81 夜明け
大聖堂に突入する前にみんなと円陣を組んだ広場へと転移してきた俺たち。
そこで目にしたのは悲鳴をあげて町の外に向かって逃げ回る人々。
セレンはそんな人たちを見て不思議そうにしている。
「どうしてこんな騒ぎになってるのよ……、もしかしてアリスたちの方で何かあったのかしら?」
「大聖堂の方から逃げてきている様ですね。――あれは!?」
「見て下さい、ドラゴンが! それにみんながインキュバスと戦ってます!」
シンディが指さす方を向いて目を凝らすと、鈍く光る黄金のドラゴンと何者かが大聖堂の真上で戦っているのが見えた。
あの光の翼はアリスか、それに魔犬に戻ったサーベラス、もう一人は聖教会の騎士か?
サーベラスが子犬に思えるほどでかいドラゴンだな。
インキュバスの方は洗脳を解除してすぐに地上に向かわせていた騎士たちが対応してるみたいだな。
結界を元に戻したことで正気に戻った騎士たちも後から合流するだろうし、あっちは騎士たちに任せて、俺たちはあのでかい奴をどうにかするべきだろう。
「ベルはこの広場を中心にして町の人たちを守ること。騎士たちの指揮もあなたに任せるわ。シンディは大聖堂に向かいながらインキュバスの各個撃破。敵の多いところを優先的に回って。私はシヴァと一緒に大聖堂に向かうわ」
セレンの指示を受けたベルとシンディが素早く行動を開始した。
俺たちもすぐにアリスたちの下へ向かわないとな。
地下での戦いと、ここへの転移で失った分の魔力を魔石で回復する。
回復を終えて転移魔法の準備を始めると、頭上から大きな声と一緒にライナーが降ってきた。
「アニキっ!」
「ライナー無事だったか……ってめっちゃ息切れしてるけどどうした」
「はぁ……はぁ……、なんか、大聖堂の方がやばい事になってるから、流星走りで屋根の上をかっ飛ばしてきたんスよ……」
流星走りってなんだよ。
いや何となく分かるけどさ。
「とりあえずお前も俺たちと一緒に来い。いまからあそこに転移する」
そう言ってアリスたちが戦っている空の上に目を向けた。
「あのでかいドラゴンと戦うんスね!」
「ああそうだ。肩に乗せてるそいつは適当にそこら辺に寝かせとけ。ベル!」
名前を呼ぶと、一緒に転移してきた騎士たちに指示出しをしていたベルがこっちを向いた。
「悪いけどそいつ頼む」
ライナーが地面に下ろしたダリウスを指差し、短く要件だけを伝えて見張りを押し付けた。
そしてベルの返事を待たずにすぐ転移魔法を発動させる。
「二人とも行くぞ!」
大聖堂の最上階。
そこに立っているのは聖女アンジェリカただ一人。
他の騎士たちはエンシェントドラゴンが放つ魔法や巨腕の餌食となり、早々に倒れていた。
彼らを治癒する暇もないほどにアンジェリカの意識は空の上へと向いている。
光の翼を生やして空を舞い、エンシェントドラゴンの猛攻を紙一重で躱し続け、果敢に攻めるアリス。
その身を盾としてアリスと聖女たちを守り、傷だらけになりながら捨て身の攻撃を続けるサーベラス。
町に被害が広がらないように、エンシェントドラゴンの攻撃先を誘導しながら戦う聖騎士団長のレッグ。
そしてアンジェリカはそんな三人を支援するために、絶えず魔法を放ち続けていた。
エンシェントドラゴンに決定打を入れられず、一方的に体力と魔力が削られていく状況に、アリスたちは焦りを感じていた。
そんな時、吹きさらしになった最上階へ転移してくる影。
「あなた……セレン?」
急に現れた人影に視線を向けたアンジェリカは、それが新たな敵ではないと分かり胸を撫で下ろした。
「アンジェリカ様! ご無事だったんですね!」
セレンがアンジェリカに向かって駆け出す中、シヴァは周囲を見回してロザリーを探していた。
「一体どこに……」
「どうしたんスか? アリスさんなら上でドラゴンと戦ってますよ?」
「それは分かってるんだけど……って、なるほど」
ライナーに言われて空を見上げたシヴァは、そこで探していた人物を見つけた。
同時に、新たな獲物が現れたことにロザリーも気づいた。
エンシェントドラゴンの額に生えた、金属よりも硬質な一本角に黒い魔力が集中する。僅かな溜めをへて、漆黒の光線がシヴァたちに放たれた。
「あれやばいんじゃないッスか!?」
とっさにライナーが複数の剣閃を飛ばして相殺を試みる。
しかし、光線は一向に威力を落とすことなくシヴァたちに向かって直進を続けた。
焦りの表情を浮かべるアンジェリカと、挑むかのように前を見据えるセレン。
対照的な二人が結界を張るよりも先にシヴァが動いた。
シヴァが空に手を伸ばすと、閃光の射線上に空間の歪みが現れた。
転移魔法によく似た歪み、そこに到達した漆黒の閃光は進路を強制的に逸らされる。
閃光が町から離れた海へと向かう。
大きな爆発が海上で起こり、極太の水柱が空高くまで昇った。
「――っ、まだか」
シヴァはガリガリと削られていく魔力を二つ目の魔石で補いながら空間の歪みを作り続けた。
そして五つ数える頃になってようやく閃光の照射が止まる。
「シヴァ!」
アリスが上空から一気に降下してきてシヴァの隣に着地した。
すかさずシヴァがアリスに問いかける。
「相手はどんな感じだ?」
「こっちの攻撃が効いてるのかどうか全然わかんない。大きすぎてビクともしないよ。それにドラゴンの胸元に埋まってる悪魔が弱点だと思うんだけど、両腕が邪魔で」
シヴァが目を細めて頭上の敵を注意深く観察する。
鱗が剥がれているところもあれば、焦げ付くような裂傷がついているところもある。今もまたサーベラスが攻撃を仕掛けて相手の腹部に鋭い爪痕を付けた。しかし、あまりにも巨大な相手にとってそれらが致命傷になることはない。
シヴァもアリスと同じように、ドラゴンの胸元にいるロザリーが狙い目だろうと予測を付けた。
「分かった、あの腕は俺たちがどうにかする。アリスは全力の一撃を悪魔に叩き込むことだけ考えてくれ」
アリスやサーベラスたちではエンシェントドラゴンの両腕を突破することができなかった。
しかし、アリスはこうも思う。シヴァがどうにかすると言ったのだから、私はそれを信じて次の攻撃に私の全てを込めればいいと。
「うん、分かった」
シヴァに頷きを返したアリスは、両手で構えた剣にありったけの魔力を込め始める。
「ライナー、足場は俺が用意する。俺とお前であの腕切り落とすぞ」
「了解ッス!」
「セレン、お前はその人と協力してアリスのサポートを頼む」
「分かったわ。アンジェリカ様!」
「話は聞こえていました。アリスというのはあの少女のことですね?」
アンジェリカの問いにセレンは頷きを返し、距離を詰める。セレンは自分の魔力を全快させてもまだ十分に蓄えのある魔石をアンジェリカに手渡した。
「使ってください」
「助かります」
シヴァは二人のやり取りを横目で流し見をしつつ、サーベラスに念話を送った。
『サーベラス、一瞬でいい、そいつの体勢を崩せるか?』
『お任せ下さい』
シヴァの指示を受けたサーベラスが遥か上空へと昇っていく。
エンシェントドラゴンがサーベラスの背中へ向けて、魔力を込めた咆哮を放とうと大きく息を吸い込んだ。
そこへレッグの強烈な剣撃が叩き込まれる。
狙いは顎下、エンシェントドラゴンは開けていた口を強引に閉ざされ、攻撃のタイミングを失った。
「大して強くないのに邪魔ばかりね、あなた」
レッグに向けて悪態をつくロザリー。
「ふ、そちらこそ図体が大きいだけではないか」
そう強気に返すがしかし、一度でもまともに攻撃を受ければ瀕死の重傷を負うこの状況。実際のところ、レッグに余裕はなかった。だがそれでも、転移してきたセレンたちが何かをしようとしているのを察したレッグは、敵の目が自分に向くように誘導を続ける。
「アリス、ライナー。二人とも準備はいいか?」
「うん、いつでもいいよ」
「こっちもオッケーッスよ」
アリスは剣を強く握り締め、真っ直ぐに頭上の敵を見据えた。その背中からは今にも飛び出しそうなほどの光が噴き出している。
ライナーは剣を下段に構え、腰を低く下ろし、前傾姿勢でシヴァからの合図を待っている。
頭上を睨む様にして攻撃の機会をうかがうシヴァ。
敵の意識がレッグに向いたその瞬間――
『やれ、サーベラス!』
刹那、遥か上空から銀色の星が隕ちた。
音を超えるほどの加速を果たしたサーベラスの捨て身の体当たり。
それがエンシェントドラゴンの両翼の間、翼の付け根部分に直撃した。
意識が飛ぶほどの衝撃を受けたエンシェントドラゴンは、大きく仰け反ってほんのわずかな時間、動きを止めた。
どれほどの攻撃を受けても余裕の姿を崩さなかった強敵が見せる、初めての隙。
そこへ休むことなくシヴァたちの追撃が加わる。
「いくぞ!」
シヴァが空中に生み出した無数の足場。
それはエンシェントドラゴンへと至る幾筋もの道。
ライナーは点在する光のレンガを躊躇することなく踏み込んだ。
エンシェントドラゴンの右側から弧を描くようにして突き進む。
遅れてシヴァも同じ様に反対側から駆け抜けた。
二つの流星が空高くへ隕ちていく。
眼下から迫る脅威に気づいたロザリーは、とっさにエンシェントドラゴンの両腕を交差させて自分を庇った。
その判断は本来なら間違いではない。
エンシェントドラゴンの強固な鱗や、大木の様に太い腕を断ち切ることなど常人には不可能。
だがしかし、サーベラスの攻撃によって満足に動けないとしても、今この時だけは攻撃を防ぐのではなく避けるべきだった。
「アニキ!」
「いくぞ!」
「「――”天地求道剣”!」」
シヴァとライナーが空を駆ける勢いのままに、左右対称の動きで剣を振り上げた。
一見すると単純な切り上げ。
だがそれは初代剣神から脈々と受け継がれてきた至高の剣技であり、対竜の極意。
二人が交差した後には、エンシェントドラゴンに斜め十字の深い傷跡が刻まれていた。
両腕を切り落とされるという初めて体験する痛みに、エンシェントドラゴンが無音の叫びを上げる。
「馬鹿な……」
ロザリーはただ茫然と、自身を守護していた二つの腕が地上へ落ちていくのを眺めていた。
その僅かな隙、ロザリーの意識が戦いから逸れたその瞬間――アリスが空に向かって勢いよく羽ばたいた。
光の軌跡を作りながら直進するアリス。
正気に戻ったロザリーが赤い髪を雨の様に飛ばして迎え撃つ。
「いきますよセレン」
「はい、アンジェリカ様」
「「――”ディバインバリア”!」」
アンジェリカとセレンの二人が同時に魔法を発動した。
それは互いに共鳴し合い、より一層強力な結界となってアリスを包み込む。
結界に守られたアリスはさらに加速してロザリーの攻撃を弾き飛ばしながら一直線に飛翔する。
二人の距離がゼロになったその瞬間、ロザリーの胸元深くに剣が突き刺さった。
ロザリーは血を吐き、顔を歪め、喘ぐように言葉をこぼした。
「わたくしが……貴様らのような、操られるだけの……人形ごときに…………」
「私たちは自分の意志で考えて、必死に生きてるの! あなたが考えてるような操られるだけの人形なんかじゃない!」
アリスが剣に込めた魔力を解放すると、一瞬にしてエンシェントドラゴンが胸元から大きく膨れ上がる。
限界まで膨らんだエンシェントドラゴンが弾けると同時、目がくらむほどの光が奔流となって空の彼方へと消えていった。
「終わった……よね……?」
ロザリーとエンシェントドラゴンの最後を見届けたアリス。その背中に生えていた翼が、端の方から段々と光を失っていく。完全に翼が消滅すると、アリスはだらんと体から力の抜けた様子で地上へ真っ逆さまに落ちていった。
「アリス!」
真っ先にシヴァが反応し、エンシェントドラゴンに斬りかかった時よりもさらに速く駆けつける。
空中でアリスのことを優しく抱き止め、お姫様抱っこの形に抱き直す。
そしてその体勢のまま、ゆっくりと速度を落としながら地上へと降りていった。
「大丈夫か?」
「うん……、ちょっと疲れちゃったけど、大丈夫だよ。ありがと…………」
アリスが弱々しくも達成感の込められた笑みを浮かべた。
それにシヴァが微笑みを返すと、アリスは安心した子どものように瞳を閉じて静かに寝息を立て始める。
「アーニキー! アリスさん大丈夫ッスか?」
ライナーとサーベラスの二人も、シヴァたちを追って地上にやってきた。
サーベラスの背中からライナーがサッと飛び降りる。
「疲れて寝てるだけだ。サーベラス、悪いんだけどアリスを頼む。ここもいつ崩れるか分からないし、安全な場所まで連れて行ってくれ。俺は町の方を見てくる」
「畏まりました」
サーベラスがその場に伏せると、シヴァはその背中にアリスをそっと寝かせた。
「それでは町の外で連絡を待ちます」
「ああ、インキュバスたちを全滅させたら迎えに行くよ」
サーベラスはアリスを気遣うようにゆっくり立ち上がると、静かにその場を離れた。
「さて……ライナー、まだ元気か?」
「もちろん! って言いたいところなんスけど……結構厳しい感じが……」
「まあ俺も似たようなもんだけど」
剣神流の奥義でエンシェントドラゴンの腕を切り落とすという離れ業を披露した二人は、互いに苦笑を見せ合う。肉体的には限界間近、立っているのも辛いという状況。だがそんな弱音は表に出さず、二人とも剣を握る手にふたたび力を込めた。
「あともう少しだ、最後まで気を抜くなよ?」
「おう!」
シヴァとライナー、そして大聖堂の中を急いで降りてきたセレンたちも加わって、町中に散らばった魔物を全滅させる掃討作戦が行われた。
掃討作戦は夜遅くまで続き、そして夜が明ける頃になってようやく町中の見回りが終わったのだった。