4 アリスの部屋
アクア姉の用意してくれたお昼ご飯を食べ終わり、俺はアリスを連れ立って昼まで掃除をしていた部屋へと向かう。食堂の側にある階段を上って二階へ、廊下へと出たら二つの部屋を横切って目的の部屋の前で立ち止まる。
「ここがアリスの部屋だよ。ちなみに隣はレイン、階段近くが俺。師匠とアクア姉は三階の部屋を使ってるから。さ、入って」
扉を引いて、先にアリスが部屋の中へ入るように促す。
「ありがと」
アリスは後ろ手を組んで、部屋の中を伺うようにして入っていく。窓辺までゆっくりと進み、窓を開けて眼下の光景を眺めている。一通り眺めたのか、体ごとこちらへと振り返って話しかけてくる。
「ねぇ、ナナリーにちょっとだけ聞いたんだけどここって孤児院なのよね?」
「そうだけど、どうして?」
「孤児院ってもっと子供が多く居ると思っていたんだけど、シヴァとレインの二人しか居なかったから」
その発言にアリスもまだ十分子供だろうにと思ったが、口には出さずに心の中に留めておいた。
アリスは話しながら部屋の隅に設置していたベットへと向かい、ストンと腰掛けた。
俺は部屋に入ってベットとは反対の位置にあるイスに座って答える。
「孤児院といっても元が付くんだよ。俺も覚えてない頃だからアクア姉に聞いた話だけど、五年ぐらい前に院長が亡くなってさ。結構な歳だったみたいで、亡くなる数年前には孤児の受け入れを止めていたんだって」
「うん」
「で、院長が亡くなった時にまだ孤児院に残っていた俺とレインはそのままここで育っているというわけ」
「ふぅん、ガイさんとアクアさんとはどういう関係なの?」
「アクア姉も孤児なんだけど、院長の手伝いをするって言って身請けをずっと断っていたらしい。院長が亡くなってからはアクア姉が一人で俺とレインを育ててくれていたんだ」
もしアクア姉がいなかったら俺はどうなっていたことか。下手をしたらあっさりと死んでいたかもしれない。そう考えると感謝してもしきれない。
「じゃあアクアさんがお母さんみたいな感じなんだ」
「そんな感じ。母さんって呼ぶと怒るからアクア姉って呼んでるけどね。師匠はこの孤児院出身で、院長が亡くなった話を風のうわさで聞いて戻ってきたのがたしか……三年前ぐらいだったかな」
「へぇ、ガイさんもここの出身だったんだ」
「そうだよ。その後一年ぐらい経った頃に師匠とアクア姉が結婚してからは今とほとんど変わらないかな」
「ガイさんとアクアさんって結婚してたの!?」
アリスは両手をベットに置いたままこちらに身を乗り出すようにして目を丸くしている。
アリスが驚くのも無理はない。今年でガイが三十七歳、アクア姉が二十二歳と年齢が離れていている。さらにアクア姉は年齢よりも若く見られるから二人が並ぶと下手をすれば親子に見えなくも無い。二人が結婚した当時はアクア姉に淡い恋心を抱いていた町の若い男たちが嘆きの声を上げていたとかなんとか。
「まあ夫婦には見えないよね。それと俺の前では良いけど、本人の前ではガイさんじゃなくて師匠って呼ばないと機嫌悪くするから気をつけて」
心の中でガイと呼び捨てにしている俺が言えた事ではないけど一応注意しておく。魔王となって最強と言われていた俺が今更誰かを師と仰がなければいけない。その現状が心の中でまで師匠と呼ぶことにちょっとした抵抗をみせている。まぁ剣の腕は認めているんだけどプライドが邪魔しているというか。
「うん、わかった。ちゃんと師匠って呼ぶようにするよ」
「そうしてくれ」
そこで会話が途切れ、静寂が訪れる。
手持ちぶさたになったアリスは視線を下げて、足をプラプラと揺らしている。
そろそろ部屋を出ようかと思って俺がイスから立ち上がると、アリスは体を少し前倒しにするようにして上目遣い気味に聞いてきた。
「師匠から適当に休んでろって言われたけど、どうすればいいかな?」
さっき俺がした注意をしっかりと守って、アリスは俺の前でも師匠と呼んだ。随分と律儀で素直な子だ。
さて、適当に休むと言ってもこんな昼間から寝たりすれば夜眠れなくなりそうだし、かといって特に娯楽も無いここで出来る事といったら……
「文字が読めるなら本があるけど」
「本?」
「三階に院長が使っていた部屋があって、そこに色々な本があるんだ。アリスは文字読めるか?」
「うん、小さい頃から習っていたから難しい本じゃなければ読めるよ」
「それなら何冊か気に入ったのを持ってくるといいよ」
「じゃあシヴァが面白いって思った本教えてよ」
「俺が? そうだなぁ、勇者と邪神が戦う神話の物語とか面白いと思うけど」
目を閉じ腕を組み、何がいいかと悩んだ末出てきたのがありふれた神話の物語。勇者に勇者の物語を薦めるのもどうかと思ったが、俺が面白いと思ったのがこれだったんだから仕方ない。
さすがにこれは興味ないかな? 閉じていた目を開けてアリスを確認すると、いつの間に移動したのか、目の前にアリスの顔が迫っていた。
「それって『アルフレド伝説』のこと?」
「そ、そうだよ」
「私その本好きなんだ。シヴァも好きなの?」
「ああ、特に勇者と邪神が戦っているところは何度も読み返したかな」
あまりの食いつきっぷりに若干引きながらもそう答える。
「アルフレドが仲間と協力して邪神を倒すところとかすごくいいよね、私もあんな勇者になりたいんだ」
満面の笑顔で語るアリスを見ていると、そんな勇者と戦いたいんだなんて言えない。魔王の頃からの夢なんだよなぁ。とりあえずここはアリスに合わせておくか。
「ああ、わかる。それにアリスならアルフレドみたいな勇者になれるんじゃないか」
出会って直ぐの奴にアリスならだなんて言われても、何を言ってるんだと思われそうだけど。それでもアリスが伝説の勇者のように強くなるだろうって感じているのは嘘じゃない。
勇者の加護を受けているとはいえ純粋な身体能力だけであれだけ速く、重い一撃を放てたんだ。魔法による強化をした状態だとどれだけになるのか。さらにこれから成長して強くなるんだから頑張れば伝説の勇者にも手が届くんじゃないかな。
そんなことを内心考えていると、アリスはどこかぼんやりとした顔で固まっていた。
どうしたものかとアリスの顔の前で手を振ってみる。それで意識がこちらに戻ってきたのか、俺から目を背けてゆっくりと入り口の扉近くまで後ずさって行った。
「う、うん。ありがと」
目を伏せて、小さな声で言う。すぐに体を入り口の方へと向けてしまったため、アリスがいまどんな表情をしているのかは伺えない。
「私『アルフレド伝説』の本持ってくる」
そう言ってアリスが部屋を出て行った。一瞬だけこちらに振り返ったときに覗かせた顔は、少しだけ赤みを帯びているように見えた。
「ちょっと待って。どの部屋かまだ教えてないし、本も多いから俺も一緒じゃないと探すの大変だよ」
俺は本が置いてあった場所を必死に思い出しながらアリスの後を追った。