68 猫被りのセレン
ライナーと一緒に騎士団の詰め所前までやってくると、入り口から少し離れたところにベルとシンディが立っているのが見えた。荷物を積んだ台車が二人の横に置かれている。あれが倉庫から出したものだろう。
「準備はもう終わったのか?」
「はい」
シンディの元気な返事が返ってきた。
俺たちが二人の前で立ち止まると、ベルはすぐに俺の隣へ視線を向けた。
「そちらの方がライナー様でしょうか?」
「ああ。セレンにも紹介したいんだけど、どこだ?」
「セレン様なら出発前の挨拶をしにギルバード様のところに行かれました。もう少し待てば戻ってくるかと。アリス様は一度家に戻るとおっしゃっていました」
そう言いながらベルはライナーのことを上から下へと見ている。
なんというかを品定めでもしているんだろうか。
ライナーはそんなベルの視線を気にしてなさそうだけど。
「あら、一人増えてるわね?」
声に引かれて振り返ればセレンが詰め所から出てきたところだった。
「あともう一人増えるけど、そっちは聖教会に向かう途中で合流する予定だ」
「ふーん、まあいいわ。私はセレンよ。よろしくね」
ゆっくりと歩いてきたセレンがようやく立ち止まった。
「オイラはライナー。剣神流の師範代やってるんで剣の腕には自信があるッスよ」
「剣神流ね。話にはよく聞くけど私たちのところでは使い手がいないのよね。ベルは知ってる?」
「私も噂程度でしか知りません。アルカーノ騎士団は剣聖を招いて剣を教わったと聞いていますが……」
「へぇ、その腕前は近いうちに見せてもらうわ。そっちのシヴァと一緒にね」
「いいッスよ」
「俺もセレンたちの実力を確かめておきたいし、適当にどこかで魔物を狩るか」
「そうね」
「ところで一つ気になったんだけど……どうして三人ともローブを脱いでるんだ?」
ベルとシンディはローブの下に着ていただろう聖教会の騎士服姿になっている。白と青をベースにしているところはアリスが着ているアルカーノ騎士団の制服と同じ。だけどこっちは真昼の海を思わせる緑みを帯びた青で、アルカーノ騎士団のものより明るい印象を受けた。さらに聖教会のものは胸元や肩、腰のような要所を守るための部分的な鎧を身につけているといった違いもあった。
聖教会の服を隠すために着ていただけならもう役目を果たしたと言えるだろう。
だけどいまの季節は冬。単純に防寒着として着ていてもいいんじゃないかなと、コートを着ている俺は思う訳だ。ライナーとかが薄着なのはそれはそれとして。
「あれはセレン様が『隠密行動をするならまずは顔と服装を隠さないとだめよね』と言ったので着ていただけですから」
ほがらかに答えたシンディの顔には笑顔が浮かんでいる。
打って変わってベルはひどく疲れた表情をしているように見えた。
「言ってることもなんとなくわかるけど、どうしてわざわざそんな面倒を……」
「どうしてって、そんなのそっちのほうが雰囲気が出て面白そうだからよ?」
「……酒場で話してた時となんだか違わないか?」
初対面のライナーはわからないだろうけど、明らかにセレンの態度が気安くなってる。
「あのときはまだ仲間とは呼べない関係だったから余所行きの態度をとっていただけよ。これから一緒に事をなそうとする仲間なんだから、そんな態度は逆に失礼じゃないかと思ってね。本当のあたしを見せてみたんだけど、どうかしら?」
そう言ってウインクまでして見せるセレン。
なんというかここまで違うと別人かとさえ思う。
でもやっぱりな、という気持ちもあった。
天使の紋章を見せてもらったときに垣間見たあれが素ってことか。
「俺はどっちでもいいよ。セレンの好きな方にすればいい」
「そう、じゃあこっちにさせてもらうわ」
「ただ……ベルがなんか言いたそうにしてるけどいいのか?」
「いいのよ。むかしからベルはあたしの態度が気に入らないだけなんだから」
「気に入らないのではありません。次期聖女と期待されているセレン様がそのような態度をしていては他に示しがつかないと言っているだけです」
「だからそれが気に入らないってことでしょう? 外とか公の場ではちゃんとやってるんだからいいじゃない。意外と疲れるのよ、あれ」
「普段から気を付けておかないと大事な場面で素が出て困るのはセレン様ですよ!」
「平気平気、あたし猫被るの得意だから」
腰に手を当てて注意するベルと、それを肩をすくめて適当にあしらうセレン。
二人の様子を見て面食らっている俺の横にシンディが笑みを浮かべて並んだ。
「ふふっ、放って置けばいいですよ。二人のあれはいつものことですから」
「そうなのか?」
「ええ。年が近い同性の騎士ということで私とベルはセレン様の側付きになったんですけど、最初は私も驚きました。セレン様の私室に招かれて『本当のあたしはこんなんだからよろしくね』という感じであの態度を見せられたんです。いまではもう見慣れましたけどね」
「アリスはこのセレンを知ってるのか?」
「はい。先ほどセレン様が自ら明かしていました」
「そうなのか……。驚いてたろ?」
「はい。それはもう。ですがすぐにアリス様はセレン様を受け入れていたのでお二人の相性は悪くないと思います」
「そうか。それならまあいいか」
アリスとセレン、二人は割と反対の性格してそうだけど、だからこそうまくかみ合うんだろうか?
セレンとベルのやり取りが落ち着いたころ、アリスが街中のほうから顔を出した。俺たちに気づいたのか少し駆け足に変わる。
「お待たせ! シヴァたちも結構時間かかったね」
「まあちょっとすれ違ってな」
「そうなんだ。ライナーのことはもう三人に紹介したんだよね」
「それはもう済ませた」
「じゃあみんな揃ったし出発だね」
俺とアリスは王都を囲む外壁に背を預けて、みんなが戻ってくるのを待っていた。ベルとシンディが馬を借りに行き、セレンはそれに付いて行った。ライナーは出発前に軽くなにか食べておきたいと言って近くの店に走って行った。そんな訳で少しの間、俺とアリスは二人きり。
「サーベラスはあとから来るんだよね?」
「ああ、あいつにはシャルとオリヴィアをカムノゴルまで送ってもらって、それが済んだら俺のところまで走って来てもらう」
あいつ一人なら一日もしないでカムノゴルから俺のところまで走ってこれるだろうし、まあ問題はないだろう。
「やっぱり二人は帰したんだね」
「あまり長い間町から離れてると二人の両親も心配するだろうからな」
「でも、シヴァは良かったの?」
「良いも悪いも、元々二人には魔物討伐の手伝いで来てもらってただけだから」
「……そういう意味で聞いたんじゃないんだけどな」
かすかに苦悩の色がにじんだ小さな囁き。
じゃあどういう意味? と聞き返すことはしなかった。
なんとなく聞いても答えてくれない気がしたから。
だけど、代わりにそっと手を繋いだ。
「そういえばアリスは家を離れていいのか?」
聖教会に向かうとなると行きだけで最低でも半月はかかるらしい。
そうなると以前のように王都の近くへ出るのとは話が違ってくる。
そう思って聞いてみたんだけど……なぜかクスッと小さく笑われた。
「いや、どこに笑う要素があった?」
「ごめんね。おかしくて笑ったんじゃなくてね…………ありがと」
アリスの手が一度離れて、今度は指を絡めるようにギュッと強く握られた。
「それで家族についてなんだけどね、私の両親は基本的に王都の外で仕事してるからあまり家にいないんだ。この前戻って来てたんだけど、ちょうどシヴァたちが王都に来る少し前にまた出ちゃったみたい」
「それは子どものときから?」
「ううん、私が小さかったときはお父さんかお母さんのどっちかが家にいてくれたから、寂しいとかそういうのは無かったよ。二人とも一緒に外に出るようになったのは私が上級騎士としての権限をもらってからだから、たぶん私のことを一人前って認めてくれたんじゃないかな」
アリスはむかしのことを思い出しているのか、懐かしそうに微笑んでいる。
「もう子ども扱いしなくてもいいって?」
「うん。ちゃんと本人たちに聞いた訳じゃないけどね」
「でもそうなると家に誰もいなくなるのか」
「えーっとね、家の管理をしてくれるメイドがいるから大丈夫だよ」
「メイドがいる?」
俺が知ってるメイドってカムノゴルの町長宅にいるあの人ぐらいだ。
家も大きいし町長という立場上、一人ぐらいメイドがいても一応納得できる。
俺も人になってから十八年。記憶を取り戻してからだともう少し短いけど、だいぶ人の常識も身についてきたと自負している。そう、一般家庭にメイドはいない。
「アリスのご両親はどんな仕事してるんだ?」
「鉱山で宝石を採掘したり加工したりする人たちをまとめてるらしいよ?」
「なんで疑問形なんだよ」
「だって二人が仕事してるところ見たこと無いんだもん。でもガーネット家は昔からそういった仕事してるみたいで、家の倉庫には宝石をあしらった色んなアクセサリーあるんだよ」
「…………へぇー」
思わずワンテンポ遅れて適当な相づちを打ってしまった。
実はアリスってかなりいいところのお嬢様なのか?
そのうち指輪でも贈ろうかと考えてたけど、これは下手なものを贈れない。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「本当に?」
アリスが俺の顔を下から覗き込むようにして念を押してくる。
「ほんと、ほんと」
これは俺が勝手にプレッシャーを感じているだけだ。
だからそんなことを知らないアリスは不思議そうに首を傾げている。
これ以上追及されないように手を放してアリスから一歩離れた。
意識を隣から正面に向けると、ニヤニヤと笑いながら腕を組んでいるセレンが遠くから俺たちを見ていた。そして目が合い、俺とアリスの方にゆっくりと近づいてくる。
「準備が終わったから呼びに来たんだけど、あなたたちずいぶんと仲がいいのね」
「……いつから見てた?」
これはもしかして、見られてはいけない人物に見られてしまったのではないか?
そんな嫌な予感がした。
「手を繋いだあたりからよ。それよりもういいのかしら? 寂しそうにあなたを見てるわよ?」
セレンが指さしているのは俺の後ろ、つまりはアリスだ。
振り返るとアリスはどこか恥ずかしそうにしていた。
「べ、別にそんな風に見てないよ?」
「ふーん……じゃあそういう事にしておいてあげるわ」
セレンの方に視線を戻すと、アリスをからかうように目を細めて笑っている。
一緒に旅をしていれば俺とアリスの関係はいずれセレンたちに気づかれただろう。
それがちょっと早まっただけ、そう自分に無理やり納得させた。
ただ……今度からはちゃんと二人きりになるまでは我慢しようと思った。