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話は一段落し、何を話せば良いのか。いつ目覚めるのかなどと考えていると、急に「話は終わったみたいね」という声が聞こえた。声の聞こえた方に振り返ったが、誰かがいるような姿も見えない。聞き間違いかな、と思ったところで、ようやく声の持ち主と思われるものの姿が現れた。
「……誰?」
現れたものの姿は、よく目を凝らさないと見えなかった。真っ黒なのだ。肌の色も目も服も全て真っ黒で、黒以外の色が存在しないこの場ではとても見えづらいものだった。
「誰って、私は私よ。名前はね、シェーヌ・エヴラールというの。よろしくお願いしますわね」
彼女……といって良いのかはわからないが、自らをシェーヌだと名乗るこの黒いものは、スカートと思われる部分を摘みお辞儀をした。
私はシェーヌ・エヴラールだと名乗った黒いものをまじまじと見つめた。だって信じられるわけがないだろう、こんな化け物のようなものと私が、同一人物だなんて。だが、この黒いものをよくよく観察すると、顔の形や髪型など、全て私にそっくりだったのだ。
そんな風に驚きつつ、私のすぐ側にいる彼女たちも同じように驚いているのではと視線を移すが、彼女たちが驚いている様子など全くなかった。
「あなたたちはこの方を、知っているの?」
「あなたの魂に、彼女も住みついていたから知っているわ。それに私たちだけじゃなくて、あなたも彼女のことはよく知っているはずよ。生きていたときの私たちよりも、ずっと」
こんな真っ黒なものを?ともう一度そちらを見ると、彼女は口角を上げてニコニコと笑っていた。やはり真っ黒でわかりづらいが、見えないこともないようだ。
「……私の知り合いの中に、このような方はいなかったわ」
「冷たいわね、何度か話したことがあるじゃない。私はあなたで、あなたは私よ」
「謎かけかしら?」
本当にわからないわ。と両手をあげてお手上げポーズをとると、真っ黒な彼女はもうっと口を膨らませた。
「あなたの知っている言葉で言うなら、"強制力"ってやつかしら、私の存在は」
信じられない意味わからない。と言おうとしたが、それよりも先に彼女が「突然で申し訳ないとは思うけど、時間もないしさっさと話をするわね」と言ったので、それ以上の説明はなくなった。
「まず、あなたのいる世界ね、あと一年も経たずになくなるわ」
「……は?」
「この世界が乙女ゲームというものの世界の中だってことは、あなたも知っているでしょう?だからこの世界はずっとそのゲームのシナリオ通りに動いて、そのシナリオから逃れようとする者たちは私みたいな存在のものが、無理やりシナリオ通りに動くようにしていたの。何でかわかるかしら?」
「……知らないわ」
「答えはね、この世界がそのシナリオ通りに動くことで成立していたからよ。この世界はあのゲームのために作られた世界だから、ゲームのシナリオ通りに動かなかったらこの世界の存在理由はなくなって潰れてしまうの。同じく私たちもね。それを阻止するために私たちはこの世界に存在して、
あなたたちの邪魔をし続けていた」
「なるほど……?」
「まあ何が言いたかったのかって言うと、あなたたちの邪魔をずっとし続けて悪かったわね。ってことと、シナリオ通りの最期を迎えなかったこの世界はあと一年も経たずに潰れてしまうから残りの時間は楽しみなさいよってこと」
今更謝られても、謝るくらいなら邪魔しないでほしかったな。という気持ちや、残り一年でこの世界が潰れてしまうってことは死ぬってことなのかな。と考えてはいたが、急にたくさんの情報を得た私の頭は上手く回らなくて何を言えば良いのかわからない。というか突然現れて話し始めたと思って手に入れた情報がこれってどうなんだろう。
ぐるぐる今得た情報のことを整理しながら考え、私はとりあえず確認をすることにした。
「ええっとつまりあなたは、何度か私の頭に話しかけてきてたあの人ってことなのよね……?」
「最初に戻るのね……まああなたが言った通りのその人よ、私は」
「そうなのね。じゃあもう一つ質問。あなたは先ほど"私たち"って言ってたけれど、他にいるってことなのかしら?」
「他にいる。というよりは、必要になれば現れる。って感じかしら。シナリオ通りに動こうとしない人がいれば、シナリオ通りに動かそうとする私たちが現れるのよ。言うなれば分身みたいなものね」
そう言って彼女は私でも黒い彼女でもないシェーヌを指すと、「彼女はシナリオ通りに動いてくれたから、私は現れなかったわ」と言った。確かに私の中にあるシェーヌの記憶に、私が操られていたときのような感覚があった記憶はない。
「待って、じゃあもう一つ質問お願いするわ。今の話だと、あちらのシェーヌが取っていた行動は全て自分の意思でのものだったってことになるのに、ゲームと全く同じ言動をとってたってことなの?それって奇跡に近いんじゃないのかしら」
「それは少し違うわね。確かに彼女のとった行動は、彼女自身の意思でとったものよ。でも彼女の意思や言動はもともと、ゲーム通り動くようになっているの。この世界はゲームのために作られた世界だって説明したでしょう?だからこの世界に存在する人間全員の意思や言動は全て、ゲーム通りのものなのよ」
「でもネオラには、全く力は働いていなかったわ」
「ネオラは物語に登場しない人物、いわゆるモブだから、自由に動いていても問題なかったのよ。"ゲーム通りに動かなかったら"っていう私たちの力が働く条件も、ゲームに出てこない彼女には全く当てはまらないから」
ネオラはきっとこの世界に力が働いているとわかったときから、自分は物語には出てこないために力は働かないと分かっていたのだろう。そのことを利用して、ずっと助けてくれていたのだ。私は彼女に何かしてあげられたことなど、一度もなかったのに。
私がネオラへの思いを馳せていると、黒い彼女が現れてからずっと黙っていた咲良が 「あの」と声を出した。
「私たち、ゲームの世界なんて関係ないはずの世界で生きていたのに、祐介に力が働いていたみたいなのよ。それが何故なのか教えてほしいの」
「そうね……本来ならあなたは鷹田咲良としてではなく、シェーヌ・エヴラールに生まれるはずだったのよ。あなた、というよりはあなたたちはこのゲームの世界でシェーヌ・エヴラールとして生きていくためだけに生み出された魂。なのに、何かの手違いがあってか鷹田咲良は別の世界に生まれてしまったのよ。理由は神の領域に達することだから、私も知らないけれどね」
「私が、シェーヌになるはずだった……」
「そう。だから全く別の世界、ゲームの中ではない世界に生まれたあなたには、私たちの力が働くことはなかったはずなの。でもレヴォン様、の分身はそんなの関係ない。全く別人だとしても魂は同じ人物のものなんだからゲームの通りにしなくてはって動いてたのよ。ヒロインであるシュゼットの生まれ変わり、中西茜が現れちゃったからね」
「中西茜って……じゃあネオラが予想してたことは正解だったってことなの?」
「そう。彼女名前は言ってなかったけれど何となくシュゼットの前世が誰なのか予想できていたんじゃないかしら」
さすがネオラだわ。と感心していると、咲良は「じゃあ私たちがああなってしまったのは、祐介の分身みたいなもののせいってこと?」と尋ねる。
真っ黒な彼女は顎に指を当てて頷き、「まぁ全てあの人が悪いというわけではないけれど、大体そうね。真面目すぎるのよ、あの方は」と黒い顔に呆れたような苦笑いを浮かべた。
その表情に、一つの疑問が浮かび上がる。彼女は私たちの邪魔をし続けた許すべきではない人。だからといって完全に悪い人というわけではなさそうと考え気が緩んでいたためか、私の口は無意識のうちに動いていた。
「……あなたも、レヴォン様を好きだったの?」
私の質問に、彼女は目を見開いて固まった。
私は恋をしている人の表情なんて知らない。自分が普段レヴォン様をどんな顔で見つめているのかも、鏡がその場にあるわけでもないし見たことがない。でも、恋心というものは嫌というほどに知っている。
「……わざわざここで嘘をついても意味がないから教えてあげるわ。そうよ。あなたの言った通り、私はレヴォン様のことが好きよ。たとえそれが、ゲームの設定通りに作られた感情だとしても、本当に好き」
嫌だな、と彼女の言葉を聞いて思ってしまった。彼女がレヴォン様を好いていることに対してではなく、この場にいる誰もが、誰もが幸せだと思える恋を出来なかった者ばかりということが。
「嫌な現実ね」
「でも私たちはそれを受け入れるしかなかったのよ。そうすることでしか、私たちはこの世界にいられなかった」
あの方を好きになって、でも彼女たちの人生を知って恋をしないと決めて、でも結局好きでなくなることができなくって、この強制力というものに散々振り回されて、やっと解放されたのに。目の前に立つ彼女は、憎むべき対象なのに。私は彼女に同情してしまっている。
いっそ怒鳴って喚いて、叩いたりして全部すっきりできたらよかったのに、出来なくなってしまったではないか。と、聞いてしまったことに後悔した。
「……まあそんな私たちは、ゲームのシナリオからは完全に離れてしまったこの世界にもう存在出来なくなって消えてしまうわけだから、あなたは残りの一年、精一杯幸せに暮らしなさい。それが物語の最期にふさわしいでしょう?」
「一年経って消えたあと、私たちどうなるのかしら」
「おそらくだけれど、生まれ変わるんじゃないかしら。それがシェーヌ・エヴラールになるのか、鷹田咲良になるのか、全くの別人になるのかはわからないけれどね」
できることなら、全くの別人に生まれ変わってほしいものだな。と思う。シェーヌや咲良としての人生は、もう懲り懲りだ。また同じような人生を歩むのは避けたい。
「そろそろお目覚めの時間でしょう。悔いのないように生きて、幸せになりなさい」
「私たちはあなたの中にずっといるから、ずっと見守っているわ」
シェーヌと咲良は一言ずつ私に話すと、笑顔で手を振った。真っ黒な"私"は、静かに微笑んで私を見ていた。
「……悔いのない人生を私は歩もうと思うわ」
何かに吸い込まれるように視界がぐにゃりと歪む。この夢が終わって、私は今から目覚めるのだろう。
私は薄れる意識の中で、たとえ幸せにはなれなくても、心穏やかに、笑って、後悔が残らないような時間を過ごせたらいいな。と願った。
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