74 夜、二人きりの時間
宿場町という場所柄、宿自体はすぐに見つかった。
だけどすんなり部屋を借りれたかというとそうじゃない。
「すみません、五人部屋はもう埋まっちゃってますね。お金に余裕があるならもっと大きな部屋でもと思ったんですけど、そっちも駄目ですね」
俺の背後に視線をやって、どうしますか? と聞いてくる店主。
サーベラスとマリーさんが合流したことによって男三人、女五人の八人パーティーとなった俺たち。
そうなると大所帯と呼べるかどうかは微妙なところだけど、こういった事態もありえることで。
「あたしたちが二、三で別れればいいんでしょ。それならどう?」
「少々お待ちください…………それなら空いてますね」
「ならそれでいいんじゃない?」
店主とのやり取りに割って入ってきたセレン。
俺もそれでいいかと納得しかけたところでクイッと袖を引かれる。
隣を向くとアリスの少し恥ずかしそうな視線、それが一瞬だけ俺に向けられた。
「……四人部屋ってありますか? あと二人部屋を二つ」
「ええはい、空いてますね」
さっき五人部屋の空き状況を確認したときに、ついでに他の部屋の空き状況も一緒に確認していたんだろう。
店主はすぐに返事を返して俺とセレンを交互に見た。
「え、四人?」
よく分かっていない様子のセレンは放置しておく、どうせすぐに分かることだしな。
「それでお願いします」
もう一度視線を隣に向けると、目を細めて嬉しそうにしている横顔が見えた。
だからこれでいいと自分に言い聞かせる。
料金を支払って三部屋分の鍵を受け取る。
ここにきてようやく理解の色を示したセレンに鍵を手渡した。
もう一つは後ろで待っていたライナーに向けて投げ渡す。この時いやらしい笑みを浮かべ、頑張ってねと口だけを動かして小さく手を振っているマリーさんが視界に入った。マリーさんにはまだアリスとのこと話してないんだけど、察しがいいというかなんというか。
まあ応援してくれるというなら素直に受け取っておくべきだろう。
みんなと別れ、店主から受け取った鍵を使って二人部屋の扉を開ける。
部屋に入って明かりを灯し、上着を脱いで荷物を適当に端の方に置いて、ベットのふちに腰掛けた。
しばらくして、アリスが遠慮気味に隣に並んだ。
「その、ごめんね」
「ごめんって何が?」
「私が悪魔と戦うからシヴァは地下をお願いって……」
「ああ、あれか。最終的にはあれで良かったと思うし、アリスが謝ることじゃないよ」
話し合いの結果、アリスは親玉――おそらくはロザリーと戦う組に、俺は地下に行く組になった。
まあ状況次第で地下に行く俺たちだってロザリーと戦う可能性もあるだろうから、実はそこまで気にしてない。
人間に転生してすぐの頃なら絶対に俺が! って言ってただろうから、自分でも随分と変わったなと思うけど。
「シヴァのことは信頼してるんだけど、それでもまだ力が戻り切ってないみたいだから、明日は私に頑張らせて欲しいなって思ったの」
「そうだな、まだ完全には戻ってないし頼らせてもらおうかな。ただあんまり無茶はしないで欲しいけど」
「うん。それと……さっきはありがと」
腕に絡みつく柔らかくも温かな感触。
そして肩にポテンっと乗っかるアリスの頭。
「別に、俺だって二人きりになりたかったから」
だけど明日のことを考えてて、店主と話してるときはそこまで気が回らなかった。
むしろアリスからそれとなく合図を出してくれて、俺のほうがありがとうと言いたいぐらいだ。
「ううん、こんな時に、こんな風にしてていいのかなって自分でも思うし」
「いいんじゃないか? 確かに明日、聖教会に着いてからとかは無理だろうけど、いまはまだ。それにずっと気を張り詰めてても疲れるだろ」
「それもそうだね。……ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
聞かれれば一つと言わず、二つ、三つでも答えるぞ。
「私ってシヴァの重荷になってないかな」
これは一体……声音からしてそこまで深刻な感じはしないけど、何か悩み事でもあるのかな。微妙に判断に困る。
「どうしてそう思ったんだ?」
「こうして一緒にいれることは嬉しいの。だけど本当ならシャルちゃんたちと一緒にカムノゴルの町に戻っていれば、シヴァは今頃ゆっくり休めたんじゃないかなって。私と恋人になったからって今回のこと、無理して付き合わせちゃってないかなって。もしかしたらシヴァにとっては、私と一緒にいない方が良かったんじゃないかって――」
「このおバカめ」
そう言ってビシッとアリスの額を指で弾いた。
なんだかまだ話が続きそうだったけど知らん。
「いった……くはないけど、ううぅ」
デコピンを受けたアリスが頬を膨らませて恨めしそうにしている。
そんな顔されても可愛いなあという感想しか出てこないぞ?
「まったく、アリスと一緒にいたいかどうかは俺が決めることだろ?」
アリスと一緒にいたほうが幸せか。
アリスと一緒にいないほうが幸せか。
そんなのは決まってる。
「俺はアリスと一緒にいたい。アリスは違うの?」
「ううん……違わない。私も、私だってシヴァと一緒にいたいよ」
良かった、これで違うって言われたらどうしようかと思った。
これは俺がアリスの幸せについて考えているように、アリスも俺の幸せについて考えてくれてるってことなんだろうか?
勇者としてのアリスではなく、女の子のアリスとして俺との恋について悩んでくれていると。
そう考えるとなんだかこそばゆい気持ちになるな。
「ただ、私って戦うことぐらいしか得意なことが無いから、あんまり自分に自信がなくって……」
「そんなこと言ったら俺だって同じだよ。まあいい分かった。口で言っても駄目なら体にってやつだな」
アリスがまだ弱気な発言をしようとしてるから、ちょっと無理やりにでも明るい感じを出してみる。
「ふふっ、その言い方、なんだか悪い人みたいだよ」
アリスも俺につられたのか、それとも空気を読んでくれたのかは分からないけど、口元を綻ばせた。
「悪い男は嫌いか?」
「うん嫌い」
速攻で否定されてしまった。
あれー……もしかして滑った?
「でもね」
内心焦り始めていた俺を、恥じらいつつも上目遣いで見つめてくる瞳。
柔らかな感触を伝えてくる腕が、よりいっそう強く抱きしめられて――
「誰かさんになら……悪いことされちゃってもいいかなって、思ったりしてるんだよ……」
甘えと期待が込められた響きが、鼓膜を通じて頭の中の深いところを直撃する。
ああ、これはもうだめだ。
俺の理性が持ったのはここまで。
気が付いたときには既にアリスを抱きしめてベットに押し倒していた。
そして迎えた翌朝。
身支度を整えて一階の広間に下りると、既にみんなが待っていた。
「シヴァ君おはよう。なんだか疲れてるみたいだけど、ちゃんと休めたの?」
「ああ、おはようございます。ちゃんと休んだから問題ないですよ」
昨夜、アリスと絆を深めたあと。
寝る前にどれぐらい魔力が戻ってるか試す意味で魔人化をしてみた。
結果はあっという間に魔力を使い切ってしまったんだけど。
そのせいで今朝になってもまだ魔力が全快してないから疲れて見えてるんだろう。
まあ昼過ぎ、聖教会に着くころには回復してるだろうから問題はないはず。
それにしてもほんの僅かしか魔人の状態でいられないとなると、流石に戦闘では使えないな。
魔石を使って魔力の回復をしつつならもう少し時間を延ばせるだろうけど、焼け石に水だろうし。
今回は最後まで人のままで戦うことになりそうだ。
「みんな、おはよう!」
「あら、アリスちゃんは元気そうね。なんだか肌艶もいいみたいだし」
「え、そうですか?」
「シヴァ君と一緒に休んだおかげかしら?」
「え、え~っと……」
そして俺よりもさらに遅れてやってきたアリスはさっそくマリーさんにいじられている。
恥ずかしそう髪の毛を指先でクルクルしているアリス。
それを遠目に見ていたセレンは思わずといった感じで笑みを浮かべていた。
「なんというか、ごちそうさまって感じね」
「これから生きるか死ぬかの戦いをするというのに、のんきなものですね」
「いいじゃないですか。私はちょっと羨ましいなーって思いますよ」
ベルはやや呆れ気味に呟いて、シンディは眩しいものを見ているような眼差しをアリスに向けていた。
「シンディ……あなたねぇ」
「セレン様は羨ましくないんですか?」
「いや、あたしは規則でそういうの禁止されてるから」
「そういう言い方はセレン様らしくない気がしますけど」
「大丈夫よ! あなたたちみんな可愛いんだから、恋人作ろうと思ったらすぐに作れるわよ!」
二人の間に割って入ったマリーさん。
これにはセレンも苦笑を漏らしている。
「あなたがそういう事言ったらだめなんじゃないかしら……」
「まあいいじゃない。それじゃあみんな揃ったことだし、そろそろ出発しましょう」
マリーさんが先頭に立ち、セレンたちを引き連れて宿を出て行った。
その後をライナーが続き……入り口のところで俺たちに向かって振り返った。
「行かないんですかアニキ?」
「ちょっとアリスとサーベラスの二人に話があるんだ。すぐに行くよ」
大した話じゃないけど、サーベラスには後で話すって言っておきながらずっと後回しにしていたからな。
「ふーん、まあいいッスけど、早くしてくださいねー」
「分かってるよ」
そう言ってみんなの背中を見送った。
さて、それじゃあさっさと済ませるかな。
「それで私とサーベラスに話って何?」
「大方シヴァ様の弱体化とアリス様に施した進化、いえ覚醒に関してのことではないでしょうか」
カウンターの奥で眠そうにしている店主や、外へと出て行く他の客に聞こえない程度の声量で、サーベラスがそのものずばりを言い当てた。
「そうなの?」
「ん、まあな。というか気づいてたのか」
「シヴァ様が弱体化して、逆にアリス様はいきなり強くなられた。これに関係性があると想像するのはさして不思議なことではないかと。そして私は似た現象を過去にシヴァ様と一緒に見ています。グレイルが使っていた魔法をお使いになられたのではないでしょうか?」
「……そこまで分かってるなら説明はいらないよな」
「はい。しかし、グレイルの場合は特に弱体化していなかったように記憶しています」
「俺もそう思ってたんだけど、実は上手く隠していただけなのかもな」
もしくは自分以外の魂を使っていたからグレイル自身には影響がなかったのか。
「まーそもそも何もリスク無しで誰も彼もを強くできたら今頃大変なことになってるだろうし」
それこそこの前アリスが倒したような化け物だらけになってるんじゃないかな。
「それもそうですな」
「それともう察してると思うけど、俺とお前の関係、あと俺が魔王だったってことはアリスに話したから」
「シヴァ様がお決めになられたことであれば私から言う事は何もありません」
「そうか」
俺とサーベラスのやり取りを見ていたアリスが、しみじみといった感じで呟いた。
「本当に二人はむかしからの付き合いなんだね」
「疑ってたの?」
「ううん、そういう訳じゃなくてね。なんだかお互いに分かり合ってる感じがすごいなって思って」
そう言われてもなあ……
サーベラスと視線を合わせると、あっちもあっちでなんて答えたらいいか分からないって顔してる。
そんな俺たちがおかしかったのか、アリスはクスクスと小さく笑っていた。
「あ、そういえばシヴァは聖教会にいる悪魔がどんな相手か知ってる?」
「そうだな……俺の知ってる悪魔であんなことができそうなって意味で言えば一人だけ心当たりはある。まあ十中八九当たってると思うけど」
「どんな戦い方をするかとかって分かる?」
「ロザリー……ああ、相手の悪魔の名前な。そいつはサキュバスから進化したやつで、魔力を吸ったり、相手を魅了して操ったりってのが得意なんだけど、実はそれぐらいしか知らないんだよな」
「そうなの?」
アリスが目をパチクリさせてちょっと驚いた顔をしてる。
いや、いくら俺が元魔王だからって何でもかんでも知ってる訳じゃないぞ。
「一度だけ戦ったことはあるんだけど、お互いに本気を出す前に降参されたっていうか。だから詳しくないんだよ。何かしら切り札を隠し持ってるみたいなんだけど……ごめん」
ほとんど何も知らないと言ってるようなものだよなこれ。
「ううん、知ってたら聞いておきたかったってだけだから。相手のことなんて戦ってみるまでわからないのが普通なんだから気にしないで」
「それもそうだな」
それに俺が知ってるのは十八年前まで。
いまのあいつがどんな成長をしてるかまでは予想できない。
まあ、だからといって意味もなく怯えたりする気はないけど。
「油断せず戦う。それだけです」
「うん。そうだね」
サーベラスが真面目な顔つきで言うと、アリスは頷いて返した。
「よし、それじゃあ俺たちも行くか」
みんなに遅れて宿を出た。
ふと空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
聖教会アレクサハリン、そこでは一体どんな戦いになることやら。