15
ブレッドは痺れたように震えて膝をついていたが、何とか意識はあるようだった。
「来て、水の精霊!」
エステルがまだブレッドに微かにまとわりついていた魔獣の魔法を、精霊に頼んで取り払ってもらう。遅れてきたアシュリーがノームを呼んで怪我の治療をした。
「ありがと……。大丈夫だ。虫の息だったから、大した魔法じゃない。……てか、魔法使えるなら始めから使っとけよな……」
痛みをまぎらわせるためか、ブレッドは眉間に皺を寄せながらぶつぶつと愚痴を言う。
魔獣は魔力はあるが、魔法を使うのが苦手だ。ぶつけられた魔力を吸収したり、アシュリーが一番最初に遭遇した魔獣にやったように、魔力そのものをぶつけたりすることはできるが、魔法を使える個体はかなり少ない。
希少ではあるものの、戦い初めは誰もが相対する魔獣に、魔法が使える個体ではないかと疑うものだ。しかし瀕死状態になってからやっと魔法を使う魔獣がいることを疑うのは難しいだろう。
「戦いの中で安易な予測を立てるのはやめなさい」
慌てることなく近づいてきたハルベルトが冷静に言った。
「ブレッド、君が最後に狙われたのは、あの時、一番油断していたのが君だからだ。魔獣に魔法を直撃させたことは偉いが、それで浮かれていては、君は簡単に油断させられて殺されるよ」
「……はい。すみません」
ブレッドは恥ずかしそうに顔を臥せた。浮かれていた自覚があるのかもしれない。
「それとイアン。魔獣が死んでいることを疑っていたのなら、それを全員に伝えなさい。君は一人で戦っているわけではないし、それができる人間でもない。危険の可能性を共に戦っている人間に知らせないのは、裏切り行為だ」
責めるわけでもなく淡々と言うハルベルトに、イアンは目を見開いて何か言おうとしてから、押し止めるように唇を噛んで俯いた。
「……申し訳ありません」
「失敗は一度までだ。同じ失敗を繰り返すような甘い人間を、魔獣討伐に連れてくることはないから、覚えておくように」
弟子全員を見渡してハルベルトは宣告した。
四人は固い表情で、はいと返事をする。
アシュリーは驚きと共にハルベルトを見上げていた。
弟子にあまり関心がないのかもしれないと思っていたが、少なくとも一緒にいる時はしっかり見てくれているし、教えてくれる。
言い方は冷たいが、命のやりとりでもある魔獣討伐の訓練なのだから、優しいことを言っている場合ではないのだろう。
師匠の認識を改めつつ、アシュリーは気になっていることを口にした。
「あの、閣下」
「何だ」
「もしかしてですけど……他にも魔獣がいませんか?」
ハルベルトは無言でじっとアシュリーを見つめた。
「……わかるのか?」
「北の方から魔獣の魔力に似た魔力を感じるのですが、気のせいかもしれません」
イアンとエステルとブレッドは驚きと疲れが混ざった顔で、会話をする二人を見た。
「いや、いる。そこから動かないからまだ言わなかったが……アシュリーはまだ周囲の魔力を探っていたということだな。それはなぜだ?」
「え? だって魔獣が一匹だなんて仰っていませんでしたし、それに襲われた人の話を聞いた時も、別の魔獣かもしれないとは思いましたし」
「その通りだ。私に依頼が来たのは、それだけ強い魔獣がいたからではなく、かなり近い場所に二体の魔獣がいた可能性が高いから、その調査だ。魔獣は群れることがないわけではないが、人間としてはそれだけは避けてもらいたいからな。さっきのが強い方なのかどうかはわからない。魔法が使える分、強いのかもしれないが、それはただの予測だ」
より強い魔獣が近くにいるかもしれないと知って、アシュリー以外の弟子は顔を引き攣らせた。
「さて、どうするか。一緒に行動しているわけではないし、仲間を助けようとする気配もない。ただの偶然か。魔獣にも縄張り意識はあるはずだが、一時的に被っただけかもしれないな。他の魔獣は今のところ見当たらない。もう一体も倒してしまうか、シルフィーに監視してもらって様子を見るか……」
ハルベルトは一人言なのか、弟子に聞かせているのかわからない言い方をする。
「あの、群れでも一体でも、倒してしまった方がいいのではないのですか?」
様子見の意味がわからずにアシュリーは質問した。あの魔獣だって、放っておけば襲われる人が出てくるのではないだろうか。
「魔獣はいるだけ討伐すればいいというものではないよ。それについては帰りに講義しよう。それより獲物だと判断されたようだ」
ハルベルトが落ち着き払っているせいで、誰もすぐには何を言われたかわからなかった。
「エステル、自分たちの周りだけウンディーネに壁を作ってもらいなさい」
歩きながら言うハルベルトの向かう先に、猛烈な勢いで駆けてくる魔獣がいた。誰かが喉を引き攣らせた声を出す。
「エステル、壁!」
「あ、う、うん!」
ブレッドに叱責されてエステルがウンディーネと共に水の壁を作った。その一秒後に、魔獣が雷を放つ。
枝分かれした雷が水の壁に吸収された。目の前での衝撃に、さすがにアシュリーも心臓が早鐘を打つ。
だがハルベルトが壁の外にいたことに気づいて、慌てて目を向けると、彼は何もなかったように佇んで手をかざしていた。
そこからいくつかの風の渦が生まれる。弾けるようにそれらが飛び出して、魔獣を四方から攻撃した。
魔獣は受け止めながらもそれを吸収する。しかし、後方からの攻撃は見えなかったせいかまともに受ける。後ろ足が一本、付根から切断された。
標的を弟子の誰かに定めていたであろう魔獣は、ようやくハルベルトを見て警戒心を強めたように四つの目を見開く。恐らく逃亡したかったのだろう。しかし、足を失くしては思うように走れない。
どうすべきか。魔獣の一瞬の躊躇でもハルベルトには十分だった。目に見えない程の速度の鋭い風が魔獣を襲う。反撃しようとしていた魔獣は雷撃を放ったものの、その直後に風の魔法を吸収することもできずに、首を落とされて絶命した。
魔獣からの最後の雷撃をハルベルトは水の壁で難なく吸収する。
そして魔獣の命が尽きていることを確認すると、服の埃を払った。
「ふむ。魔法使い五人に向かってくるから、どれだけ強い魔獣なのかと思えば、それほどのものではなかったな」
淡々と言うハルベルトにブレッドが呻く。
「あなたが強すぎるだけじゃあ……」
他の三人が心の中で頷いた。
結局のところ、弟子たちが倒した魔獣よりも、ハルベルト一人が倒した魔獣の方が強かったのだ。




