはりお見舞いに行くべきではないかと思えてくる。
「でもイアンの家に行ったところで入れてくれねーんじゃねぇの。それに魔獣のことを聞き出したところでどうすんだよ。俺たちまだ修行中の身だぜ。何ができるわけでもねぇし、そういうのは閣下たちがちゃんと調べてるんじゃねぇの」
斜に構えたような言い方をするブレッドに、エステルは不満顔で口を尖らせた。
「じゃあブレッドは何かが起きているかもしれないのに、黙って知らないふりをしていればいいっていうの? 別に、余計なことをしようっていうんじゃないのよ。でも、何もできないから、何もしなくていいっていうのは、変だと思うの」
意外と行動的なことを口にするエステルに、アシュリーも同意を示した。
「わたしも知っておきたいな。知らないままっていうのは何だか嫌だし」
ブレッドはムッとして顔をしかめた。
「別に知らないふりをしろなんて言ってねぇよ。閣下たちが調べてるだろうから、邪魔はすんなって言いたかっただけだ。そんなにイアンに聞きに行きたかったら、行けばいいだろ。アシュリーはともかく、エステルは家に入れてくれるんじゃねーの」
「ちょっと、ブレッド、怒らないでよ」
たちまちエステルは眉尻を下げておろおろとブレッドを宥めようとする。
いつもの光景だ。この二人はブレッドがエステルのフォローをすることのほうが圧倒的に多いので、結局こうなってしまうらしい。
「怒ってねぇよ。行ったらいいって言っただけだろ。俺はどっち道、行けねぇし」
「ねぇ、閣下にお願いしてみようよ!」
困惑するエステルと素っ気ないブレッドに気づくことなく、いいことを思いついたと、アシュリーが歓声を上げた。
「は?」
「閣下のお使いとしてなら、わたしたちもイアンの家に入れてもらえるんじゃない? だから何でもいいから、閣下にイアンの家に行くための用事を作ってもらうの」
これなら三人で行けるとにこにこするアシュリーに、エステルとブレッドは呆気に取られた顔をした。
「お前……よくそんなこと、閣下にお願いする気になれるな」
「閣下は忙しい人なのよ。そんなことお願いしちゃダメよ」
「え、何で? こんなのすぐに終わる話でしょ。代わりにお見舞いに行くとか、そういうことにしてもらうだけだし、それに閣下は優しいから聞いてくれると思うけど」
二人はますます呆れた顔をした。
「よく、あの人を優しいとか……」
「うん、確かに閣下が厳しいことを言うのはわたしたちのためなんだけど、それでもそんなこと気軽に頼もうとするのはアシュリーくらいだよ」
「えぇー」
非難されているのか、そうでないのかわからないことを言われてアシュリーは納得できない。ハルベルトは別に恐い人ではないし、無駄な時間をかけさせなければ、話ぐらいちゃんと聞いてくれる。
「じゃあ、それアシュリーが頼んで来いよ」
「わかった」
アシュリーが頷くと、ブレッドは微妙な顔をした。本気かと聞きたそうだが、もちろんアシュリーは本気だ。証明するために、その日のうちにハルベルトに話をしに行く。
彼にイアンの見舞いに行きたいから、閣下の代行ということにしてもいいかと尋ねると、それならついでに詳しい経緯を聞いてこいと、正式な用事を言い付けてもらった。
胸を張ってその報告をすると、ブレッドとエステルは呆れているのか感心しているのかわからない顔で、アシュリーを労った。
「本当に頼んだのかよ……」
「すごいね、アシュリー。ありがとう」
「だから大丈夫だって言ったでしょ」
この時はまだ、何かが起きているのかもしれないとは思っていても、アシュリーに実感などなかった。
何があるとしても、ハルベルトやルーヴィスがいるなら大丈夫だと、そんな風にしか考えられなかったのだ。




