46 零れた言の葉
俺とアリス、共に三杯目となる果実酒を手に取りグラスを交わす。
俺はまだまだ飲めるけど、アリスはそろそろ限界かもしれない。
うっすらと赤みを増した横顔、眠気を堪えられず重くなっていく目蓋。アリス自身が言ってたけど、これは確かにお酒強く無さそうだ。
「水頼もうか?」
「まだ酔って無いしへーきだよ」
「いや、顔赤いしなんだか眠そうにしてるから」
「そんなこと無いよ。今日は朝早くから色々準備とかしてたからそう見えるだけだよ。ね、もっと飲もうよ」
子供の頃に何度も見た無邪気な笑顔を向けてくるアリスに強く言う事も出来ずにいると、甘えるような声が続く。
「最近はね、フィオナにも良く褒められるんだよ。このまま強くなればいつか伝説の勇者になれるって。どんな強い悪魔だって倒せるようになるって。皆を守れるようになるって」
「アリス、昔から頑張ってたもんな。それに最近はギルドのほうでも討伐とか率先してやってるんだろ?」
「そんなに頑張ってるって訳じゃないと思うけど……少しでも皆が安心して暮らせるようになったらいいなって思って」
「皆のためにって考えて行動に移せるアリスはすごいよ」
「そう……かな。私は勇者の加護を持って生まれたんだし、これぐらいは普通じゃないかな」
「そんな事無いだろ。勇者の加護を持っていたって怪我をすれば痛いし、もっと単純に魔物との戦闘は疲れる。それにどれだけ強くなっても、一瞬の気の緩みで死ぬ事だってありえる。それでもアリスは皆のために戦い続けてるんだから、やっぱりすごいよ」
「えへへ……ありがと。シヴァにそう言って貰えるとなんだか、うん。もっと頑張れそうかも」
「無理するなよ」
「大丈夫だよ。でも……」
アリスの手が俺の二の腕に添えられ、ぎゅっと握られた。
見ているだけで心が暖かくなるような笑顔が閉ざされ、俯き、普段のアリスからは出てこない、弱気な言葉が零れ落ちた。
「本当はね……少しだけ、ほんの少しだけど……皆の期待が重く感じるときがあるの。本当に私で、あの人を倒せるのかって」
「あの人?」
「時々ね、夢に見るの。白金の髪と真紅に染まった目をした綺麗な、すごく綺麗な女性の悪魔」
最後まで聞いてほっとした。一瞬魔人化したときの俺かと思ったけど、そんなはず無いな。
それにしても一体誰だろう。夢の中の話だから現実に居るとも限らない……はずなんだけど。
はっきりと断定する口ぶりでアリスは続けた。
「いつか私が戦わないといけない相手、それだけは分かるの。でも、見てるだけで怖くて、夢の中なのに恐怖で体が震えて……」
「そんな相手と一人で戦う必要無いだろ? 誰が相手でも俺が一緒に戦うから」
「勇者の私が誰かを頼ってもいいのかな?」
「勇者である前に、アリスは女の子だろ? 少しぐらい男に頼ったって良いんじゃないか?」
その相手が俺だと嬉しいんだけどな。
「じゃあ少しだけ、ほんの少しだけ、頼ってもいいかな……」
「ああ、少しと言わずいくらでも」
「うん」
二の腕を握っていたアリスの手がするすると肘から前腕へと下り、そのまま腕を絡め、手を包まれた。
少し遠慮気味に寄り添ってきて、肩に頭を乗せて甘えてくる。
言葉は無く、互いの体温だけが鮮明に感じられる。
どれだけそうしていただろう。
いつしか広場から聞こえていた音楽が止み、祭りが終わりを迎えていた。ぽつぽつと篝火が消えていく。
肩を動かさないように気をつけながらアリスを見ると……
「すー、すー」
すっかり安心した顔で寝息を立てていた。
お酒弱いみたいだし、朝早くからずっと働いていたって言ってたからこうなっても仕方ないか。
気持ち良さそうに寝てるところを起こしたくないし、もしかしたら意外とすぐ目を覚ますかもしれない。
だから、もう少しこのままで……
時間をかけて、グラスに残っていた分を飲み干した。
ガラス越しに店主を呼んで会計を済ませる。
まだ寝ているアリスを起こさないようにゆっくりと腕を外し、お姫様抱っこをして店を出た。
カツン、カツンと音をさせて階段を降りると、祭りが終わってもまだ家に帰っていない人たちが目に付いた。彼らから隠れるため路地裏に入る。
人目が無いことを確認して転移魔法を発動させた。行き先は俺が借りてる宿屋の一室。
無事に転移が完了し、暗闇の中魔法で小さな明かりを灯すと、ここ数日ですっかり見慣れた部屋が視界に映った。
ベット脇に移動してアリスを優しく降ろし、そのまま寝かせる。
貸したコートを脱がすのは難しいからそのままにするとしても、ベットに靴を履いたままってのはまずいよな。
アリスの足元に移り、片方ずつ靴を脱がしていく。
脱がした靴をベットの脇に揃えて置き、アリスに毛布をかけて一仕事終えた感覚に襲われる。
店から今の今まで誘惑に耐え切った自分を褒めてやりたい。
お姫様だっこをしたときにコートの隙間から垣間見えた二つの果実が作る渓谷と柔らかな感触、ベットに寝かせたときの身じろぐ仕草と甘い声、短いスカートの奥に隠れる見えそうで見えない神秘の領域。
いっその事襲ってしまえと頭の中で俺に似た悪魔が囁く。すると今度はアリスに似た天使が現れて寝ているときは駄目だよと反対する。
あれ、起きてる時に襲うのはいいの?
天使に問いかけると答えず悪魔を連れてどこかに行ってしまった。
駄目だ、俺も思った以上に酔ってるらしい。天使と悪魔が頭の中で会話するとかやばいだろ。
部屋に置かれているテーブルに向かい、イスに腰掛ける。
腕を枕にしてテーブルに突っ伏すとあっと言う間に意識が飛んだ。
「……、……」
ゆっくりと肩を揺すられ、耳元で名前を囁かれる感覚に眠っていた意識が浮上していく。
「ねぇ、シヴァ。朝だよ。起きて」
冬の朝の冷えた空気に肌寒さを感じつつ、頭を持ち上げて目蓋を開ける。
優しい眼差しをしたアリスが窓から差し込む朝日に照らされていた。
「アリス?」
「あ、やっと起きた。おはよう」
「おはよう……あれ、何でアリスが居るんだ?」
ぼーっとしたまま上体を起こす。今では俺の方が背が高いからこうしてアリスを下から見上げるのって新鮮だな。
そんな事を考えていると、アリスが背筋を伸ばして腰に手を当て呆れた様に指摘をしてくるが、
「シヴァが連れてきたんでしょう。寝ぼけてるの? それとも……」
すぐに不安そうな表情を浮かべて昨日の事を確認してきた。
「シヴァってお酒飲むと記憶無くなるタイプ? もしかして昨日の事……忘れちゃった?」
「いや、今までお酒を飲んで記憶を無くした事無いよ。ちゃんと覚えてる。少し寝ぼけてたみたいだ」
「そっか。良かった」
アリスは胸に手を当ててほっとした様な顔になる。
「それで、その……昨日は先に寝ちゃってごめんね。ベットも私に使わせてくれたみたいだし」
「それぐらいいいよ。それにしてもアリスって酔うとああなるんだな」
「ああって?」
「なんだろう。甘えてくる感じ?」
「そ、そんなに甘えて無いと思うけど。それに、誰にでもあんな風になる訳じゃないからね!」
ちょっと怒った風に言ってくるのは照れ隠しなんだろうなぁ。
なんて言うか、うん。アリス可愛い。
「分かってるよ」
「ならいいけど」
アリスと話してて大分意識もはっきりとしてきた。
そうなると気になる事がいくつか。
昨日の話に出てきた天使――フィオナが俺を封じたあの天使って可能性が高い。まだ会って無いけど王都に居るのか?
それにアリスの夢に出てくる白金の髪と真紅の瞳を持った女の悪魔。俺が知る限りそんな悪魔は居なかった。
どちらもいずれ確認は必要だけど、今はそんな事よりも差し迫った問題がある。
入り口の扉、その奥から聞こえてくる二組の足音。ここ数日の事を考えるとシャルとオリヴィアだろう。
足音が扉の前で止まった。
「シヴァせんせー。起きてますか?」
コンコンという扉を叩く音がやけに大きく聞こえる。
アリスがびくっとして、どうしようと言う感じでこっちを見てきた。
うん、どうしようもないから諦めよう。