10
夕方近くになって、ブレットたちが学校から帰って来ると、さっそく魔法の修行が始まった。
アシュリーは手始めに体内の魔力を上手く循環させてみろと言われて、難なくやってのけた。これだけはすぐにでも覚えておいたほうがいいと、ルーヴィスに教えてもらっていたのだ。
人間の感覚はわからないものの、正しい状態ならわかるので、ルーヴィスは試行錯誤しながら教えてくれた。しかし魔法などについては、何も教わっていない。
それがわかるとガードナーは簡単な火魔法をアシュリーに教えるようにと、ブレットとエステルに言い付けた。
「まぁた、イアンだけ特別扱いかよ」
魔法の実験や修行のために建てられた別館の一室に移動すると、ブレットが不満げに唇を尖らせた。
「仕方ないよ。イアンは優秀だし、貴族の息子だもん」
諦めの口調でエステルが宥める。
「それより女の子の弟子が入ってきてくれて、すごく嬉しいな。ずっとわたし一人だけだったんだもん。よろしくね、アシュリー」
エステルは今朝よりもずっと愛嬌のある顔で笑った。
「わたしも恐い人たちばかりじゃなくてよかった。兄弟子たちの言うこともちゃんと聞けなんて言われてたから、どうなっちゃうんだろうと思ってたの」
「そんなの気にするのガードナー先生とイアンぐらいだよ。年も変わらないし、仲良くやろうよ」
「そういう序列がなくなったのはエステルのせいだろ。姉弟子のくせに寝坊して遅刻しそうになって俺まで一緒に怒られるし、魔法に失敗して後片付け手伝わされるし、こっちが尻拭いさせられてんだからさ」
「ご、ごめん。でも後片付けはちゃんと自分でやるってば」
「エステル一人にやらせたら録なことにならねぇもん」
身に覚えがあるのか、エステルはあからさまに落ち込んだ。
「いや……まぁ、偉そうな態度のやつばっかなのも嫌だしさ……」
責めるつもりではなかったのか、バツが悪そうにブレットがフォローを入れる。
「ブレットって世話焼きなの?」
既視感を覚えてアシュリーが尋ねた。
「は?」
「孤児院でもいつも一人はいたんだ。文句言いながら、進んで下の子たちの面倒見てる年長の男の子。ブレットってそういう子に雰囲気がそっくり」
「……庶民の長男なんてそんなもんだろ」
面白くなさそうな顔をするものの、ブレットも自覚はあるらしい。彼にとって年上のエステルが妹になってしまっているのだと、アシュリーは理解した。
「わたし年上……いえ、何でもないわ。それよりちゃんと課題をしないと」
「そうだった。二人ともよろしくお願いします」
初歩の魔法といえば、光を発生させるものだ。これは魔力が少ししかない人間にもできる。しかし孤児院の子供たちは誰もできなかった。なぜなら魔法を使うにはコツが必要で、細かい魔力の流れを目視できる人間でないと、教えるのが難しいからだ。その結果として、お金持ちなら魔力が少なくても教師が雇える分、魔法を使える人間が多いが、貧乏なら魔力が多くても魔法が使えないという構図ができあがる。
ここにいるのは、そういった家庭の事情を凌駕するほどには、高い魔力をもっている者たちということになる。
「わたしは魔力は高いけど不器用なの。ブレットは器用なのよ。だからひとまずわたしがやり方を教えて、ブレットにアシュリーの魔力の動きを見ておいてもらうわね」
エステルは不器用と言いつつ、教え方は丁寧で一生懸命だった。
「アシュリー、やる前に『この混沌たる世界を照らしたまえ、光よ』って言わないと駄目なんだぜ」
「え……」
「ブレット、嘘教えないの!」
若干不安になりつつも、アシュリーは数十分程で小さな光を発生させた。
「すごい、アシュリー! 早いよ!」
「何だよお前、俺より器用なんじゃねぇの?」
褒められたりいじけられたりで、アシュリーはにやにやと照れた。
「教え方がいいんだよー」
前世の感覚をどこかで覚えている、というのもあるかもしれない。アシュリーはブレットが訂正した魔力の動きを、すぐに直すことができた。
「最初の魔法が使えるようになったら、後はある程度のものはすぐに使えるようになるよ。アシュリーはわたしのこと、すぐに追い越しそうだね」
複雑そうに笑うエステルに、アシュリーは申し訳ない気分になった。何だか自分がズルをしているように思うのだ。アシュリーはサディとして夢の中にいることがあるせいか、彼女のことが少しだけわかる。サディはあの時代にとても苦労をして魔法を習得したはずだ。
その努力をアシュリーがかっ攫っている気になる。
そんな話をルーヴィスにすると、彼は魔力が高いから上達も早いだけだと言って目を細めた。
これは夢だとアシュリーは思った。
見たことのない風景、少し高い目線。このところ毎晩見ているせいで、夢の中でサディになっていることはすぐにわかった。
それにしても不思議だと思う。アシュリーは前世を思い出しているのではなく、見ているだけなのだ。
なんとなく、これは信号のようなものだという気がした。
サディがいる町は、既に病が広まっていた。人々が恐れによって疑心暗鬼になっていく様を、アシュリーは数日間かけて夢で見続けている。
彼らの負の感情が、サディに向かっていることを、彼女自身も気づいていた。
この町から逃げたほうがいい。
そう思っているのに、サディは見捨てることができなかった。
優しさや道徳心だけでそう思っているわけではないからだ。
サディはこの病から人々を救うことで、得られるかもしれないものがほしかったのだ。
魔力が異常に高いことがわかって以来、サディはずっと「人間」ではなく「魔女」だった。
良いことをしても、ほとんどが悪い方向に捉えられ、忌まれる。それでも人の為になることを続けていれば、僅かではあるが、友好的な態度を取ってくれる人がいた。しかし、そんな人たちもサディと必要以上に関わりができることを避けようとする。
サディは感謝されて、認められたかったのだ。だから危険とわかっていても、ずるずるとこの町に居座ってしまった。
その代償は大きかった。
窓から紺色の制服を着た男たちがこの家に向かってくるのが見える。サディは少なくとも、しばらくはこの家に帰ってくることはできないだろうと悟った。
クッションの上で寝そべっているルーヴィスの前に立つ。柔らかな毛並みを優しく撫でた。そしてサディは眠りの魔法を放つ。
家の扉が壊れそうな勢いで叩かれた。
サディは深呼吸をすると、覚悟を決めて扉を開ける。
紺の帽子を被った男たちが、憎しみと嫌悪の眼差しをサディに向けた。
「魔女サディ、この町に病をもたらし、多くの人間を死に追いやった罪で逮捕する!」
「わたしはそんなことをしていない!」
予想していたよりもずっと酷い言いがかりに、サディは思わず大声で言い返した。
「病人の家を何件も来訪していたという証言があるんだ!」
「病気を治せないか看に行っていただけよ!」
「白々しい、魔女が!」
ただの思い込みでしかないのに、魔女がそんなことをするはずがないと、男たちは言い切った。悔しくて悲しくてサディは泣きそうになる。
「魔法で病気にさせるなんてこと、できないのよ」
「それは裁判ではっきりさせればいい。来い」
サディは両脇から男たちに腕を捕まれた。抵抗しても無駄だとわかりながら、逃げたくなる。
彼らの向こうには人集りができていて、サディに軽蔑の目を向けながら、ひそひそと話をしていた。知っている顔がいくつもある。
サディは部屋の中を振り返った。ルーヴィスがすやすやと眠っていることに、少しだけ安堵した。
もうこの家には戻って来れないかもしれない。
サディは自分が甘い人間で、世の中は思っていたよりもずっと残酷だったのだと理解した。
でももう、気づいても遅い。




