24 雨
『シヴァ様』
師匠の剣技に目を奪われ、固まっていたところにサーベラスから念話が飛んできた。
『どうした?』
『孤児院に一体の悪魔が近づいてきたため相手をしました』
『結果は?』
『噛み殺しました』
『そうか、レインたちに怪我はないか?』
『はい。孤児院から少し離れたところで相手をしましたので、お二人や孤児院への影響はありません』
『良くやった。まだ生きてる悪魔は何体いる?』
『少しばかりお待ち下さい。……既に町の周辺に悪魔の気配はありません。全ての悪魔を倒されたようですね』
『そうか』
これでようやく一安心ってところだな。
『それと一つ報告がございます。ガイ様に信頼して頂くため、またレイン様とアクア様を護るために孤児院全体を結界魔法で囲いました。その際ガイ様とマリー様に、魔犬である私が結界魔法を使ったことに疑問を持たれたかもしれません』
『問題ない、いい判断だ。疑問を持たれたとしても誤魔化し方はいくらでもある。そもそもサーベラスとは会話できないから二人が勝手に想像して納得するだけだろう。もう大丈夫だとは思うが引き続き警戒を続けてくれ』
『お任せ下さい』
悪魔を切り伏せた師匠がこっちに振り返って歩いてくる。
「悪魔が七体出たとライナーから話を聞いた。俺はこれで四体目を倒したんだが残りはどこにいるか分かるか?」
「俺とアリスで二体倒しました。残りのもう一体は孤児院の近くに反応があったんですけど、今は反応が無くなってます」
「二人で二体も倒したのか、良くやったな。もう一体は……あの魔犬が倒したか、遠くに逃げられたか。どちらにしろ直近の脅威は去ったということか」
師匠の推測に頷いて答える。正直にサーベラスが倒したとは言わなくていいだろう。
どうせ後で悪魔の死体を片付ける必要がある。その時にサーベラスが倒したと納得してもらえばいい。
いつの間にか町の外で倒れていた警備兵を一通り治癒し終えたマリーさんが近づいてきていた。
「ガイさん、私は町の中でけが人の治療をしてきます。ガイさんも一緒に来てもらえますか? 倒壊した家の下敷きになってる人がいないか調べてもらったりして欲しいです。他にも火がこれ以上広がらないようにしないと」
「わかった。シヴァはアリスを連れて家に帰れるか?」
どうやら気遣われているみたいだな。万全の状態の俺だったらマリーさんの手伝いをするようにと言われていた気がする。まあ仮に手伝うように言われても今の俺は魔力が無くて何もできないけど。
「はい。大丈夫です」
そう答えてアリスに視線を移す。アリスは炎に飲まれている町を見て立ち尽くしていた。
俺はアリスに向かってゆっくりと歩み寄る。
アリス、帰ろう? 口を開き、そう言おうとした。
その直前でアリスは町に向けていた視線を俺に移して、搾り出すような声で聞いてくる。
「……私じゃ、出来ないけど。シヴァなら……シヴァだったら、あの炎を消すことって、出来ない?」
今にも泣き出しそうな顔をしているアリスを見ていられなくて、町の方へと顔を向ける。
依然として消える気配の無い猛火。
この惨劇を生んだのは勿論アリスではなく悪魔たちだ。だが、アリスを狙ってやってきた悪魔たちが起こした事件であることは明らかだ。その責任を感じていてもおかしくない。
どうにかしてアリスの望みを叶えてやりたいが、カムノゴルの町のあちこちで起きている火災を鎮火させるには雨を降らせるなどの大掛かりな魔法を使う必要がある。
今の俺とアリスの魔力を足しても魔法を発動させるのは難しい。
マリーさんはけが人の治療をするから余計な魔力を使わせるわけにはいかない、サーベラスを呼ぶのはさすがにまずいだろうし。
あいつが一人で雨を降らせられれば良かったんだけど、たしか使えなかった気がするんだよな。
『サーベラス』
『なんでしょうか?』
『お前って雨を降らせる魔法使えるか?』
『いえ、その手の魔法は扱えません』
『そうだよな。いや、気にするな』
『お力になれず申し訳ありません』
さて、残された手段は一つ。
もう一度アリスの事を見る。
相変わらず泣くのを我慢している様な表情の中に、期待の込められた強い眼差し。
あまり使いたくは無かったけど仕方ないか。
巨大蜘蛛を倒してから魔力を溜め続けた魔石をポーチから取り出した。
「師匠、マリーさん。俺はアリスと一緒に雨を降らせてから帰ります」
「そんなことができるのか?」
「はい、二人は町のほうをお願いします」
「……わかった。無茶はするなよ、たとえ雨を降らせるのに失敗しても気にせず帰るんだぞ」
師匠とマリーさんは足早に町へと入って行った。
残されたのは俺とアリスの二人だけ。
アリスと向かい合う。
「私も一緒に?」
「あぁ、一緒に。両手を出して」
差し出された手の上に魔石を置いて両手で握らせる。
さらにアリスの手を包むようにして俺も両手を握る。
「私、雨を降らせる魔法なんて知らないよ?」
「大丈夫。炎を消すほど強い雨が降るイメージをもって俺の後に続いて詠唱するんだ」
アリスは細かい操作よりも広範囲の魔法のほうが得意なはずだ。勘所もいい。初めてでもある程度うまくやれるだろう。
たとえアリスが失敗しても俺が同調して制御すればいい。
額を合わせる様にしてお互い俯き、瞳を閉じて集中する。
「遥か天空より振り注ぐ雨をここに望む」
「遥か天空より振り注ぐ雨をここに望む」
「大地に蔓延る穢れを洗い流し、地獄の業火すら鎮める水の加護を望む」
「大地に蔓延る穢れを洗い流し、地獄の業火すら鎮める水の加護を望む」
「ここに供物を捧げよう。尽きること無き水の恵みを望みし子らの魂を」
「ここに供物を捧げよう。尽きること無き水の恵みを望みし子らの魂を」
「水神よ、我ら人の子らの願いを叶え、祝福の雨を顕現させよ」
「水神よ、我ら人の子らの願いを叶え、祝福の雨を顕現させよ」
”バーストレイン”
”バーストレイン”
詠唱を終えると、手の中にある魔石とアリスから魔力が一気に放出される。それを遥かな空へと昇るように制御する。
上空にカムノゴルの町を覆うほどの魔法陣が出現し、小さな雨雲が生まれた。その雨雲にどんどん魔力を食わせるようにして成長させる。
俺の魔力制御を感じ取ってアリスもどうすればいいのか分かったようだ。アリスも同じようにして雨雲に魔力を食べさせるように制御する。
どんどん雨雲が大きくなっていき、あっと言う間に町を覆うほどの巨大な雨雲へと成長した。
魔法の発動が終わると、ポツ……ポツ……と雨が降り始めた。すぐさま勢いを増して足元に水溜りを作り出し、ザーっと音が鳴るほどの土砂降りになった。
夜に差し掛かっていた空は雨雲と相まって辺りを暗い闇へと変えた。町を飲み込んでいた猛火は勢いを衰えさせ、徐々に闇へと姿を消していく。
あとは師匠やマリーさんたち大人に任せよう。
「アリス、帰ろう」
今度こそ孤児院へと帰るためアリスに声をかける。
すると、一緒に魔法を発動させるために握っていた手に暖かい雨が降る。
それは俯いていたアリスの瞳から雨に隠れるようにして落ちてきた。
声を出すことも無く涙を流すアリス。
自然と、握っていた両手を離してアリスを抱きしめようと手が伸びて、途中で止まった。
今アリスが泣いている理由は想像できるが、本当のところはわからない。それでもきっと原因の一端はこの町を襲った悪魔たちにある。
なら、そんな悪魔たちと同族だった、かつて悪魔だった俺がここでアリスを抱きしめてもいいのか? ふと、そんなことを思ってしまった。
俺とあいつらは違う、弱者を虐げることは無かったし、無駄に戦火を広げたことも無かった。
だが、ひたすら力を求めて、強者を求めて、戦いを求めていた。今も俺のことを封印した悪魔たちを倒すため力を求めている。
そんな、ただの破壊者でしかない俺が、アリスを慰めてもいいのか?
心の中で葛藤を繰り返しているとアリスが握っていた魔石が足元に落ちた。
アリスが俺の胸元をぎゅっと強く握り、俯いたまま雨音に消えそうな小さな声で、
「ありがとう」
と、囁いた。
それは何に対してなのか。
わからない。それでも、止まっていた手は動いた。
優しく抱き寄せると、アリスの額が肩に押し付けられる。
強くなろう。ただ力を追い求めるんじゃない。
アリスが悲しまないように。アリスの心を護れるように。
壊す者から、護る者へと変わるために。
今、新たな誓いを立てた。