70 レインの悩み
温かな日差しが降り注ぐ穏やかな昼下がり。
カムノゴルの町の入り口を守っている警備隊の二人は、遙か遠くから走ってくる馬車を見つけた。
懐から取り出した単眼鏡を使って様子を確認すると、商人の馬車が三台、それに併走してさらに二台。
片方には護衛を務める冒険者たちが乗り、もう片方には商人たちの旅に便乗した輩が乗っているんだろうと当たりをつけた。
近づいてくるにつれて大きくなる馬車。それがとうとう警備隊の目の前までやってきた。
二人一組で任に当たっている警備隊のうち、大柄な男が声を張る。
「そこで一度止まれ!」
ゆっくりと停止する五つの馬車。
御者台に座っていた商人と、護衛の冒険者たちが降りて身分証を提示した。
警備隊の二人と彼らは互いに顔馴染みといっても差し支えない関係だが、それでも毎度手を抜かずに行う。
二人は手分けして身元と荷物の確認を済ませると、彼らに町へ入る許可を出した。
そして最後に、商人たちの旅に便乗してきたであろう旅人たちが乗っている馬車の前に移動した。
既に客室から降りていた旅人たちの顔を見て、大柄な男は相好を崩した。
「おお、サーベラスさんにオリヴィア、それにシャルロットじゃないか。戻ってきたのか。結構長いこと外に出ていたな」
「お久しぶりです。ちょっと王都で色々ありまして……こちらは変わりないでしょうか?」
オリヴィアに問われ、顎髭を撫でながら男が答える。
「わざわざ話すようなことはないな。ああいや、でも若い奴らがシャルロットに見せたいものがあると何やら騒いでいたな。なんでも以前から練習していた協力魔法? 共鳴魔法? ってやつが上手くできるようになったとか」
「ほんとに? じゃあ後で見に行こうかな」
オリヴィアの後ろに立っていたシャルロットが男の前に顔を覗かせた。
「それよりも先にアクアさんたちに報告をしないとだめよ」
「わかってるってお姉ちゃん」
「それよりサーベラスさんがいるのにシヴァ先生はいないのか? それに師範代の姿も見えないが……?」
男は他に降りてくる様子のない客室に視線をやった。
「あー……その二人は当分帰ってこないかも」
「んん? まあいいか、今度土産話を聞かせてくれ」
「ええ、じゃあ行くわね」
シャルロットが男に向けて手を振り、町へと入って行く。
サーベラスとオリヴィアもそれに続いた。
三人は最初にオリヴィアとシャルロットの実家に荷物を置きに行き、次に孤児院へと向かった。
途中、道場へと続く分かれ道でサーベラスが立ち止まり、後ろを歩いていた二人に向かって振り返った。
「ではオリヴィアにシャルロット、アクア様への説明は任せた。私は道場に行ってガイ様に話をしてくる」
「はいはーい。あとで孤児院に来るんですよね?」
「そうだな。だが話を終えたら久しぶりにガイ様に手合わせをお願いしようと思う。少し時間がかかるかもしれん」
「町に着いたばかりなのに手合わせですか? 少しは休んだ方がいいと思いますけど……」
心配そうにするオリヴィアに対して、サーベラスは目を細めて硬い笑みを浮かべた。
「この間の戦いでジャックに後れをとったのでな。ガイ様の剣で鍛え直して頂こうと思ったのだよ」
「そうですか……あまり無茶はしないで下さいね」
道場へと向かうサーベラスを見送り、二人は孤児院へと足を向けた。
「こんにちはー!」
「おじゃまします」
「あら二人ともいらっしゃい。それと……お帰りなさい」
孤児院にやってきたシャルロットとオリヴィアを出迎えたのは、椅子に深く腰掛けているアクアだった。
二人がカムノゴルを発ったときよりも、少しだけ膨らみを増したお腹を優しく撫でている。
アクアに勧められるまま二人も椅子に腰を下ろした。
「初めての王都はどうだった?」
「あはは……楽しいことも、大変なことも色々とありましたね」
シャルロットとオリヴィアが顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべる。
「どうやら長い話になりそうね。お茶を入れるわ」
「いえいえお構いなく。むしろ私が入れますからアクアさんは座っててください!」
腰を上げそうになるアクアを抑えて、シャルロットが慌てて立ち上がった。
そこに二階から降りてくる足音が聞こえてきた。
「お姉ちゃん誰か来たの?」
柔らかな声とともに現れたのはレイン。
二人の客人を前にして、大きく目を見開いた。
「オリヴィアさんにシャルちゃん! 帰ってきてたんだ、お帰りなさい」
「二人から王都の話を聞こうとしたんだけど、なんだか長くなりそうだからお茶でもとね……」
肩をすくめて見せるアクア。
なるほどと、レインは立ったまま固まっているシャルロットに笑みを向けた。
「そういうことなら私が用意するから大丈夫だよ。シャルちゃんは座ってて」
「そう? ありがとうレイン」
程なくしてレインが四人分のお茶を用意した。
それぞれの前に並べ終えると、レインはアクアの隣に座る。
落ち着いて話をする準備が整ったところで、シャルロットとオリヴィアは王都で経験した様々なこと、そして今回戻ってこない二人のことについて語った。
一通りの話を聞き終えたあと、レインは表情をわずかに暗くした。
「えっと……つまり、お兄ちゃんとライナーは帰ってきていないんですか?」
「うん。シヴァ先生と師範代は聖教会に向かったから、いつ戻ってくるかわからないかな。サーベラスも多分すぐにシヴァ先生のところに行くと思う」
「そうなんですか……」
「シヴァ先生に会えないのが寂しいの? それとも……師範代に会えないのが寂しいのかな?」
レインがライナーに恋心を抱いていることを知っているシャルロットは、からかうように話を振った。
それに対してレインはうつむいてモジモジとするばかり。
「レインが告白したら良い答えが返ってくると思うんだけどなぁ。今度師範代が帰ってきたときに気持ち伝えてみたら?」
ライナーがレインを想っていることも知っているシャルロットとしては、二人の仲が進まない現状をどうにかしたいと考えていた。
そのため思わず出たお節介の言葉。
「それは、私から告白する勇気がまだないから……、それにちょっと色々あって……」
「色々ですか?」
オリヴィアもシャルロットと同じ気持ちでレインを見守っている一人だ。
何か問題があるのであれば解決するために協力は惜しまない。
そんな気持ちが伝わったのか、レインはゆっくりと顔を持ち上げた。
「その、私に告白してくれた人がいたんですけど、話したこともほとんど無い人で、断ってもなかなか引き下がってくれなかったので『本気のお兄ちゃんに一太刀入れられるぐらい強い人じゃないと付き合えない』って言っちゃったんです。それでやっと諦めてくれたんですけど……どうしてかライナーもその話を知ってて、しかもそれを信じてるみたいなんです。もしもライナーが私のことを、その、す……好きだったとしても……」
どうすればいいんでしょうかと、二人に縋る様な目を向けるレイン。
「あーそれは、なんというか……」
「難しいですね」
「本気のシヴァ先生に一太刀入れられるのって多分師匠ぐらい……かな? マリーさんが『シヴァ君は普段力を隠してる』って前に言ってたし。あれって私たちは見てないけど、髪と目の色が変わってすごく強くなったってやつよね、きっと。お姉ちゃんはどう思う?」
「うん、魔法なしの剣術勝負なら師範代でも一太刀入れられると思いますけど、本気となるとその状態のシヴァ先生が相手でしょうから……」
長い沈黙が場を支配した。
意を決したシャルロットがレインの目を見て告げる。
「師範代がその条件を達成できるとしても随分と先になると思うわ」
シャルロットは本心では無理だと思っていても、それを口にはしなかった。
代わりにもう一度レインの背中を押す。
「やっぱりあなたから告白したほうが良いわよ」
「そう、ですよね」
「まあまあ、レインももう一度ゆっくり考えて見なさい。それよりもあなたたち、王都の公演会見てきたんでしょう? どうだったの?」
アクアが話題を変えると、レインは自分の話が終わったことにどこかホッとした表情を浮かべていた。