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006 《エルフィン》――始まりの冒険者たち・後編

 洞窟の奥を調べることにしたロゴスだが、洞窟の深さがわかっていない以上、カンテラの油が保つのかという問題に頭を悩ませていた。ネルは夜目が利くようだが、まさか手を引いてもらうわけにもいかない。ひとりで考えても名案は出そうになかったので、素直にネルに相談することにした。


「なあ、ネル。俺はこのカンテラがないと何も見えないから、油が今の半分まで減るとこまで進んでみて、それでも洞窟が先へと続くようならその時点で引き返そうと思うんだが、それでもいいか?」

「ふむ――しかしそうなった場合、中途半端に進んでみただけ時間を無駄にすることになって、きみの村の危険が増えるのではないか?」

「あ……」


 なるほど正しい。となると、ここは今すぐ村に引き返して、危険を告げたのちに十分な装備を整えてから出直すべきだろうか。しかし――――


「……でも、それじゃちょっと、つまんないんだよな……」


 ロゴスのいじけたような物言いに、ネルが吹き出した。


「冷静で正しい判断を好むのかと思ったら、意外と駄々っ子なんだな、きみは」

「そ、そうか? まあ……そうだな。自分でもちょっとおかしいとは思うし、俺ひとりだったらそうしたと思うんだ。でも今はネルがいるだろ? あんたの弓の腕前があれば、なんとかなるんじゃないかなって。そう思ったら――なんかワクワクしてきたんだよ」


「ふむ。きみは冒険が好きなんだな」

「ボウケン? 武器のことか? 弓も好きだし、罠もけっこう好きだぞ」


 噛み合っていない。


「いや、私は棒とも剣とも言っていないよ。冒険と言ったんだ」

「棒でも剣でもないのか。ボウケン? 初めて聞いたぞ」

「なに!? きみは《冒険》という言葉を知らないのか?」


 知らないものは知らない。だから、素直にそう言った。


「そうなのか……。なるほど、このあたりの人間たちは、日々の糧を得るだけの暮らしを送っているのだな?」

「そうだな。俺は獲物を捕らえて村に分ける、そして見返りに野菜や服などを受け取って暮らしている。いちおう、雑貨屋もあるから金に換えることもできるが、それほど使いみちがあるわけでもない」

「善いことだ。われわれエルフも同じようなものだよ。日々を暮らしていくための食べ物と、他にちょっとしたものさえあれば、生きていくにはなんの不足もない。ただ――」

「ただ?」


 言葉を切ったあと、不意に悪戯っぽい目を向けてきたネルにどきりとしながら、シロウは言葉の続きを待った。


「ただ――それだと少し物足りないんじゃないのかい? きみが畑を耕すのではなく、糸を編んで衣服を拵えるのではなく、狩人という生業を選んだのは、日々に変化を求めているからじゃないか?」

「そ、その通りだ……」

「ふふ。やっぱりそうなのか。ということは、まだ見ぬ獲物を求めて山を歩き回ったり、遠くの山の向こうには何があるんだろうと考えたり、そういうことも好きなのではないか?」

「あ、ああ……」


 ネルの指摘は、いちいち的を射ている。出会ったばかりでなぜ、こんなにもズバズバと見抜かれてしまうのだろうか。ロゴスはなんだか恥ずかしい気分になっていた。


「すまん、からかうつもりじゃないんだ。ただその……私もまったく同じだったから、なんだか無性に嬉しくてな」

「えっ!?」

「言ったろう? われわれエルフも、粛々と日々を営むことを善しとするんだ。しかし、私はそんな暮らしがどうにも退屈でな、もといたところを飛び出して、冒険の旅に出てしまった。そしていまこうして、きみと出会っているわけだ」


 そこまで話すと、ネルは少しだけ舌を出して、バツが悪そうな表情を見せる。



――ボウケンの、旅……?



 ロゴスはある種のショックと、同時になんとも言えない高揚感を覚えていた。


 日々を過ごすための糧ではなく、見知らぬ何かを求めて、旅に出る。それをボウケンと呼ぶのだろうか。なんと不確かで、なんと魅力的な生き方だろうか。人は(ネルはエルフだが)そんな想いに突き動かされてもいいのだ。むしろ、狩人にとって神とも呼べる存在のエルフが、現にこうしてボウケンの旅をしているのだ。そんなことがあっても、いいのだ。


「ボウケンって、楽しいのか?」

「ああ、楽しいぞ。例えばいまがその瞬間だ。山から溢れ出す魔素を辿ってここに来てみれば、たったひとりで冒険に挑んでいる、私にそっくりな人間に出会えた。こんなに嬉しい奇遇が、楽しくないわけがないだろう? 旅に出る前には、こんなことがあるとは思ってみたこともなかったし、もといたところでこんな出会いに巡り合うことも絶対になかった」


 ロゴスの目をまっすぐに見つめながら、ネルは顔を綻ばせて言葉を続ける。


「旅に出て、嬉しいことや楽しいことは幾度もあった。しかし、いまこの瞬間を超えるようなものは、そうそうなかったよ」


 からかっていないと言われたはずだが、なんだかからかわれているような気分だ。狩人の神様のような存在が、なぜこんなにも無邪気に、ただ日々の糧を得る暮らしをしてきた自分との出会いを喜んでいるのか。


「冒険というのはね、危険なことや不確かなものを乗り越えて、その先にあるものを追い求めるという意味なんだ。もちろん、乗り越えたその先に必ず何かがあるわけじゃない。しかしそれでも、その向こうになにかがあるかもしれないと思ったら、居ても立ってもいられなくなって、つい挑んでしまう。そういうものなんだ」


 最後にまた、ネルは悪戯っぽい笑顔を浮かべてこう告げた。


「――まさに、今のきみのようにね」



 濁流のように押し寄せる羞恥と高揚感で、ロゴスはもう自分がどんな顔をしているのかがわからなかったが、頬と耳のあたりが凄く熱いことと、心臓が痛いほどに高鳴っていることを感じつつ、ただ下を向いていた。





 凄く恥ずかしいのに、視界がすっきり拓けたような、なんだか不思議な気分だった。どうやら自分の中の何かが大きく変わったことを感じつつ、ロゴスは戸惑いながら顔を上げたが、ネルにどう言っていいのかがわからない。だから、その通りに言った。


「なんか、凄く恥ずかしいんだけど、凄く嬉しいような、不思議な気分だ」

「そうか」


 それなりに勇気を振り絞って口を開いてみたものの、こちらに微笑を向けたままのネルの返事は短い。どうしよう、もう何を言えばいいのか――――あった。


「じゃ、じゃあ行くか。ボウケン、この洞窟をボウケンしないと!」

「ははは。冒険するっていうのは、もう決まっているんだな」

「い、いや、いま決めた。俺はボウケンしたいし……しても、いいんだろ?」

「私なら構わないぞ」

「な、なら頼む。俺と一緒に――ボウケン、してくれないか」

「よし、じゃあまずはランタンのことだけど、私に考えがあるんだ。ロゴス、ちょっとだけ目を閉じててくれ」


 そう言いながらネルは両手を伸ばすと、手のひらでロゴスの頬を包み、瞼のあたりに軽く親指を置いた。


「一時的に、きみの目に山猫の加護を与える。狩人ならわかるだろうが、夜目が利くようになるぞ」

「そ、そんなことができるのか」

「ふふ。私はちょっと変わったエルフでね、いろいろ器用なタチなんだ」


「――――よし、これでいい。まだ慣れないだろうから、ゆっくりと目を開けてみてくれ」


 ぼそぼそと呪文のようなものを唱え終えると、ネルはロゴスの顔から手を離し、目を開けるように促した。言われるままに、ロゴスは恐る恐る瞼を開く。


「――っ! 眩しい……」

「光にとても敏感になっているからな。きみの目はいま、昼間の猫のような瞳になっているぞ。これで耳があれば、猫族の獣人と言っても通用しそうだが……」

「獣人……話に聞いたことはあるけど、そんなの本当にいるのか」

「話に聞いていたエルフがここにいるじゃないか。獣人もいるぞ」

「そうか。俺が知らないだけってことが、本当にたくさんあるんだな」


 そう口にすると、ロゴスはまたもや高揚感に包まれてしまい、どうにもピリッとしない。浮ついた自分を諌めるように、強めに頬を叩いて緊張を取り戻そうとしている様子を見て、ネルが笑いかける。


「そう気張らなくていい。私の勝手な見立てだが、きみはいざとなれば冷静さを取り戻す人間だと思っているぞ」

「そうだといいんだが、自分に限って大丈夫って言ってた狩人が、山から帰ってこなくなるなんてのは珍しくないからな」

「いい心がけだ。パーティを組む相手としては申し分ないな」

「パーティ?……を、組む?」

「ああ。同じ目的に向かって協力する冒険者たちのことを、パーティと呼ぶんだ」

「そうなのか」

「そして今回は、この洞窟を冒険したいと言ったのはきみだから、きみがパーティのリーダーだな」

「俺が仕切るのか? ネルのほうが俺より強いだろ?」

「冒険者のパーティとはそういうものだ。挑む冒険への思い入れが強く、目的を見失わないものがリーダーになる。そして、冒険のなかでパーティが何をやるべきかを示し、どうするべきかを決断するんだ」

「それは……責任重大だな」


 責任の重さを感じたロゴスは自然と冷静さを取り戻し、気魄が満ちていく。その様子を見てネルは軽く頷き、リーダーの背中を押した。


「私はパーティの一員として、よほどの悪手と思わない限りは、きみの決定に忠実に従う。私に何ができるのかをすべて見せたわけではないが、きみが見たもの、感じたものの範疇で、自由に指示を出してくれて構わない。自分の手が増えたようなものだと思ってくれ」


「わかった。頼りにしてるぞ、ネル」


「よろしくな、ロゴス」


 どちらからともなく差し出した拳を合わせて笑顔を交わすと、ふたりは真剣な表情に戻って洞窟の入口へと向き直り、冒険への一歩を踏み出していった。





「冒険への一歩を、踏み出していったんだ」


 そこでひとまず言葉を切って場を見回すと、物語がどこへ向かうのかという期待に満ちた6対の眼差しが向けられている。その眼差しを受け流すように、シロウはニヤリと口角を釣り上げながら爆弾をブン投げた。


「――というわけで、そのあとなんやかんやあったのち、《エルフィン》は伝説のパーティとなったのでした。めでたしめでたし。いやあ、いい話だったなあ!」


「待て待て待てぇ----ぃっ!!」


 ツッコミ慣れてきた感があるレベッカの反応は疾かった。


「ゴブリンは!? 洞窟の中に他のゴブリンはいたの!? 中にはいったい何があったの!? ロゴスはどんなリーダーだったの!? ネルは他にどんな技を見せたの!? ねえねえねえねえシロさん! わかんない! あたしなんにもわかんないよ!!」


 それはレベッカだけではなく、6人の総意だっただろう。


「まあ、長くなっちゃうしな。それに――」


 シロウの笑みは、ニヤリを通り越してそこはかとなく邪悪さを醸し出し始めてている。


「こっから先は、お前らが迷宮探索から『自力で』戻ってきたらだな。パーティを組んではみたものの、まだ冒険したとは言い切れない状態だろ?」

「そ、そんなこと……むぐぐ……!」


 知り合ったばかりのときに見せていた慈愛と尊敬の念は、いったいどこに消えてしまっているのか。口の悪さでこの場を鳴らしていたのはネイサンだが、いまのシロウは口も悪ければ底意地も悪い。そしてどこか、とっておきの宝物をチラ見せしてくるような、子供っぽい振る舞いにも映る。


「シロウさん、そのハッパはちょっとわかりにくいっすよー。あと容赦ないっす」


 シロウの意図に気づいたマーカスが横槍を入れる。ネイサンも気づいているのだろう、シロウとよく似た底意地の悪い笑みを浮かべている。


「はっはっは。だって《エルフィン》の冒険譚なんか、たいてい成功するに決まってるだろ? せっかく冒険の厳しさが身にしみてるところに、耳ざわりのいい成功物語を吹聴するのもどうかと思ってな」

「あっ……そういう……」


 声を上げたレベッカと同じく、新米冒険者の面々もシロウの意図を飲み込めたようだ。数々の冒険譚を残してきた《エルフィン》の、成功物語の第一歩。その姿と自分たちを重ねすぎてしまうと、どこか油断につながるかもしれない。


「なるほど、わかりました。確かにこれ以上は、今の僕たちが聞かないほうがいいかもしれませんね。というかその……《エルフィン》が結成された瞬間のお話を聞けたなんて、それだけでもう十分というか……」

「私もジョナサンと同じ気持ちです。あの《エルフィン》も、最初は私たちと同じ新米なんだって、そんなの当たり前のことなのに、このお話を聞くまでは考えたこともありませんでした」


 ジョナサンとエレンのヲタ組は、初めて耳にした冒険譚に満足したようだが、レベッカとダニエルが水を差してくる。


「うちらのパーティにネルみたいなのいないけどね」

「ああいのってアレだろ? 《ちーと》っていうんだろ? やっぱ《エルフィン》は最初から凄いパーティだったってことだよな」


「あン? なんだその《ちーと》ってのは?」


 ダニエルが何気なく発した耳慣れない言葉に、ネイサンが興味を示した。マーカスも気を引かれたようで、ダニエルの方を伺っている。


「え、えっと……なんか、俺らがいるのとは違う、《異世界》ってとこからやってくる連中が、冒険譚を読んでるとたまーに出てくるんだ。そんで、そいつらたいていなんか凄い力を持ってて、そういうのを異世界の言葉で《ちーと》っていうらしくて……」

「はあん、そんなんもあんのか。こいつと呑んでると冒険譚ってのはつくづく底が知れねえなって思うが、違う世界から来る連中とは、恐れ入ったぜ」

「チートは異世界ものの基本だからな」


 顎で指されたシロウが、そんなの初歩の初歩だとばかりに後を引き取る。


「そして事実であり、作り話でもある――らしい。なんでもこの世界にやってきた異世界人というのはほとんどいないらしくて、そうそう冒険者になったというわけでもないそうだ。なのになんでそういう冒険譚があるのって話なんだが……」

「いや、だからお前そういうのは誰から聞いてんだよ」


 シロウはこともなげに話し始めるが、全員の戸惑いを代表してネイサンが遮る。


「だから神様だよ。そもそもさっきの話に出てきた冒険好きの神様っていうのが、どうやらもとは異世界にいたらしくてな。で、そんときに聞いた定番の作り話を、面白半分でこの世界に広めたってのが真相だそうだ」

「神様理論ほんとすげえな、無敵かよ」

「だから不信心だぞ、不信心。そのうち神罰が当たるぞネイサン」

「おうおう、そんなありがたそうなもん、当たれるもんなら当たってみてえよ」


 シロウとネイサンがじゃれ始めたのを見ながら、新米冒険者たちとマーカスは、この場の潮時を感じていた。マーカスはともかく、新米冒険者たちは死にかけの目に遭っているのだから、心の疲れがじわじわと眠気を誘ってくる。


「んーじゃ、そろそろお開きっすかね! ジョナサンとダニエルはしっかり休んで次に備えないとっす! んじゃ、リーダー、ゴチっす!」


 マーカスがそう宣言して立ち上がると、新米冒険者たちも慌ててそれに倣い、シロウとネイサン、そしてマーカスに向かって頭を下げた。代表して、ジョナサンが暇乞いをする。


「今日は本当にありがとうございました。そして、まだまだ至らぬ新米ですが、これからよろしくお願いします!」



 その様子を見守るシロウは、その表情に深い親愛と尊敬の念を取り戻していたのだった。




シロウさん、このあとますます影が薄くなります。主人公なのに。主人公なのにね。あと誤用を指摘していただいたので、こっちに余談を入れときます。帰り道、新米たちがこんな会話をしていたとかしていなかったとか。



「シロウさんって、教養はあんまりないのかしら」

「えっ、急にどうしたのレベッカ」

「あのね、エレン。『耳ざわりのいい』っていうのは誤用なのよ」

「ん? どういうこと?」

「そもそもあれって、障りがある、のほうの字を使った否定的な意味で『耳障り』と使われるべきで、手触りがいい、みたいな用法はおかしいのよ」

「「「し、知らなかった……」」」

「まあ、言葉ってのはコミュニケーションツールでしかないんだから、その用法が主流になってしまえば、そっちが正しいわけだけど。あたしはまだ肯定的な『耳ざわり』には違和感があるわね。それこそ耳障りだわ」

「でも世論調査だとレベッカが少数派になってきてるみたいだよ」

「はあ? もうそんなことになってんの!? 嘆かわしいわね……」

「そもそも『おかしい』だって『をかし』からの誤用っていう説もあるし」

「さすがにそこまで遡っちゃうとねえ……」

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