164 勇者の仮面
シヴァたちと別れた後、すぐに私とフィオナは一緒に戦ってくれる仲間を集め始めた。
千年前は天使たち、オーロラと精霊のみんな、そして竜の一族の協力があったからこそ魔王ステラの封印に成功したと聞いている。
魔王ステラは強大だ。今回も千年前と同じように三種族の協力を得る必要があった。
まず最初にフィオナが元エルザの部下たちに声をかけた。
もともとエルザの部隊には百人以上の天使がいたけれど、そのうちの二十五人がエルザとともに離反し、粛正された。残りの全員を連れていければよかったのだけれど、そう簡単な話ではなかった。
ヴィルダージュの世界征服による影響を考え、昔から天使たちが守っている地域には戦力を残しておく必要があるとフィオナは判断した。ヴィルダージュの進軍、国同士の小競り合い、戦争のどさくさにまぎれた悪魔たちの暴走。備えるべきことはいくらでもある。
フィオナはすぐに元エルザ部隊の再編成を行い、どうにか確保できた戦力は十人。数は少ないけれどこの十人は千年前の戦いを経験している古強者。実力的には上級天使に近いため、戦力として十分期待できるとフィオナが太鼓判を押していた。
次はティナの下で同様に協力を求めた。
ティナの部隊が活動してるのは中立都市。ここにはギルド本部があり、回復薬の製造を行っている場所だ。治癒魔法が使えない今、回復薬の価値は高い。ヴィルダージュが中立都市を奪おうとするか、つぶそうとするかはわからないけれど、守るための戦力は必要だ。
しかし五十名ほどいたティナの部隊は空島での戦いで多くの死傷者が出ていた。生き残ったのは三十一人。以前であれば治癒魔法ですぐに傷を癒やすことができたけれど、治癒魔法が使えなくなったため半数以上がいまだ療養中とのこと。
動ける人は少なく、さらに中立都市を守るためにもある程度戦力を残しておく必要がある。そうなるとティナの部隊から人員を割くのはためらわれた。
それでもティナだけはついてこようとしたけれど、フィオナが止めた。もしも自分になにかあったとき、残った天使たちを導けるのはあなただけだからと。ティナは渋々といった感じではあったけれど、最終的には折れてくれた。
ティナと別れるとき、私は一つお願い事をした。もし誰かが私たちを探しているようであれば居場所は知らないと嘘をついてもらうようにと。もしシヴァが目を覚ましたとき、私たちがやろうとしていることを邪魔されないように。
次はカインと竜の一族に声をかけるためシャンディアに向かった。
カインはフィオナと同じように魔王ステラの封印に関して責任感をもっているようで、二つ返事で了承を得ることができた。
そのままの流れで竜の一族の下へ向かったけれど、天使たちやカインのときとは違って勧誘は難航すると私とフィオナは考えていた。
しかし、予想とは裏腹の結果になった。というのも竜の一族の長が剣神に殺されたため、その仇討ちをするとゼシアたちが息巻いていたからだ。
私たちの目的はあくまで魔王ステラの封印。しかし魔王ステラを封印しようとすればグレイルの邪魔が入るのはわかりきっている。そのグレイルが竜の一族の長を殺すよう剣神に命じたという話をしたところ、ゼシアたちは前のめり気味に協力を申し出てくれた。むしろいますぐにでもヴィルダージュに攻め込む勢いで騒ぎ始め、その騒動を収めるほうに時間を使うことになった。
最後はオーロラの協力を得るためにみんなで精霊の里に向かった。竜の一族が仲間に加わり五十人を超える大所帯になったけれど、移動に関してはこれまで通りフィオナの転移魔法で一瞬だ。
久しぶりに訪れた精霊の里は相変わらず幻想的な景色で、初めてここへやってきた竜の一族のみんなは驚き半分、感心半分といった反応をしていた。
それからすぐ、私たちの目の前に淡い輝きが現れた。濃霧のように視界を遮るほどの密度となったとき、輝きの中から声が届いた。
「やっぱりきた。封印、とけたの?」
光が落ち着くとそこにはオーロラがいた。私たちが来るのを予期していたかのように落ち着いた態度でたたずんでいる。
「ええ。その様子だとなにか感じ取っていたのですか?」
みんなの代表としてフィオナが一歩前にでて答えると、オーロラは哀愁を帯びたまなざしで遠くを見つめた。
「たくさんの憎しみと苦しみ、悲しみの声がする。あのときと同じ。だからわかった」
「……封印石はすぐに使えますか」
魔王ステラを封印する鍵。封印がとけたときにまた必要になるからと、ずいぶん前から用意だけはしていたとフィオナから聞いている。
だからオーロラから肯定の返事がくると思っていたのだけれど、彼女は首を小さくかしげた。
「たぶん?」
詳しく聞くと、最後の工程は使用する直前にしないといけないみたいで、これからその作業を開始するとのこと。
その作業はオーロラじゃないとできないみたいで、私たちは封印石の準備が終わるまで待つしかない。
オーロラの見込みでは数日かかるらしく、それまでの間は精霊の里の近くにある隠れ家で待つことになった。
封印石の完成を待つ間、ただジッとしているわけにはいかない。ティナの部隊から分けてもらった回復薬やカインが持ち込んださまざまな武器、防具の点検をして倉庫に運び込んだ。
それから魔王ステラとの戦いに備えて会議が開かれた。
こういう場で、私はみんなをまとめるのが苦手だ。アルカーノ騎士団で多少はそういう経験をつんではいるけれど、根っこの部分で向いていないんだと思う。
ここはフィオナかカインのどちらかがリーダーとしてまとめてくれると助かるんだけどなと考えていたら、ゼシアが率先してリーダーシップを発揮してくれた。カインと一緒にシャンディアを統治しているだけあってすごく慣れているように見える。
「わたくしは千年前の戦いを伝聞でしか知らないため、フィオナ様たちにお聞きしたいことがございます。精霊の女王と呼ばれるオーロラ様がいれば魔王ステラとて容易く倒せるのではありませんか?」
フィオナはなんと言えばよいのか少し困ったように眉を寄せた。
「かつて私たちも同じようにオーロラ様にご協力を願い出たのですが、そのとき否定的なことをおっしゃっていました。たしか『あれは人々の悪意を一身に受けて生まれた邪悪な現神。同じ位階のものでなければ倒せない。私と彼女が戦い始めれば戦火はどこまでも広がって、最後にはあらゆる命が消えてなくなってしまう。そんなこと私は望んでいない』と」
これに続けてカインが補足した。
「あとは『私は協力するだけ。未来を掴みとれるかはあなたたち次第』とも言っていたな。この星や人類の存続が危ぶまれる場合はオーロラ様も自ら動くであろうが、そうでなければあまり当てにはできないだろう」
「そういうことであれば仕方ありませんね。ところで千年前はケネスという者も一緒になって戦ったと父上から聞いていますが、どちらにいるのでしょう?」
ゼシアが周囲を見回して首を小さくかしげる。
その問いに私はどう答えたものかと悩んだけれど、黙っているわけにもいかず、意を決して口を開いた。
「少し前に戦うことになって、私が倒しました」
「倒した? ではケネス抜きで戦うと? たしかその者がステラの深淵を削ってようやく封印できたのでしょう?」
どうするつもりなのかと無言の圧が飛んでくる。
これに答えたのはフィオナだった。
「それに関しては問題ありません。ケネスならばすでに復活していることでしょう」
「なぜそう言えるのです?」
「それが彼の存在理由だからとしかいえません。魔王ステラとの戦いが始まれば、きっと駆けつけてくることでしょう」
「駆けつけてこなかったら?」
「そのときは私が代わりをつとめます」
それが当然のことだとばかりにフィオナが力強く言い切った。
「できるのですか? ケネスは煉獄の化身だからこそ”天照”や”深淵”を浄化できるのでしょう」
「煉獄の化身である彼には及びませんが、私の聖火でも対応できます」
ゼシアが天使たちの方に視線を向ける。フィオナと付き合いの長いカインが頷いているのを見て、いまの発言が嘘ではないと判断したようだ。
「ここはフィオナ様の言葉を信じることにいたします。では次に、ヴィルダージュに隠れ潜んでいる敵をどうやって誘い出しましょうか? わたくしとしてはお父様の仇を討つためなら、国の一つや二つ、焼き払ってもよいと考えているのですが」
「姫様、いくらなんでもそれは……」
側近のいさめる声を、ゼシアは鋭い視線で黙らせた。
「お父様を討ち取るように指示したのはグレイル。ならばそやつをかくまっている国も、民も同罪ではないか」
「姫様! 無辜の民を巻き込むなど賊となにが違いましょう? われらは誇り高き竜の一族。憎き相手とはいえ最後の一線を超えてはなりません!」
怒声が響くと、さすがにいまの発言はマズかったと反省したのか、ゼシアが反省の色を見せた。
「……少し熱くなりすぎたわね。ですが実際どうするのです? というよりも以前はどうでしたの?」
カインが記憶を呼び起こすようにこめかみをトントンと指で叩き、フィオナは想定外のできごとに頭を悩ませていた。
「千年前、やつは一つ所に留まることがなかった。気まぐれに人々の営みを壊して回る破壊者。むしろ誘い出すまでもなく向こうから戦いを仕掛けてくるほど好戦的だったな」
「今回も同じようになると思っていたのですが、一度封印されたことで慎重になっているのかもしれませんね」
ヴィルダージュから魔王ステラを誘い出す良い方法が出てこず会議は難航している。そこで一度休憩を挟むことになった。
休憩の間もゼシアたちはどうやってヴィルダージュに攻め込もうかという話で盛り上がっている。カインは仲間達の武器を念入りに手入れしていた。千年前の戦いを経験している天使たちとフィオナは魔王ステラへの対策を話し合ってる。
そんな中、私は少し気分転換をしてくると伝えて隠れ家を出た。カインから借りた小さなナイフを隠し持って。
少し歩くと海を臨む見晴らしのいい場所に出た。
岬の先端に立って陸から海へと吹く風に身を任せる。視線を前に向ければ、水平線の彼方に夕日が沈み、空も海も茜色に染まっていた。
魔石から出てきたシルフとウンディーネは私の周りをくるくると慌ただしく飛び、ノームとサラマンダーは足元から見上げるようにこちらの様子をうかがっていた。
自分ではわからないけれど、いまの私はみんなが心配するぐらい危なげな雰囲気をしているのかな?
「心配しないで。危険なことはしないから」
落ち着いた声で話しかけると、渋々といった様子でみんなが魔石の中に還っていった。
一人残された私は手に持っていたナイフの柄をゆっくりと引いて鞘から取り出した。研ぎ澄まされた刃に自分の顔がぼんやりと映る。
弱々しくて今にも泣き出しそうな顔――勇敢で自信に溢れた表情が映っていたらよかったのに。
どれだけ決意を固めてもそれは仮初めのまがい物だと突きつけられるようで嫌になる。
事実、私はまがい物。どれだけ強がっても本物にはなれない。
子どもの頃は勇者の加護をもっている自分は特別なんだと思ってた。だけど本当に特別なのは私の中にいるもう一人。
アルフレイヤのように世界を救うために自分の未来を差し出すなんてこと、本当はしたくない。でもこれから先はそんな弱音を吐くことなんてできない。
だからこれは、弱い自分と決別するための儀式。
ナイフの鞘を足元に置き、空いた手で後ろ髪を一束にまとめる。後頭部の低い位置にできたポニーテールの根元、そこにナイフを添えて一息に切り裂いた。
(本当によかったの? ボクと違って男装する必要はないんだよ)
(わかってる。これは勇者の役目から逃げ出さないっていう私なりの決意表明みたいなものだから)
(……ありがとう、ごめんね)
感謝と謝罪、相反する言葉が頭の中に響く。私に勇者の役目を背負わせてしまった事への負い目からなのか、アルフレイヤの声はどこか申し訳なさそうだった。
手のひらを上に向けて指を開くと、切った髪が風に乗って海の方へと舞い上がっていく。夕日を浴びてキラキラと輝きながら、遙か彼方へと消えていった。
儀式を終えた私は隠れ家へ帰るため身を翻す。すると木々の後ろからフィオナが姿を現した。
まさか見られているとは思っていなかったからちょっと気まずい。
「付いてきてたんだ。ぜんぜん気づかなかったよ」
「ナイフを持って出ていくのを見かけたので、少し気になって」
「自棄になってなにかするんじゃないかって?」
「アルフレイヤのときも同じようなことがありましたから。止めるべきかと迷っている間に終わってしまいましたけれど……」
きっとアルフレイヤのときも同じように心を痛めていたのだろう。フィオナのもの悲しげなまなざしを見ていると、ごめんねと謝りそうになる。でもそれをしたらきっともっと傷つける気がして、結局強がることしかできなかった。
「大丈夫だよ、フィオナ。これが私の、勇者の運命だというならそれでも構わない。この世界を、大切な人たちを失いたくないの。たとえこの命が消えて無くなるとしても」
悩む時間は終わり。あとは前に進むだけ。そう決心したのに、選択した未来の結末を想像すると自然と手が震える。その恐怖を振り払うように、瞳を閉じて胸元に手を当てた。
私のことを育て、愛してくれた両親。自分のことを慕ってくれたアルカーノ騎士団のみんな。一緒に旅を、戦いをともにしてきた仲間たち。みんなの顔が次々と浮かんでは消えていく。
そっと指先で唇に触れる。最後に思い浮かんだのは愛しいあの人。
「――大丈夫。思い出はたくさんもらったから」
いつの間にか、手の震えは止まっていた。