65 聖教会で起きた異変
「セレンさん、ベルさん、それにシンディさん……頭を上げてください」
俯けていた顔をゆっくりと持ち上げるセレンたち。
声をかけたアリスの瞳には強い意志が宿っている。
「私たちはアレクサハリンが悪魔の手に落ちたとしか団長から聞いていないので、まずはなにがあったのか教えてくれませんか?」
「そうですね。どこから話せばいいでしょうか……」
セレンは頭の中で考えをまとめているのか、なかなか口を開かない。
そこへシンディが助け舟を出した。
「セレン様。私からご説明致しましょうか?」
「ありがとう。でも大丈夫です」
セレンは一度瞳を閉じて大きく息を吸い込み、次に瞳を開いたときには迷いのない表情を浮かべていた。
「ギルバード様からのお話がどのようなものだったのか存じ上げません。ですから最初からご説明致します」
お城に匹敵するほど大きな大聖堂。そこを中心として、放射状に広がるようにして栄えて、いつしか都と呼んでも差し支えのないほどに大きくなった町――”聖教会アレクサハリン”。町や村に一つはある教会の管理と、そこで働く神父やシスターの派遣を行う、教会全体の中心地として人々に親しまれていました。
アレクサハリンに住む聖神官の仕事の一つに、町全体を覆う聖なる結界の維持・管理があります。五芒星の頂点に位置する五カ所に置かれた魔道具へ魔力を補充する大事な役目。それを聖神官たちが順番に行っています。
あの日はちょうど私の番でした。ベルとシンディを連れて仕事へ向かい、魔道具の一つに魔力の補給を終えて大聖堂へ帰る、そんなとき……
「なんだか王都のほうできな臭い動きがあるみたいですけど、ここは大丈夫かなぁ?」
「シンディ、何かあれば私たちがどうにかするのです。そんな一般人みたいな発言はやめなさい」
「それはそうなんですけどー」
シンディの発言をベルが注意するすぐ近くで、私は王都からやって来ている天使について考えを巡らせていた。
最近王都のほうで起きている魔物の活性化と、フィオナ様が秘密裏に探っている悪魔たちの動向。それらの情報を基に、聖教会はどのように動くべきか? 聖教会の実質的トップである聖女様と、聖騎士をまとめ上げているレッグ様、そしてフィオナ様の三人で連日話し合いをされている。
きっといまも大聖堂の最上階でああでもない、こうでもないと言い合っていることでしょう。
「フィオナ様の話だと、近々大きく動くという事でした」
「そうなのですか、セレン様?」
「ええ、ベルたちにはまだ伝えていませんでしたけれど、王都や中立都市、精霊の里などと協力してこちらから積極的に悪魔を討伐する流れになると思います。まだ正式に決まった訳ではないので他の人には秘密でお願いしますね」
「かしこまりました。しかし王都と中立都市はわかりますが精霊の里ですか? 実在するのでしょうか?」
「私も半信半疑ですけれど、フィオナ様はご存知のようです」
聖女様から教えて頂いた情報を、ベルと少し前を歩くシンディにだけ聞こえるように打ち明けた。
「噂をすればフィオナ……様? どうしたんだろう?」
大聖堂の最上階から文字通り外へと飛び出していったフィオナ様を、シンディは指で追いかけて首を傾げている。
疑問形なのは遠くに見える人物が小さくてはっきりとしないからだろう。
だけど純白の翼で空を飛ぶ姿なんて天使のフィオナ様ぐらいしか思いつかない。
私とベルはシンディが指さした先を見つめて――それらは突如として起こった。
初めにフィオナ様の飛んで行った先の空で、地面を揺るがすほどの大爆発が起きた。聖なる結界のおかげで町への被害はなさそうだけど……
そう思った次の瞬間、アレクサハリン全体を覆う結界が突如として失われた。
最後に――世界が狂った。
そう感じるほどの頭の痛みと吐き気に襲われた。
体の内側を這いずり回る、昏くて冷たい魔力の流れが心を蝕むように感じる。
それを奥歯を食いしばって耐えた。
でもそれも一瞬、胸元に灯った温かな光が体を侵す魔力を駆逐した。
自ら対処する前に天使の加護――そう呼ばれている力が私を守った。
「ぐっ、これ……は……」
「頭が割れそうだよぉ……」
その声に反応して隣にいたベルと、前を歩いていたシンディを確認する。
二人はがくっと膝を地面につけて頭を抱えていた。
「いま助けます!」
まずは真横にいるベルを、そのあとすぐにシンディを助ける。
膝を折って地面に座り、ベルに向けて両手をかざして魔力を練り上げた。
浄化の祈りを捧げると純白の輝きがベルを包み込む。
ベルの体から黒い靄が出てきて空にとけて消え去った。
「ありがとうございます。私はもう大丈夫ですからシンディを……」
「ええ」
短く頷き、少し離れたところで膝をついているシンディにも同じように浄化を施した。
「セレン様、ありがとうございます。セレン様は流石ですね」
「私だって危なかったわよ。それよりも何が起きてるのか把握しないと」
上級聖騎士であるベルとシンディは高い魔力耐性を持っている。
それなのに未知の魔法に膝を屈してしまった。
私だって加護が無ければ動けるようになるまでもう少し時間がかかったと思う。
それを耐性のない一般人が耐えられるとは思えない。
「たぶんフィオナ様は敵の迎撃に向かわれたんだと思うわ。結界も消えてるし私たちは住人の避難を――っ!?」
町の外で断続的に発生している爆発音を意識的に無視して、二人に指示を出そうと辺りを見回したところで私は声も出せずに固まった。
「これは、まさか……」
「嘘だよね……」
ベルとシンディも周りの異変に気づいたらしい。
ううん、こんなのすぐに気づく。
私たちは瞳の色を失ったアレクサハリンの住人たちに取り囲まれていた。
「そんな……」
「私たちですらああなってしまったのです。彼らは抵抗する間もなく相手に取り込まれたのでしょう」
ベルは冷静に住人たちを見据えて警戒の色を強めている。
私とシンディもすぐに立ち直り、いつでも動けるように身構えた。
おそらくベルとシンディにしたように、私たちを取り囲んでいる全員を浄化すれば問題は解決するはず。
だけどいまにも襲いかかって来そうな住人たちを前にして、そんな時間はないと悟った。
「まずはこの場を切り抜けます! シンディは住人たちを傷つけないように大聖堂に向かって! ベルは私を抱いてシンディのあとに続いて!」
二人への指示を変え、大聖堂へ行くことを優先する。
まずは仲間たちと合流、そして協力してこの非常事態に立ち向かわないと!
「セレン様、失礼致します」
声をかけてくると同時、ベルが私の肩と膝裏に腕を回して抱き上げた。
私は落とされないようにベルの首元に抱きついた。
「”エアログラビティ”!」
シンディが風圧で住人たちの姿勢を崩し、一部の人たちを吹き飛ばして大聖堂への道を作る。
「ベル! 着いて来て!」
向かう先々で住人が押し寄せてくる中、シンディは風魔法の牽制だけで大聖堂まで私を抱えたベルを守り切ってくれた。
何かあれば私の結界でどうにかする気でいたけどその必要はなかった。
「ありがとう。ここでいいわ」
大聖堂の入り口手前で降ろしてもらい、急いで扉の前まで駆けて行く。見上げないと全容がつかめない大きな扉。それがゆっくりと音を立てて内側から開かれた。慌てて足を止めて中の様子を伺う。
扉の奥、そこには一緒に戦ってくれる仲間たちが隊列を組んで出撃の準備を整えていた。だけど仲間たちの瞳は既に昏く沈み込んでいて……
「セレン様! ベル、シンディ! ここはもうだめだ、町の外へ逃げて下さい!」
私たちに注意を促す野太い大きな声。注意深く見ると数名の上級聖騎士と上級聖神官が操り人形と化した騎士たちに捕らえられていた。
「セレン様、外へ向かいましょう!」
ベルの声に私は反応できなかった。
目の前で起きている事態が理解できない。
気が付けば再びベルに抱かれて町の外へと向かっていた。
どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
既に失われた結界の外、フィオナ様が戦っているところから少し離れた場所へと出ると、そこまでは住人たちも追ってはこなかった。いや、住人たちは町の外には追ってこれないのだろう。
ベルから離れて一人で立ち、足元を見つめ思考を巡らせる。
使われた魔法はたぶん悪魔が使う精神操作のたぐい。私の浄化魔法でベルとシンディを助けられたのがその証拠。だけどなんてでたらめな規模……こんな規模の精神操作魔法なんて見たことも聞いたこともない。一体どう対処すれば……
「セレンさん、こちらにいましたか」
いつの間にか鳴り続けていた戦闘音が止んでいた。
顔を上げると目の前にはフィオナ様が立っていた。
「フィオナ様、どうしてここに? いえ、それよりも大変です!? 住人たちだけでなく、聖騎士や聖神官たちも精神操作系の魔法で操られています!」
「状況は理解しています。しかし、いまは引きましょう。あなたたちだけでも王都へ連れて行きます」
「いえ、私たちよりも聖女様を!」
「あちらはもう手遅れです」
「そんな、嘘です!? レッグ様が聖女様を守っているはずです!」
「いいえ、私が外にいた悪魔を追い返している間に別の悪魔が侵入したようです。それに町全体を人質にとられてはアンジェリカさんとレッグさんの二人でもどうしようもありません。まずはここを離脱します。三人とも私から離れないように」
「待ってください!? 聖女様を――」
私の叫びを無視して、フィオナ様は一瞬で転移魔法を発動させた。
気がつけばアルカーノ騎士団の詰め所の目の前。
――こうして私たちは王都へとやって来たのです。