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90 海の悪魔

 上下左右から船に向かって襲いかかってきた触手の攻撃、その全てを球体状に展開している結界で防いだ。船体に被害は無い。だけど大きく揺れて体勢が崩れそうになった。


「はあっ!」


 アリスが声を上げて触手の一つに向かって飛んで行き、剣を振り抜くのが見えた。


「アリスでも切れないのか」


 触手の表面で剣が滑ってあまり効果は無さそうだった。切るにはもう少し工夫が必要そうだな。


「シヴァ様。ここは倒すよりもあの怪物から距離をとるのを優先するべきではないでしょうか」


 アリスの攻撃が効いていないのを見ての判断だろう、サーベラスが意見してきた。長期戦になるなら船が転覆する可能性も出てくる。俺たちが無事でも船が壊れたりしたら元も子もないしな。


「どうする……」


 俺たちの目的はあいつを倒すことじゃない。隣の大陸に無事に到着することだ。それなら戦うんじゃなくて逃げるって選択もありだ。だけどあいつが船より速かったら逃げることはできない。


「ま、普通に倒せばいいだろ」


 おそらく下級悪魔やドラゴンなんかよりもよっぽど強いんだろうけど、それでも目の前の敵は()()()()。逃げるより倒した方が早く片付きそうだ。そう結論付けたところでバンッと、大きな音を立てて扉が開く音が聞こえた。


「急に揺れが激しくなったけどどうしたのよ」

「セレン、結界張るの代わってくれ!」


 すぐに用件だけを伝えた。ただ、流石にそれだけだと伝わんなかったみたいで、振り返るとキョトンとした顔をしている。


「ちょっとそれだけじゃわから――って、何よあれ?」

「イカでしょうか……なんにしてもあれ程大きなものは見た事がありません」


 セレンとベルの二人が眉をひそめて怪物を見つめてる。


「さぁ? 俺もよく分かってないけど、仲良くできそうにはないだろ」

「それもそうね。結界は船を包み込む感じでいいのよね」

「それで頼む。ベルは石板に魔力注ぎ込んであいつから距離をとってくれ」

「あなたに指示されるのは気に入りませんが、今は受け入れましょう」

「サーベラスは船の側で小さい奴を潰してくれ。触手が来たら優先的に弾く感じで」

「畏まりました」


 船は三人に任せて俺とアリスであの怪物をどうにかしないとな。


 セレンが結界を張ったのを確認して俺は結界を解除、剣を片手に海へ飛び込んだ。


 海中で目を開けると目の前に吸盤のついた触手がぼやけて見えた。


 反射的に回避しようと足を踏み込んで――避けられない。やばっ、そう思う間もなく締め上げられた。ギリギリ結界で身を守ることには成功したけど、これじゃ身動きがとれないな。


 まともに動けないし、視界もぼんやりしていてよく見えないし、息もできないしで海中の戦闘は大変だなと、今の状況を他人事の様に俯瞰(ふかん)して観察するだけの余裕はある。というか転移すれば逃げれるから危機感はない。ただどうやって戦えばいいのかで正直迷っている。


 海中は不利、となると海上か? 悩んでいる間もゴポゴポと口から空気が漏れ出ていく。


 何はともあれこの触手をぶっ壊さないと始まらないな。手に魔力を集めて、結界の外でうごめく触手に触れる。そのまま爆破魔法をありったけの魔力で発動させた。


 触手が海中で粉々に吹き飛び、魔法を発動させた俺自身にも重い衝撃が返ってきた。


 空中を移動するときに使ってる足場を海の中に出して、海面目指して一気に駆け昇る。


 慣れない泳ぎよりはこっちの方が速いな。それでも水の抵抗があって想像以上に遅い。


「ぶはっ!」


 海を出て大きく息を吸い込んだ。ちょっと目が染みる。


「シヴァ大丈夫!?」

「大丈夫じゃないけど大丈夫だ。アリスの方はどうだ」


 空中で目を擦りながら答えた。擦ったらもっと酷くなった気がする。これ後できれいな水使って洗い流さないとダメだな。


「こっちも大丈夫だよ。表面がヌルヌルしてて切るの難しかったけど、これでどうにか出来たから。ただ……」


 そう言いながらアリスは、朱金の炎に包まれた剣で触手を次々と切り払っていた。”熾天の剣”だったかな、あれならいけるのか。アリスが切った触手が海上に浮かんでいる。一、二、三……十以上あるな。


「あいつの足の数より多くないか?」

「うん、切ってもどんどん再生していってるみたいなの」


 ニョキニョキと断面から新しい足が生えてくるのが見えた。あーこれは一撃で倒すか、再生を上回る速度で攻撃を叩きこまないといけない感じか。


 船はだいぶ遠くまで逃げれてる。これならある程度大きな技を使っても巻き込むことはなさそうだな。


「魔人化して一気に倒すからアリスは離れてて」

「うん、わかった。お願い」


 アリスが上空に飛んで行くと、逃がさないとばかりに触手が勢いよく空に向かって伸びた。


「おいおい、再生するだけじゃなくて伸びるのかよ。無茶苦茶だな。というか俺を無視すんなって」


 かつての自分をイメージして魔法陣を展開する。黄金色の輝きに照らされて体の内側から変わっていくのを感じる。まるで魂を入れる器が強く作り替えられていく感覚。


 熱をはらんだ衝撃波を周囲に向かって飛ばし、アリスを狙っている触手のすべてを吹き飛ばした。


「なんだかこれも久々だな」


 自分じゃ見れないけど目と髪の色も変わってるはず。まあそんなことはどうでもいいか。


 触手が再生して、今度は俺に向かって一斉に襲い掛かってきた。その攻撃を結界で防ぎ、さらに闇色の瘴気を結界の外に纏う。瘴気に触れたところからボロボロと崩れ落ちていく触手の欠片たち。瘴気に触れた部分だけじゃなく、そこから触手の根元に向かって破壊の連鎖が広がっていった。


 怪物は何が起きてるのか分からないのか、大きく暴れまわってる。


「お前の再生能力よりも俺の破壊能力の方が上だったな」


 これで終わるのもなんだか味気ないなと観察してると、怪物は暴れるのをやめて、無事だった触手を使って自分の足をねじり切った。切り離された触手は塵となって完全に消え去り、ねじり切った部分からはまた再生が始まっている。しかも触手の表面が薄く輝きだした。


「へぇ、それだとどうなるんだ?」


 再度襲い掛かってくる触手。今度は瘴気に触れても崩れ落ちることはなかった。


 なるほど、”深淵(しんえん)”に対抗できるだけの力を持ってるとなると上級悪魔に匹敵しそうだな。少なくともロザリー単体よりは強そうだ。まあそれでも俺には勝てないんだけど。


 一気に海中に引き込まれる。今回は結界の中に空気を閉じ込めてるから息ができないなんてことはない。でも結界の周りで触手が蠢く感じはちょっと気持ち悪いな。


 どんどん海面から離れて光が弱く、周りが暗くなった。


「このまま押しつぶそうとしてんのか?」


 俺の疑問に答える意図はないだろうけど、怪物の目が細められた。口と思わしき部分が膨れ上がり、途端に結界の外が真っ黒に染まった。バチバチと音を立てて結界越しに衝撃が伝わってくる。


「墨が爆発するって何がどうなってんだよ……」


 ただ、それでも俺の結界は破れない。墨が流れてまた怪物と目が合った。業を煮やしたのか、頭巾の様に見える頭部を槍みたいに尖らせて頭突きしてきやがった。これで船底を突かれたら一発だけでも沈みそうだ。それを何度も、何度も繰り返し突いてくる。


 それに対して俺は詠唱も魔法陣も全部すっ飛ばし、最速で魔力を練り上げ、剣を持っていない左手に集める。結界の外に腕ごと出して、怪物が頭突きをしてきたところを捕まえた。


「これはさっきの様子見とは別物だぞ」


 ”アビス・コラプス”――闇色の瘴気、結界の外に纏ったときとは比べ物にならないほどの濃度になっているその塊を、怪物に直接叩き込んだ。


 変化は一瞬、頭の部分から一気に闇が広がっていき、今度は暴れる暇もなく怪物は塵となって跡形もなくなった。


 アリスに力を与えてから初めての魔人化だったけど問題なかったな。期待通りの結果に満足して、結界の外に出していた腕を戻した。


「あれ、怪我してる」


 手の平全体が血で滲んでいた。あいつに直接触ったからそれでか? まあいいやと自分で治してからふと思い出した。


「セレンに治してもらった方が良かったかな。俺が教えた治癒魔法使いたがってたし」


 とはいえもう治してしまったものは仕方ない。今度機会があったら頼もう。


「さて戻るか。――ん?」


 深く暗い海の底に、魔物とは明らかに異なるどこか懐かしいような、自分に似過ぎてて薄気味悪いような、不思議な魔力を微かに感じた。


 そういえば船長が話してた言い伝えの中に、海の底になにか沈んでそうってのがあったな。意識的に海底の魔力を探ってみる。魔物っぽい反応があるだけで、さっき感じた不思議な魔力の反応はなかった。念のため海底を遠見の魔法で覗いてみたけど真っ暗。


「光が届いてないのか。これじゃ何も見えないな」


 これ以上調べるには時間が足りない。いつもの頭痛がでる前に調査を切り上げて、海上を目指した。




 海面からさらに離れたところまで上がって、体全体を水の魔法で洗い流した。特に目は念入りに洗った。顔を左右に振って水を飛ばしてると、アリスが下りてくる。


「上からでもわかるぐらい大きな魔力反応あったけど大丈夫だったの?」

「ん? ああ問題ないよ」

「そっか、それなら良かった」


 足場を広げると、アリスは翼を折りたたんで隣に並んだ。


「なんだか直接その姿見るの久しぶりな気がする」

「何だその微妙な言い回し。アリスも洗う?」

「あとでお願いしてもいいかな」

「りょーかい」


 怪物との戦いも終わって、あとは船に戻るだけ。魔人化してる必要もないから解除した。


「あー……やめちゃった」

「いやもう戦い終わったし。なんでそんな残念そうな顔してんの?」

「うーん、その姿見てるとちょっとドキドキするというか、カッコいいなぁって」


 自分じゃ見れないから分からないけど、髪と目の色変わってるだけだよな。アリスには何か違って見えてんのかな。


「アリスがこの状態の俺見るのって三回目だっけ?」

「ううん、違うよ」


 すぐに否定された。俺が覚えてる限りだと三回だったんだけど他にあったかな。


「今回、この前の王都、それにカムノゴルでの戦いだろ?」

「一番最初に岩山で見せてくれたでしょ。それも合わせると四回目だよ」

「あー……俺が一瞬で意識失ったときか」


 俺の中であれは失敗として数えてなかった。確かにそれを入れると四回だ。


「でもね。実はもっと見てるんだよ」

「もっと?」


 いやいや、練習で何度か魔人化したことはあるけど、アリスの前だとその四回で全部だろ。他になんかあったかなと考えていると――


「夢の中でね、いつも助けてくれるの」


 太陽よりも眩しくて、ちょっとだけ恥ずかしそうな笑顔が不意打ち気味に飛び込んできた。


 何か反応しないとって思いつつも何も反応できない。どうしてくれるんだ。てかアリスの夢の中とか俺が知ってる訳ないじゃん。


「あれ、もしかして赤くなってる?」

「…………日焼けしてんだろ、きっと」

「ふーん。へー」


 適当にはぐらかしたら今度はニヤニヤと覗き込んでくるし。


「……早く船に戻るぞ」

「はーい」

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