93 子どもの視線
飛竜に乗っていた青年――エドガーにどうしてこんなところにいるのかと聞かれたので、簡単に俺が見た状況を話した。
「それなら一度確認させて下さい。もし馬車が壊れていたりして移動できないようなら、私が責任を持って対応します」
エドガーは中立都市の周囲を見回る竜騎士ということで、魔物に襲われてる人を助けたり、馬車が壊れて立ち往生したりといったときの対応もしたことがあるらしい。そういうことならと、エドガーと一緒にアリスたちのところへ戻ることにした。
木々を抜けて開けた道に出たところですぐにみんなを見つけた。アリスは木に寄りかかって一人で休んでる。セレンとベルは……ちょっと離れたところで護衛の人たちと何か話してる。ライナーとサーベラスを乗せた馬車もいつの間にか合流していた。
「あっちの聖神官の服を着てるのが……」
一応聖騎士の恰好してるから呼び捨てにするのはマズいか。
「えーっとセレン様だ。そのセレン様と話しているのが助けた馬車の護衛たち」
「分かりました。それではあの人たちに話を聞いてみます」
エドガーがセレンたちの方に向かって行った。たぶん猫かぶりモードのセレンがいい感じに話をまとめてくれるだろ。
後のことはセレンに任せて、俺はアリスに声をかけた。パッと見た感じはいつもと変わらないけど、なんていうかどこか元気なさそうにしている。落ち込んでるってほどじゃないんだけどちょっと気になった。
「こっちは大丈夫だったか?」
「うん。怪我した人もいたけどセレンがすぐに治しちゃったから」
改めて馬車の方を見てみる。馬車に乗ってた客たちも今は下りて休んでいる。倒れたり、怪我してる人はいない。アリスの言葉通り、セレンのおかげ大きな問題もなく片付けることができたみたいだ。馬車はちょっと壊れてるけど、まあ人的被害がなかったんだしそこは目をつぶってもらおう。
「セレンと話してるあの人は?」
「エドガーっていって、中立都市の竜騎士だってさ」
「そうなんだ……あれ、でも竜騎士なら飛竜はどうしたの?」
「あっちの方にテルダートって魔物がいたんだけど、俺とエドガーで倒したんだ。それで他に強い魔物がいないか空の上から確認させてるらしい」
一度テルダートを倒した方を指さしてから、次に上に向けて指をグルっと一周させた。
「テルダートって初めて聞くけど、どんな魔物だったの?」
「アリスも知らないか。地竜に似てたよ」
「えっ、地竜ってたしかAランクだよね? そっちこそ大丈夫だったの?」
じろじろと体のあちこちを確かめられる。そんな何度も確認しなくても、すぐに怪我してないのはわかると思うんだけどな。
「大丈夫だって。それに止まってるところを一方的に切っただけだから、正直強いのか弱いのか分からなかった」
「一方的に?」
「ああ、実はさ――」
魔石に封じ込められていた束縛魔法のことを皮切りに、エドガーから聞いた話をアリスにも伝えた。ここら辺は中立都市の警戒網のギリギリ端の部分に入っていること。中立都市を守る飛竜隊というのがあって、エドガーはその一員として見回りをしていたこと。魔石に魔法を入れてる賢者は中立都市に住んでるってことなど。
俺の前に魔王だった奴が使ってた魔法に、束縛魔法が似てたのはまだ伝えなかった。離れてるとはいえ周りに人がいたし、それに俺の勘違いかも知れない。
「他にも中立都市には天使がいるとも言ってたぞ」
「天使って……あの天使?」
「たぶんその天使で合ってると思う。飛竜隊の他にも天使隊ってのがあるみたいなんだ。ここに来るまでの間に話を聞いただけだから詳しくは分からないけど、まさか人里に天使がいるとは思ってもみなかったな」
王都とか聖教会とか向こうの大陸では見かけなかっただけで、こっちでは案外普通のことなのかも。悪魔から人を守るために戦った天使がいるって話があるぐらいだし、別に人里にいても不思議じゃないか。
「どんな人だろう……フィオナみたいな感じかなぁ」
アリスは空を見上げて、まだ会ったことのない天使を想像してるみたいだ。フィオナがどんな感じか知らないからなんとも反応しづらい。ただ、こうして話している間にアリスの調子が戻ってきた気がする。
アリスが元気なさそうにしていたのはたぶん向こうの子が原因だろうな。馬車に乗ってた子だと思うけど、まだ十歳にもなっていない女の子が、父親の影に隠れてアリスを見てる。危ないところを助けてくれてありがとうって感じじゃない。どちらかというとあれは怖がってる感じだ。
「たまにあるの。あまり気にしないで」
「なんのこと?」
急いで女の子から視線を外してももう遅かった。
「ふふっ、もしかして心配してこっちに来てくれたの?」
「……まぁちょっと元気無さそうに見えたから」
気づかれないようにしてたけどバレちゃったか。別にバレたからってどうこうってのはないんだけど、なんかちょっと恥ずかしいな。
「ありがと。たぶんね、魔物は怖いけどそれを倒せる私のことがもっと怖いんだと思うの」
そう言えば俺はあまり一般人を助けたことって無かったな。同じ冒険者なら何度か助けたこともあったけど。だからあんな風に見られた経験がなかった。実は表に出さないだけで、内心では怖がられてたのかもしれない。
「でもさ、自分を守ってくれたのに怖がるものかな?」
「大人なら理屈で納得できるんだろうけど、まだ小さい子は難しいと思う。男の子だと目を輝かせてすごい、すごいって感じになる子もたまにいるんだけどね。大体の子は、特に女の子は……ね」
そうやって話してるアリスはどこか強がってる様にも見えた。錯覚かもしれない。だけどどうしてだろう……ほんの少し何かがあったら折れそうな、そんな弱さを感じた。
気にしないでって言ってたけど、むしろこれは聞いて欲しいのかな。
「そういうのってさ、つらくないか?」
「それは……ちょっとだけ。でも自分で決めたことだから。それに感謝されたくて助けてる訳じゃないからね」
「それはそうなんだろうけど」
「最初はね、たしかに落ち込んだこともあったけど、今はもう大丈夫だよ」
「あのさ、アリス――」
そこでセレンたちから聞き取りを終えたエドガーが戻ってきた。
「シルヴァリオさん。確認終わりましたよ」
なんと間の悪い男だ。かといって別にこいつも悪意があって割り込んできた訳でもないだろう。はたから見たら、俺とアリスは普通に話してるだけにしか見えないだろうし。
「……どうだった」
タイミングを外されて、ちょっとだけ不機嫌な感じになってしまった。エドガーは特にそれを気にした様子はない。
「みなさんはもう中立都市の方へ向かって頂いて構いませんよ」
「あんたはどうするんだ?」
「本部には連絡してありますので、私は代わりの馬車がくるまでここでみなさんの護衛をすることになります」
「そうか」
「はい。怪我人の治療までして頂いてありがとうございました。とても助かりましたよ」
「それはセレン様に言ってくれ」
「もちろんセレン様にも伝えましたよ」
「それならいいけど。じゃあ俺たちはもう行かせてもらうよ」
「はい」
エドガーが馬車の方に下がっていった。俺たちも自分の馬車に戻るか。
「ねぇシヴァ」
「ん?」
馬車の方に体を向けたところで呼び止められた。体はそのまま、顔だけ振り返る。
「……さっきなんて言おうとしてたの?」
アリスとしても中途半端なところで会話が切れたから気になってるんだろう。だけどタイミングを逃した今、正面から伝えるのはちょっと照れくさい。だから顔の向きを戻してから言った。
「誰かのため、みんなのために頑張ってるの……俺は知ってるから」
昔から一生懸命で、それは今も変わらない。いや、おそらく今は昔よりもずっと努力してるんだろうな。俺が見てる範囲だけでもそう思えるんだから、きっと見てないところでだって。アリスにそう言ったら、勇者なんだからそれぐらい当たり前だよって返ってきそうだけど、でもそんなの当たり前なんかじゃないと思う。
そういった事を知らない誰かがアリスを拒んだとしても、俺はこれまでの頑張りごと全部認めて受け止めたい。
「勇者だから強くて、誰かを守れるんじゃない。アリスがずっと頑張ってきたからあの子を守れたんだよ。だからその……」
って俺はこんなところで何言ってんだか。こんな近くに人がいる場所でする話じゃないなと、そこで不意に腕を抱きしめられた。
「シヴァって私の欲しい言葉、いつもくれるよね。もしかして心が読めたりするの?」
「……そんなことできないよ」
これでも分かんない事だらけなんだけどな。アリスに関しては特にそう思う。
ちょっと湿っぽい空気になりかけたところを、ライナーの元気な声が打ち消した。
「アニキ何やってんスか。早く戻って来て下さい! もう出発の準備終わってるッスよ!」
馬車の中からライナーが手を振ってる。セレンとベルもいつの間にか馬車に戻っていた。
「行こうか」
「うん」
思いがけない魔物の襲撃で足を止めることになったけど、その代わりにまた一つアリスのことを知れたかな。
エドガーたちと別れてからさらに数日が経った。山道を抜けて、もうそろそろ中立都市に着くといったところでサーベラスから念話が届いた。
『シヴァ様』
『どうした?』
馬車の中ですぐ話せる距離にいるのにわざわざ念話を使ったってことは、みんなの前では話せない内容なんだろうけど。
『エドガーという男が話していたという天使隊の中に、もしも私のことを知っている者がいた場合面倒なことになります。私は中立都市に入らず、この近辺で情報収集を行おうと考えていますがよろしいでしょうか』
『待て、悪魔と違って天使はそもそもお前のこと知らないんじゃないか?』
グレイルやロザリーがサーベラスのことを覚えてたって話は聞いてる。それで気にしてるんだろうけど、そもそも天使とサーベラスの接点はほとんどない。俺が封印されたときに戦った奴らぐらいだ。あの時の天使がサーベラスを覚えてるってのは可能性としてはもちろんある。だけど十八年以上も前に一度顔を見ただけじゃ忘れてると思うんだけどな。
『それに俺が封印されたときに居合わせていた天使が中立都市にいるとも限らないだろ?』
『天使たちが独自にシヴァ様の周囲を調べていた可能性もあります』
『それは……否定はできないな』
俺を封印しようとしてたぐらいだし調査ぐらいしてるか。悪魔側から情報が漏れた線もありそうだけど。特にグレイルとか怪しすぎる。
それにこっちの大陸に関しては情報が少ない。仮に天使の件が無かったとしても、サーベラスに色々と動いてもらうのはありか。
俺の本体が今どうなってるのかとか知っておきたいし。封印の影響か、魔法を防ぐ結界を張ってるのか知らないけど、遠見の魔法で覗けなくなってるからな。
『分かった、お前の意見を採用しよう』
『ありがとうございます』
チラリとサーベラスを見る。すると小さく頭を下げてすぐに戻していた。たぶん俺以外は気づいていない。さて、みんなにはなんて説明しよう。
悩んでいると、いつの間にか山道を抜けて、平野を見下ろせるところまで出ていた。
「あ、もしかしてあれが中立都市じゃないッスか?」
ライナーがちょっと興奮気味に言った。それにつられてアリスたちも前を向く。
「わぁ……王都も聖教会も大きいけど、こっちもすごいね。こんな遠くからでもはっきり見えるなんて」
中立都市の全体は真四角の形をしていた。都市の上空で飛竜たちが飛び交っているのが小さく見える。天使は見当たらない。だけどエドガーの話が本当ならきっとどこかにいるんだろう。
「皆様、山を下りたら一度休憩に致します。近くに見えても意外とまだ距離がありますので」
「わかりました」
御者にそう答えたところで、サーベラスを別行動させる件はその休憩中に伝えようと決めた。
最初は冒険者ギルドの本部に行くだけのはずだったのに、中立都市は賢者に天使にと色々ありそうだな。