158 さよなら、大好きな人
ヴィルダージュの騎士たちとの戦いを終えたアルバたちは、ティナたち天使に守られながら飛翔船へと帰還した。
「これより空島から脱出する。離陸作業に取りかかれ!」
すべての者が船に乗り終えると、ノアは甲板上に待機している技術者たちへ指示を飛ばした。
そこへ満身創痍のライナーが声を大にして待ったをかける。
「師匠とギルバード団長がまだ残ってる。あの二人なら必ず戻ってくるからもう少しだけ待ってくれ!」
「いいや、二人を待つことはできない。それに自分たちを待たずに空島から離れろと、彼らは言っていたのだろう」
アルバから玉座の間でどのようなやりとりがされていたのか報告を受けていたノアは冷静に返す。
「それは……」
ノアに言い寄ったライナーだが、感情が追いついていないだけで、二人の言葉を忘れたわけではない。
ライナーも自分がわがままを言っていることは分かっている。だからこそそれ以上騒ぎ立てることはしなかった。それでも、もし自分がもっと強ければ何かが変わっていたんじゃないかと、やり切れない思いと悔しさから歯を食いしばってうつむく。
ノアとて二人の心配をしていないわけではない。本心では二人が戻ってくるのを待ちたいとも思っている。しかしノアは皆をまとめる立場にあるため、私情を優先するわけにはいかなかった。そういった思いは表には出さず、ノアは毅然とした態度を貫いた。
そんな二人のやりとりの裏で技術者たちが発進準備の最終確認を行っていた。もともと不測の事態に備えていつでも緊急発進できるようにと準備を整えていたため、それらの作業はすぐに完了した。
技術者を代表してソフィアがノアに報告する。
「発進準備できたよ!」
「よし、すぐに出せ。みんな振り落とされるなよ!」
飛翔船が大きく揺れ、離陸を開始する。徐々に高度を上げていき、飛翔船の底が空島から完全に離れたところで、転倒防止用の蜘蛛の足に似た物が飛翔船の中に折りたたまれた。
飛翔船全体が流線型の結界に覆われ、旋回して船首が空島の外を向く。最初はゆっくりと、そして徐々に速度を上げていき、あっという間に最高速度に到達した。
空島に巣くっている空を飛ぶ魔物たちも、最高速度で移動する飛翔船には追いつけない。
ライナーとセレン、他にも多くの者たちが飛翔船の後方へと移動し、小さくなっていく空島を複雑な表情で眺めていると、それは突然起きた。
空島の底に該当する部分で大爆発が起き、眩いばかりの黄金の光があふれ出た。少し遅れて腹に響くほどの轟音が飛翔船のもとに届いた。
「あそこって師匠たちが戦ってる場所だよな?」
「うそでしょ。空島の底が抜けた……」
空島の欠片とでもいうべき巨大な瓦礫が海に向かってバラバラと落ちていく。甲板上にいた多くの人たちはその様子を呆然と眺めることしかできなかった。
飛翔船での移動中、船内は暗い雰囲気に包まれていた。
しかしそれも無理のないことだろう。魔王ステラの復活、ヴィルダージュの宣戦布告、仲間たちの戦死。さらには天使たちの一部が離反したという話をティナから聞かされたのだ。
今後どうなるのかまったくわからないという不安から多くの者が口を閉ざし、顔を伏せていた。
また船内で目を覚ましたアリスも、自身が気を失ってからの出来事をセレンたちから聞いてひどく落ち込んでいた。
一方でセレンはけが人の対応に追われて常に忙しそうにしていた。魔王ステラ復活以降は”ヒーリング”が使えなくなり、回復手段はギルド製の回復薬しかないと誰もが考えていた中で”リカバリー”という新たな治癒魔法を使えるセレンは貴重だった。
だが”リカバリー”の回復量は”ヒーリング”や回復薬と比べると劣る。そのため重傷者には回復薬を優先的に使うようにして、セレンはそれ以外の軽傷者や中程度の負傷者の手当に追われた。
それからシヴァたちを乗せた飛翔船が中立都市に戻ってきたのは、日が暮れて夜空に星が瞬き始めた頃だった。
飛翔船を停めた造船所からギルド本部の会議室へ移り、ノアがその場を仕切って古参悪魔討伐計画の後処理が進められる。
まず参加していた冒険者たちには働きに応じた報酬が支払われ、解散する流れとなった。
次にアルカーノやアレクサハリンの騎士たちを各国に送り届けるという段階で、会議室の扉が静かに開かれた。
「フィオナ様、その格好は……!?」
ノアが驚きの声をあげるのも無理はない。部屋の外に立っていたフィオナが着ている法衣は腹部に穴が開いており、赤く血に染まっていたのだ。
「このような姿ですみません。傷に関してはこちらで回復薬をいただきましたのですでに癒えています。それよりも古参悪魔討伐計画の結果についてお聞かせ願えませんか」
「わかりました」
ノアはフィオナを部屋の中に招き入れて空島でのできごとを伝えた。
「――という感じです」
「そうでしたか。やはり魔王は復活してしまったのですね。私が封印の宝玉を守り切れなかったばかりに……」
フィオナが封印の宝玉を守れなかったように、空島に向かった面々も復活の儀式を阻止することができなかった。どちらが悪いということではなく、どちらもが失敗してしまったのだ。だからこそ後悔するように呟くフィオナへ誰も声をかけることができなかった。
フィオナは後悔を振り払うように、小さく顔を左右に振ってからアリスに視線を向けた。
アリスは無言でフィオナに頷きを返す。
見つめ合う二人。それはほんの一瞬のできごと。それだけで二人は通じ合った。
「彼らを自国へ送り届けるのは私たち天使の役目でしたね」
「ええ、そのように頼んでいます」
「ではアリス、いえアルカーノの部隊は私が。アレクサハリンの部隊はティナが担当しましょう」
「フィオナ様ご自身が?」
「ええ。ティナもそれで構いませんか」
「はい、問題ありません」
もともと移送を担当する予定だった天使は空島で戦死した。そのためティナはフィオナに指示をされるまでもなくその役目を引き継ごうと考えていたので、二つ返事で引き受けた。
その後すぐにセレンたち聖教会関係者、そして未だ眠り続けるシヴァはティナの転移魔法で聖教会アレクサハリンへと送り届けられた。
「ティナ様、送ってくださりありがとうございました」
みんなを代表してセレンが礼を言う。
「気にしないでいいわよ。最初から私たちが送る手はずだったんだから。それじゃあ私は戻るわね」
そう言ってティナが中立都市に戻ろうとしたところでライナーが声を上げた。
「待ってください!」
「ん、私になにか用?」
ずっとなにか考え込んでいたライナーが、覚悟を決めたかのような表情でティナの前に進み出て、深く頭を下げた。
「オイラをシャンディアまで連れて行ってください。お願いします!」
ティナは予期せぬお願いに困惑の表情を浮かべた。
セレンやベル、シンディなどはライナーの突然の行動に目を丸くしている。
「……理由を聞かせてもらってもいいかしら。どうしてシャンディアに行きたいの?」
ライナーは頭を上げて、ティナの瞳をまっすぐ見つめ返す。
「師匠が言ってたんだ。そこにオイラの望むものがあるって。きっとそれが剣神を超えるために必要なんだ」
それは別れ際にガイが送った最後のアドバイス。
『もし力を望むならシャンディアに行け。きっとおまえなら乗り越えられる』
あのときガイは自分の家族であるアクアたちを頼むといった言葉も思い浮かんだ。だが強大な敵を前に絶望し、自らの力のなさに落ち込んでいるライナーに余計な重りを背負わせるわけにはいかないという想いから、剣の師として言葉を残すことを選んだ。
ライナーはミツルギとの戦いで自らの未熟を痛感した。魔王ステラの理不尽さも、それに対抗してみせたシヴァの強さもみた。心のどこかで自分よりも弱いと思っていたベルが悪魔の力をも取り込んで強敵を倒してみせたときは衝撃を受けた。
そんな彼ら彼女らと比べて自分はどうだろうか? 戦うことしかできないのに、その力がない。いっそのこと戦いから逃げだすのもありなんじゃないかと考えたライナーだったが、両手にはめられた篭手がそんな弱気な思考を追い払った。
それはレインからの贈り物。もしここで逃げ出したら彼女に顔向けできない。そんな想いから、ライナーは戦いから逃げるという選択ができなかった。
逃げ出す勇気のないライナーが選んだのは前へ進むこと。手も足も出なかった剣神を超えるという道。それが逃げ出すことよりもずっと困難で勇気のいる道だという自覚のないまま、ライナーは一歩を踏み出した。
幸いなことにガイのアドバイスがなにを指しているのか、ライナーには目星がついていた。鬼人流と”黒曜”、つまり剣神流の外にこそ答えがあるのだと。
ティナは以前から鬼人流のヨルと交流があり、さらに空島の玉座の間で起きたできごとをアルバから聞いていたため、ライナーが語る内容がなにを意味するのかある程度理解することができた。
なによりも言葉少なに語るライナーの真摯な瞳に眩しいものを感じとり、ティナは協力することを決めた。
「いいわよ。ただし絶対に逃げ出さないこと」
「はい、ありがとうございます!」
アリスたちを送り出した後、ノアは自身の執務室に移って古参悪魔討伐計画の後処理を続けていた。各国への報告、書類の確認、部下たちへの指示出しなどを休みなく行っていたのだが、とうとう疲れが限界に達して椅子にたれかかるようにして天井を見上げた。
「ダメだ、さすがに頭が回らなくなってきた。少し仮眠をとるか」
「どうせ寝るならベッドに行ってください。緊急でやらなければいけないことは終わっているのでしょう?」
執務室の入り口からアルバが声をかける。その手には束になった書類が握られていた。
ノアは机の上に追加された書類の束を一瞥してため息をついた。
「これは緊急じゃないのか?」
「飛翔船関連の報告書だ。そこまで優先度は高くない」
「わかった。それは後で見ておこう。他にはないか?」
「とりあえずは。他には古参悪魔討伐計画に参加していた国からいくつか苦情が届いているが、それはこちらで対応しておいた」
「助かる」
「それよりも一番の問題はヴィルダージュですね」
「……世界中に向けた宣戦布告か」
空島で起きた事件とは別に、アスラ皇帝は改めて各国へと宣戦布告を行っていた。
「ギルドとしては中立を貫くと返答したが、他はどうなっている?」
「ヴィルダージュの周囲にある国はすべて従属を選びました。それぞれのギルド支部からあがっている報告によれば、大きな混乱はみられないそうです」
「すべて従属? 一つも反抗するところはなかったのか?」
一つぐらいは従属を選ばない国があってもおかしくはないだろうにと、ノアは不審に思い眉をひそめた。
アルバはその返答を予想していたのか、スラスラと言葉を続ける。
「そのようです。ただしヴィルダージュから少し距離のある国で従属を選ばないところがあったのですが、そこは王族や貴族が暗殺されて大混乱に陥っているとか」
「そんな状態では戦争などできるわけもなく、仕方なくヴィルダージュに従うしかないってところか。あまりにもヴィルダージュに都合のいい流れだ。以前から人を送り込んでいたのは確実だな」
「おそらくは」
「世界中に宣戦布告をするなんてなにを考えているんだと思ったが、バカ正直に正面から戦争をしようって訳じゃないらしい。手段を選ばないとなると俺やおまえも暗殺されるかもな」
「注意しておきましょう。護衛を用意しますか?」
ノアは頭を振ってアルバの提案をつっぱねた。
「いらん。ヴィルダージュの手がどこまで伸びているのかわからない以上、へたに人を周りに置く方が危険だ。天使たちですらもはや信用できない状態だぞ」
「エルザ様のことですね」
「ああ。それにティナ様に従っていた者も多くが離反した。空島で天使同士の殺し合いが起きたときは、これが夢であればいいのにとわりと本気で思ったぐらいだ」
ノアは空島でのできごとを思い返して、苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「俺がギルド長になってから内部の調査にも力をいれていたんだが、それに引っかからなかったということは……」
「それよりも以前に?」
「俺の前か、そのさらに前の代か。天使の尺度で考えると百年や二百年前でも不思議じゃない。その頃から潜伏されていたらもうお手上げだ」
ノアが大げさな態度でやれやれとため息をついた。
二人の会話が途切れたところで、扉を開く音が割り込んだ。
「邪魔するよ」
突然入ってきた闖入者は軽い調子で二人に声をかける。
つい先ほど暗殺がどうのと会話していたため、ノアとアルバはヴィルダージュから暗殺の手が差し向けられたのではないかと反射的に臨戦態勢をとる。
「そんなに警戒しないでくれ。おまえたちと戦う気はない」
「なっ、おまえは――」
アルバが闖入者の顔を確認して驚きの声を上げる。
二人の前に立っているのは燃えるようなオレンジ色の髪をした幼い顔立ちの少年。だがこの者をただの少年だと侮ることはできない。なぜならこの少年こそが古参悪魔の一角、”煉獄”のケネスに他ならないのだから。
ノアは戦闘になれば自分たちが負ける可能性が高いと冷静に判断し、まずは相手の目的を確認することにした。
「戦う気はないと言うが、ではなんの用でここにやってきた」
「魔王ステラが復活した気配を感じ取った。そこで提案だ。手を組まないか」
「俺たちと手を組むだと、おまえが?」
思いも寄らない提案に、ノアとアルバは困惑の表情を浮かべた。
アルカーノ騎士団の詰め所にて、アリスは今回の顛末を副団長席に腰掛けるナナリーへ報告していた。
「…………魔王ステラの復活にヴィルダージュの暴挙。正直信じられないわ」
「そう思いたい気持ちもわかるよ。でも千年前に封印された魔王ステラが復活したのも、ヴィルダージュが世界中に宣戦布告をしたことも本当」
「あなたがうそをついてるとは思っていないわよ。ただあまりにも問題が大きすぎて私の手にはあまるわ」
ナナリーはアリスが飛翔船の中で書き上げた報告書に目を通してため息をついた。
「ところでギル……団長と師匠はどうしたの?」
本来の予定では騎士団長のギルバードがナナリーに情報共有を行うはずだったが、蓋を開けてみればアリスから報告を受ける形になった。報告書にもギルバードとガイの両名については生死不明と書かれている。
そのことについて確認すると、アリスは視線を下げて表情を曇らせた。
「二人は私たちを逃がすために殿を買って出て、それで……」
アリス自身も意識を失っていたため、正確なことがわからずどう伝えればいいのか迷い、そこで口を閉ざした。
生死不明――そこにはまだ生きているかもしれないという一欠片の希望があった。だからこそナナリーは自らの願望を口にする。
「あの二人がやられるところなんて想像できないもの。きっと……そのうちきっと帰ってくるわよ」
そう言うナナリーの声は震えていた。報告書を持つ手にも力が入り、紙に大きなしわが刻まれる。
「上への報告は私からしておくわ。あなたはこれからどうするの?」
「私はフィオナと一緒に行動するよ。勇者としてやるべきことがあるから」
「そう、あまりむちゃはしないでね。あなたまでなにかあったら私……」
「大丈夫だよ。そんな事しないから」
ナナリーを安心させるようにアリスは笑顔を浮かべてみせた。
アリスが執務室を出て静かに扉を閉める。しばらくすると押し殺すような泣き声が廊下まで漏れてきた。扉に背を預ける形でその声を聞いてしまい、アリスの胸に悲しさと苦しみが混在するいいようのない痛みが走る。
「アリス……」
その様子を見かねて、廊下で待っていたフィオナがアリスに声をかける。
「心配しないで、大丈夫だよ」
「それならよいのですが」
そう返すフィオナだったが言葉通りに受け取ってはいない。強がっているのは傍から見て明らかだった。
「ねえ、フィオナ……一つわがままを言ってもいい?」
「私に叶えられることならいくらでも。あなたにはその権利があります」
「ううん、一つだけで大丈夫だよ。最後に寄りたいところがあるの」
フィオナはそれだけでアリスがどこに行きたいのかを理解して、小さく頷きを返した。
フィオナに頼んでアリスは聖教会へとやってきた。目的はただ一つ、未だ目を覚まさないシヴァに会うため。
しかしいざやってきたものの、二人はシヴァがどこに運ばれたのかを知らない。そのためまずは居場所を知っていそうなセレンに会いに行こうと決めたところでアリスに声をかける者が現れた。
「アリスに……フィオナ様? アルカーノに行かれたのではなかったんですか?」
シンディはちょこんと可愛らしく首をかしげて尋ねる。
「ちょうどよかった。シヴァがどこにいるか知ってる?」
シヴァの名前を出すと、シンディは合点がいったとばかりに頷きを返す。
「はい、知ってますよ。案内しますね」
「ありがとう」
シンディが案内した先は、以前アリスたちがロザリーの手から聖教会を救ったときに使わせてもらった屋敷だった。その三階にある部屋の前でシンディが足を止める。
「この部屋です。隣の部屋は空いていますので、もし今日こちらに泊まっていくようであればお使いください。それでは失礼します」
シンディはフィオナとアリスに向かって一度頭を下げてからその場を立ち去った。
「では私は隣の部屋で待っています。ここから先はあなた一人で行ってください」
「うん。ちょっと時間かかるかもしれないけど、それでもいい?」
「かまいませんよ」
フィオナが隣の部屋に入っていくのを見届けてから、アリスもシヴァが眠る個室へと入った。
薄暗いな部屋の中、わずかに差し込む星明かりが真っ白なベッドとそこに横たわるシヴァを照らしている。
アリスはベッドのふちに腰をかけて、安らかに寝息をたてているシヴァの顔をじっと見つめた。
アリスはシヴァの頬、首、胸元へと触れて心臓の位置で手を止める。そして心臓が動いていることを確かめて安堵の息を漏らした。はだけてしまったシヴァの衣服を整えて、毛布をかけなおした。
「セレンたちから聞いたよ。みんなを守るためにステラに立ち向かったって。それで、そのせいで……死んじゃったって」
自分の意識がなくなっている間に愛しい人が死んでいた。その話を聞いたときアリスは胸が張り裂けそうなほどに痛んだ。だけれどもし自分の意識があったときに、目の前でシヴァが死ぬところ見ていたらどうなっていただろうか? そんなの正気じゃいられない。泣き崩れていたかもしれない。あるいはシヴァの命を奪った魔王ステラを殺そうと後先考えずに突撃していたかもしれない。
魔王ステラは倒せない。それは千年前に結論がでている。だからこそアリスはほんの少しでも時間を稼いでみんなを逃がそうとした。全霊を込めた一撃は魔王ステラを一時的に消滅させることには成功したけれど、みんなが逃げることはなかった。あるいは魔王ステラを倒してしまったのではないかと、淡い期待を持たせるようなことをしたのが間違いだったのかもしれない。
あの後魔力が尽きて倒れてしまい、シヴァの隣に立って一緒に戦う事ができなかった。もしあのときシヴァと一緒になって魔王ステラと戦う道を選んでいれば違った未来があったのだろうか?
シヴァとは永遠の別れでもおかしくなかったはずだけれど、結果だけをみればシヴァは蘇った。しかしその理由はいまだ不明。アリスの予想では天使としてのステラが関係しているだろうと考えている。
「あの頃よりもずっと強くなったはずなのに、どうして私はみんなを守れないんだろう……」
それはカムノゴルが悪魔たちに襲われたときの古い記憶。他にもアルカーノで上級悪魔に襲われたときの記憶。自分一人ではどうにもできなかった。シヴァがそばにいて支えてくれた、助けてくれた。アリスにとってシヴァは誰にも負けない強い人で、だからこそシヴァが死ぬことなんてありえないと無意識の内にその可能性を無視していた。
アリスは魔王ステラが復活してしまったとしても、シヴァなら案外簡単に勝ってしまうんじゃないかなんて想像をしたこともあるぐらいだ。
アリスは魔王ステラの脅威を知識としては知っていた。だけどそれはあくまで知識であり、そこに実体験としての経験は伴わない。
だからこうして目を覚ますことのないシヴァを見て、アリスは自分がどれほど楽観的に考えていたのかを自覚することになる。いいや、本当は分かっていたのだ。だけどそれを意識してしまえば勇者としての責任に押しつぶされてしまうから考えないようにしていた。
「お母さんとお父さんになんて説明したらいいのかな。ナナリーやセレンたちにも話さないとダメなのに……」
寝ているシヴァに相談するように、あるいはただ心の内を吐露するようにアリスは言葉を重ねた。
「でもどれだけ言葉を尽くしても、きっと納得なんてしてもらえるわけないよね。シヴァも怒るだろうな」
寝ているシヴァから答えが返ってくることはない。それでもアリスはシヴァに弱音をはいていた。それは両親でも、姉のように慕っているナナリーでも、一緒に旅をしてきたセレンたちにもできないこと。返事を期待しないのであれば壁に向かって話しかければいいのではないかとも思うけれど、不思議なことに寝ていてもちゃんと聞いてくれている気がするのだ。
「ううん、違う。本当はそんなことするなって怒ってほしい。この手を掴んで引き留めてほしい」
シヴァが起きていたらきっと口に出せなかった言葉には、アリスの願望が混じっていた。だけどそれは決して伝えてはいけない願い。なぜならそれは世界よりも自分を選んでくれと言っているようなものなのだから。
「……なんてね、冗談だよ。わかってる。私がやらなきゃいけないってことは」
アリスは顔を左右に振って雑念を振り払った。
「ここから先のことは私に任せて。ちゃんと勇者としての役目を果たすから。だから……」
アリスはシヴァにゆっくりと顔を近づけて、記憶に刻み込むように、勇気をもらうように、優しい別れのキスをした。
「――さよなら」
寝ているシヴァの頬に、星明かりに照らされて悲しげに煌めく小さな雫がこぼれ落ちた。
第6章 完