17 冒険者ギルドの依頼(後編)
黒紫色をした巨大蜘蛛が俺たちに向かってたくさんの糸を飛ばしてきた。
糸は道場の端から端ほどに離れた距離を瞬く間に詰めて襲い掛かってくる。
近くには怪我を負った男がいたため俺は避けず、剣に炎を纏わせて飛んできた糸を次々と燃やし、灰へと変える。
ガイも近くにいる男たちを庇うために回避じゃなくて迎撃を選んだようだ。飛んできた粘性のある糸を直接刃先で切るような真似はしないで、刃状に変化させた魔力を剣先から飛ばして糸を切り裂いている。
そして大量の蜘蛛を見て驚いていたアリスは――巨大蜘蛛を見たまま死んだ魚のような目になって固まっていた。両腕と腹周りには糸がぐるぐると巻き付いている。
「アリス!?」
俺はアリスなら当然避けているだろうと思っていたけど、まさか直撃していたとは。
一瞬でも意識が飛ぶほどにあの巨大蜘蛛が気持ち悪かったのか。
「――えっ、えぇ!」
意識を取り戻したアリスは驚いた声を上げた。ただそこからどうすることもできず、ぐんっと勢い良く糸に引っ張られて、空中で海老反りの体勢になり、一直線に巨大蜘蛛のもとへと飛んで行く。
ガイの方をチラッと見ると、特に焦った様子もなく剣を構えたまま動く気配がない。
多分ガイにとってこの巨大蜘蛛は取るに足らない相手で、だけど俺とアリスが経験を積むにはちょうど良い敵なんだろうな。
もし万が一アリスが自力で糸から脱出できなかったり、俺がアリスを助けられなかったら、そのときはきっと俺たちの保護者としてガイは動くだろう。
だけどアリスがガイに助けられる場面を想像すると、なぜか理由は分からないけどほんの少しだけイラッとした。
「アリス!」
俺は大声で呼びかけると同時に飛び出していた。
ガイたちと巨大蜘蛛の丁度真ん中辺りで飛んでいるアリスを追い抜き、そのままの勢いで糸を焼き切った。
糸が切れたことでアリスの飛翔は終わり、そのまま地面に向かって落ちていく。
俺は糸に巻かれて身動きの取れないアリスを正面から受け止めた。すぐさまアリスの膝の裏に右腕を、背中に左腕を回してアリスをお姫様抱っこする。
そのまま巨大蜘蛛とガイたちから離れるようにして駆け出した。
背後に気をつけていると、せっかく捕まえた得物を奪われたからだろう、巨大蜘蛛からの殺気が増したように感じる。
巨大蜘蛛から離れながら俺は次の行動へと移った。
「アリス。少し熱いかもしれないけど我慢して」
アリスの肌を焼かないように結界を張りながら、両腕と腹周りに巻きついている糸を燃やす作業を速やかに終わらせた。
作業が終わった後のアリスは糸が巻き付いていた部分の服が燃え尽き、肘とお腹周りが丸見えになっている。
「ごめんね。あのおっきい蜘蛛見たらびっくりしちゃって……」
「いいよ。それよりあいつをどうにかしないと」
両手でおへそを隠すようにしながらアリスが謝ってくるが、俺の意識は既に巨大蜘蛛へと向いていた。
ある程度距離を取ったところでアリスを降ろして剣を構える。
すると巨大蜘蛛はガイたちではなく、俺たちの方に向かって来た。
「アリス、もう大丈夫か?」
「うん! ちゃんと戦えるよ!」
死神の鎌のように発達した前足を使って俺とアリスに向かって巨大蜘蛛が切りかかってくる。
俺はとっさに炎の剣を片手で振り上げる形で合わせた。キィンとまるで金属同士を打ち合わせたような音が響く。硬いな、それに焼けてない。鎌のような前足は焦げることなく炎の剣と押し合いをしている。
アリスの方は両手で上段から打ち下ろすようにして鎌を迎撃していた。押し合いはアリスが勝ったみたいだけど巨大蜘蛛の前足は健在だ。
「この蜘蛛すっごく硬いよ!?」
「そうみたいだな、それなら!」
連続で切りかかってくる鎌をくぐり抜け、突進するようにして巨大蜘蛛に剣を突き出す。前足に比べれば柔らかいはずの部位、蜘蛛の瞳を狙ったが――剣は空を切った。巨大蜘蛛が後ろに向かって飛ぶように回避したのだ。
「ちっ、速い。アリスは蜘蛛の後ろに回って足の付け根を狙ってくれ!」
「わかった」
答えると同時、アリスは身を隠すように森の中へと入って行った。
足はアリスが両手で切りつけても意味が無かった、おそらく全身があの硬さ、そして炎の耐性を持っていると考えたほうが良さそうだ。正面から弱点と思わしき瞳を狙っても回避される。それなら次は外骨格の継ぎ目を狙う。
アリスがいなくなったことで俺一人に攻撃が集中する。連続で切りかかってくる両足の鎌をどうにかして剣でさばく。
その合間に糸まで飛んでき始めた。鎌を防ぐので忙しいため、これには体全体に炎を纏うようにして対処する。これをやると息苦しくなるのと無駄に魔力を使うからあまりやりたくは無いんだが……
そうこうしている間にアリスが巨大蜘蛛の後ろに移動し終わっていた。おそらく後ろにアリスがいることは気づいているだろう。だが、前後から同時に切りかかられたら回避するのは難しいんじゃないか?
「はあぁぁぁ!」
巨大蜘蛛に防御される前提で大きく剣を振りかぶり、突進する勢いをのせて両手で切りかかる。アリスは無言で俺と同じように巨大蜘蛛へと向かって飛び出してきた。
左右へ逃げられるかもと一抹の不安が頭を過ぎったが、俺の剣は二つの鎌を交差させるようにして防がれた。後ろから迫るアリスには糸を飛ばして対応しているようだ。おそらく遭遇した直後に糸で捕まえることができたから油断したのだろう。意識さえしっかりしていればアリスはあの程度の速さで飛んでくる糸など簡単に避けられる。
糸を避けられた巨大蜘蛛は一瞬の間、動きが止まった。
既に剣の射程内に飛び込んでいたアリスが左後足、胴体部分と繋がるその付け根へと両手で力強く握ったバスタードソードを叩き込む姿が巨大蜘蛛の前からでも見えた。
バキッと硬い音と共に巨大蜘蛛の足が一本地面に落ちる。
少しだけ巨大蜘蛛の重心が左後ろに傾き、剣を防いでいた鎌から力が抜けていた。このチャンスを見逃さず、俺は交差している鎌を潜り抜けて向かって右、巨大蜘蛛の左前足の付け根を狙い打つように肩を引き絞り、穿つように剣を突き出した。
「ふっ!」
足を切りつけた時とは異なり外骨格の隙間に剣が突き刺さる。切り口から炎を注ぎ込むと、悶えるように巨大蜘蛛が暴れ出した。
右前足の鎌で切りかかってきたため剣を抜いて切り払う。その間にもアリスは前から数えて三つ目の左足を切り落としていた。
四つあった左足の内後ろ二本が切り落とされ、前足も根元に穴が空いて焼け爛れている。残った一本だけでは体重を支えきれずに巨大蜘蛛はその身を地に沈めた。
俺は一度体をかがめて、巨大蜘蛛の頭上へと勢い良く飛び上がった。三階程度の高さまで飛んだ俺は剣を両手で握りしめ、巨大蜘蛛の背中目掛けて落ちた。落下の勢いを加えた全力斬りは硬い外骨格すら貫き、巨大蜘蛛の背中を大きく切り裂いた。止めとばかりにありったけの魔力を使って炎を注ぎ込む。
ぴくぴくと小さく痙攣していた巨大蜘蛛は、とうとう完全に動かなくなった。
剣を抜くと、切り口の奥にきらりと光るものが見えた。
もしかして、そんな気持ちで光るものへ手を差し伸べる。蜘蛛の体内から手を引き抜き、握っていた手を開けるとそこには親指と人差し指で輪を作ったぐらいの大きさの透明に輝く魔石があった。
ポーチに魔石を仕舞って巨大蜘蛛の背中から飛び降りる。
俺とアリスの二人で巨大蜘蛛を倒すところを見ていた男たちが興奮したように近づいてくる。さっきまで腰を抜かしていたのにもう復活したみたいだな。
「君たちすごいな! まだ子供なのにそんなに強いなんて!」
「こいつってポイズンスパイダーの特殊個体だろ? 多分Bランクぐらいの強さなんじゃないか?」
「もしかして君たち騎士だったりするのか?」
男たちから矢継ぎ早に話しかけられた俺とアリスはどうしたものかと曖昧に答えた。
「騎士じゃなくてどちらかといえば剣士かな?」
「う~ん、私は勇者だけど剣士って名乗っていいのかなぁ?」
「よくやったな二人とも。あのデカ蜘蛛を倒すとは」
そう言ってガイは俺とアリスの後ろに立ち、それぞれの肩に手を置いて褒めた。
アリスは褒められて嬉しそうにしていたが、俺は素直には喜べなかった。さっきの戦闘、きっと俺かアリス一人だけだったらもっと時間がかかっただろうし、もしかしたら倒せなかったかもしれない。まだまだ修行が必要だなと内心ため息をついた。
三人組の一人がガイを見て不思議そうに口を開いた。
「剣士? そう言えばあなたは一体? 二人が戦っている間見ているだけだったようですが……」
「俺は剣神流のガイだ。この二人に剣を教えてる。さっきの戦いは二人の修行に丁度良いと思って危なくなるまでは見守るだけにしてたんだよ」
「剣神流のガイ……もしや最強の剣士と名高い剣聖ガイさんじゃないですか!?」
「剣聖? 師匠ってそんな呼ばれ方してるんですか?」
聞き慣れない剣聖という名に思わず聞いてしまった。最強の剣士というのは……そんな気がしていたからこっちは驚かないな。
「まぁな。そんなことよりこのデカ蜘蛛どうするかな。このままじゃギルドまで持って帰れない。だからと言ってこのままってわけにもいかないし……とりあえず一度ギルドに戻って報告するか」
あまり剣聖について話したくなさそうなガイはあからさまに話題を逸らした。ただ、なんだかんだと森に入ってからかなり時間が経っている。俺たちは満場一致でウスロースクの町まで戻ることにした。
ただし、町へ帰るまでの道中でガイは男三人組からの質問攻めにあって辟易していたけれど。
夜の帳が落ちた頃、当初の予定よりも遅い時間にウスロースクの町に着いた俺たちは、早速冒険者ギルドへ報告に向かうことにした。
ギルドに入って受付に向かうと、朝居たキリッとした受付嬢じゃなくて、ぽやんとした緩い感じの受付嬢に変わっていた。
「あらあら、皆さんどうされました?」
「今朝受けた依頼の完了報告とついでに狩ってきた魔物の素材買取。それとウスロースクの西の森、その奥でポイズンスパイダーの特殊個体が出た。討伐自体は終わってるんだが大きくてな。俺たちだけでは運べそうに無かったからそいつの運搬依頼だ」
ガイはポイズンスパイダーなどの魔物の素材が入った大きな袋をどさっと受付の手前の床に置いて答える。
受付嬢は床に置かれた袋を自分では運べないと判断したのだろう。「少々お待ち下さい」とガイに一声かけてから受付嬢が奥に行くと、いかつい顔をしたマッチョの男と一緒に出てきた。マッチョの男が受付嬢の代わりに袋を持って奥に戻って行く。
「依頼にあったポイズンスパイダーと、それ以外の魔物の素材買取の確認を行っていますのでもう暫くお待ち下さい。ポイズンスパイダーの特殊個体の死骸については、明日運搬係が一緒に付いて行きますので道案内をお願いします。時間は早朝でもよろしいでしょうか?」
「ああ。早朝で問題ない。依頼の報酬と素材買取の結果も明日の朝受け取る」
「了解しました。それでは明日の早朝にまたお越し下さい」
ガイは受付嬢とのやり取りが終わると、入り口にある椅子に座って待っていた俺とアリスのところにやってくる。
ガイと入れ替わるようにして今度は男三人組が受付に向かった。
森から帰ってくる最中に気づいたんだが、男三人組は今朝ギルドで俺たちとすれ違っていた。Eランク程度の魔物の討伐依頼を受けていたようで、依頼にあった魔物を倒した後、さあ帰るかというタイミングであの巨大蜘蛛と遭遇したらしい。
男三人組も報告を終えてこっちに向かって歩いてくる。
「今日は危ないところを助けて頂きありがとうございました」
俺たちの前で足を止めた男たちはガイ、そして俺とアリスに向かって頭を下げる。
「何かしらお礼をしたいのですが……何か希望はありますか? あまり高価なものだと直ぐには難しいかもしれませんが、可能な限り希望に答えたいと思います」
「構わないさ。礼が欲しくて助けた訳じゃない」
ガイが代表して答えると、それでは気がすまないとばかりにもう一度聞いたきた。
「しかし、命を救われた身としては何もしないというのは……」
「そうだな……それなら今日泊まる分の宿代を出してくれないか。『白亜亭』という店なんだが、どうだろう?」
「『白亜亭』ですね、分かりました! もしそこの宿が埋まっていても別の良い宿を探してきます! おい、行くぞ」
三人組がギルドを出て行くのを見送った。しばらくしたら宿を取った三人組が戻ってくるだろう。
「『白亜亭』ってアクアさんたちと一緒に泊まった宿屋ですか?」
「いや、この町で一番高い宿だ。前にそこに泊まろうとしたらアクアに止められたんだよ。そこまで高いお店じゃなくていいからって。まあ『白亜亭』はそこそこ値が張るけど非常識という程でもない。何か礼をしないと気が済まなそうだったし、中途半端に安いとあいつらも気がすまないだろうからこれぐらいが丁度いいだろう」
アリスが質問するとガイはそう言ってやれやれと肩を竦めたが、アリスは一番高い宿と聞いてどんなところかわくわくしているようだ。
男たちが戻ってきて俺たちはギルドを出た。どうやら無事『白亜亭』の宿を取れたようだ。
ガイと男たちが話をしながら歩いている後ろに、俺とアリスが並んで付いて行く。
「ねぇシヴァ」
「うん? どうした」
左隣を歩くアリスの呼びかけに応じて顔を向けた。すると、なにやら恥ずかしそうにもじもじしている。
「えっとね。私が大きな蜘蛛に捕まった時、助けてくれてありがと。ちゃんとお礼言えてなかったなって思って」
「ああ。気にしなくていいよ」
「うん。シヴァならそう言うと思ってたけど、お礼したいなって……」
「お礼って。さっきのやり取りみたいだな。別にお礼なんていらないよ」
「お金とか物じゃ無いんだけど……ダメ?」
アリスが隣から上目遣いでこっちの様子をうかがってくる。
くっ、そんな風にされるとダメと言いづらい。
狙ってるわけじゃないんだろうけど、やたら可愛く見える。
俺ってもしかしてアリスの上目遣いに弱いのかな。
「わかった。でもお金でも物でも無いお礼って?」
「えっとね。ちょっとだけ止まってくれる?」
理由は分からないが言う通りに立ち止まる。
アリスが俺の左肩に軽く手を置く。どうするんだと聞こうとした瞬間――少しだけつま先立ちで背伸びをしたアリスが俺に寄りかかるように体を預けて――左頬にやわらかい感触が触れた。
アリスはさっと体を離すと口早に言葉を紡いだ。
「えっとね。助けてくれたときお姫様抱っこしてくれたでしょ。なんだか物語の中のお姫様みたいで嬉しかったの。その物語のお姫様がね、助けてくれた王子様のほっぺにありがとうって言ってキスしてたから……」
最後まで言い切らないうちにアリスは足早にガイたちのほうへと歩き始めた。ガイたちに追いつく前に立ち止まり振り返る。そうすると一度だけ照れた様にはにかんだ微笑みを見せてくれた。
無意識の内に左手で頬を触っていた。心臓がドキドキと高鳴ってうるさい。
ガイたちに置いて行かれないように、俺も歩き始める。きっと今の俺を誰かが見たら、嬉しそうな気持ちを表に出さないように我慢しているような、そんな顔に見えるんだろうな。
アリスが喜ぶなら王子様もいいかもなと思ってしまうくらいには、俺はアリスに惹かれ始めているのかもしれない。