15
「シェーヌ、今日もまた綺麗だね。では早速行こうか」
「お褒め頂き光栄ですわ。本日はエスコートのほどよろしくお願い致します」
私のいる女子寮から出たところで待ってくださっていたのは、少し青みがかった緑色の衣装を身にまとった私の婚約者だった。
私は差し出された左手に手を重ねる。重ねたところから伝わる彼の体温はいつもと変わらず、程よい温かさを保っていた。
本日は彼が産まれてから16度目の誕生日パーティーが王宮で開かれる。そのために婚約者である彼は、私を迎えに来てくれていた。もうすでに彼女に惹かれ始めているため私とパートナーとなるのはあまり嬉しくないのではないか、という考えが少し浮かぶが、彼に手を引かれ馬車の中へ乗り込み向かい合って席へ座るとその考えを頭から消した。
パーティーで迎えに来てくださる時のいつもと同じようなセリフで、いつもと同じように優しい微笑み。いつものパーティーと違うところは何もない。
一見そう見えるが、窓の外に見える空へ目線を向けている彼が私の目線に気づき微笑む時の表情をジッと見つめると、違和感に気付く。
優しく微笑んでいるように見えるが、その目の奥には感情がなかった。喜びも嫌悪も、どの感情も存在しない。
そのことに関して怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ、やはり変わってしまわれたのだな、という考えが思い浮かび上がってくる。
仕方がないだろう。こうなることは最初からわかっていたことなのだから、と小さく息をはく。
私が感じた違和感はこれだけではない。今日、彼を一目見た時から何かが違うと思った。だがそれが何か分からず、私はもう一度彼を頭のてっぺんから足の先までじっくりと見つめる。
彼は私の目線に気づき少し困ったような表情を浮かべながらも、何も言わなかった。
やはり、何かが違う気がするのだ。何が違うのだろう。
顔に違和感はない。目の奥に感情が存在しないこと以外は。髪型も変わらない。熱があるのかと考えるが、先程手を重ねた時に手の温かさがいつもと変わらなかったことからそれは違うだろうと思う。
ならば、本日16歳と歳を重ねたために大人びたりでもしたのだろうかと考え始めたところで、衣装が目に入る。
正しくは、衣装の色だ。青みがかった緑色の衣装。ダサくはなく、彼の美しさを程よく感じさせる良い衣装だ。
ああそうだ。前々世の、本日行われるものと同じパーティーの時の衣装と色が違う。
流石にデザインまでははっきりと覚えていなくとも、色は覚えていた。あの時は、少し青の混ざった白に近い衣装だったのだ。
なぜ違うのだろうか。今までのパーティーでは態度が変わっていたとしても、衣装は前々世と同じだったのに。
私はその感じた疑問を口に出した。
「レヴォン様、本日のご衣装はご自分で選ばれたのですか?」
「ああそうだよ。何かおかしかったかな?」
「いえ、その…少し気になっただけですわ」
「そっか」
上手い聞き方が見つからず、私は黙り込む。彼は私の言葉に返しながら微笑みを浮かべ、会話が途切れると目線を窓の外へと戻した。
私はその空気を、少し寂しく感じた。
前々世と変わらない。彼女に出会ってから、彼は私とあまり会話をしなくなった。何か話したいことがあるわけでもなかったし、前々世と変わらなかったことに不満はない。
今世では、彼女が現れるまでに馬車で彼とどこかへ向かう時に言い寄られていたからかもしれない。私が婚約を解消しましょうと言えば、絶対しないと返す彼。
その軽い言い争いに慣れてしまったからかもしれない。慣れてしまったから、この静かな空間が落ち着かなくて寂しく感じるのかもしれない。
私は窓の外を見つめる彼の横顔をもう一度、そっと覗き見た。
窓から入ってくる風でなびく髪はサラサラと流れ、日に焼けず傷一つない綺麗な白い肌は、沈み始めた橙色の日で赤みがかっている。感情の浮かばない青い瞳は、先ほどと変わらずどの感情も浮かんでいるように見えなかった。
婚約を解消しましょう。
そう言おうかと思った。そう言えば、またあの空間が戻ってくるかもしれないと。
また真剣な表情で、少し悲しげな表情で、陽気な笑顔で、呆れた顔で、絶対しない。と、そう言ってくれるかもしれない。
その言葉を少しだけ期待して口を開いて、すぐに閉じた。
窓から入ってきた少し強い風で、少しだけ冷静になりその夢は消える。
今のレヴォン様は、もうあの時のレヴォン様ではない。前々世で、たくさんの話をして私の話にも優しく耳を傾けてくれた彼も、今世の色々な表情を見せ、婚約は絶対解消しないよと言う彼ももういないのだ。
好きではない。決して彼を許すつもりも、恨んでいる気持ちも消えたわけではない。
ただ、何かが足りなくて、その足りない何かを補いたかった。正体のわからない不安を、その何かで忘れてしまいたかった。安心したかった。
私は視線をレヴォン様から、彼が見つめている空へと移す。
先程まで赤く染まっていた空は、もうすでに闇に塗り替えられ始めていた。
「……君のドレスは青っぽい白が基調、なんだね」
「え、ええ」
突然口を開いた彼に少し驚きながらも、言葉を返す。
視線をまたも彼に向けると、彼の視線は私のドレスへと向いていた。
「何か問題でもございましたか…?」
「いや……何でその色を選んだの?」
彼は私のドレスから視線を動かさぬまま言葉を発する。私はそのことに少し疑問を感じながらも返事をした。
「たまたま目に入ったものがこのドレスだったのです。特に理由はございませんわ」
「…そっか」
彼の視線は変わらないまま、会話が終了する。私はその視線に戸惑うが、何も言わずに自分の手を見つめた。毎日メイド達が整えてくれている両手は白く、乾燥せず傷もない。少しゴツゴツした手を持った父より、ほっそりとした手を持つ母に私の手は似ている。
同じ大きさ、同じ長さの指には左手の薬指以外には何もない。そこにだけは、角度によっては虹色に輝く小さな宝石の埋まった銀色の指輪がはまっていた。いつも彼がリードするときに差し出される左手にも同じ指輪がはまっている。
前々世ではめていた指輪と全く同じデザインのもの。これも、変わらなかったものの一つだ。
前々世ではこれが自らの指にはまっているのを見るたびに彼は私のものなのだと安心し、喜んだ。それが今では、辛く悲しく、忌々しいもののように思えた。
心臓がじくじくと痛む。
どんなに恨んでも、嫌っても、目を閉じれば脳裏に浮かんでしまうのだ。彼の表情が、彼の言葉が。
何故なのだろう。思い出したくないのに。
そう思っても答えはずっと見つからなかった。もしかしたらこの指輪をはめているからなのでは、とも考えた。だから忌々しいと感じた。
何度考えても分からなかったのだから、今更わかるわけないかと思い手をギュッと握る。
目を閉じれば浮かぶ思い出も、こんな風に握るだけで潰せてしまえばいいと思った。
「シェーヌ、もうすぐ着くよ」
考え込んでいる間に、王宮にかなり近づいていたらしい。窓の外には暗闇の中光る、大きな城が見えていた。
前々世ではこの日、初めて彼女の話題を耳にする。
大丈夫、まだ何もなかった。私は嫉妬するような感情を彼に向けてなどいない。
深呼吸をして、私は視線をあげる。
視線をあげた先には彼が座っていて、彼の視線も私へと向いていた。
「……そうしなければいけない気がしたんだ」
「何が、でしょうか?」
主語のない言葉に何について話しているのか理解できず、私は聞き返す。
彼は少し何か考えながら言い、私に聞き返されると微笑みながら再び口を開いた。
「この衣装の色。最初は君と同じような衣装にしようかと思ったんだけど、何故かこの色のものの方が良いんじゃないかと思ったんだ。…その選択は間違ってたみたいだけどね」
少し困ったように微笑む彼の瞳の奥には、先程とは違って感情が存在していた。喜びか悲しみか、それともその他の感情か、どれかはわからなかったが、そこには確かに感情が存在していた。
「…私も初めは、その衣装と同じ色のドレスを着ようかと思ったのですが、こちらの色のドレスの方が良いような気がしたのです」
何も考えずに溢れた言葉だった。そして、ああそういえば、と思う。
彼の衣装の色は、私が前々世のこのパーティーで着ていたドレスと同じ色だと。
彼の誕生日であったために開かれたパーティーなのだから、彼の瞳の色と私の瞳の色と混ぜたものにしたいと考え選んだ色。
「じゃあ俺かシェーヌのどちらかが先に選んだ衣装を着ていれば、同じ色のものになっていたわけだ」
失敗したな、と自らの衣装を見下ろしながら呟く彼の表情からは、やはり感情を読み取れなかった。
「…そう、ですね」
私も自らのドレスに視線を落とし、返事をする。
ドレスを見ていると、以前とはまた違うけれど普通の会話ができていたことに気づく。それに気づいたことで、私の口角は無意識のうちに少しだけあがっていた。
「レヴォン殿下、シェーヌ様。到着致しました」
扉の向こう側から男性の声が聞こえ、レヴォン様は立ち上がり、私に指輪のはまっている左手を差し出した。
「シェーヌ、手を」
「はい」
私は指輪の存在を気にすることなく、手を重ねた。
胸の痛みも不安も、消えてしまっていた。
読んでくださり、ありがとうございます‼︎
馬車の中だけの流れで1話もとるとか思ってなかった