第2話《1》
宵闇から出始めた滑らかな夜霧は、深夜に近づくにつれ不透明さを増していった。
美少女二人がタンデムするバイクは無灯火のまま、洋の東西に現在、過去、未来が入り交じったストリートの奥底をのろのろと進んでゆく。
ふとユウキが頭を上げた。
少し先のストリートを、直線のオーロラがゆらりと薙ぐ。
「伯父さん……ここにもブローアウトがくるよ。間に合わない」
「まじかーっ!」
二人の見ている前で道路が垂直に陥没した。どこからか大量の水が流れ込み、瞬く間に小さな運河に姿を変えてしまった。
ユウキとセンリがバイクを停めて頭を抱える。
「《都市》のやつ、今度は運河を作りやがったか。
しかも橋がない!」
「NM災禍の影響で常に作り替えられる《都市》とはいえ、少しは住む方の身にもなって欲しいよね。
――伯父さん、どうする?」
伯父さん。
だが伯父呼ばわりされてもまったく気にした風もないセンリが、運河の縁から顔を出して前と左右を確認する。
「家は無事そうだが……どっち見渡しても橋がないな。延々と水路だ。
ユウキ、バイクに迂回できるだけの残量あるか?」
「遠回りになるなら厳しいなあ。
伯父さん、道は作れない?
細いの一本でも架けてくれれば渡ってみせるよ」
「できなくもないが……オレのバッテリー使い切ったら、別の問題が出るぞ」
「家の近くだし、急いで帰れば何とかなるんじゃない?
あそこにスロープ欲しいな」
ユウキが運河の真ん中を指す。
「うーん……そのくらいなら何とかなる、か?
まあいい、行くぞ」
センリの左腕にパークジェットの走査光が迸った。
運河の輪郭をなぞっていたモノと同質の光が不安定に瞬いてから地面に移り、そのまま運河の底を通ってユウキが指した辺りで複雑な図形を描く。
図形は波動の崩壊によりナノマトリクスを固有状態へ収縮させる量子式――らしいのだが、ユウキには分からない。
運河の底の都市素材が再構築され、タイトなスロープが出現した。
同時にセンリの肌の上に走っていたパークジェットがブツっと消える。ついでにライダースーツの一部が力尽きたように破けた。肌と下着がのぞく。
「別の問題だ。
――行けるか、ユウキ?」
ユウキが小さく頷くと、バイクのコンソールをタップして運転モードをフルマニュアルに切り替た。
「このくらいなら大丈夫、任せて。
エンジン少し吹かすから負荷かけるアクティブセーフティは全部切った。
じゃあ……いくっ!」
気合のこもった掛け声とは裏腹にバイクが滑らかに加速した。
そのままスロープを後輪だけで通り抜けると、バイク自体の重さと荷重移動、重力を使いながら何でもないように向こう岸まで到達した。
「とうちゃくー」
「良い腕だ、ユウキ。
バイクに乗り始めたばかりなのに上達が早くて助かるぜ」
「この身体のお陰かなあ……
《転生》してるんだから、せめてそのくらいの役得でもないとね。
この程度だと割に合わないけど……」
褒められたのに気落ちしたユウキをセンリが後ろからハグする。
その途端、破滅の音が響いた。
ユウキのライダースーツも胸から腰あたりまでバラける。危ない部分はギリ出てないのが逆に扇情的だ。後ろでスロープも折れる。
「すまん、ユウキ。
やっぱり服くらいは買うか」
「伯父さん手が冷たい!
できれば異世界製の強化服みたいの欲しいよねえ……
――素っ裸になる前に帰ろ?」
「おう……ん?」
センリが空を見上げながらキョロキョロと目線を動かす。
目を細め、耳をすます。
「どうしたの?」
「うーん……うん?
誰かの気配を感じたような気がしたんだが……
まあいい、行こう」
ユウキとセンリが電動特有のステルスなエンジン音だけを残して去ってゆく。
後には静寂が残った。
「……」
空中から飛び出した青い影が、バイクのあった場所に無音で着地した。
影は全身にフィットする装甲スーツ姿をしている。
顔もぴったりのフェイスガードに包まれているが、生物的な装甲のボディラインは下品にならない程度に女性らしい輪郭を描いていた。
特に大きな胸が。
装甲スーツのセンサーが周囲を走査し、最後にセンリが作ったスロープを見る。
「――シティマテリアルの再構成ですか。
効率最優先のコンフィグレーションは趣味が分かれますが、いい腕です」
『テッセ、どう?』
唐突に空中から音声が流れた。装甲スーツ(テッセ)の頭上から黒く塗装された飛行ロボットが降りてくる。
ローターやモーターの稼働音はまったくしない。
「フォクシー、ジーリライト反応ありました。
キマイラ騒ぎで偶然見かけて追ってきましたが、彼女たちが?」
『こちらでは区別つかない、もう少し情報を集めて。
横で兄貴……チーフが睨んでるから丁重にね。
セラム114とクロムドームはセンシティブな関係だしさ。
変な気は起こさないようにね』
「了解です」
それきり会話が切れる。ロボットはいつの間にか夜気に同化していた。
夜霧が徐々に深くなる中で、テッセと呼ばれた装甲スーツが何度か頷く。
優等生が良いことを思いついたような仕草だった。
「夜の霧に似合う登場――うん、よい気がします。
大昔のダークヒーローみたいな。
さりげなく相手が気づいてくれるように誘導して……ふむ?」
それきり声が消える。
姿形もなく、やがて夜霧がすべてを覆い尽くしていった。