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あれからアシュリーはサディの夢を見なくなった。
もう重要なことは伝え終えたとばかりに全く何も見ない。
あの後、数日は眠るのが恐くて、ルーヴィスに抱き枕になってもらっていたが、眠っても何も見ないことがわかると、切り替えの早いアシュリーはすぐに安眠を手に入れることができた。それでもたまに甘えて、大きな銀狼姿のルーヴィスに抱き枕になってもらっているが。
目下の悩みは自分がとんでもない甘えたになっているのではないかということだ。
だいたいルーヴィスがアシュリーの我が儘を快く受け入れることがよくない。抱き枕のこともそうだが、ルーヴィスはあれから本当にアシュリーから離れなくなった。元からではあるが、本当に片時もなのだ。段々、ストレスを与えていないだろうかと心配になってくる。もちろんルーヴィスは否定するが。
孤児院にいた頃の自分とは随分変わったような気がしていた。あの頃のアシュリーはもう少ししっかり者だったはずだ。
それでもあの頃に戻りたいとは思わない。前世のことも危険なことも知らないままでいられたのだとしても、ルーヴィスがいる今のほうがずっといい。
「人間の成長は早いですね」
目を細めてアシュリーを見ながら、ルーヴィスが言った。
身長が伸びたことや、髪が伸びたことを言っているのか、それとも魔法使いらしくなったことを言っているのか。
この王都に来てから、半年が過ぎて、アシュリーは十四才になっていた。
「成長、してるかなぁ」
むしろ幼児化しているような気がしているアシュリーは、拾った葉っぱでノームのために舟を作ってやりながら不安げにぼやいた。
朝のハルベルト邸の庭園は精霊が多い。
早起きなアシュリーが朝の散歩を日課にしたところ、ルーヴィスも当然一緒にいるので、自然と精霊が集まるのだ。ハルベルト邸は以前より精霊が増えてしまった。
帽子を被ったずんぐりとした小人のノームは葉っぱの舟を受けとると、歓声を上げて池へと走っていった。
「していますよ。魔力が安定しています」
「ルーはそこがポイントなんだね」
「魔力が安定しているということは、精神が安定しているということでもあります」
「そうかなぁ。ブレッドたちのほうが安定してるよ」
兄弟子たちと比べても仕方がないのかもしれないが、アシュリーはルーヴィスが自分を不当に持ち上げているように思えてしまう。
「それは人間と私では、見えているものが違うのでしょう」
「そう、かな」
意見を変えないルーヴィスに、アシュリーは少し自信が湧いてきた。彼の言うことは誰よりも信頼しているのだ。
「よう、アシュリー、ルーヴィス!」
呼ばれて顔を上げると、ブレッドがこちらに歩いて来ていた。
「おはよう、ブレッド」
アシュリーが朝食前に庭で精霊たちと戯れていることを知ったブレッドとエステルは、同じように朝の散歩をするようになった。精霊と交流して良い魔法使いになるためだ。もっとも朝が弱いエステルがちゃんと起きられるのは、二回に一回程ではあったが。
ブレッドはルーヴィスの前で立ち止まると歯を見せて笑った。
「今日も綺麗な毛並みだな、ルーヴィス」
褒められたルーヴィスは無反応だった。子供には優しい彼だが、ブレッドは子供に含まれないらしい。
「大きくなったらすげぇかっこよくなるんだろうなぁ」
ブレッドはめげない。最近はルーヴィスに魔力を繋げてもらいたくて、ご機嫌とりをかんばっているのだ。芳しい反応はもらえていないが。
やがて目を閉じてしまったルーヴィスに、さすがに諦めたようだった。ブレッドはアシュリーが座っている花壇のレンガの隣に腰かけた。
「なぁ、聞いたか?」
花びらをちぎるという悪戯をしている子供のノームを花壇から遠ざけながら、ブレッドが尋ねる。
「イアンが護衛任務で怪我して、しばらく療養だとさ」
「えっ、イアンなら大丈夫だったんじゃないの? 討伐じゃなくて任務なんでしょ?」
アシュリーは驚いてブレッドを見た。
一番年長で修行期間も長いイアンは、以前のような訓練ではなく、実際の護衛任務をガードナーと一緒にすることが、つい最近決まったのだ。そうして任務に出かけていったのは昨日のことだ。
ガードナーが一緒であるし、ただ護衛対象を守ればいいだけで倒す必要はないのだから、イアンには難しいことではなかったはずだ。
「強い魔獣が出てしまったの?」
魔獣の出没情報は魔法協会によってある程度は共有されているが、それはやはり過去の情報にすぎない。いきなり強い魔獣に遭遇することは、あり得た。
「詳しくは知らねぇんだけど……うーん、運が悪かっただけってこともあるんだろうけどなぁ。なんか最近あいつ調子悪いじゃん?」
「そうなの?」
「あー、アシュリーは知らねぇか。あいつアシュリーにはそういうの、必死に隠してたからなぁ」
「え……」
なぜアシュリーには、なのか。理由がわからなくて首を傾げる。
「気づいてねぇの? あいつアシュリーのこと無茶苦茶ライバル視してるじゃん。アシュリーは最初の覚えがすげぇ早かったからな」
「……最初だけでしょ」
確かにアシュリーは初めのうち、魔法の覚えが早かった。しかしコツを掴んでからは、ルーヴィスが言うようにあまり目立たないようにしていたのだ。端から見れば伸び悩んでいるように見えたはずだ。
「それだけじゃなくて、あいつ精霊と仲良くするの一番苦手だろ? アシュリーは得意だもんな」
「それは……ルーがいてくれるからだよ」
「いやだから、そういうことだろ」
ブレッドに呆れた顔をされるが、アシュリーは意味がわからず戸惑った。
「だからさ、そのルーヴィスがそもそも精霊だろってぇの」
「あ!」
当たり前の指摘をされて、アシュリーは気まずくなって笑って誤魔化した。魔力を気に入られて側にいてくれるのだと、周りには説明していたのを忘れていた。
実は神獣だから、ということではない。アシュリーにとってルーヴィスはルーヴィスなのだ。神獣やら精霊やら、そんな枠組の外にいる存在になってしまっていて、改めて言われるまで意識していなかった。
「まあ、その精霊と仲良くするのが苦手っていうのが、魔獣と対峙する時に結構響くってのがわかっちまったからな。閣下に注意されることが増えたし。ガードナー先生にちやほやされてた分、辛いんじゃねぇの」
ブレッドは同情するように言った。態度はがさつだが、面倒見のいい彼はこういうところをよく見ている。
「……でもイアンは最初に任務につけたじゃない」
イメージが合致しないアシュリーは、食い下がってしまう。
「それは年齢とか、あいつの実家からの圧力だとか、色々あんだよ」
「そう……」
訳知り顔で言われてアシュリーはとりあえず納得した。
「じぁあ……お見舞いとか行かない方がいいのかな」
「やめとけ。っていうか療養は実家でするみたいだから、無理だろ」
「そっか」
「行けないのですか?」
静かな声が割って入ってきて、アシュリーとブレッドはそちらを見た。ルーヴィスが目を開けてブレッドを見ている。
「彼の実家には行けないのですか?」
「えっ……と」
珍しく会話に加わってきたルーヴィスにブレッドが驚く。
「多分……だけど。あいつん家って貴族だぜ。庶民の中の庶民な俺たちは簡単には家に上げてもらえねぇだろ。エステルならまだ大丈夫かもしれねぇけど」
エステルも庶民ではあるが、大きな商家の娘だ。魔法使いと商人は関係がいい。
「ルー、イアンのお見舞に行きたいの?」
近くにいても、彼らが一言も会話をしたところを見たことがなかったので、違うだろうと思いつつ、他にこの質問の理由が考えられずに尋ねる。
「いいえ。しかし気になることがあります」
「どんな?」
「最近、王都近辺の魔獣の力が強まっていないでしょうか」
アシュリーとブレッドは驚いて顔を見合わせた。




