89 船出のとき
「船の準備が終わったから明日の朝に出発するわよ」
セレンからそう連絡を受けたのは夕方、ライナーたちとの鍛錬を終えて屋敷で休憩していた時だった。カムノゴルから戻ってきて数日が経過して、ようやく隣の大陸へ向かう準備が整ったようだ。
連絡を受けた翌日、俺たちはアンジェリカさんに連れられて海辺に最も近いところにある門へと向かった。これは聖教会に入るときに通った門と違って、港との連絡口だそうだ。実際、門から港に着くまでの間は、荷車や馬車で荷物を運ぶためにきれいにならされていた。
「おおっ!? もしかしてあの船ッスか!」
港に着くと、ライナーが一際大きな声で歓声を上げた。俺たちの前には大きな帆船が並んでいる。
「俺たちはどの船に乗るんだ?」
「左端にある船よ。他の船とは途中から別行動ね。あたしたちは最短で隣の大陸に行けるわ。ちょっと危険だけど……」
なぜか最後の方でセレンの声が小さくなった。実はそれちょっとじゃなくて、すごく危険なんじゃないのか。
「それって船を襲う魔物がいたら俺たちが対処するって事だよな?」
「そうゆうこと。いつもなら遠回りするところなんだけど、あたしたちがいれば道中の魔物もなんとかなるはずでしょ? ってことで一直線に隣の大陸に向かうのよ。いままであまり使われてこなかった航路だから情報収集もかねてね」
「ふーん、まあいいけど。海ってどんな魔物がいるんだ?」
魔王時代から海に出たことがなかったから、正直想像もつかない。他の悪魔たちから沢山の足を生やしたうねうね生物が強くて勝てないと聞いたことがあるぐらいだ。
「シヴァも食べてたじゃない。ああいうのよ」
「え?」
俺魔物食べてたの? ここに来てから食べていた物を必死に思い出す。……ダメだ、焼き魚が美味しかった印象しかない。王都やカムノゴルだと新鮮な魚って中々食べれないからなぁ。
「つまり魚?」
「何がつまりか分からないけど、あたしたちが食べてる魚は魔物じゃないわよ。でも魚みたいな魔物がいるのは確かね。他にもおっきな貝みたいな魔物とか」
魔物は食べてみると美味しい事があるからな。今回の船旅で機会があったらチャレンジしてみよう。
「皆さん、そろそろ出航になります。こちらにいらして下さい」
アンジェリカさんとレッグさんの二人に挨拶をしていた船乗りっぽい人から声がかかった。どうやら俺たちが乗る船の船長らしく、船の乗り口に繋がっている階段の下まで案内してもらった。
「あれ、シンディは来ないのか?」
船に乗る俺たちから少し距離を置いたところにマリーさん、アンジェリカさん、レッグさん、そしてシンディが並んでいる。
「ベルがついてくることになったんだね。二人ともどうやって決めたの? どっちが護衛としてついてくるかで揉めてたって、セレンから聞いてたんだけど」
なるほど、どうやらアリスはセレンから事前に聞いていたらしい。てっきり二人とも来るのかと思ってた。
ベルが何かを取り出して、俺たちに見えるように手を差し出した。丸めた人差し指の上に乗っかっているのは一枚のコイン。
「それでどうやって決めたの?」
アリスは不思議そうにしてるけど、コインで何かを決める方法なんて大体決まってる。予想通り、ベルはコインを上にはじき飛ばして見せた。
「昨夜、セレン様にコイントスを頼んだのです。表が出たら私、裏が出たらシンディが護衛としてついて行くという条件で」
「あまり賭け事みたいな真似はしたくなかったんだけどね」
セレンが肩をすくめてそう言うと、ベルとシンディはばつが悪そうに一瞬だけ顔を背けた。
「まあこうでもしないと決まらない状況だったし、仕方ないわ」
「ベル……セレン様の事、お願いします」
「任せて下さい。あなたの分まで私がセレン様をお守りします。聖騎士団、いえ聖教会のことは任せましたよ」
「はい、任せて下さい」
二人のやり取りを見届けた後、俺たちもみんなと別れの挨拶を交わした。
船に乗り込み、客室に荷物を置いてからすぐにデッキに出ると、船長が出港の合図を出していた。合図に合わせて帆が次々に張られていく。すべての帆が張り終わったところで船長が台座上にある石板に手を乗せた。魔法が発動して追い風が吹き、船が動き出した。どんどん船が港から離れて行くなか、俺たちはデッキの端に並んで、見送ってくれているマリーさんたちに向かって手を振った。
聖教会アレクサハリンを出発してすでに五日。初日は船の揺れに気分を悪くしていたけど、今はどうにか慣れてきた。そもそも空中で縦横無尽に駆け回る俺やアリス、サーベラスは揺れへの耐性がある程度高いみたいだ。地に足付けて戦うライナーはこの揺れに未だ慣れず、ベットの上でぶっ倒れている。セレンとベルはライナーほどじゃないけど調子が悪そうだった。
「ライナーまだ辛そう?」
「ギリギリ戦えるぐらいには調子も戻ってるけど、まだダメそうだな」
客室から戻ってきた俺は、デッキの端に寄りかかっているアリスの隣に並んだ。海の上は凪いでいて平穏そのもの。だけどついさっきまで俺たちは海の魔物と戦っていた。
船底を攻撃してくる敵、海上に顔を出して魔法を撃ってくる敵、さらには船のデッキにまで飛んでくるやつまでいた。一体一体の強さはDからEランク、たまにC程度で俺たちからしたら大したことは無い。ただ数が多いのと慣れない海戦ってことで面倒なだけだ。
「あ、また出てきた。今度は私が行くね」
デッキの端に足をかけて立ち上がったアリスを見上げる。すらりと伸びた手足、光の翼を生やした背中が太陽の光に照らされて輝いて見える。この数日は外で日に当たっている時間が長かったけど、それでもアリスの肌の白さは失われなかった。少しだけ日焼けしたアリスも見てみたいと思ったのは内緒だ。
「それじゃあシヴァは結界の維持お願い」
「……おう」
振り向くアリスの水着姿に目を奪われて一瞬返事が遅れた。アリスの魅力を引き出す、黒色のシンプルなデザイン。これを準備してきたセレンは本当にいい仕事をしたと思う。
そして俺も黒の海パン一丁。海中での戦闘もあって服は脱いでいる。新装備の騎士服には隣の大陸で役立ってもらおう。
「船底への攻撃は結界で防ぐから別にいいんだけど、なんでこんな多いんだろうな」
デッキの上には俺が倒した羽根の生えた魚や、蛇の様に細長い魔物の死体が散らばっている。船乗りの人たちが片づけてくれてるけど、どうせすぐにまた汚れるだろう。
アリスの前に海へ飛び出していたサーベラスが戻ってきた。例にもれず海パン姿。厚い胸板とバッキバキの腹筋が少し羨ましい、いや俺だって負けてないはず……たぶん。
「よ、お疲れ」
「これぐらいでは疲れなどしませんよ」
「まあそれはそうだろうけどな。海の中の魔物はどんなもんだ」
「強くはありませんが捉えるのが難しいですね。海の中がこれほど動き辛いとは思ってもみませんでした」
「そうか、次は俺が潜るよ。サーベラスはアリスと一緒に海上の敵を頼む」
「シルヴァリオ殿、サーベラス殿。戦況はいかがでしょうか?」
帽子を手に取り、にこやかな笑顔で船長が俺たちの会話に入ってきた。
「問題ないですよ。今はアリスが出ています」
「そうですか。いやはや心強いものですな。我々だけではこの航路を通ることはできませんからね。よろしくお願いしますよ」
「ええ、この調子なら問題ないです」
俺の答えに安心したのか、船長はホッとした表情を浮かべている。
「船長、どうしてこの航路には魔物が多いんですか?」
俺たちは聖教会アレクサハリンと、隣の大陸にある港町を一直線に繋ぐ道を進んでいる。だけど普段は大きく遠回りする別の航路をとるそうだ。理由は簡単。魔物が多くて危険だからだ。少しでも安全を心掛けるなら、数日から十数日余計にかかったとしてもこの道は選ばないと、最初に船長から説明を受けていた。だけど、ここまで多いとは予想外というか、この海域には何かあるんじゃないかと疑ってしまう。
「どうして多いのか、その理由は存じませんが、船乗りたちの間ではこんな言い伝えが残っています」
「言い伝えか。それはどんな?」
「はい。いわく『罪を背負った乙女、深い地の底に沈み、溢れ出た呪詛、海を穢す』と……ゆえにこの海域は”穢れの海”と呼ばれています」
「罪を背負った……乙女?」
「何かが海底にあり、そこで魔物が生み出されているのでしょうか」
「うーん、サーベラスの予想は至極真っ当だけど、言い伝えの信憑性がどれほどかって話だよな」
船乗りの人たちには悪いけど、胡散臭いことこの上ない。
「魔物が多いのってここら辺だけで、遠回りすれば何ともないんですか?」
「そうですね。たまに遭遇することはありますけれど、”穢れの海”を避けていれば我々だけでも対処できるぐらいで、基本的に問題ありません。まあ、だから我々も先達から伝えられている航路をそのまま使えているのですが」
本当に”穢れの海”って呼ばれてるこの海域だけが特別なんだな。
「ここの情報って言い伝え以外には何かないんですか?」
「この海域を通って生還した者たちの記録では、魔物の数は多いものの、強さはそれほどということですが」
「それはその通りですね」
「他には……ああ、そういえば海域の中心部で大きな怪物の影を見たとも――」
「シヴァ!」
アリスの叫ぶような声に反応して、意識を戦闘状態に切り替えた。振り返り、空中にいるアリスの姿を視界の中心に見据える。その奥から巨大な水柱が立ち昇った。水しぶきがデッキの上にまで勢いよく飛んでくる。
「船長は下がってください。それとセレンたちに連絡を」
「わ、わかりました。どうかよろしくお願いします」
船長が船員を連れて船の中に避難するのを見送った。
「さて、一体何が出てくるのか」
「シヴァ様、どうやら大きな怪物とやらが現れたようです」
雨の様に降っていた水しぶきが止んで、ようやく敵の姿がハッキリと見えた。船と同じぐらいの巨体。頭頂部は白い頭巾を被っている様にも見える。何より特徴的なのは吸盤の付いた沢山の長い触手。
「もしかして悪魔たちが言ってたうねうね生物ってのはこいつのことか?」




