96 同じ境遇
「どういうことだと言われてもな。言葉通りのままだぞ。それとももしかしておぬしは覚醒できたのか?」
「いや、まだだけど……もしかしてお前も覚醒してないのか?」
冒険者を引退する前はSランクだったと、うろ覚えだけどセレンがそんなこと言ってた気がする。それだけの実力がありながら覚醒してないってそんなことあるのか?
俺の疑問に対してノーブルはゆっくりと頷いて答えた。
「ああそうだとも。儂は覚醒していない。魔王だった頃の経験と知識を生かして周りから”賢者”なんて呼ばれるほどになったが、それでも覚醒には至らなかった」
「だからと言って俺も覚醒できないと決まった訳じゃないだろ」
「うむ。しかしな、儂が魔王だった頃に転生を試みた者が数名いたが、いずれも転生後に覚醒できた奴はいなかったぞ。おそらく一度覚醒したらたとえ転生したとしても二度目はできないんじゃなかろうか」
ノーブルの言い分もなんとなく分かるけど、だからといってすぐには納得できない。
「それに関しては転生魔法を知ってる者自体が少ないし、使える者となるともっと限られてくる。さらに言えば何度も試せる類いの魔法ではないだろ。サンプルの数が少ないから断言するには早くないか?」
「たしかにそうだな」
俺の反論は予想していたのか、当たり前のように受け入れられた。それならと俺が返す前にノーブルが続けた。
「だがそんなことよりももっと単純な話として、転生して覚醒して、また転生して覚醒して……そんなことを繰り返して強くなれるなら既に誰かしらやっているはずじゃろ? 転生魔法自体は昔からある魔法なんじゃから。だがそんなことをしてる奴を儂は知らない」
「そんなことはできないから?」
「うむ。それゆえ悪魔から悪魔へ転生するのではなく、人へ転生することでその制限を乗り越えられたらと思ったが……どうやらそう簡単なことではないらしい」
以前、俺がアリスに覚醒について説明したときは二重の水袋を例にして話したけど、それでいうなら俺たちは既に二つ目の水袋に到達してる。そこからさらにと思っても三つ目はないということか。
「それにじゃ、もし仮に人と悪魔で覚醒が別扱いで、異例の二重覚醒が可能だったとしても、儂らがそれをするのは困難極めると思うぞ」
「どうしてだ?」
「では逆に問うが覚醒とはなんじゃ?」
覚醒の詳細な条件は未だ判明していない。ノーブルもそれは知っているだろう。だからこれは俺が経験したときの感覚で答えることになる。
「極限状態――つまり死闘の果てに己の限界を超えて強くなる。この表現が正しいかは分からないけど、魂の奥深くに眠る力を得るというか、一気に成長するというか、そんな感じじゃないか? そんでもって覚醒と同時に魂の器である肉体も影響を受けて強化されるってことだと思ってる」
「儂も大体似たような認識じゃ。ではそれが覚醒の条件だと仮定して、シヴァよ。一度魔王という頂点に上り詰めた我々が覚醒するために必要な闘いとはいったいなんじゃ?」
覚醒が限界を超えて強くなることであれば、一度限界を超えている俺たちのハードルは当然以前よりも高くなっている。つまり――
「察したようじゃの。以前の自分と同等以上か、少なくともそれに近いだけの実力をもった怪物と戦わなければおそらく目覚めない」
「そして覚醒しなければ魂を受け入れる器が大きくなることもない。だからどれだけ魂が強大でも引き出せる力には限界があると……そういうことだよな。はぁ~」
ため息と一緒に力が抜けていく。ノーブルと話した内容、それについていままで考えなかったわけじゃない。それでも人に転生したのが自分だけならどこかに思い違いや抜け道があるんじゃないかと淡い期待があった。だけどその期待もこうして砕かれた。同じ境遇の、さらにいえば俺よりも五十年以上先をいってるノーブルが、俺の考えつく方法を試していないはずがない。
「覚醒は諦めるしかないのかな……」
「あるいは自力での覚醒が無理なら外部からどうにかしてとも思うが、そんなことはできぬじゃろ?」
外部からってなると俺がアリスを覚醒させたときみたいなことだよな。あれ自分に対して使えないし、誰かに頼むにしても実力的にできそうなのは目の前のノーブルぐらいか? グレイルもできるだろうけどあいつは敵だし。それに反動で魔力が減ることを話したらたぶんノーブルもやってくれないだろう。俺のときみたいに減った魔力が戻る保証もないし。
「悪魔の頃のように強力な魂を取り込むことができればまた違った方法も試せたんじゃろうが、それも人になったせいでできないしのぉ」
「打つ手なしか。……魔人化があるからまだマシと思うべきかな」
「なんじゃその魔人化というのは?」
思わず漏らした呟きに、ノーブルが眉をひそめて反応した。
「お前には説明するより見せた方が早いな」
立ち上がって実演して見せる。あまり手の内を明かし過ぎるのもどうかと思ったけど、ノーブルと敵対する訳でもないしいいだろう。
「これで肉体――魂の器を一時的にかつての自分と同等に引き上げて、魔王としての力を使えるように……ってどうした?」
口を開けてポカンとした顔でこっちを見てる。何をそんなに驚いているんだろうか。
「いやなに儂も同じことをしようとしていた時期があってな。儂は諦めたが、よくその魔法を構築できたなと感心しておったんじゃよ」
そう言われてどこか優越感にも似た気持ちが生まれると同時に複雑な気分になった。魔人化の魔法は八年前に起きた道場での戦いで、ダリウスとベルジールが魔道具を使ったのを見ていたから完成させられた。俺一人の力で作り出したものじゃないから素直に称賛を受け取れない。それになによりあの事件は起きない方が良かったんだ。でもあの事件がないと魔人化の魔法は完成しないから、そうなるとカムノゴルを襲った悪魔たちに殺されていた可能性が高いと……
「なんじゃその苦虫を嚙み潰したような顔は」
「なんでもないから気にするな」
もしこうだったらなんて考えても仕方ない。魔人化を解いて椅子に座りなおし、お茶を飲んで気持ちを切り替えた。
「ところでおぬし、その状態で全力を出したことはあるのか?」
「全力って魔王としてのって意味だよな? うーん……いまのところ無いな」
戦った相手がそこまで強くなかったというのが理由の一つ。あとは全力を出したら周りへの被害が甚大になりそうだから出せないってのもあるけど。
「それはあまり使わんほうがいい。特にお前さんのような強大な魂を受け入れるには、人の器は脆すぎる。まして覚醒もしていない身では言うに及ばずじゃよ」
「そうは言っても必要なら使うしかないだろ」
「忠告はしたぞ。あとはお前さん次第じゃ」
ノーブルは言うべき事は言ったとばかりにまた酒を飲みだした。俺も残りのお茶を飲んで一息つく。二人とも黙ると当然沈黙が訪れるが、意外なことにあまり気にならない。同じ秘密を持つ者同士だからなのかとも思うがどうだろう。
「そういえばお前はどうして人に転生したんだ?」
飲み干したカップを置いて尋ねる。どうやって人に転生したのか分からないけど、魔王ヴィセルとしての実力があればそれ自体はできても不思議じゃない。だから俺が気になったのはその理由だ。
「おぬしを倒して魔王の座を奪い返すためじゃよ」
至極あっさりと言われた。やられたからやり返すっていう復讐心なのか? その割にはいま目の前にその相手がいるってのに攻撃してくる気配がないけど。
「そう警戒するな。いまはもうおぬしをどうこうしようなんて考えておらんよ。むしろこうして再会したからこそ思い出したぐらいじゃ」
ノーブルがどこか遠くを眺める様にして語り出した。
「もうずいぶんと昔のことで記憶もそのときの感情も薄れているが、儂がおぬしに負けて魔王の座を渡したことがあったじゃろ。あのあとおぬしを見返すにはどうすればいいのか考えて、悩んだ結果が人の可能性に賭けることじゃった。さっき話した二重覚醒じゃな。まあそれに関しては最初から望み薄だと考えていたが、人には魔王を倒せる勇者という例外がいるじゃろ」
「もしかして勇者になろうとしてたのか?」
「人であれば勇者の力を得られるかもしれないとそう考えたんじゃよ。自分がなるにしろ勇者を仲間にするにしろな」
それはなんというか大胆な発想だなと関心はしつつも呆れた。魔王だったやつが勇者の力を頼りにして仲間にしようだなんてと。そこで自分とアリスの関係を思い出す。俺は元魔王、そしてアリスは勇者。……うん、ここはあまり深く突っ込まないでおこう。
「でもさ、結果だけを見れば人に転生しないほうが強かったんじゃないのか?」
「そうじゃの。まあ儂もいまにして思えばどうかしていたとかつての自分に呆れるがのう。本物の勇者は伝説の中だけだというのに……いや、おぬしは会えたんじゃったな」
「俺がアリスに会えたのはたまたまだけど。というかお前は俺に挑んで来れば覚醒できたんじゃないか? 一応俺の方が強かったわけだし」
「覚醒してない身でおぬしに挑めと? バカを言うな。そんな自ら殺されに行くような真似してどうする。どう考えても一瞬で殺されるじゃろうが。……まあ儂が転生した理由なんかもはやどうでもいいんじゃ。それよりもさっきエンシェントドラゴンを倒したと言っていたな?」
明らかに話題反らしたな。まあいいけど。
「それがどうしたんだ?」
「エンシェントドラゴンの素材、特に角が欲しいんじゃが持ってるか? 持ってるなら一度見せて欲しいんじゃが」
「持ってるぞ。ちょっと待ってくれ」
カムノゴルの自室に保管していた角を取り寄せるため、転移魔法の応用で空間を繋げる。目の前にできた揺らぎの中に両腕を突っ込んで目当ての物を取り出した。
「よっと。ほらこれがその角」
「もしかして道具を置いておく異空間でも作っとるのか?」
「そんな魔力の無駄遣いするかよ。自分の部屋と繋いだんだよ」
とはいえこれも転移魔法と同じぐらい魔力消費が多いからあまり多用はできないんだけど。
「それでなんでお前がこんなもの欲しがるんだ?」
「ソフィアが以前欲しがっていたんじゃよ」
「孫のためか」
「なんでもその角を粉末状にすり潰して薬に混ぜるとすごい霊薬ができるかもしれないとな」
「霊薬ねえ」
「一時的にだが身体能力、魔力、果ては自然治癒力まで強化できるんじゃないかと。ランク的には一段階上がるんじゃないかっていう話じゃ」
「冗談みたいな効果だな。……もしかしてそれも空飛ぶ船に関係あったりするのか?」
「空島に到着してから探索するときに使うんだと言っておったな。ソフィアの身体能力はそこら辺の子どもと変わらないから薬で強化しようということじゃろう」
ロマンにかける熱量がすさまじいというか、そんなところまで考えてんのかあいつは。
「まあ性能に関してはさすがに儂も冗談だと思っているが、ソフィアが言うからにはある程度の効果はあるじゃろ」
「理由は理解した。それでそっちは何が出せるんだ? 俺はこれを使って自分の剣を作ろうとしてたから簡単には渡せないぞ」
「ふむ。そうか、それならば……」
ノーブルが立ち上がって部屋の隅に歩いて行き、ガサゴソと何かを探し始めた。その様子を眺めてると、何の用途に使うのか分からないアイテムの数々がそこら中に転がってるのが見える。
「そんなガラクタの中から何探してるんだ?」
「ガラクタとは失礼なやつじゃの。うーむどこにやったか……おおっ! あったあった。いまそっちに持って行くから待っておれ」
ドスッと重そうな音を立てて机の上に置かれたのは白く光る金属の塊。
「ほれ、これなんかどうじゃ?」
「どうじゃと言われても金属になんか詳しくないぞ俺は」
「おぬしは剣聖から直接剣神流を習ったんじゃろ。それなら黒い剣を見たことがあるんじゃないか?」
「黒い剣ってもしかして”黒金”のことか?」
「ふむ、たしかそんな名前だったかの」
「お前が”黒金”のこと知ってるなんて意外だな」
「だてに七十年人として生きとらんよ。これでも色々なところに伝手を持ってる。それで話を戻すと、その”黒金”というのは”黒の隕鉄”という希少な金属から作られたものなんじゃ」
「へぇ、初めて聞いたけどわざわざそんな話をするってことは、この白いのはもしかして”白の隕鉄”って名前で、しかも希少な金属だったりするのか?」
「理解が早くてなによりじゃ。エンシェントドラゴンの角を武器にするよりもこっちの方がよっぽどいいとは思わんか?」