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処刑直前の場面があります。
自己判断ではセーフですが、残酷タグが必要でしたら付け足します。
真っ暗なのに音が聞こえた。
石畳を歩く、革靴よりももっと固い木靴らしきものの複数の足音。
手を拘束されている感覚がする。自分が歩いているのもわかる。それなのに何も見えない。
しばらくして、手を拘束している布が引っ張られることによって行先を誘導されているのだと理解した時、同時にこれはいつものサディの記憶の夢なのだと、ようやくアシュリーは気が付いた。そして目隠しをされているのだということも。
ついに、この時が来てしまったのだ。
サディが死んでしまう時が。
ルーヴィスが言っていた通り、サディは碌な裁判もされずに極刑が言い渡された。弁護人すらおらず、あまりにも酷い状況だった。
前向きに生きてきた彼女でも、未来を変えられないことと、誰も自分の言葉を聞いてくれないことに絶望してしまうくらいに。
なぜ魔法で逃げようとしないのだろう。それだけの力はあるはずなのに。
アシュリーのそんな疑問に、サディが答えてくれることはなかった。
ざわざわとした大勢の人の声が聞こえてくる。それはどんどん大きくなり、視界が少しだけ明るくなった直後、大音響へと変わった。
人々の罵り声と嘲笑と期待。割れるような声はすぐに遠くなっていった。
場所が変わったからではない。サディが意識を遮断したのだ。
彼女はもう全てを諦めていた。それでもなお、いくつもの杭で胸を突き刺されているような悲しみに襲われている。ここにいる人間全員が、サディの死を願っているのだから当然だ。
助けなければよかった、とサディは思った。
魔獣に怯える旅人を護衛することも、病に倒れた人たちをどうにか助けられないかと奔走し看病することも、しなければよかったと。
冷たくされても手を差し伸べ続けた人たちに、こんなにも罵られるくらいなら助けなければよかった。放っておけばよかった。
悲しかった。こんなことを思いながら、死んでいかなければいけないことがとても悲しい。
サディの思いは胸の内に渦巻いて、決して外に出ることはなかった。アシュリーが感じたものだって、薄い壁で隔てているようで、きっと本物の半分もないのだ。
アシュリーは学校の授業で見た絵画を思い出す。
大広場の中央にある処刑台とギロチン。周囲を囲む大勢の興味深そうな人々。目隠しをされていようが、サディはそんな中に立っているのがわかる。
足元から這い上がるような気分の悪さに襲われた。
「跪け」
男性の声がして、サディは両膝を折る。
そして両手の拘束を解かれると、すぐに別の器具に固定された。
もう嫌だ。こんな夢は見たくない。もうわかったから、終わりにしてほしい。
そう思うのに夢は終わらない。
視界に変化が訪れる。
目隠しは取れていないのに、赤黒い不気味な色が暗闇に浮かんだ。
魔力の塊だけを見ているような感覚だった。サディがそうしたのか、自然とそうなったのかはアシュリーにはわからない。
それは段々と明確な輪郭を取る。ぼんやりしたものがしっかりとした線になり、短い手足と尻尾が生えていた。大蜥蜴に似たものの形となったそれは、サディを見てにやりと嗤った。
途端に周囲の声が意識の内へと戻ってくる。体を強張らせたサディに、大蜥蜴はますます深く嗤った。
まるでサディの死を楽しげに待ち構えているかのように。舌なめずりし、期待に目を爛々と輝かせて。
首が固定された。
大蜥蜴が口を開く。
──さあ、早く。
「うわあぁぁぁぁ!!」
アシュリーは自分の悲鳴で目が覚めた。
魔力が溢れ出て体を守るように渦巻く。何かに亀裂が入ったような音がした。
「アシュリー!」
ルーヴィスが叫んで腕を掴む。
声にすがるように手を伸ばした。柔らかくて温かい、あのふわふわとして感触を求めた。
しかし、ぶつかったのはもっと硬いものだ。一瞬混乱したアシュリーだが、耳元で囁かれた声音は、いつも側にあるものだった。
「アシュリー、大丈夫です。それはずっと昔のこと、ずっと昔に終わったことです」
強い力で抱きしめられて、アシュリーはここにいるのがサディではないことを実感した。ここはハルベルト候の屋敷の自室で、ここにいるのはアシュリーだ。
そのことに少しだけほっとする。荒ぶっていた魔力が、徐々に内へと戻っていった。
だが、それでも恐怖は拭えない。あの赤黒い大蜥蜴の嗤った顔が頭から離れず、手首が拘束される感覚もまだ残っているような気がした。
「……ルー」
「何ですか?」
頭を撫でながらルーヴィスが応える。
「ルー、ちゃんといる?」
「いますよ。アシュリーを抱きしめています」
不思議そうに当たり前のことを言うルーヴィスの背中に手を回して力を込めた。
速い鼓動を刻む自分の心音を聞きながら、深呼吸する。狼の姿じゃなくても、ルーヴィスは森の匂いがした。
「……恐かったんだよ」
「そうですね。すみません」
「何で謝るの」
「あの時、サディを助けられたかもしれない存在は、私だけなんです」
後悔が滲む声。前にも聞いたことがある声だ。ルーヴィスは何も言わなくても、アシュリーがどんな夢を見ていたのかわかっている。
でも謝る理由を教えられても、アシュリーには理解ができなかった。
「ルーは悪くないでしょ」
「間に合わなかったんです」
まるでアシュリーの言葉を聞いていないかのように言う。
少しだけ落ち着いてきていたアシュリーは、どことなく食い違いを感じた。それはなぜか、あの大蜥蜴を思い起こさせる。
あれは何だったのか。なぜあんなものが出てきたのだろう。今までに見たことはなかったし、ルーヴィスから話を聞いたこともない。
アシュリーは手の力を弛めて、ルーヴィスを見上げた。
「ルー、あの赤黒い大蜥蜴は何?」
驚愕の表情をして、ルーヴィスはアシュリーを見た。
「喰われるところを見たのですか?」
「え?」
「いや、そんなはずは……」
「ルー? 喰われたって何?」
穏やかでない響きを感じ取ってアシュリーが怯えると、ルーヴィスははっとして口を閉ざす。
「ねぇ、何のこと?」
問いただしても、ルーヴィスは困ったような、怒っているような顔をするだけだ。
これは、本当に聞いてもいいことなのだろうか。嫌な予感がするが、だからといって知らずにいたいとは思わない。きっと大事なことなのだ。
「ルー、隠し事してるの?」
責めるように言うと、ルーヴィスは眉尻を下げて、観念したように息を吐いた。
「恐がらせるだけだと思ったんです。私がちゃんと守れば、それでいいんですから」
「うん」
「でもそんな夢なんか見させて、もう十分恐い思いをさせてしまっていますね」
「夢を見たのは、ルーのせいじゃないでしょ」
「私と会ってから夢を見るようになったでしょう?」
「ううん、あれはきっとわたしが魔力暴発を起こしたことがきっかけなんだよ。ルーじゃない」
アシュリーは力一杯首を振った。ルーヴィスは神獣のくせに、すぐに自分のせいにしてしまう。
離していた体を、ルーヴィスはもう一度くっつけた。
ベッドに腰かけた彼に、もたれ掛かるようにアシュリー抱きついている。
空が白み始めていた。
「あれは魔獣です。ずっとサディの魔力を狙っていた、魔獣」




