54 降り立つ者
背後には傷を負ってあちこちから血を滲ませ、地面に腰を落としているアリスがいる。
ギリギリのところでどうにか助けられた。
もしあの時迷い続けていたら今頃どうなっていたか……サーベラスたちに感謝しないとな。
さて、三体いたはずの上級悪魔がいつの間にか二体に減っている。アリスが一体倒したのか?
仮にそうだとして、もう一体は今吹き飛ばした馬に人というか悪魔をくっ付けたみたいな奴、最後の一体はナナリーさんたちが戦っているこうもりたちの親玉っぽい奴だろう。
騎士たちの方を向くと数を数えるのも馬鹿らしいほど多くのこうもりとミニヴァンパイアに取り囲まれて、半数以上が既に倒れていた。
致命傷を負っている者はいなさそうだけど、どうやら手足の腱を切られて身動きがとれない様にされているみたいだ。
殺さずに嬲っているのは……生き血を吸うためか。倒れた騎士の首元にこうもりが牙を突き立てているのが見えた。
半人半馬の悪魔はおそらくまだ死んではいないだろうけど、それよりも先にあっちをどうにかしないとマズそうだな。
ポーチから複雑な術式が刻まれた魔石を取り出して、秘められた魔法を開放する。
俺を中心にナナリーさんや騎士たちのもとまで広がっていく巨大な光の円環。
あたたかな光を浴びた騎士たちは力を取り戻し、張り付いていたこうもりを振り払って立ち上がった。
「助かった? いったい誰が?」
「今のはなんだ……」
「おい、魔物たちの傷も治っているぞ!?」
目の前で魔物たちの傷がふさがり、騎士たちの間に動揺が走る。
助かったことによる安堵よりも、力を合わせて倒した魔物たちが凶悪な顔で再び牙を剥く姿に恐怖が上回った。
マリーさんの言っていた通り敵味方関係なく広範囲に治癒魔法が発動した。
そのせいで魔物たちも復活して騎士たちが慌てているが、まぁ仕方ない。
先にすべての魔物を倒してから使ったほうが良かったんだろうけど、それで万が一手遅れになる人がでるよりはいいだろう。
それに今の俺にとってはこの程度の魔物、いてもいなくても大した違いはないからな。
アリスを背に庇う形で左手を魔物たちに向けてかざす。
一瞬で空中に十個の光弾を浮かび上がらせ、それを同時に打ち出した。
横殴りに降り注ぐ光の雨に打たれ、次々と撃ち落されていくこうもりたちが灰となって散った。
騎士と魔物が入り乱れた戦場で、魔物だけがその数を減らしていく。
ナナリーと一緒にヴァンパイアと戦って傷を負い、膝を付いていたエドモンドは己の不甲斐なさに、力の無さに憤りを感じていた
濃紫色のミニヴァンパイア、そいつがいつの間にか消えていたことに気づいた時には既にアリス様は窮地に陥っていた。
誰よりも早くアリス様のもとに向かった。いや、正確には向かおうとした。
自分よりも遥かに格上の相手に背を向けた瞬間、私はヴァンパイアの手によって地面に転がされた。
それでも顔を上げてアリス様に視線を向けると、あの男がアリス様を守るように立ちふさがって。
そして今、ユリたちが苦戦していた相手を一掃している。
「なぜ私にあいつほどの力が無いんだ!?」
アリスやエドモンドと一緒に南方面の部隊に配属されたユリは、目の前の光景にただ茫然としていた。
魔物たちに倒され血を吸われ、死を覚悟した矢先に光に満たされて回復したのが奇跡なら……これはなに?
光が飛び交い次々と魔物たちが消えていく。
魔物たちはたしかに一体一体は強くない。数の暴力に負けてしまった部分はある。
でも、それでもこんなにあっさりと倒せるほど弱くはなかったはずなのに……
「私は夢でも見ているの?」
ヴァンパイアが怒声を放ちながら結界を張り、シヴァが放った”ホーリーアロー”を防いでいる。
「なんだあいつは!?」
あいつが現れるまではすべてが順調だった。
大勢の騎士が私の手に落ち、干乾びるまで生き血を吸われるだけの存在になるはずだった。
それなのに騎士たちが息を吹き返し、ましてや馬鹿げた魔法の連射で配下たちが消滅させられているだと!?
「もしかしてシヴァ君? でもどうやってここまで、それにあの姿……」
ナナリーが困惑の声を上げて動きを止めた。
視線の先には悠然と佇み、浄化の光を放ち続ける一人の青年の姿が映っている。
次々と光弾を装填して、それを第二射、第三射と打ち続け――すべてのこうもりが消えたところで手を止めた。
残ったのはミニヴァンパイアの姿をした魔物だけ。そいつらもところどころ負傷している。
騎士たちに群がっていたミニヴァンパイアが一斉に俺へと向かって飛んできた。
わざわざ騎士たちから離れてくれるとは、これなら遠慮なくぶっ放せる。
飛んできた一体一体を魔力で編んだ不可視の網で絡めて捕まえた。
「爆ぜろ」
言葉とともに腕を振る。
それが合図となって俺と騎士たちの間にいくつもの爆炎が咲いた。
小さな花々、しかしそれは”ホーリーアロー”を防いだミニヴァンパイアの防御を力任せに打ち破る。
煙が晴れた後には何も残っていなかった。
逃げる気配を見せたヴァンパイアの背後に一瞬で転移。
「ちぃっ!」
ヴァンパイアは悪態をついて振り向くと同時に魔力を纏わせた長い爪で攻撃してきた。
その腕を切り飛ばし、ついでとばかりに体を上下に両断した。
すると、三つに分断した体が大量のこうもりに姿を変えて空へと飛んでいく。
空中でそいつらが結合し、元の姿を取り戻した。
「はぁはぁ……ふっ、あいにくと私は体を切られたぐらいじゃ死ななくてね。この場はあんたに譲ろう。じゃあな」
空間を歪めて転移しようとする相手に手を伸ばす。
それだけでヴァンパイアの周りを力場が覆い、半透明の球体ができあがる。
「なに!? なぜだ、なぜ動けない!? それに……転移も発動しないだと!?」
体を動かそうと躍起になっているヴァンパイアに向かって呆れたように告げる。
「わめくな。相手の魔法に干渉するなんて基本だろうが。ましてそんなゆっくりと転移魔法を発動しようとしてるんだ。邪魔してくれって言ってるようなもんだろ?」
会話を続けている最中にもヴァンパイアを捕えている球体に魔法陣が浮かび上がっていく。
徐々に球体の表面を侵食していたそれが全体を覆い隠すまで広がり――
「終わりだ」
突き出していた手のひらを握りしめる。
ヴァンパイアを捕えていた球体が、空間ごと手のひらに収まるぐらいに一瞬で縮小し、大きな反動をもって爆散した。
残るは最初に吹き飛ばした半人半馬の悪魔だけか。
魔力反応が遠退いているってことは逃げてるのか。
踵を返してナナリーさんに向かい合う。
「俺は逃げてる馬の悪魔を追います。ナナリーさんたちは先に村まで戻っていてください」
「えっと……髪と、それに目の色も違うけどシヴァ君よね?」
「ええ、そうです。ナナリーさん」
「まずは助けてくれてありがとう。でも、悪魔を追うなら私たちも行くわ」
先ほどの戦いを見ていたのなら足手まといになるのはわかっているはず。
それでも言わずにいられないんだろう。
「いえ、ある程度の怪我はさっきの治癒魔法で癒えたでしょうけど、それでも完全に治ったわけじゃない。ここは俺一人で行きますよ」
ナナリーさんが悩んでいる中、俺は剣を鞘に仕舞って背を向ける。
魔人化はもう少し持つだろうけど、それでもここで話し合いをする気はない。
「……わかったわ。私たちよりもよっぽど強いあなたに言うのもあれだけど、気を付けてね」
頷いて答え、空に向かって跳躍した。
空を駆けていると突如馬の魔力反応が大きく膨れ上がった。何が起きた?
あの魔力反応、魔人化が解けた状態で戦うのは遠慮したいな。
そう思っているとアリスが後ろから声をかけてきた。
「シヴァ、待って!」