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音楽が鳴り止み、ダンスが終了する。踊っている間はずっと足元を見ていたためか彼はほとんど話しかけてこなかった。
私はダンスを踊っている間に、彼との会話が少なかったことに不思議に思う。前々世ではこのパーティーのダンスをしている間に、彼がシュゼットの話題をあげていたのだ。
不思議に思いながらもダンスは終わったので彼に礼をし、その場から離れようと後ろを向いたところで彼は去ろうとする私を止めた。
「待って、シェーヌ」
「…何でございましょう」
引き止められた際に掴まれた手首を見る。彼の目を見ることが怖かった。何が怖いのかはわからないけれど、馬車の中では怖くはなかったのに会場に着くと急に怖くなってしまった。そのためにダンス中はずっと足元を見ていたのだ。
「少し話をしてもいいかな?」
わざわざシュゼットの話をするためだろうかと思い、私は真意が気になり彼の表情をちらりと伺う。
視線の絡んだ彼の表情には困惑と、悲しみと、失望と…様々な感情が混ざり合っていた。馬車の時とは違い、はっきりとその感情があることを感じ取ることができた。
何のために私と話そうとしようとしているのかは分からなかったけれど、シュゼットについてではないということはわかりなぜかホッとしてしまう。
「ええ」
少し気の緩んだ私はそれに了承し、差し出された手に自分のものを重ねた。
バルコニーへと繋がる扉を開くと、隙間から冷たい冬の風が吹き、緊張のためか少し体温が低くなっていたため小さく身震いする。寒かったために重ねた手から伝わる体温が先程よりさらに温かく感じ、思わず少し強く握ってしまう。
「ああごめん、寒かったよね」
少し力を入れた手に気づいたためか、彼は私を気遣って羽織っていたものを脱ぎ、私の体へふわりと掛けてくれる。
「…ありがとうございます」
申し訳ないので大丈夫だ、と言おうかと思ったが、せっかく気遣って渡してくれたものを返すのもあまり良くないかもしれないと考え、ありがたく受ける。
私たちは柵の前まで来ると、目の前に広がる庭園の冬に咲く花々と空を見上げる。馬車の中から見た時の空よりも、見える星の数は増えていた。
彼はまだ話し始める様子がなく、私は黙って再び空を見上げた。庭園に咲く花々を照らす月は満月だった。
こんなことは起こらなかったなと、前々世のことを思い出す。その時の彼は私とダンスを終えると少しだけ何か言いたげな表情をしてから、周りにいた彼からの誘いを待つ令嬢たちのもとへと向かって行った。
当時の私は令嬢たちのもとへ行ってしまった彼に怒り、悲しんだ。私とだけ話せばいい、踊っていればいいと。
行かないで。
そうたった一言言えば、未来は変わっていたかもしれないと思った。
『彼女たちのところへなんて行かないで、私だけを見ていて』
と。
そう考えて、すぐにそれはないなと思う。
彼はその時はまだだとしても、最後には彼女を深く愛していたのだ、婚約者の私など目に入らぬほどに。好きと言ったことを忘れてしまうほどに。
まあ今更過ぎたことを後悔しても仕方がない、今の私は彼に対して同じ気持ちを持っているわけではないのだから。
そう考えていつのまにか瞑っていた目を開くと同時に、彼の声が隣から聞こえた。
「……俺は君に、謝らなければならないことがあるんだ」
話し始めた彼の横顔へ視線を移す。ダンスをしている時とは違い、彼の顔を見ることに恐怖はわかなかった。
彼の見つめている先は庭園の花々で、彼の碧い瞳の中でもその花々が綺麗に咲き誇っていた。
「謝罪を受けるようなことをされた覚えはございませんが…」
「君に身に覚えがなくても、俺は今、とても酷いことをしているんだ」
突然謝られるが、何かされるほどここ数ヶ月の間に彼との関わりはほとんどなかったため、首をかしげる。前世や前々世のことを入れればまた別だが、彼はそのことを覚えていないだろう。
何のことだろうと、彼の次の言葉を待つがなかなか口を開かない。しばらく彼は黙り込んだ後、大きく息を吸い込むと、ようやく話し始めた。
「……俺は、君と過ごしていた日々の記憶がないんだ」
「………」
言っている意味が一瞬理解できず黙り込んでいると、彼はすぐに話し始めた。
「ああでも少しこの言い方だと違うな。全くないというよりは、『婚約式をした』『お茶会をした』みたいな結果しか覚えていないんだ。
その婚約式やお茶会の間に俺が何を考え、どう行動して、君と何を話したのか。そういった結果以外の出来事は何も覚えていないんだ。思い出そうとしても思い出せない」
「………」
「昔のことだけじゃないんだ。つい最近のことでも同じだ。
例えば今日王宮に着くまで馬車に乗っていた時のことだと、俺たちは何か話をしていたよね?でも俺はその会話の内容を覚えていないんだ。『少しだけ話をした』という結果しか思い出せない」
は、と声が出そうになったがそれは口に出さずにしまい込む。
理解が追いつかなかった。彼の言っている意味を理解するのに、少しだけ時間がかかった。
でも、すぐに理解した。
彼はもうすでに私への興味がなかった。いや、すでにではない。
最初からだ。彼は最初から私に興味などなかったのだ。
そうでないと忘れるはずがない。
私がそうだったから。前々世も前世の私も、彼との思い出は最後までずっと覚えていた。
愛していたから。愛して止まない、大事で、大切で、かけがえのない人だったから。
だから、彼が私との間で起きたことを覚えていないのは、最初から好きではなかったからだ。数時間前のことさえも忘れてしまえるほどに、興味がなかったのだ。
『好きだからだよ。シェーヌのことが』
彼の言葉が深く突き刺さる。
私は彼を恨んでいる。もう好きになることはないと、何度も何度も思った。
なのになぜ、こんなにも苦しい。
なぜ、こんなにも悲しい。
なぜ、このタイミングで彼の言葉を思い出す。
「……最初から、私に興味などなかったのですか。
最初から、私に嘘をついていたのですか。
今まで起きてきたこと全て忘れるほどに、私に興味がなかったのですか。
なら、どうして、どうして貴方は…」
「違う、そうじゃない‼︎そんな風に思ったことなんてないんだ‼︎」
『婚約を解消してくださらないのですか』という言葉は、彼の言葉でかき消される。
興味がないから、私との出来事を忘れてしまえるのでしょう?
なのに、なぜ貴方は否定するの?否定することなどないでしょう。
私はその言葉を聞いても、何とも思わないというのに。
「だって君は、俺のーーー」
そこで彼の言葉は途切れる。彼は口を開いたり閉じたりを繰り返すだけで何も言わない。
「俺の、何なのでしょうか?」
「………わからないんだ。とても大事なもののはずなのに、喉に詰まって出てこないように、その言葉で詰まってしまう」
私の問いかけに対し、彼は苦しそうな表情になる。そしてまた口を開いて閉じるを繰り返し、そう言った。
「『お飾りの婚約者』、ではありませんか?」
「ちがっ…!」
「違わないのではありませんか?先程言ったことは間違っていなかったのではないのですか?最初から興味がなかったから何も覚えていらっしゃらない、だから少し前のことでさえも忘れてしまえる。そうではありませんか?」
彼に話す隙を与えぬように、早口に捲したてる。言い訳など聞きたくない。
「だとしたら、それならなぜ貴方は、好きだなんて……っ」
言おうとした言葉を、今言いたかったことはこれではないと思い、心の内に留める。一度深呼吸をして落ち着こうとする。
「………はしたない真似をしてしまい、申し訳ありません。気分が優れないので今日は帰らせていただきます」
「待って…」
「失礼致します」
私は彼の言葉を待たずに礼をしてバルコニーから立ち去る。
彼の表情を見れば、本当に私の言ったことが真実ではないのかもしれないと思った。
しかし彼は前の2回の人生ですでに私を裏切っている。理由はどちらも『他に愛する人ができたから』ということだった。
もしかしたらその2度の人生でも、彼は最初から私を愛してなどいなかったのではないかと、一度浮かび上がった疑いは消えることがなく、さらに悪化する。
別に構わない。本当は彼が私を好きでなかったとしても。
それなのに、なぜ、こんなにも苦しいーーー
私は目からあふれそうになるものを、必死で抑え込み歩いていた。
読んでくださりありがとうございます‼︎
シェーヌは途中から御乱心なために王子に上着を返すのを忘れてしまいました。