7 かけっこ
いつものように窓から差し込む光を浴びて目を覚ました俺は、寝巻きから修行用の服に手早く着替えて部屋を出た。
階段を下りて一階へ、そのまま玄関に向かいあくびをしながら扉を開ける。
やや下向きに下がっていた視線を持ち上げると、そこには孤児院を背にしてストレッチをしている女の子がいた。
「いーち、にーい、さーん、よーん、ご……? あ、シヴァだ。おはよう」
孤児院から出てきた俺に気づいたアリスが体ごとこっちに振り向いた。
きれいな天使の輪を描いていた黒髪が、一瞬ふわっと広がる。
「おはよう。アリスもこれから朝のトレーニング?」
「うん。アリスもってことはシヴァも?」
「ああ。朝は走りこみと剣の素振りをしてるんだ」
「そうなんだ。私も一緒にしていい?」
「じゃあまずは町の方まで軽く走ろうか」
そう言って俺が町の方へと走り出すと、アリスも横に並ぶようにして走り始める。
「シヴァはストレッチしないの?」
「う~ん、俺はしないなぁ」
「ナナリーは体を温めるために、まずはストレッチしなさいって言ってたよ」
「町に着くまではウォーミングアップで軽めに走って体を温めて。その後から本格的に走り出すからきっと大丈夫」
そう言って隣を盗み見ると、うーんと眉を寄せていた。あまり納得してないように見える。まぁ、このあたりは人それぞれ考え方も違うし。ガイもストレッチしない派だから俺は強要されなかったなぁ。
体が温まり始めた頃、町へと着いた。
「ここからスピード出すよ」
そう言ってからスピードを上げて、町の外周に沿って駆け出す。アリスは当然の様に付いてきた。
「ねぇ、もっとスピード出さないの?」
「もっと?」
「うん。ほら!」
言うが早いかさっさとスピードを上げて先に行ってしまうアリス。思わず見送ってしまったが我に返り急いでスピードを上げる。しかし、まったく追いつく気配がしない。加護持ちのアリスより俺のほうがマックススピードで劣っているから仕方が無いんだろうけど……
「ちょっと本気出すか」
地面を踏み込む一瞬だけ足に魔力を集めて踏み込む力を強化。一歩踏み込むごとに地面が足型にくぼんでいく。速く、もっと速く!
アリスの背中に追いつき――追い抜いた。それでもスピードは緩めない。
「あ、シヴァずるい! 魔法使ってるよね?」
後ろからアリスの非難するような声が聞こえたけど無視する。このまま一気に引き離して――
「追いついた!」
再び隣に並ぶアリスに視線を向ける。負けないよとばかりにニヤニヤした顔を返してきた。俺だって負けるか!
こうしてお互いにハイスピードを維持したまま町の外周を走り続けた。
二人して魔法を使った状態で全力疾走。そのまま孤児院の前まで走って戻ってきた。
汗を吸った服が重くなって、肌に張り付く感じがちょっと気持ち悪い。
顎下まで垂れてきた汗を手の甲で拭い、アリスの方に目を向けると、アリスはくたっと四つん這いに倒れた。
「はぁ。はぁ。どう、して、シヴァは……はぁ。息、切れて、無いの?」
「日頃の、トレーニングの、おかげかな」
息があがるのを必死で隠しながら涼しい顔を作ってアリスに答えた。
アリスは空気を少しでも多く吸い込もうと息をするたびに肩を大きく上下させている。肌には大粒の汗が浮かんでいて、濡れた髪が首筋や頬に張り付いていた。
これは落ち着くまでもう少しかかりそうだな。
それにしても朝の走り込みでここまで疲れることになるとは思わなかった。
「シヴァって、魔力、多いんだね。もしかして、私と同じぐらい?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、あんなにスピード、出しっぱなしで、走り続けられるんだもん。私は、結構魔力使っちゃったから、シヴァも同じぐらい使ってる、よね?」
まだ息も整っていない状態でアリスが問いかけてきた。顔を持ち上げて上目遣いに見てくる。
「いや、俺もそこそこ魔力はあるほうだけど加護持ちのアリスよりは魔力少ないんじゃないか。ただ俺は魔力を節約しているから、その分アリスより長い間あのスピードで走り続けられるはずだよ」
不思議そうな顔をするアリスに説明を続ける。
「走るときに使っていた肉体強化の魔法。これは体全体をどれだけ強化するかによって魔力の消費量が変わってくる。アリスは走っている間ずっと体全体を強化していたから、その間はずっと魔力を消費し続ける。さっきまでのスピードならかなり魔力を消費し続けたんじゃないかな。だけど俺は足だけを、しかも地面を踏み抜く瞬間だけ強化していたんだよ。だからアリスよりも少ない魔力でも、アリスより長い間、アリスと同じスピードで走り続けられるってこと」
やっと息が整ってきたアリスが立ち上がって歩み寄ってくる。
「その魔力の節約って私でも出来るかな?」
「練習すればきっと直ぐに出来るようになるさ、後でやり方教えるよ」
「うん、ありがと」
俺の答えに満足したのかアリスが嬉しげに目を細めた。
アリスの頬を伝い顎下まで流れた雫がそのまま落ちる。その雫に釣られてふと視線を下げる。汗を吸った薄布がぴったりと膨らみかけの胸元に張り付いている。そのまま視線を下げ続けると細い体のラインに沿って服が張り付いていて――ってダメだろ。
視線を上げて、アリスの目を見て提案する。
「いつもはこの後素振りをするんだけど、今日はもう終わろうか」
「え、どうして?」
「いや、今日は結構汗もかいたから朝食の前に一度水浴びしたほうがいいと思って。素振りまですると水浴びする時間がなくなりそうだから」
「う~ん」
「ほら、行くよ」
まだ体を動かしたそうにしているアリスの手を取って孤児院へと戻る。
浴室前に着いたところでアリスに先に入るように促す。朝食の準備をしていたレインに頼んでアリスの着替えを取ってきてもらった。少ししてアリスが出てきた後、俺は朝食に間に合わせるように急いで水浴びをした。
朝食を食べ終わり、自分の部屋へと戻る。イスに座って食事中にガイが言っていたことを思い返す。
『午後からシヴァとアリスは町の道場に行くぞ』
『私もですか?』
『顔見せにな。シヴァとアリスは道場の連中とはレベルが違うから一緒には練習できない。とはいえ道場に行くことが無いかと言えばそれは違う。天気のいい日はこの辺りや山奥でやってもいいが、雨が降る日とかは流石に町の道場でやったほうがいいだろう。それに道場に居る連中にとってはいい刺激になるだろうしな。顔見せが済んだらそのままシヴァとアリスは二人組で型の練習だ』
道場か……そういえば最近行ってなかったな。天気の悪い日は部屋で魔法の練習していたし。
とりあえず午後まで何をしようかな。朝のトレーニングが途中だったから素振りをするか、それとも走りこみの後にアリスと約束した魔力を節約する練習でも教えるか。
よし、先にアリスに練習方法を教えに行くか。アリスの部屋へ行こうとイスから立ち上がる。すると扉の方からコンコンとノックの音が聞こえてきた。
「シヴァ、入ってもいい?」
「アリスか、いいよ」
返事をすると扉が開き、アリスが部屋に入ってくる。
「ちょうど良かった、俺もアリスのところに行こうとしてたから」
「そうなの?」
「ああ、さっき約束した魔力を節約する練習のやり方を教えようかなって」
「ほんと! 私もその話聞きたかったんだ!」
そう言うとアリスはベットまで歩いて行きそのまま腰掛けた。両膝をぴったりくっつけて、その上に両手を広げるように置く。背筋を伸ばしてすっかり話を聞く体勢が出来上がっていた。
俺は上げていた腰を下ろして静かにイスに座りなおす。さて、どこから話し始めようか。