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91 水平線の向こう

 マリーが窓を開けると、優しい風が部屋の中に舞い込んだ。金色の髪がふわりと揺れる。窓縁(まどべり)に両肘を乗せて、聖教会を守る壁の向こう側、シヴァたちが旅立った海の彼方を見ていた。


「シヴァくんたち、あの海域を無事に通れたかしら?」


 心配しているようなセリフとは裏腹に、マリーの表情はなんとものんびりとしたものだった。


「まったく心配してるようには聞こえないわね。まあ、あの子たちなら多少予定外の事があっても問題なく対応できるのではないかしら。きっともう通り過ぎてるわよ」


 そしてアンジェリカもまた同様に、シヴァたちの実力を信じているからこそ、書類仕事を止めることなく軽い口調で答えた。


「それもそうね。私たちよりよっぽど強いもの」


 マリーは窓辺から離れて、椅子に座って作業を続けるアンジェリカの背後へと忍び寄った。気配を感じ取ったアンジェリカは手を止めて振り返る。


「どうしたの?」

「今回の事件で精神的にまいっちゃってた子たちのケアも一通り済んだことだし、そろそろ戻ろうかと思って」


 マリーはアンジェリカを背後から抱きしめながら呟いた。


「結局あなたに任せてしまったわね。本来なら私がどうにかしないといけなかったのに……」

「まあそれは適材適所ってやつよ。私にできることと、アンジェにできることは別なんだからいいじゃない」

「それはそうだけど、またあなたのファンが増えたんじゃないのかしら?」

「昔から私、女の子にモテモテだからね」

「まったく何を誇らしげに言ってるんだか……あなたが男の人だったら大変な事になってたわね」

「うーん、どうかな? 私が男だったらまた違ったと思うわよ。女同士だからわかることってあると思うし」

「もう行くの?」


 寂しそうなアンジェリカの横顔を見て、マリーはいたずらを思いついた子どもの様な笑みを浮かべた。


「最後にアンジェをねぎらってからね」

「え、それって……まさかここで?」

「そのまさかよ」

「ちょっと待ちなさい! せめて部屋に戻ってから――」




 シンディが書類を持ってアンジェリカの仕事部屋に足を運ぶと、部屋の前で腕を組んで仁王立ちしている人物を見つけた。


「団長、難しい顔してどうしたんですか? 中に入らないんですか?」

「しばらく立ち入り禁止だ」

「立ち入り禁止ですか?」

「危険はないから気にするな。アンジェリカに用事か?」

「はい。アンジェリカ様に頼まれていた、街の被害状況などをまとめた書類を持ってきました」

「それなら俺が預かろう」


 レッグはシンディから書類を受け取ると、中身を軽く確かめてから元の姿勢に戻った。


「そうだシンディ。アルカーノ騎士団と話を進めている合同演習についてなんだが、その時の隊はお前に任せようと考えてる。やれるか?」

「やれます!」

「いい返事だ。いつまでも結界頼りにしている訳にもいかないからな。アルカーノ騎士団から色々と学んでこい。特に最近ギルバード団長から直々に指導を受けている二人が伸びていると聞いててな。その二人も参加するらしい」

「はい、わかりました! そうだ団長、この後お時間あれば稽古を付けて頂けませんか?」

「わかった。先に訓練場に行っててくれ。俺ももうしばらくしたら行くから、それまでは他のやつを相手に鍛錬しておけ」

「了解です!」


 シンディは元気な返事をして、早足に訓練場へと向かった。


「俺も負けてられないな。……それにしてもまったく、あの二人はいくつになっても変わらない」


 レッグは扉の奥で行われているであろう情事に頭を痛め、ため息をこぼすのだった。




 ”穢れの海”を抜けてからは魔物の襲撃がほとんどなくなった。仮にあってもすぐに対処できる程度のザコしかいない。ということで警戒はしつつ、その傍らで剣の鍛錬をすることにした。船旅が思った以上に暇だったというのが一番の理由ではあるんだけど。


 そんな訳で今は俺とベルが対戦中だ。


「はぁ!」

「まだまだ」


 ベルの攻撃を剣で受け止め、硬い金属音が船上に響く。女だからと舐めているわけじゃないけどなかなか力強く押し込まれる。


「そらよっと」


 一瞬だけ膝の力を抜いて体を沈め、すぐに魔力で身体能力を強化して押し返す。相手の剣をかち上げて体勢を崩し、その隙を狙って喉元に剣先を突きつけた。


「くっ……まいりました」


 両手を上げて降参のポーズをとったベルから剣を引く。赤毛の髪を掻き上げて、悔しそうに下がって行くのを見送った。


 今度は端の方で待機していたアリスが腰を上げて俺の前にやってきた。


「次は私の番だよ。シヴァ、手加減なしでお願い」

「わかった。つってもここじゃあまり派手にはできないから、本当の本気は無理だけど」


 デッキは剣の鍛錬ができるぐらいには広い。だけど地面と違って思いっきり踏み込んだら床が抜けそうでちょっと気を遣わないといけない。たぶん流星剣の踏み込みには耐えられないと思う。


 アリスが剣を構えて真剣な顔になった。だけど水着の上から薄いシャツを着ているだけの姿に、ちょっとドキドキしている。なんだろう、シャツを着たせいで水着だけの時よりむしろエロさが増しているような気がするんだよな。


 ちなみに何かあった時に海で戦えるようにと俺たちは全員水着だ。あとは薄い半袖シャツを着ているだけの楽な格好。


 俺の海パンというか半ズボンと半袖シャツ姿を見たセレンは「村人Aって感じね」とそれはそれは微妙な感想をくれた。


 ベルが開始の合図を出した。そこからは俺とアリスの剣舞が始まる。


 剣神流を基本としつつもちょっと異なるアリスの剣筋。剣神流を学んだのは子どもの頃の一年程度、あとはナナリーさんかな? そうなるとこれはギルバード団長の戦い方が影響してるのか、それともフィオナの教えなのか。


 打ち合いが続く中、アリスが前屈み気味の恰好で剣を振り上げた。シャツの首元、その奥にある二つの山に挟まれた谷に視線が吸い込まれる。


 これが実戦だったら流石に無視できた。だけど今はそうじゃない。少しぐらい気が緩んだとしても仕方ないだろう。


「なんか集中できてない?」

「そんなことないから安心しろ」


 今度は顔を狙った回し蹴りが放たれた。下着を見られるのは恥ずかしがるくせに、水着だとなんでそんなに大胆なんだよ!


 それから少しずつリズムが狂い始め、そして――


「まいりました」


 突き付けられた剣を前にして、俺は降参した。


「もう……次はちゃんとしてね」


 アリスに優しく怒られた。というかこれ目の動きでどこ見てたかバレてたな。


 次はアリスとベルの番。俺はベルと交代してちょっと休憩だ。開始の合図を出してから日陰になっているところに移動すると、先客から手痛い指摘が飛んできた。


「アリスに負けたのね。もしかして恋人だから手加減したの?」

「当たらずとも遠からず、結果的にそうなってしまったというか。……何してんの?」


 椅子に浅く腰掛けたセレンは、ナイフを使って自分の指先を切って、俺が教えた治癒魔法を使って治していた。


「教えた俺が言うのもなんだけど、自分を傷付けてまで練習する必要ないんじゃないか」

「あたし、ステラの恩恵で治癒魔法を使えるようになったときにも今みたいに練習してたわよ」

「マジか……」

「マジよ。あたしの練習のために、誰かを傷つける訳にもいかないんだから仕方ないでしょ」

「そりゃそうだけどさ」


 あっけらかんと言い放つセレン。黙々と指先を切って、治してを繰り返す姿に少しだけ狂気を感じた。


「でもなんとなくコツは掴めたわよ」

「え、いくらなんでも早くないか?」


 俺の治癒魔法は悪魔が使う自己再生を応用したものだから、そのイメージというか経験が無いと難しいと思うんだけど。


「ステラの治癒魔法の経験が生きてるんじゃないかしら。あっちと系統は違っても傷を治す魔法って意味では同じでしょ」


 一体どう応用したのかさっぱり分からない。そういえばマリーさんとシャルが知りたがったから教えたことあったっけ。流石にセレンほどじゃなかったけど、二人も使えるようになるの結構早かったな。


「ところでこれって”ヒーリング”みたいな魔法名って無いの?」

「”リカバリー”、ちなみに名付け親はマリーさんね」

「あなたじゃないの?」

「俺は名前付けないで使ってたんだけど、マリーさんとかに教えるときに困って付けてもらった」

「なるほどね。でもなんていうか不思議な魔法ね。”ヒーリング”とかのステラの恩恵で使えるようになる治癒魔法は、奇跡とでも言えばいいのかしら、一瞬で治るけど、こっちは体の自然治癒力を高めているというか増幅させてる感じがするわね」

「そこに気づくか」

「まあね」


 セレンが得意そうに胸を張った。


「でもなんでセレンはそれの練習してるんだ? ”ヒーリング”とかのほうが治癒効果高いだろ」

「知らないことを知りたいって思うのは自然じゃないかしら? それにこっちの方が役立つ時が来るかも知れないでしょ」


 そんなこと無いと思うけどなぁ。


「あとは聖神官としてどんな治癒魔法でも極めておきたいって使命感もあるわ」

「なるほど、邪魔しちゃ悪いし戻るよ」

「別に邪魔じゃないわよ。あら、この匂い……」


 どこからともなく美味しそうな匂いが漂ってきた。


「これはサーベラスか」

「はい、シヴァ様。こちらをどうぞ」


 薄手のシャツを着た俺たちと同じスタイルのサーベラスが、串焼きを乗せた皿を持って現れた。


「お、サンキュ」

「あなたそれ昨日も食べてたじゃない」

「別にいいだろ、美味いんだから」


 この串焼き、実は先日この船を襲ったイカっぽいあの化け物の足だったりする。船に戻るときに海上に浮かんでいた数本を回収して、焼いて食べてみたらかなり美味かった。


 襲ってきた魔物ってことで印象が悪いせいか女性陣からは不評だけど、船乗りたちの間では酒によく合うと大人気の一品だ。


「にしてもなんでこんな化け物がいたんだろうな。俺たちじゃなかったらほぼ確実に沈んでただろ」

「船長は記録では影が見えたとしか書かれてないって言ってたわね」

「襲撃されて沈んだ船の情報などは記録に残しようがないということではありませんか?」


 サーベラスの意見に俺とセレンは「確かに」と声をそろえて頷いた。


「流石にあたしもあれが出るって分かってたら”穢れの海”を通る道は遠慮してたわ」

「ま、問題なく通れたから結果的には良かったけど」


 串焼きを頬張りながら海原を眺める。


「もうそろそろ見えてきてもいい頃だよな」

「たしか……デルキ大陸、でしたか」

「そそ、俺たちが今までいたのがエイクシー大陸。そんでもってその西方に位置するのがデルキ大陸」

「予定通り航海していれば明日到着だけど、”穢れの海”を抜けるのに速度を上げていたから、早ければ今日着いてもおかしくないわね」

「おっ! 噂をすればあれじゃないか?」


 水平線の向こう側に、俺たちが目指している大陸がうっすらと見えてきた。

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