015 アンコクマエンシャクネツリュー
「――とまあ、そんなことを思ったんですけど、これって相談じゃなくてただの愚痴ですね」
話し終えたエレンはお茶を口に運びつつ、「ふうむ」と言ったきり腕組みをしたまま黙っているシロウの様子を窺う。話し終えた内容を自分で思い返してみても、本当なら弓が使いたいのに使えず、迷宮の中でもどかしい思いをした、ということを伝えただけだったので、シロウが反応に困っても無理はない。
何かもうひとことふたこと、変な話でごめんなさいとフォローを入れるべきかと思ったところで、シロウがようやく口を開いた。
「エレン、お前の冒険っていうのは、剣と弓で戦うものって決まってるのか?」
「――――は?」
まさかのダメ出しは、予想だにしていなかった斜め上の角度からだった。エレンが呆気にとられているのを気にする風もなく、シロウは言葉を続ける。
「エレンだってたくさんの冒険譚を読んできただろ? その主人公たちが使う武器は、剣と弓だけだったか?」
「えっと、それは……剣や弓が多かったですけど、槍を使う騎士や大斧を振り回すドワーフ、あと大鎚で暴れまわる巨人族とかもいましたけど?」
「だよな。じゃあ、その主人公たちはどうしてその武器を選んだんだと思う?」
ダメ出しからクイズへのコンボ。展開が唐突すぎてついていけないが、シロウの様子はいたって真面目なようだ。おそらくは意味のある話をされているのだろうと判断して、エレンは必死に頭を働かせる。
「たぶん……自分に合っているからだと思います。騎士はきっと騎士団で槍を習い、ドワーフは力持ちなので大斧でも振り回せる。巨人族も、力任せに扱えて丈夫な大鎚なんじゃないでしょうか?」
「まあ、そんな感じだろうなあ。でもな、そこでもう一つ上の妄想をするのがマニアの嗜みじゃないか?」
冒険譚ヲタの大先輩であるシロウに「マニアの嗜み」などと言われ、エレンのヲタ心はざわついた。思えばもっと子供の頃には、やりたい放題に妄想を膨らませて悦に入り、「わたしがかんがえたさいきょうのぼうけんたん」を披露しては両親を困らせていたはずだ。そんな自分が、ヲタの大先輩から『妄想のレベルが低い』などと窘められている。なんという体たらくか。
騎士団で習った? 力があるから? そんな常識的でおもしろみのない推測など、妄想でもなんでもない。ヲタの道を知り抜いた先輩の前で、常識人である必要はなかったのだ。ここには常識人代表のレベッカも、ネイさんもいない。いるのは2匹の研ぎ澄まされた冒険譚ヲタだけなのだ。
ならば、何を躊躇うことがあるのか――。
半目になったエレンは、静かに深呼吸をして頭のスイッチを切り替える。汚名を返上するには、お前の妄想を見せてみろと挑発してきた先輩の前で自分の全力をぶちまけねばならない。抑え込んでいた禍々しいオーラを解き放ちながら、熱っぽさを含んだねっとりと低い声でエレンは語り始める。
まるで何かが疼くように、左の掌で顔の左半分を覆いながら。
「ふふふ……間違えましたシロウさん……。まず、騎士はですね、かつて三日三晩にも及んだ暗黒魔炎灼熱竜との戦いで右手の指を失っていて、剣を握るには握力が足りないのです。斧も槌も、振り回す武器はダメです。すっぽ抜けてしまいますから。しかし、そういう挫折を味わい、自分はもう冒険者としておしまいなのかと絶望した騎士の前に、尊大な口調のひとりの美女が現れます。『妾を退けたほどの男が、なんじゃその無様な姿は。貴様にはこれを遣わす。みごと使いこなしてみよ』と。おわかりですね? その美女は騎士に負かされたことをきっかけに恋に落ちた暗黒魔炎灼熱竜が人化した姿で、愛する騎士の絶望を知り、手助けしたのです。そのときに渡された武器が、暗黒魔炎灼熱竜の牙を研ぎ澄ませて穂先にした、『竜牙・暗黒魔炎灼熱槍』だったというわけなのです……」
「スイッチ入ってるとこ悪いが、そういう方向の話じゃなくてだな」
ギルドの酒場のテーブルに、さっきまでエレンだったものが伏せていた。お前の妄想力を見せてみろと挑発され、全力で応じてみたらとんだベクトル違いで、「そういうことじゃない」と全力でスカされてしまったとなれば、とてもじゃないが顔を上げられるはずがない。
死にたい――。
世界でいちばん生き汚いはずの冒険者に、死を渇望させるほどの恥辱だった。
その向かいには、うなじまで真っ赤になったエレンを必死になだめるシロウの姿がある。
「すまんすまんすまんすまんエレン! 面白かったぞ!? いい妄想だった! でもな、今の場はそういうベクトルじゃなかっただけでっ! あと俺ほらおっさんだろ? 厨ニはもう卒業しちゃってるからアンコクマエンシャクネツリューのくだりがちょっと笑っちゃうっていうかアレな感じで食いつきがいまいちだっただけで、展開は王道で面白かったから!」
「エウゥ……イインデス、モウ、ホットイテクダサイ……」
さっきまでエレンだった物体から、そんな感じの言葉に聞こえるような音が小さく鳴った。こちらの声は聞こえているんだな、ちゃんと意識はあるんだなと安心したシロウは、物体の銀髪のあたりを優しく撫でてやってから、自分の椅子に座り直す。
「まあ実際のところ、ベクトルがズレはしたけど正解みたいなもんだったぞ」
「エゥ?」
「その音やめような。『えぅ?』だったらかわいいんだけどな、カタカナだとちょっとな。――でだ、要するに、常識的に考えられる以外の理由で、武器を選んでる場合もあるんじゃないかってことだ。握力が足りないからっていうのはいい想像だったし、リューガ・アンコクマエンシャクネツソーを託されたから使ってるってのも、似たような話は実際にあるわけだしな」
「エゥエゥ」
「それで同意とか肯定だってのが伝わるからすげえよな。イントネーションは偉大だぜ……ってそれはさておき。ポイントは『武器を選ぶ理由』があるってことだ」
「エゥ……?」
「エレンが弓を使いたがる気持ちも、実際には剣を使っている理由もよくわかる。練習したから、得意だからってことだよな。だが、その理由は――『本当に必要な武器を選ぶ理由』じゃなくなっていないか?」
「エ……エゥッ!」
驚嘆したらしき声のような音のようなものを鳴らすと同時に、エレンだった物体が跳ね起きて居住まいを正し、元通りのエレンに戻った。まだほんのり顔が赤いし、耳もうなじも真っ赤だし、潤んだ瞳は涙目にもほどがあるのだが、そんな瞳でシロウの顔にしっかりと焦点を合わせて、次の言葉を待っている。
「エレンも『ドラゴンと大型弩砲』の話は知ってるだろ?」
「えぅ……じゃなくてはい、もちろん知ってます。有名なお話ですから」
「あの話にさ、バリスタ使いの主人公っていたか?」
素っ頓狂なその問いに、エレンは頭の中が「???」でいっぱいになってしまう。
そもそも『ドラゴンと大型弩砲』というお話は、凶暴なドラゴンが隣国を攻め滅ぼして主人公たちの国へと向かってくる間に、腕利きの武器職人であるドワーフたちをあの手この手でどうにか説得して、急ピッチでバリスタを完成させてドラゴンを討ち倒すという内容だ。着想して設計するまでは良かったが、バリスタの完成には致命的な材料が不足しており、ドラゴンが王都の門をこじ開けるまでに、決死の覚悟で材料の入手に挑んだ主人公たちが間に合うかどうか、というところが読ませどころである。
材料を探し求める冒険行で主人公たちは剣を使っていたような気がするが、バリスタでドラゴンを射抜いたのはドワーフの職人たちで、そもそもバリスタはこのときに初めて着想&設計された(という設定上)世界初の兵器である。バリスタ使いなどという存在がいるはずもない。
「いえ……完成したバリスタを発射したのはドワーフさんたちでしたし、初めて作られた武器なのでバリスタ使いというのは……」
「そうだな。ドラゴンの討伐と材料探しの冒険行がちょっと切り離されてるからピンと来にくいんだけど、この話には冒険者にとって大切なことが書かれている――と俺は勝手に思ってるんだが……わかるか?」
そう言ってシロウが片目を瞑ったときに、エレンはようやくここまでの流れがつながった。それと同時に、もやもやとした謎掛けばかりで困惑させられたのも、自分で考えるチャンスを与えてくれていたのだと理解して、また頬が少し熱くなる。
「すみません、ようやくわかりました……。目的に合った武器を用意したってことですね?」
「そういうことだ。用意していた武器で不都合があった場合には、都合のいい武器を用意し直せばいい。そういう話って、修行シーンが多めの地味でマイナーな冒険譚だとよく出てくるんだよ。パーティを組んでるんなら役割の分担や変更とかの調整でどうにかなるかもしれないが、ソロ冒険者だとそうはいかないからなあ。手持ちの武器でどうしようもないなら、新しい武器を用意して挑むか、いっそ諦めるかのどっちかだ。まあ、壮絶にマイナーな冒険譚だと、『得意な武器を信じて散りました -完-』ってのもあったが……」
救いのない冒険譚にいくつも心当たりがあるのだろう。苦虫を噛み潰したような表情になって言葉を区切り、お茶で喉を潤してからシロウはまとめに入った。
「長く冒険者をやっていきたいのなら、選択肢は多いほどいいんじゃないか? ましてやエレンは中衛で、器用貧乏の何でも屋が向いているポジションなんだし。もちろん、エレンだけがいろいろ試すんじゃなくて、仲間と話し合って、少しずつ引き出しを増やしていくのがいいパーティなんじゃないかな」
「でも、中衛って本来はパーティの舵取り役ですから、いろいろ試すのはわたしの役割ですよね?」
「うーん、その『本来』っていうのはどうかな。パーティのスタイルなんてのは、ひとりひとりの能力によって決まるもんじゃないか? ただ、前衛はまず確実に敵と衝突するし、後衛は比較的安全で時間的にも余裕を持てるぶん、前衛とは違った能力を発揮させやすいポジションだというのは事実だろうな。そこからの消去法で中衛には残った仕事が任されるってだけで、それが舵取りなのかどうかは別の話だ。《サザリン》だって、指示出しはレベッカがやってることが多いんだろ?」
「それはその通りです。最初にレベッカが状況の把握に集中してから大まかな指示を出して、そこからは流れでわたしが指示を出したり、お互いに声を掛け合うっていうのが多いですね」
言われてみれば、だった。本来もへったくれも、自分たちは適材適所でなんとなく役割を決めていて、確かにエレンは舵取り的な仕事に回ることも多かったが、その役割に徹しているわけでもない。冷静沈着なレベッカの眼を活かさない手はないし、お互いができることを熟知した仲間たちの、その状況に合った提案もまた《サザリン》の大きな武器だ。
納得がいった、という表情のエレンに頷き、シロウは話を続ける。
「俺が思うに、冒険者にとっての最大の武器は想像力だ。剣や魔法で敵を倒すシンプルな強さを軽視することはできないが、そこからさらなる強みを持つためには、想像力が不可欠だ。それは妄想と言い換えてもいい。エレンはそういうのが得意だろう? 冒険譚ヲタならではの強みを、もっと活かしていけ」
「それは……『竜牙・暗黒魔炎灼熱槍』を探せってことですか?」
「うんうん、俺はそういうのは卒業したって言ってんのに、ハート強いなお前。まったく違うけど、槍はいい選択かもしれないな」
渾身の自虐を豪快に空振りしてしまったエレンだったが、予想外の部分でシロウに褒められた。
「槍……ですか?」
「現状の《サザリン》の構成で使いやすい引き出しを増やすなら、槍か棒じゃないか?」
「わたし、槍も棒も使ったことがないんですけど……」
「別に明日からいきなり使えとは言ってないからな? 少しずつ訓練して、少しずつ試していけばいいだろう」
「なるほど……」
納得したような返事はしてみたものの、エレンの声のトーンは暗い。使ったこともない武器をこれから練習し始めて、そうそうモノにできるものなのかという不安が手に取るようによくわかる、そんな声だった。
「まあ、なんでも試してみることだ。それに、ギルドに頼めば指導員も見つかるだろうし」
「えっ? ギルドで指導なんて頼めるんですか!?」
指導員というものが存在することに驚いたエレンだったが、よくよく考えればさっきまで弓を射ていたのはギルドの訓練場だ。冒険者に自由に開放するだけではなく、ギルドの主導による訓練を行う場として活用されていても、なにも不思議なことではなかった。
「双剣だとか吹き矢だとかのマニアックな武器だと難しいだろうけどな。棒とか槍ぐらいならそれほど珍しくもないから、指導できる職員がたぶん見つかると思うぞ。もし職員にいなくても、時間が取れる冒険者にギルドから依頼を出すという手もあるし」
なるほど冒険者に依頼するという手もあるのか、と納得顔のエレンだったが、ふとした疑問が湧いた。
「あの、なんでそんなに至れり尽くせりなんでしょうか?」
冒険者ギルドが冒険者たちのサポートを行う機関だというのは理解しているが、武器の習得まで面倒を見てくれるというのは、いくらなんでも手厚すぎるような気がする。学校でもあるまいし。
「おー、そういう反応なのか。なんか最初から微妙に話がズレてると思ったけど……ギルマスが言ってたのは本当だったんだなあ……」
そう言って苦笑するシロウなのだが、エレンにしてみればシロウのその反応が意味不明なので、何をどう訊いたものかと困惑してしまう。
なので、曖昧な微笑を浮かべて黙っていたら、期待通りにシロウが説明し始めてくれた。
「混乱させてもあれだから、とりあえず順番にいこうか。まず、指導員がいるっていうのは、昔からのギルドのルールだ。100年前にこの迷宮地区が造られたときには、迷宮に挑む冒険者の数もまだまだ少なく、迷宮の中にどんな魔物が現れるのかがほとんど知られていなかったわけだ。そして冒険者たちの数が増えるにつれて、その管理のためにギルドが設立された。この頃の様子はマイナーな冒険譚のいくつかで知ることができるんだが……」
「すみません、不勉強で……」
「いやいや、ドがつくほどマイナーなやつだから、知らなくても仕方がない。それで、そういうたぐいの冒険譚の始まりというのは、だいたい決まって――」
村の青年は、飽きていた。
来る日も来る日も畑を耕し、種を撒き、雑草を刈り取り、収穫することの繰り返し。
俺はこんな毎日を繰り返して、そのうち老いて死んでいくのだろうか。
そんなとき、村に《冒険者》と呼ばれる男が立ち寄った。
冒険者の男は《サザンリバーの迷宮地区》で腕を磨き、今は冒険の旅の最中だという。
冒険者という仕事は、迷宮に挑み、魔物を倒すことで金を得るらしい。
腕っぷしに自信があった青年は、俺も冒険者になりたい、と男に言った。
どうすれば、冒険者になれるのかと、男に訊いた。
その冒険者は言った。冒険するなら、飛び込んでみることだなと。迷宮地区へ行けと。
青年は迷わず飛び込んだ。《サザンリバーの迷宮地区》へ。
迷宮地区とは、迷宮の周りに造られた町だった。
冒険者になりに来た、と言った青年は《冒険者ギルド》に案内される。
ギルドの男に武器は使えるのかと訊かれ、使えない、と青年は答えた。
じゃあまずはこいつから練習してみなと言って、ギルドの男に剣を貸し与えられた。
別のギルドの男が訓練を手伝い、青年はいくつか剣の技を身につけた。
これで冒険の準備は整ったな。自分の腕と運を試してみな。
そっけなくそう言われて、青年は迷宮への立ち入りを許された――。
「――みたいな感じで始まるんだ。100年前といえばまだ《原初の迷宮》に挑むわずかな冒険者たちがいただけだから、冒険者がどういうものなのかを知らない人たちもたくさんいた。そんな頃に《神々の迷宮》が造られ、冒険者になれば金を稼げるらしいと聞きつけた人たちが、剣すら握ったことがないのに迷宮地区にやってくる」
「そんなので迷宮に挑むのは、危ないというか……」
答えたエレンは引きつった笑いを浮かべている。自分たちだって自慢できるほどの腕ではないが、それでも冒険者になるために最低限の訓練はしてきたし、デビュー戦を除けば、今のところ無難に魔物を倒せている。
「まあ自殺行為だな。もちろんギルドは冒険者や迷宮について知っている、というか当時は現役の冒険者たちがギルドの職員をやっていたらしいから、まず最低限の戦い方ぐらいは教えてみて、それでモノになりそうなら迷宮の探索を許可することになってたんだな」
「そういえばわたしたちのときも『得意な武器はありますか?』と訊かれましたね」
「今は冒険者がどんなもので、迷宮にはどんな魔物がいるのかが周知されたからな。武器の心得があるのは最低限、魔法も用意できればなおよしということがわかっているから、実際にそれらを身につけたものが冒険者になりに来る。なので、ギルドで武器を指導してもらえるというのは忘れられてるんだ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
目から鱗、といった表情のエレンに微笑しつつ、シロウは足りなかった自分の言葉を補い、話に区切りをつけた。
「ギルマスが俺に『ギルドの本来の役割を知らない冒険者が増えたばかりか、職員も右から左に仕事を流すクセがつきはじめている。お前、古い冒険譚に詳しいんだろ? そういうのを注意する仕事をやらんか』って言ってきてな、それで任された仕事が、こんな感じで情報を補完する役割というわけだ。ちょっと困っている冒険者から話を聞いて、何か見落としていることがあれば教えてやる。簡単に言うとそういうことだな」
古戦場がはじまるー('A`)