40 空飛ぶ少女
「契約していた魔物の気配が急に全て消えたと思ったら……それから離れろ人間どもが!」
左右の手に渦巻く魔力の奔流、悪魔の叫びと共に再び放たれる暴威。
皆を護るように展開した結界で防ぐも、その衝撃は大きく周りの木々が葉を散らしなぎ倒される。
どこからか転移してきた下級悪魔。このタイミング、そして今の発言。どうやらこの召喚石の関係者らしい。
「シャルとオリヴィア、ユリとエドモンドは下がってろ」
この四人が悪魔と戦うのはまだ早い。昔の俺とアリスみたいに協力し合えば倒せないこともないだろうけど。
それに今は昔よりも強く成長した俺とアリス、それにライナーとサーベラスもいる。わざわざシャルたちに危ない橋を渡らせる必要は無いだろう。
アリスたちと協力してあの悪魔を相手取ろうと身構えると、
「私が行くわ、シヴァはそのまま結界で皆を護ってて!」
そう言って黒髪をなびかせて飛び出した影が視界を横切った。
力強く大地を踏み締め、砲弾の如く空へと飛び上がる。
愚直に、一直線に悪魔へと切りかかったアリスの攻撃は――ギリギリで躱された。
悪魔は自らの領域に飛び込んできた相手に向かって力任せに殴りかかる。
奇しくもそれは八年前の再現。あの時、アリスは為す術もなく打ち据えられた。
しかし、あれから成長した今のアリスは空中で翼を広げてさらに飛翔すると悪魔の頭上で宙返りを決めた。
拳を飛び越えられ、空にいながら背後を取られた悪魔に待っていたのは強烈な切り払い。
魔力で強化した悪魔の尻尾がアリスの長剣と拮抗し、無音の悲鳴を上げる。
背後に向き直った悪魔が見たのは天使の翼と見間違うほど美しい光の翼を背に生やした少女だった。
アリスは驚愕に目を見張る悪魔の首下に手を伸ばして掴むと同時、翼から爆発的な量の光の粒子を背後に放出して真下に向かって墜落する。そのまま魔物の死体が放置してある広間に悪魔を叩きつけた。
落下の勢いを乗せて放たれたアリスの斬撃は空を切る。
悪魔は地面を転がってアリスの攻撃を回避し、直ぐに起き上がって体勢を立て直した。だがしかし、悪魔に反撃は許されない。
紅の瞬きと共に悪魔へと一瞬で間合いを詰めたアリス。
水平に振るわれた炎剣。黄金の焔を宿したそれは、魔力で肉体を強化した悪魔を容易く上下に両断した。
舞い散る火種はアリスの凛とした表情を照らして咲き誇る花びらの様で、大きく成長した勇者に華を添える。
八年前、悪魔との戦いで苦戦をしていた少女はもういない。
「ごめんね、一人で突っ込んじゃって」
悪魔を倒し終えたアリスが戻ってきての第一声。
「別にいいよ。それにしてもあっさり倒すもんだから驚いた。昔は俺と二人で戦っても苦戦してたのに」
「ふふっ。私だってあれから強くなってるんだから」
悪魔を圧倒した時に見せた凛とした表情は鳴りを潜め、柔らかな笑みを浮かべている。
それに対して俺は戦っていた姿に魅せられた事を隠したくてわざと軽口で答えた。
「ただまぁ、スカートなのに空へ飛んで行ったときはどうしようかと思ったけど」
「……見たの?」
スカートを手で押さえ、ジト目を向けてくるアリス。
「いや、見てないよ。それにあんな速く動いてたのに見えるわけ無いだろ」
「そっか。赤はちょっと派手かなって思ってたから見られなくて良かった」
「え、赤じゃなくてしろ――――あ」
あまりにも分かり易すぎる罠にまんまと嵌ってしまった俺。
アリスが無言で近づいてきて目の前で立ち止まり、左頬を指先で軽く摘まれる。
「スカート穿いて空を飛んだ私もあれだけど……そういう時は見ないようにするのが紳士ってものだよ」
俺だって見ようと思って見たわけじゃない。
アリスが空を飛んでいたときに無意識の内に目が追っていただけなんだ。
これはもはや男の性というものだろう。
「ごめん」
「ばか」
小さな声で叱られる。
でも別に本気で怒っている訳ではなさそうだ。
アリスは俺の頬から手を離し、何かに気付いたようにはっとする。
「もしかしてライナーたちにも見えてた?」
「オイラは光の翼に気を取られてたから見てないッスよ。まぁ仮に見えたとしてもレイン以外のは何とも思わないんで」
気にしないで下さいとばかりにライナーがさらっと流した。
「そう言う事はレインちゃんと付き合ってから言いなさいよ」
「うっ」
シャルからの突っ込みに思わずへこむライナー。
負けるなライナー、でもまだレインはやらんぞ。
「あの速さで動いていたので、見えたとしてもシヴァ様とライナー、それに私ぐらいでしょう」
「それはつまりサーベラスにも見えたってことだよね……あぁーいつもは気をつけてるのに……」
どこか脱力した感じでアリスが嘆いていると、
「ご安心下さい、私はそもそも人間の女子に興味がありませんから」
「「えっ?」」
アリスとユリの二人が揃って驚きの声を上げた。
エドモンドに関しては若干後ずさり気味にサーベラスから距離を取ろうとしている。
「何を驚いてんだ? サーベラスは魔犬なんだから人間の女に興味なくても可笑しく無いだろ」
「あ、そっか。見た目があまりにも人間と同じだからつい……」
「申し訳ありません、つい良からぬ想像をしてしまいました」
微かに頬を染める二人、一体何を想像したんだか。
俺が作ってしまったしょうもない空気を断ち切るようにアリスが咳払いをしてから話し出す。
「こほん。さて、今倒した悪魔だけど順当に考えるなら召喚石の持ち主よね?」
「そうですね。本当なら捕らえて話を聞ければ良かったのでしょうけれど、それも転移魔法を使えるようでしたから捕らえるのは難しかったでしょう」
オリヴィアが残念そうにしながらも、アリスが悪魔を捕らえずに倒したことを肯定する。
「う~ん、でも結局なんで魔物の群れを呼び出したのか分からないよ? 冒険者たちが群れを見つけてから私たちがやってくるまで、少なくとも五日ぐらいは何もせずここで大人しくさせてたって事になるし」
シャルはお手上げとばかりにやれやれと肩を竦めた。
「ここで考えていてもあまり進展は無さそうですね。アリス様、まずは王都に戻ってナナリー様に相談致しませんか?」
「うん、そうだね。一度王都に戻ろっか」
エドモンドの提案に対して特に異論も出ず王都への帰還が決まった。
悪魔が出現するという出来事があって手付かずだった召喚石は壊して持ち帰る事に。
魔物の群れを隠していた結界はいつの間にか解けていた。おそらくあの悪魔を倒したからだろう。
樹海に向かうのと同じだけの時間をかけて俺たちは王都に帰ってきた。
到着したのは随分と遅い時間だったため、ギルドに報告をするだけにして解散。
翌日、俺たちは騎士団の詰め所、その受付前にある広間で朝から待ち合わせをしていた。
「悪い、待たせたか?」
「大丈夫よ。私たちも着いたばかりだから。それよりも早くナナリーの所に行きましょう」
そう言うとアリスが先立って詰め所の奥へと進んで行く。それにユリとエドモンドが続き、そのさらに後ろに俺たちが続いた。
ナナリーさんの部屋の前に着いたアリスが扉の開け放たれた部屋に一歩踏み込んで声をかける。
「ナナリー、今大丈夫? この間受けた討伐依頼について話したいんだけど?」
「ええ、大丈夫よ。もう戻ってきたのね」
いつぞやと同じく書類を眺めていたナナリーさんが顔を持ち上げて俺たちに視線を向けてくる。
「今日は大人数ね、どうしようかしら」
「私とユリはこのままで構いません。アリス様たちはそちらへお座り下さい」
エドモンドとユリは入り口近くの壁を背にして直立不動の姿勢をとる。
その横にライナーが楽な姿勢で立ち並び、さらにその横にサーベラスが背中の後ろで手を組んで立った。
「オイラたちも立ったままで良いッスよ」
「もう少し広い部屋もあるから、そちらに移りましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、私もライナーもこのままで問題ありません」
「そう? ごめんなさいね」
以前来た時と同様に俺とシャル、オリヴィアが一緒に座る。その前の席にナナリーさんとアリスが腰掛けた。
「それで、わざわざ皆で報告しに来るって事は何かあったのかしら?」
俺とアリスは顔を見合わせて互いに頷く。
樹海で見たこと、その全てを俺たちは報告した。