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019 ハゲは15層を制す。貴族は1層で絶望する

 エレンがケンゴーから槍の指導を受けていた3ヶ月の間、サザンリバーの冒険者たちや《サザリン》に平穏な時が流れていたのかというと、まったくそんなことはなかった。


 まず、エレンが指導を受け始めるのとほぼ同じタイミングで、ネイサンたちの《河南組》がついに万端の準備を整え終わり、15層の探索に向けて出発した。15層からは各層に階層主と呼ばれる手強い魔物が待ち受けるため、地区最強レベルの《河南組》であっても、力が及ばなければ全滅という最悪の事態も起こりうる。


 ある程度のクラスの冒険者たちはそういった事情を十分に心得ているだけに、探索の3日前にはギルド《冒険するこひつじ》の酒場で盛大な壮行会が催され、《河南組》と親しい冒険者たちは今生の別れに備えた。


 そして15層への探索に向かったその日、《河南組》はあっさりと階層主を倒し、日が暮れる前には探索を終えて帰ってきた。冒険者たちはその偉業に大いに驚き、大いに沸き立ったが、ネイサンを筆頭に《河南組》の面々はひたすら納得がいかないといった表情のままだった。


 それから3日後、《冒険するこひつじ》の酒場で、シロウがネイサンに盛大に絡まれていた。


「おい、特任職員シロウ

「なんだ、冒険者ネイサン

「攻略済みの階層であれば、いくらかネタバレしてもらっても問題はねえよな?」

「まあそうだな。何もかもというわけにはいかんが、攻略後であるなら、多少のネタバレは自力攻略の範疇ということで許可されてる」

「じゃあズバリ訊くぜ。多少じゃ済まないネタバレになるようなら、答えられないって言ってくれ」

「おう」


 核心に触れる前に、お互いにエールを口に運ぶ。そうして、ネイサンは質問すべきことの要点を、シロウは返答できる範囲を整理した。シロウがパチリと指を鳴らしたのを合図に、ネイサンは口を開いた。


 シロウの指定席であるこのテーブルには、シロウが特任職員となったタイミングで、遮音と認識阻害の結界が張られている。シロウが指を鳴らすことで任意に結界の展開と解除ができるという、ギルドマスターのグレンが精巧に練り上げた高度な結界であった。


「ありゃあドッペルゲンガーってやつでいいのか?」

「そうだな」

「俺らと同じ姿、同じ能力ってのが相場と聞くが、その通りか?」

「その通りだな。どうした、まさかネイサン役に髪でも生えてたか」

「いいや、俺のほうが豊かなんじゃねえかってぐらいのツルッパゲだったぜ」

「じゃあなんも問題ないな」

「問題はそこじゃねえんだよ。あいつらはなんであんな――弱かったんだ?」


 朝出かけて夕方には倒して戻れる階層主。そんなものが存在するはずもない。しかし実際に、《河南組》は大した苦労もなくそれができてしまった。それがどうにも腑に落ちなくて、ネイサンだけではなくマーカスも、ルーシーも気持ちが落ち着かないらしい。


 実際にお前らの戦いを見たわけじゃないが――と前置きしたあと、シロウはネイサンの疑問に答え始めた。


「ドッペルゲンガーと本人たちの差はな、攻撃性にあるんだ。例えばネイサンがまず相手の出方を見たとする、その場合には必ず、ゲンガーの方から突っ掛けてくる。ちなみにドッペルが『2重』とか『2人』っていう意味な。いろいろややこしいし名前も長いから、本人じゃない側を便宜上ゲンガーと呼ぶぞ」

「お、おう」

「つまり、ネイサンたちが持っている手札の中で、より攻撃性の高いものを優先して切ってくるということだな。で、ここからは俺の推測だが、ネイサンたちは戦闘前にバフだの護符だのできっちり防御手段を張り巡らせて、そのあとマーカスゲンガーかルーシーゲンガーを狙っただろ」

「まあ、防御の備えはしとくわな。そんで最初に狙ったのは、確かにマーカスだったぜ」

「自分らの要だもんな。どんだけネイサンを叩こうとしても、マーカスが横槍を入れてくる。それでもたついていると、ルーシーの回復魔法も攻撃魔法も厄介だ」

「まあ、最初にマーカスに火力を集中して、流れで狙いをルーシーに変えたんだが、そこでマーカスのカバーが来ると予想してたのが、なんもなくてな……」

「ゲンガーは緻密な連係ということをしないからな。本物ならマーカスがどうにか余力を残してカバーの動きができるように備えていただろうが、ゲンガーにはそういう機転はない。だから、そのままあっさりルーシーゲンガーを排除できて、あとはなし崩しにって感じか。最後に残ったのは、ネイサンゲンガーか?」

「ルーシーもマーカスもいない俺があんなにも歯応えがないってのは、ちょっとショックだったぜ……」


 不服そうな顔で肩を落とすネイサンに苦笑しつつ、シロウは慰めの言葉をかける。


「3対1じゃしょうがないだろ。ましてや本物のマーカスとルーシーがついてんだ」

「まあな……もちろん勝てるわけがねえんだが。もうちょっとこう、意地とか、ほら、な……」

「『よくもマーカスとルーシーを!』とか言って意地を見せられても後味悪いだろ。あっさり勝てたならそれでいいんだよ」

「そうか?……まあ、そうか……そうだな」

「そういうわけで、理由はもうわかっただろうけど、ゲンガーが初手で決めに来たところを受けきっての反撃でほぼ勝負ありだ。その状態から的確に、要となるマーカス、そしてルーシーを叩いた。自分たちの強みをしっかりわかっていて、カウンターでそこを潰しにいけるかどうかが、ドッペルゲンガー戦のポイントだったんだ」

「でもよ、それって当然のことじゃねえのか?」


 やっぱり腑に落ちない、という表情のままのネイサンだが、その様子に取りあうことなくシロウは続ける。


「15層のドッペルゲンガーはな、その当然ができるかどうかの確認なんだとさ。抜かりのない準備で戦闘に臨んでいるのか、そして自分たちの強みが、裏返せば自分たちの弱点になるということを理解しているのか。そういった能力をしっかりと備えていなければ、このあとの16層、そしてこの地区の最深部である20層に挑む資格はない。そこを知らしめようという親切心なんだそうな」

「親切心って、なんだそりゃあ……。おい、まさかネルが考えやがったのか?」

「はて、ネルさん? 知らない方ですね……。一介のギルド職員にはちょっとわかりかねます」

「がっつり図星じゃねえかよ。白々しい芝居してんじゃねえ」

「当たり前のことを当たり前にできるパーティほど、試練とは感じないとも言ってたな」

「だから誰がだよ」


 苦笑しつつ律儀に突っ込んだところで、おそらく迷宮を作った主の思惑に気づいたのだろう。ようやくネイサンは表情を柔らげて、シロウに向けるでもなく呟いた。


「確かに、自力攻略やってる俺らにしてみりゃ当たり前のことだが……。攻略情報に頼り切って基本がなっちゃいねえ連中だと、自分らの強みってもんがわかりにくいかもしんねえなあ……」


 その言葉はシロウの耳にも届いたはずだが、シロウはとくに言葉を返さず、ただ黙ってエールのジョッキを掲げてみせた。


 そして、ネイサンも同じ動作で応える。求められれば攻略情報をホイホイ渡して脆弱な冒険者たちを量産しておきながら、15層まで下ったところでようやく「この先に挑むなら基本を身に付け、自分の頭で考えろ」てのは、それはちょっとないんじゃないのかとか、そんなことは言わないのであった。



 エレンが槍を学び始めてから1ヶ月が過ぎた頃、迷宮地区に《サザリン》と同じ年頃のパーティが次から次へとやってきていた。


 たとえば《サザリン》がそうであるように、たいていの国で成人とされる15歳を迎えたのを機に、冒険者を志すケースは増えている。しかし、そういった若い、ともすれば幼いとも言えるようなパーティがまとめて詰めかけてくるというのは、あきらかに異常事態である。ましてや、それらのパーティのほとんどが貴族絡みであったので、その異質さは余計に際立っている。


 古株の冒険者たちは薄々ながらもその異質さの理由を察していたが、冒険者ギルドの受付業務をこなしていたひとりの職員の問いかけが、その理由を詳らかにした。


 これぞ貴族の三男四男と言うべき傍若無人な振る舞いに辟易しつつも、淡々と業務をこなしていた職員のもとへ、またもや貴族の子弟とその一党と思しき5人の新参パーティが冒険者登録を求めてやってくる。そして、職員が業務の一環として「何を求めて迷宮に潜るのか」という質問を行った際に、パーティのリーダーである貴族の三男がこう答えたのだ。


「腕試しに決まっている。噂になっている愚図な冒険者たちはもちろん、そして他の貴族たちよりも、この俺、ラスムス・ウィンザーのパーティのほうが優れていることを証明したいだけだ。とはいえもちろん、俺たちだって死ぬのは怖い。しかしこの迷宮は、どれほど運が悪い初心者パーティでも生還できるような、ちょろい迷宮なんだろ?」


 そのやり取りを耳にしたひとりの冒険者によって、この事実はその日のうちにギルドによく顔を出す冒険者たちに周知され、爆笑をさらった。


「ぎゃっはっは! マジかよ! そのダメ冒険者たちって、《サザリン》だよなあ? お貴族様の耳にも届くとか、あいつら有名になりやがったなあ!」

「やべーな俺ら、そんなちょろい迷宮の攻略に苦労してるようじゃ、俺らもグズなダメ冒険者ってか!?」

「こりゃあお貴族様のお手並み拝見だな?」

「はぁ? お手並み拝見もなにも、そんだけ盛大にフラグ立ててりゃ、絶対死ぬでしょ?」

「……死ぬのは可哀想。魂がへし折れる程度に死にかければいい……」


 爆笑をさらったが、ラスムス・ウィンザーと名乗る貴族の三男のパーティは、敵も増やした。



 フラグを立てたと認定されたその翌日、ラスムスたちのパーティの姿は迷宮の中にあった。ギルド受付での強気な口調とは裏腹に、それなりに迷宮への敬意が払われた手堅い構成である。

 最前列にはここサザンリバーの迷宮を経験したことがあるという2人の冒険者が立ち、ラスムスと弟のルカが中列、そして回復魔法の使い手が後衛に控える。前衛の2人はウィンザー家が居を置く王都クブロイの冒険者ギルドに募集を出して雇い入れ、後衛はラスムス家で魔法を教える家庭教師という内訳だ。


 貴族らしい傲慢さが目立つラスムスだが、決して凡愚ではない。「死ぬのは怖い」との言葉に偽りはなく、無駄な虚勢を張った勢いのままに迷宮に足を踏み入れるような真似はしなかった。冒険者を志すでもないラスムスにとって、ちょっとした腕試しのつもりだった迷宮で命を落とすというのは、まったく釣り合わないリスクなのである。


 ラスムスにとっての目標はあくまでも、家督を継げる可能性が低い三男という身に、そこそこの武勇という付加価値を加えること。それによって条件のいい縁談が舞い込み、他の貴族家に婿入して家督を継げればしめたもの、という程度の目論見だ。


 そしてその目論見こそが、クブロイで暇を持て余す貴族の末弟たちに《サザンリバーの新米冒険者》の噂話が広まった理由に他ならない。無様な新米冒険者ですら命からがら逃げ帰ることが叶う程度の「ちょろい迷宮」であれば、自分たちでも冒険者として武名を馳せられるかもしれない。己の価値を高められるかもしれない。

 そういった箔を付けることで、良縁が舞い込んでくるかもしれない――と。


 言うならばこれは、人生の選択肢を増やすための資格の取得である。ごくごく一握りの勝ち組の人間であれば、そういった資格のなかでもとくに強力なものを生まれながらにして持ち合わせている。


 たとえば、王家や貴族の嫡男嫡女。たとえば、容姿端麗眉目秀麗。


 そして、たとえ三男であろうと、実家が太いというのも勝ち組と呼べる資格には違いない。家に残って代官や騎士にでもなって領地の安定に尽力すれば、家督を継いだ長兄の支えとなり、一族の繁栄にも貢献できる。実際に、物分りの良い貴族の子たちであればそういった手堅い道を選ぶ。


 だが、それでは嫌なのだ。

 ただ生まれただけで勝ち組の存在など、到底許容できるはずがなく。

 ましてやそういった存在の下について人生を終えるなど、屈辱以外の何物でもない。


 物分りの良くない人間は、そう思ってしまう。自分は何かを成し遂げられる人間のはずが、その機会が与えられていないのだと、そう思ってしまう。ただ生まれただけで手にする資格なんぞを凌駕する、自分だけの強さが、人生を豊かにする資格が、かならずこの身にあるはずだと、そう思ってしまうのだ。


 そうしてさんざん迷走した挙げ句に、ついにたどり着くのだ。その境地に。


 人生という時間のいくらかを投資して、ついに手に入れるのだ、その境地を。



「思えば親元を離れず実家を継ぐのが、なんだかんだで一番幸せだったなあ――ってね♥」

「何をニヤついておられるのですか、イライザ様」

「あらやだ。いたのね、ネル」

「む? 眺めていらっしゃるその迷宮は……サザンリバーですか?」

「ええ。だって、テンプレ貴族が押し寄せてるんでしょ? そんな面白そうなもの、放っておけないじゃない!」

「まったく、貴女というお方は……。500年も前に引退したというのに、冒険者好きは治りませんね?」

「そりゃあそうよ。せっかく神様としての面倒なお勤めを貴女に押し付けて肩の荷を下ろせたのだもの。次に何かになるまでは、好きなことだけやってようって決めてるの。それに……きっとネルだってそうするんじゃないかと私は思ってるんだけど。違うかしら?」

「否定できませんね……」


 この世界のどこかにある《神域》と呼ばれる場所でラスムスたちを覗きもとい見守っていたのは、2人の女神――正確にはひとりの女神と、かつてそうだった存在だった。

 冒険の神であるエレン・ラビュルスと、彼女に冒険の素晴らしさを薫陶した先代の冒険神、イライザ・バード・ビショップ。異なる世界に生まれ、人生を冒険に捧げて冒険の最中で命を落としたイライザは、まだ《冒険》という概念がなかったこの世界に高位の存在として転生し、ごく自然に冒険を司る神となった。


 それはつまり、概念がなければ植え付ければいい、知らないならば授ければいいの精神で、この世界で最初に冒険者となった人間をたらし込み、唆し、冒険者の道に引きずり込んだとも言う。

 前世では牧師の父のもとに生まれ、一族には大主教や宣教師もいて神なるものとの縁が深かったイライザならば、冒険という概念を持たないこの世界の人間を「導く」など容易いことであっただろう。


『壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。

 わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。

 わたしの教えにより、人は食べ生きることのみに魂を捧げる日々から解き放たれるであろう。

 おまえは広き世界に目を向けなさい。

 おまえが見聞きしたものを伝え、生きることのみに縛られる隣人の導き手となりなさい。

 おまえに続く者たちを見出し、この世界に広く《冒険》の翼をはためかせなさい』

『おお、女神よ――。私は貴女の教えに従います。この広い世界の隅々を。貴女の使徒として、冒険を求めて――』


「まー、ノアの箱舟のパクりだったわけだけど……」

「イライザ様? 唐突に何を」

「ああネル、なんでもないのよ。ところでこの貴族の子たちなんだけど……ちょっとテンプレとは違うわね?」

「ふむ? 確かに、必要十分すぎるほどの備えですね。これは好ましい……あっ?」

「あらあら、運がないのねえ……」



 1層の大通りを進むラスムスたちの前方から、4体のコボルドが現れて向かってきている。魔物と遭遇しにくいとされている大通りではあるが、かの有名な《サザンリバーの新米冒険者》の物語の舞台となった場所でもあるように、出くわすときには出くわしてしまうものだ。


 そしてそこから始まる不運があるのも、かの物語と同じである。


 コボルドと対峙しようとするラスムスたちの背後から、不規則な、しかし必死さを湛えた足音が迫ってくる。


 不穏な気配に振り向いたラスムスが目にしたのは、同輩の貴族の末弟と思しき血まみれの少年が、ゴブリンに追われて必死に逃げてくる姿だった。


 ラスムスたちはいま、1層の大通りで魔物に挟撃されるという、普通ではまずあり得ないような状況に追い込まれつつあった。

イライザさんの元ネタは、英国の女性探検家イザベラ・バード・ビショップさんです。

もうちょいじっくり登場させて一族の構成とかやるべきなんでしょうが、「わー!」って雑にやっちゃいました( _ _)


そんなしょっちゅう出てくる人(神的ななにか)でもありませんし……


ラスムスとルカで「!」てなった人、AI戦で僕と握手!(ランクやってない観戦勢)

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