ある夏の日
まだ残暑の残る9月の終わり。
多良芝 真は一人、学生アパートの和室で畳に寝っ転がっていた。
「.....暑い.............」
特に喉が渇いているわけではなかったが、手元に置いていた水のペットボトルを手に取り、軽く口に含む。あまりにも暇で、他にすることも無いのだ。
大学生2年の夏。講義も無く、バイトも休み。だが金もない。
昏々としながら、今日という時間が過ぎていくのを待ち望んでいた。
真は青春の時間が一秒、また一秒と失われていくのをもったいなく感じながらも、外で鳴くセミの音やアパートの前を走る車の音がいつもより大きく感じられるのを、悠々とした時間と共に満喫していた。
そんな時、玄関の扉がコンコン、と音を立てた。
今日は客人が来る予定はない。だからこそ真は家でゆっくりとした時間を楽しんでいたのだ。それを邪魔された苛立ちを顔のしかめっ面に滲ませながら、それがご近所さんの扉のノックオンであること、或いは風がいたずらをしているモノだと思い込もうとした。
だが、今度は間違いなく、しかも先程よりも力強く、我が家の扉が叩かれた。
真はゆっくりと起き上がり、和室の襖を開け、廊下の先に見える鉄製の玄関先へと向かう。玄関先は先程のノックオンが嘘のように、静寂に包まれていた。
扉の鍵を開け、ドアを開く。
玄関の前にいたのは光崎だった。
「おっす!先月ぶり。」
光崎は小さく手を挙げて会釈をした。
光崎 紫。 同じ大学の同期だ。なににつけてもテンションの高い奴で、よく言えばムードメーカー、悪く言えば五月蠅い奴なのだが、彼とは互いの家を知っているくらいには親しい。
そんな彼を見た途端、真の先程までの苛立ちは収まった。
「どうした?今日って何かあったか?」
今日は彼が訪ねてくる予定は無い。もしや今日は何か大事な予定でもあったのでは無いかと色々思考が頭を巡り不安になる。だが、彼の口から出てきたのは思いもしない言葉だった。
「お前、割の良いバイトする気、無い?」
暑い夏の日。真は車の窓を開け、大きく息を吸い込んだ。田舎特有の澄んだ空気、森の香り。
もしこれが未知のバイトに向かう途中で無ければ、どれほど心地の良いものであっただろうか...
「そう悲観するなって。別に警察とかヤクザ絡みとかじゃねーからさw」
光崎はそういうと、ハンドルを左に切った。
突然家に来た光崎にバイトの誘いを受けた後、人数が足りないだとかどうせ金ないだろとか言いたい放題言われ、そのまま流されるように良い返事をしてしまった。まぁ、今後悔しても彼の車に乗った段階でもう逃げることなど出来ない話なのだが。
「いい加減そのバイトについて教えてくれないか?」
真は少しムスッとした顔で聞いた。バイトの話を提案された時から何度も聞いているのだが、光崎ははぐらかすばかりで、答えようとはしてくれなかった。
「まだダメだね!というか、実物を見た方が説明するより早いよ。」
この返事も何度聞いたことだろう。真は諦めて、車の窓の外を眺めていた。
先程高速道路を下りてから、ずっと田舎道を走っている。おまけに対向車すら滅多に通らない。
本当にこんな田舎の中に割のいいバイトなどあるのだろうか...そんな不安を抱きながらも、澄んだ空気を楽しんでいた。