14
ブレッドとエステルが火の精霊を呼び出した。
顔が焚き火の炎のような形をした小さな赤い精霊が、数体現れる。サラマンダーは攻撃に優れているので、魔獣退治ではまず彼らに力を借りるのが定石だ。
イアンはそのままシルフィーの力を借りることにしたらしい。
「だ、旦那様、このまま走らせるのでしょうか?」
魔獣が近くにいることを聞いてしまった御者が震える声でハルベルトに尋ねた。
何をしに来たか知ってはいても、魔法使いではない彼はやはり恐ろしいらしい。
「ああ、走らせてくれ。魔獣の姿が見えたら私たちは飛び降りる。君は止まらずにどこかへ逃げて、一時間後に戻って来てくれればいい。心配せずとも君が襲われることは絶対にない」
物見遊山にでも来たかのような冷静さでハルベルトが言う。
「わ、わかりました」
周囲は荒野で見通しがいい。魔獣が現れればすぐにわかるだろう。アシュリーは前方に注意を向けた。
するとイアンが急に立ち上がり、ブレッドとエステルも続いて立ち上がる。はっとしてアシュリーが目を凝らすと、確かに前方に獣の姿があった。
既に馬車から飛び降りていたイアンらに、アシュリーも急いで後に続く。
魔獣は恐るべき速さで駆けてきたかと思えば、はっきりと姿が見える距離になると立ち止まり、こちらを警戒するように身を伏せた。相手が魔法使い数人だということに気づいたのかもしれない。
後方では混乱した馬の嘶きと、御者の落ち着けという怒鳴り声が聞こえてきていた。
「戻って来れるだろうか」
アシュリーは隣に立ったハルベルトの呟きを聞いてしまった。
そしてエステルが最悪野宿もあり得ると言ったことと、パンとレモン水を用意させたことを思い出して、妙に納得していた。
馬車が戻って来れなければ、確かに野宿もあり得るだろう。非常食も必須だ。魔獣を倒した後に行き倒れだなんて洒落にならない。
「アシュリー、魔獣が近くにいる時はもっと感覚を研ぎ澄ませなさい。魔獣の魔力をしっかり覚えておくように」
「はい。わかりました」
魔獣の存在の感知が一番遅れたのはアシュリーだ。やはり魔力が大きいだけではできないことは多い。知識や経験を積まなければ。
しかし、アシュリーは魔獣が近くにいるというのに、あまり恐怖心が湧いてこなかった。魔力の程度はともかく、人間よりも余程速く走れるところは見ているのに。
一度倒してしまっているからだろうかと思ったが、きっと違う。ルーヴィスがアシュリーの足元にぴったりと寄り添っているからだ。ルーヴィスがいればアシュリーには何も危険なことなど起こらないのだと思えた。他の人間まで守ってくれるかはわからないが。
魔獣とイアンたちはしばし膠着状態となったが、意外にもそれを破ったのはエステルだった。
彼女は短い棒状のものを取り出すとサラマンダーに発火させる。松明のような形だが、火は赤々としてパチパチと弾けている。相当な高温なのだと思わせた。それを素早く魔獣に向かって投げつける。
「イアン!」
正確に標的に向かってはいなかったそれが、急に速度を増し、放物線を描いてから魔獣を攻撃した。避けようとした魔獣を追いかけるように顔を引き裂いたのだ。更に戻って追撃しようとしたそれを、魔獣が唸り声を上げて、剥き出しの刃で正面から受け止めた。
じゅうっという音と共に噛み砕かれ、火が消える。
「げっ」
エステルが呻き声を上げる。
魔獣は分が悪いと思ったのか踵を返した。
簡単には追いかけられないだろう。どうするのかとハラハラしながらアシュリーが見守っていると、いつの間にか魔獣の背後に回り込んでいたブレッドが立ち塞がっている。
ブレッドが手をかざすと、彼と魔獣の間に半円形の炎の壁が立ち上がった。魔獣は逃げることができず、動揺しているかのように小さく回る。
「すごい……」
あんな広範囲の魔法をアシュリーは初めて見た。屋敷内ではあんなことはできない。
「あれはほとんど目眩ましだな。あの威力では簡単に突破される。魔獣は視力がいいから、目に見えるものに騙されやすい。気づかれるのは時間の問題だ」
ハルベルトは冷静に弟子たちの行動を分析している。
しかし逃げ出す隙を与えないというブレッドの魔法は、役割をしっかり果たしていた。
魔獣に近づいたイアンとエステルが、ここぞとばかりに火の玉や風の刃を集中攻撃させている。もちろんブレッドに当たらないように配慮はしているし、一撃目よりも威力は低そうだが数がある。
そして火の壁が消えた。魔獣は咄嗟に逃げようとしてイアンたちがいる場所の反対方向へ向かって駆け出す。
それを待ち構えていたかのように、火柱が地面から上がった。
「ガアァァ!」
直撃を食らった魔獣は腹が抉れるように焦げて地に倒れる。そのままぴくりとも動かなくなった。
「……やったか?」
ブレッドが呟いた。最後の一撃で魔力を一気に使ったのか、辛そうに汗をかいている。
「……多分」
そろそろと魔獣を覗き込みながらエステルが答える。ブレッドはほっとしたのか、地面にへたりこんだ。
「あー、疲れた」
見守っていたアシュリーも安心して肩の力を抜く。するとルーヴィスがアシュリーの前に立ち、ハルベルトも一歩前に出る。
警戒するようなその動きに、アシュリーはもう一度魔獣を見た。やはり動かない。しかし魔力が揺らいだ。
パチッと空気が弾ける。その直後、細い閃光が走り、より大きな雷の音がした。
「ブレッド!」
空気が裂ける音がして、魔獣が小さな断末魔と共に真っ二つになる。魔獣がまだ生きていたことを知らせるのは、その微かな鳴き声だけだった。
「ブレッド!」
エステルが泣きそうな声で駆け寄った。




