23 流星
悪魔たちが町を襲撃する、少し前まで時間は遡る。
俺はシヴァたちの指導を終えて、食堂でマリーさんと一緒にお茶を飲んでゆっくりしていた。
近くではアクアとレインが夕食の支度をしている。
突然聞こえてきた何かが爆発するような低い音。それが連鎖するように何度も響く。
「何かしら?」
「町の方から聞こえてきましたね」
アクアとマリーさんは今の音を聞いて怪訝そうな顔でお互いを見合い、レインは不安げになっている。
俺は椅子から立ち上がり、外の様子を確かめるため玄関へと向かい、扉を開けて外に出た。
「これは――」
町の方に顔を向けると、見るものに不吉なイメージを植えつける黒煙が何本も立ち昇っていた。
一体何が起きたんだ。そう思案していると町に帰ったはずのライナーがものすごい勢いで駆けて来るのが見えた。
ライナーは孤児院の外に出ている俺を見つけて大声で叫んだ。
「ししょ~~~っ! はぁ、はぁ。大変だ! 悪魔が! 悪魔がやって来た!」
「悪魔? どういうことだ。町の方から聞こえてきた大きな音やあの煙と関係あるのか?」
俺の目の前で止まり、膝に両手をついて息を荒げるライナー。
顔を上げてキッとこちらを向く。
「アニキがカムノゴルの町周辺に、確か……七体ぐらい下級悪魔が出たって言ってたッス。オイラよく分かんなかったッスけど、何かの魔法で気付いたみたいで……」
「なんだと!?」
「アニキたちは悪魔と戦うって言って町の外に向かって急に走って行っちゃったッス!」
俺とライナーが話している声が聞こえたのか、孤児院の中に居たみんなも外に出てきたらしい。
「ガイさん、私たちも町に向かいましょう」
振り向くとマリーさんが真剣な顔でそう言い、町の方に足を向けていた。
マリーさんの後ろに視線を移すと、アクアが不安そうにしているレインの肩を抱く様にして立っている。
アクアと目を合わせる。アクアは少しだけ考える様子を見せてから瞳を伏せて頷いた。
「わたしたちのことは気にせず町の人たちを助けに行って。きっとみんなあなたを待ってるわ」
「だが、俺が町に行っている間にお前たちに何かあったら……」
俺が迷いを見せていると、裏山の方から銀色の魔犬が飛び込んできた。
「ポチ!」
これに真っ先に反応したのはレインだった。アクアの下から離れ、魔犬に小走りで近寄る。
未だ銀色の魔犬を信頼していない俺は気が気ではない。そんな俺の心配をよそに、レインは魔犬の顔に触れると不安が去ったかのように安心した表情を見せる。
「どうしたの? お兄ちゃんならいないよ?」
レインの問いに魔犬は答えられない。代わりにレインを安心させるかのように頬同士を擦り合わせている。
レインとの触れ合いを終えると、魔犬がここは任せろと言わんばかりの眼差しを向けてきた気がした。
俺の予想を肯定するかのように――魔犬が孤児院全体を覆う結界を一瞬で発動させた。
俺たちの足元には優しげな光を放つ魔法陣が顕現している。
「嘘、これって……」
マリーさんが魔犬の発動させた結界を見て目を見開いている。俺も驚きのあまり声も出せない。
アクアとレインは分かっていないだろうが、ここまで高度な結界魔法を使える魔物など俺の知る限り存在しない。
シヴァのことを何処かから連れてきて、見守るように定期的に様子を見に来る魔犬。こいつは一体……
魔犬に対する懸念は増えたが、おそらく以前アクアが言っていたようにこの魔犬はシヴァやレインたちを気にかけているのだろう。
俺も魔犬に近づく。目を合わせ、
「アクアとレイン。二人を任せてもいいのか?」
その問いかけに、魔犬がゆっくりと頷いた。
寝室に置いていた魔剣を手にした俺は町へと向かって駆けた。いつかのようにマリーさんを肩に担いで。
町に到着したところでマリーさんを地面に降ろし、道中考えていた方針を伝える。
「シヴァとアリスがどこにいるか分からないが、町の外周近くで悪魔と戦っている可能性が高い。俺は東から周る。マリーさんは西から周って欲しい。俺は悪魔を見かけたら戦って倒していくが、マリーさんは悪魔を見かけても戦わずにシヴァたちとの合流を優先してくれ」
「わかったわ。ガイさんに言う必要はないと思うけど……気をつけて」
「マリーさんも無理はしないでくれ」
「ええ」
それだけ言って近くの家の屋根に飛び乗り、煙の立ち昇る場所へ向かって屋根伝いに町の上空を駆ける。
普段は出さない全力の走りに足場が悲鳴を上げている。その代わりと言っては何だが、直ぐに一体目の悪魔を見つけた。
そいつは町の少し中ほどに入ったところで燃え上がる家や逃げ惑う人たちを眺めて嗤っていた。
悪魔がちょうどこっちに視線を向けたその瞬間、俺は一筋の流星となって悪魔へ隕ちた。
袈裟斬りにされた事にも気付かなかっただろう。悪魔は醜く嗤った顔のまま、地面へと崩れ落ちた。
再び屋根に乗って町の東から南へと周って行く。
立ち昇る煙を目印にして二体目、三体目の悪魔を見つけて同じように倒すと、しばらく悪魔を見かけなくなった。
まだシヴァたちを見かけず、焦りが募る。
そして四体目の悪魔を、町の外周から少し離れた場所に見かけると、そこにはシヴァたちもいた。
悪魔が地面に降り立ち、俺の目の前で愉快そうにしている。
一応剣を構えて悪魔からの攻撃に備えるが、俺の瞳には既にガイが映っているためさっきまでのような緊張感は無い。
そんな俺の気配に悪魔が首を傾げている。
「随分と余裕そうだが、俺のことを舐めているのか?」
自分の事を軽く見られたと思ったのか、新たに登場した悪魔はあからさまに機嫌を悪くした。
「別にそんなことは思ってないけど」
それだけ答えて視線をガイに向ける。
俺の視線の動きから背後に何かあると察したのか、悪魔は気配を探る様子を見せるとハッとした表情をして勢い良く横に飛び退き――星が隕ちて来た。
さっきまで悪魔が立っていた場所には剣を振り抜いた状態のガイが立っている。
ガイの側にはこうもりの羽に似た片翼が落ちていた。
「くっ、貴様! よくも俺の翼を!」
遠くに着地した悪魔は怒りを顕にしてガイに向かって声を荒げた。
「翼、か。お前たちはもっと多くのものをこの町の人々から奪っただろうに」
「ふん。人間ごとき下等な種族をどう扱おうが、何を奪おうが、俺たちの勝手だろうが!」
「随分な言いようだが……好きなように喚けば良い。最初からお前たちと話をする気は無い」
それだけ言うとガイは口を閉じた。
その手には華美な装飾の一切を排除した無骨なバスタードソードが握られている。
しかし、だからと言って無名の一振りということは無いだろう。普段稽古で使っている剣とは違い、漆黒に染められた刀身は淡く金色に輝き、秘めた魔力を感じさせる。
以前、ガイから話だけは聞いたことがある。歴代の剣聖たちが、剣神流の技術とともに受け継いできた”黒金”という魔剣があると。きっとあれがそうなんだ。
ガイは剣先を悪魔の目に向けて中段に構える。
ただそれだけで悪魔は気圧されたようにたじろいだ。
そこから先は全てが瞬く間に起きた。
腕を振り上げて相手に詰め寄り、踏み込み、剣を振り下ろす。ただそれだけの動きが、見るものに美しさを感じさせる芸術の域にまで昇華されていた。
そして俺の瞳にはガイの体内を流麗に動く魔力が映っていた。踏み込み、足先から膝、腰、肩、肘、そして手首から剣先へと伝えられる魔力の輝き。余すところ無く力を伝えられた剣は容易く悪魔を両断した。きっと魔剣など無くても、それこそ刃の無い木剣でも悪魔が辿った結末は同じだろう。
魔力を感じ取ることもできない生粋の剣士が魅せた完璧な魔力制御。それは何度も同じ型を繰り返すことでしか届きえぬ、修練の果てに至る神業。
初めて見た師匠の本気に、俺は呆然と見惚れていた。