011 細工師と、冒険のお誘い
ギルドの2階に上がりグレンの執務室に入ると、低いテーブルを挟んで3人は掛けられそうなソファを向かい合わせた応接セットがあった。
「好きなとこに座れ。ワシのスペースは空けておけよ」
大きなキャビネットに向かいつつグレンがそう言い、このあたりでは見かけない、いかにも良さそうな酒とグラスを持ってきた。シロウとネイサンは片側のソファの両端に腰掛け、反対側のソファの端にグレンが陣取る。
「土産にもらったばかりの珍しい酒でな、米で作るものらしい」
テーブルにどんと酒を置くと、嬉しそうに口を切りながらそんな由来を話す。それを聞いたシロウは目を輝かせるが、ネイサンにはあまりピンときていないようだ。
「エイジャの酒だな。これは懐かしい」
「エイジャ? ひょっとしてお前がはるばる冒険譚を仕入れに行ったっていう、世界の反対側ぐらいにある地域とかってやつか?」
「覚えてたか、そのエイジャだ。これは呑みやすくていい酒だぞ」
「はー、はるばるずいぶんと遠くから来たもんだな。そりゃあ見たこともねえ酒なわけだ」
全員にグラスが行き渡ると、誰からともなくグラスを合わせ、二次会が始まった。酒を注いだのは世間的な立場が一番高いグレンだったが、堅苦しくそんな事を気にするような者はいない。
「おお、こいつは確かにイケるな。呑みやすいんだが、酒精がグッと来る感じがあるのがたまらねえ」
エイジャの酒を一口やったあと、ネイサンが感心したように声を上げた。
「だろ? この酒は少し温めてもイケるし、うまい水を少しだけ足したりすると、また違う表情を見せたりして面白いんだ。とくに、淡い味のつまみと合わせるときは、水で割るといい」
「よく知ってんな。伊達に呑んだくれちゃいねえってか」
「呑み慣れた酒だからな」
「ワシは温めたやつが好きじゃのう。寒い日にそいつをやると、体の芯から温まる気がするわい」
「へえ、ギルマスもこいつを呑み慣れてんのかい。なんかツテでもあんのか?」
「ああ、顔を出すときにはこいつを手土産にしろと言ってある古い友がおってな、おかげでちょいちょい楽しませてもらっとる」
珍しい酒の話題で場が温まったところで、シロウが話を切り出した。
「それじゃあ、ネイサン。これからとんでもない話をするけど、疑わずについてこいよ?」
「お、おう。その様子じゃギルマスはご存知ってことか。だったら何も問題ねえ。この爺さんが飲み込めてるってんなら、聞いたからって別に命を取られるようなシロモノじゃねえんだろ?」
「命に関わるかどうかは、聞いた後のお前次第だけどな」
そう苦笑しつつ言うと、シロウはいつになく真面目な雰囲気を纏った。
「とはいえ何から話したもんかな……。えーとそうだな、こないだ話した《エルフィン》のロゴス、あれは俺だ。なにしろ800年ぶんのいきさつがあるから思いっきり省くけど、俺らと旅をしていたエルフのネルな、あいつ実は世にも珍しいハイエルフ様で、ここ900年ほど冒険好きな神様に仕えてるんだ。俺らと冒険してたときはまだ人間離れした力を持つハイエルフって程度だったんだけど、今じゃ神格持ちだな。それで、俺らとやってた冒険――《原初の迷宮》を攻略しまくってた頃の体験をヒントに、この地区にあるような《神々の迷宮》を造ったのがネルだ。理由はもちろん、秩序を持たせつつ魔物由来の資源を循環させて、人間の暮らしを豊かにしようってことで、なんとなく噂されてる通りだな。ちなみに俺は神格とか神がかった力なんてのは一切なくて、ただの800年前の人間だ。とりあえずここまで大丈夫か? ついてきてるか?」
「ふぉふぉ。さらっと無茶を言うでない。ほれ見てみろあのザマを」
グレンが言う通り、ついてきているわけがない。シロウが視線を向けた先には、グラスを口に運ぼうとした体勢で固まっているネイサンがいた。目の光は虚ろで、どこを見ているのかわからない。
「おい、戻ってこいネイサン。どのへんで挫折したんだ。おーい?」
その言葉にどうにか反応したようで、ゆっくりとシロウに顔を向けると、ネイサンはかすれた声で返事を絞り出した。
「あ……ああ大丈夫だ。挫折……は、してねえぞ。えーと……お前がハイエルフで、ネルがロゴスっていう話だろ?」
「うん。1ミリも理解してないな」
「これほど混乱するとは意外な反応じゃったな。しかし今なら、この話はなかったことに、と言っても通りそうじゃぞ」
「うーん、それもアリかな。おい、ネイサン、今のは冗談だ。この話はなかったことにしよう」
このやり取りが負けん気か何かに火をつけたらしい。ネイサンの目は急速に力を取り戻し、しっかりと焦点のあった視線をシロウに向けてきた。
「……っと、危ねえ危ねえ。命っていうか、魂みたいなもんを引っこ抜かれるとこだったぜ。なあシロウ、それ全部マジで言ってんだよな?」
「疑うなって言ったろ。大マジだ」
「そうだったな……。悪いギルマス、あんま上等なやつじゃなくていいから、これにちょっと水足してくんねえか? なんか一瞬で喉が渇いちまった」
「お安い御用じゃ。ついでにちょっと冷やしとくかのう」
そう言うと、グレンは水を足したネイサンのグラスを両の掌で包み込み、ぼそぼそと呪文を唱える。ひやりとした冷気が漂い、グラスを掌の上に持ち替えたと思ったら、表面が霜に覆われたグラスが現れた。こともなげに、それをネイサンに手渡す。
「お、おう、気が利くな……って、ギルマスあんた、そんなにうまく魔法使えたのか。スージーが炎を出して肉を炙ってるのを見慣れちゃいるが、こんだけ見事に冷気をコントロールしてんのは初めて見るぜ」
「ふぉふぉ。年の功じゃな」
程よく冷えた水割りを一気に飲み干すと、ネイサンの目が輝きを取り戻す。そして両の頬をぴしゃぴしゃと叩くと、ふうっと大きなため息をついて、シロウに向き直った。
「よっしゃ、いいぜ。続きを聞かせてくれや。お前がロゴスでネルが神様、そのへんの迷宮はネルが造ったってことだな?」
「おっ、無事についてきてるな。じゃあ本題に入ろう」
「あのレベルの話が前置きだったのかよ……本題どんなんだオイ」
再びネイサンの目から光が失われていくが、シロウは構わず続きを話し始めた。
「まあぶっちゃけた話、スカウトだ。ネイサン、ここの迷宮を攻略し終わったら、俺らと一緒に冒険に出ないか? まだ知られていない《原初の迷宮》がいくつかと、あとネルの新作の迷宮があってな、そのへんを一緒に探索してほしいんだ。まだちょっと先の話になるだろうから、ゆっくり考えてくれていいんだが」
「え? 俺をか?」
「いや、《河南組》全員だな。うちらとの合同パーティってことだ。といっても、うちらで参加するのは俺とネルだけの予定なんだが」
「待て待て。てことは何だ? うちの連中にもバラしていいってことかよ?」
「ああ、なんも問題ないぞ。ネイサンとマーカスは信用できるし、スージーは全く信用できない。だがな、予想通りにスージーがどこかでうっかり口を滑らせたとして、神の使徒が率いる《エルフィン》とパーティ組んでるだなんて、どこの誰が信じるかって話だ」
「目に浮かぶようだぜ。これ、色んな意味でうちのメンバーを信用してくれて、ありがてえなって言うとこか?」
そう苦笑しつつグラスを口に運び、ネイサンはしばらく思考を巡らせていた。そして長い溜息をつくと、決心したようにシロウに告げる。
「俺一人で決めるこっちゃねえが、いまんとこはまあ――半々だな。俺はずっと冒険者を続けていくつもりじゃいるが、それはマーカスやスージーと、これからどうすんのかって話しながら辿る道だと思ってる。そんでな、なるべく俺らの力で、《河南組》だけでやりたいっていう俺のワガママもあんだよ。だからなんつうか、お誘いは嬉しいんだがよ、伝説の冒険者サマたちにおんぶにだっこで連れ回されるってのは、あんま気乗りしねえな」
シロウの目をまっすぐに見据えて告げられた言葉には、中級冒険者パーティのリーダーとしての矜持が込められていた。お前らからすれば取るに足りないヒヨッコでも、俺らなりに積み上げてきたものを雑にいじってくるなよ――と。
しかし、そんなことに思い至らないシロウでもないのだ。
「誰がそんな退屈な旅に出るんだよ。ネイサン、俺が誘ったのは《冒険》だぞ。さっきも言ったけど、俺は神がかった力を持ってるわけじゃないし、ズバリ神様そのものなネルがなんでもかんでも解決するっていうんなら、ネイサンたちを誘う理由どころか、そもそも俺がついていく必要すらないだろ」
「つっても神様は神様だろうが。じゃああれか? 手加減しながら冒険ごっこってことか?」
「似たようなもんだけど違うな。なんでもネルが知ってる異世界の言葉だと、『弱くてニューゲーム』っていうらしいぞ」
「なんだそりゃあ……さっぱりわかんねえぞ」
わけがわからなくなったネイサンが目を白黒させ始めたところで、静かに場を見守っていたグレンが口を開いた。
「シロウ、そっから先はネルに任せてはどうかの。どうやらようやく手が空いて、こっちに向かってるようじゃ」
「おっ、意外に早かったな。じゃあネイサン、この話はちょっとだけ保留にしよう。で、その間に、なんか訊きたいことあるか?」
「訊きたいことが多すぎて、急には出てこねえよ……」
なるほどそれはもっともだと思い、シロウは順を追っておくべきことを整理して、いくつかネイサンに話すことにした。
その話によると、シロウは800年をまるまる生きてきたわけではなく、《エルフィン》としての冒険の旅を終えたあとに、ネルが帰っていった《神域》と呼ばれる場所で、時を越える眠りについていたらしい。それを可能にするのは、2000年とも3000年とも言われる悠久の時を生きるハイエルフの叡智。人間そのものを生き永らえさせることは不可能だが、ハイエルフと神々が住み暮らす《神域》のみにおいて、魔法による眠りを与えることで人間の肉体の時を止め、眠りについた状態のままで時を過ごすことが可能だという。
なお、800年の時を越えたのはシロウだけではなく、《エルフィン》の他のメンバーも、神域で眠り続けているらしい。しかしなぜ、彼らは800年の時を越える選択をしたのだろうか。
「ぶっちゃけて言えば、ネルが寂しがったからだな」
「はあ!?」
「ぶふぉふぉふぉふぉ!」
ぶっちゃけられたのに、意味がわからなさすぎてちっともぶっちゃけてもらえていない。おそらくそのへんの事情を知っているであろうグレンだけが爆笑していた。
「あのな、シロウ。ぶっちゃけるって言葉の意味、わかってねえのか?」
「ぶっちゃけたけど伝わらなかっただけだぞ。というか本当にそういうことだ。俺らは《エルフィン》でさんざん冒険して、やり残したことはあるにはあるけど、もういいかなーって満足したんだ。そして、ネルも十分に下界を見て回ったし、《神々の迷宮》の着想も得たから《神域》に戻って神様修行をすることになってな。そこでお別れして大団円……のはずだったんだが、ネルが嫌がったんだ」
苦笑しつつそう話すシロウに、グレンが愉快そうに合いの手を入れる。
「ふぉふぉふぉ、ハイエルフは寿命が長いからのう。深い絆を結んだ友と別れてから過ごす年月は、さぞかし寂しかろうて」
「そうそう、そう言われてな。仲間なら最後まで面倒を見ろって。お前らは生涯の中で十分な思い出を作ってあと数十年を生きて終わりだろうが、私はそうじゃないんだから不公平だって」
「いや、言いてえことはわかるし、その場にいたのが俺だとしても、できればそうしてやりてえのは山々だけどよ……そもそもの寿命が違うんじゃしょうがねえだろ」
「だよな? 俺たちもそう言ったんだぞ。そしたらネルが満面の笑顔になってな、『言ったな? 実は、ハイエルフの秘術ならそれができるんだ。そうしてやりたいんだったら、ぜひそうしてくれ』って」
「それで、あれよあれよで800年ということじゃな。ぶふぉふぉふぉふぉ!」
これ、笑い話なのか?という疑問でネイサンの頭の中が一杯になり始めたそのとき、隣室へと続くドアが静かに開き、新たな人物を迎え入れた。ロングの金髪に穏やかな翠眼、その姿は紛れもなく――
「やあ、ネイサン殿。待たせてしまったな。ようやくアミュレットが出来上がったよ」
「お、お前……細工師の……!」
ネイサンをさんざんやきもきさせていた細工師こそが、ハイエルフのネルその人であった。
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