148 飛翔船
古参悪魔討伐計画に参加する全員が船に乗り終え、ほとんどの人たちは船内にある客室に入った。甲板に残っているのはそれぞれの勢力の中心メンバーと発進に関わる技師たちだ。
ギルド長は船の先頭に立ち、造船所にいる技師たちに向けて大きな声で合図を出した。
「これより空島へ向かう。天蓋を外せ!」
歯車や滑車の軋む重い音が鳴り始め、造船所の天井が押し扉の様に地上に向かってゆっくりと開いていく。扉の隙間から差し込む陽光はだんだんとその面積を広げていき、造船所を明るく照らし出す。天井が垂直にまで持ち上がると鳴り続けていた重い音が止まった。
今度は船の方に変化が訪れた。甲板のさらに上に付いている巨大な布が温められた空気によってパンパンに張る。もうそれ以上空気を送ったら破裂するのではという頃合いになると、船全体が小さく揺れて見えている景色がわずかに下がった。
「船が持ち上がったのか?」
以前ソフィアから聞いた離陸の方法は、たしか最初に船を浮かして次に船底から風を真下に向かって噴射させるというものだったはず。
造船所の床と地上を繋ぐ円柱状の結界が船の周囲に顕現した。これは発進時の衝撃で造船所に被害を出さないようにするためのものだろう。またそれとは別に流線型の結界が船の周囲に展開された。
「各自衝撃に備えよ。飛翔船スカイドラグーン――発進する!」
ギルド長の宣言と同時、船は大きく揺れながら浮上し始めた。最初はゆっくりと、しかしすぐにその上昇速度は飛翔船の名に恥じないものになっていた。
「うわっめっちゃ高い、これ落ちたら洒落にならないやつじゃないッスか……」
船の端から地上を見下ろしているライナーの隣に並んで確認すると、眼下に見える中立都市が指先程度の大きさになっていた。
あっという間に空の彼方へと昇ってきた飛翔船は、垂直に折り畳んでいた翼を左右に広げて、風魔法の向きを下方から後方へと切り替えた。それに伴い飛翔船の軌道が上昇から前進へと変わる。
離陸から前進へ変わるまでの間はそれなりに揺れていたが、いまでは地に足を着けているように安定していた。
飛翔船の速度はかなり速く、飛翔船に併走するように空を飛んでいた鳥たちを難なく追い越していく。
「お兄ちゃん。船体各部異常なし、飛行状態も安定してるよ」
「了解だ。総員へ連絡、空島には正午に到着する予定。それまではそれぞれに割り振った部屋で休んでいてくれ。くれぐれも船から身を乗り出して落ちないように」
ギルド長の声は魔法で船全体へと拡散された。これを受けて甲板に残っていた人たちも船内へと足を運び始める。
「ライナー、お前海に出たとき船酔いひどかったけど平気か?」
「大丈夫ッスよ。ほとんど揺れてないし、それに海のときとは揺れ方が違うから」
「それならいいけど。俺は客室の方に行くけどお前はどうする」
「オイラはもう少し見てようかなって」
「わかった。じゃあ先に行ってるぞ」
俺はセレンたちと一緒に船内に入り、聖教会にあてがわれた客室に向かった。あてがわれた部屋は全部で三つあり、その内の一つをセレンとその護衛で使うことにしている。
その客室の前で、金色の短いくせっ毛が特徴的な可愛らしい女性騎士が背筋を伸ばして待機していた。
「シンディお疲れ様。そっちは問題ないかしら?」
「はい、問題ありません。部下たちには空島到着まで客室内で休んでいるように指示しています」
「そう。それじゃああなたもこっちの部屋で少し休みなさい。まさかイヤとは言わないわよね?」
「もちろんご一緒させていただきます!」
セレンに声をかけられたシンディも一緒になって客室へ入る。客室の中は一切の装飾がなく木の板がむき出しになっている。あとは四角い木の机と椅子、それに照明が置かれてあるだけ。広さは船の中ということを考えれば十分広いほうだろう。壁際には開け閉めのできない丸いガラス窓が付いている。
最初にセレンが椅子に腰掛けてベルとシンディがその両隣に、俺はセレンの正面に座った。
「ようやく身内だけになったわね。これで少しは気を抜けるわ。シンディも朝はちゃんと話せなくてごめんね」
「大丈夫ですよセレン様。空島に到着するまではまだ時間がありますから、それまでゆっくりしましょう」
「そうね」
セレンとシンディが笑みを交し合う。そこへ俺は少し愚痴っぽく口をはさんだ。
「それにしてもシンディが参加するなら先に教えてくれても良かったのに。迎えに行ったとき驚いたぞ」
今回の作戦に聖教会の誰が参加するのかはアンジェリカさんとレッグさん、それにセレンで調整をしていた。だから俺は知らなかったんだが、朝一で連れてきた聖騎士、聖神官たちの中にシンディがいた。しかもみんなをまとめるリーダーとして。
「それに関しては最後までリーダー役を誰にするかで揉めてたのよ」
「そうだったのか?」
「レッグ様でほぼ決まりって感じだったんだけど、アンジェリカ様の推薦があって直前でシンディになったの」
セレンの説明を受けてシンディが続ける。
「そうなんですよ。アンジェリカ様がレッグ様に口添えしてくださったんです。アルカーノとの合同訓練で覚醒したから実力的には問題なし、後方支援をする隊のリーダーはシンディに任せてみてはどうでしょうかと」
「本音としてはレッグ様を本国から出したくないってのがあるんでしょうけどね」
「そうですね。流石にレッグ様の代わりに聖教会のすべての騎士をまとめるのは私には荷が重いですから」
仮で聖騎士の立場にある俺には想像もできないけれど、やはり一部隊を任されるのと組織全体を任されるのでは責任の重さが違うのだろうな。
「ところでシンディ、あなたはアルカーノとの合同訓練で覚醒したと聞きましたけれど調子はどうなんですか?」
ベルの問いにシンディは顎に指を添えてしばらく悩んだ。
「そうですねぇ……うーん、どうと聞かれると難しいなぁ。レッグ様にはまだ勝てませんけど、それ以外の聖騎士たちには負けないと思います。もちろんベルにだって負けませんよ」
「私だってシンディには負けません」
互いを高め合うライバルとして意識しているのか、シンディの強気な発言に対してベルも同じように返した。
俺が見た限りでは全力のベルとシンディでは互角ぐらいだろうと感じている。実際のところは手合わせをしないとわからないけど、そう大きくは外れていないだろう。
ふと窓の方に視線を移すと海が見えた。いつの間にか陸地を離れて海上に出ていたらしい。
「……空島というか”穢れの海”の方に向かって飛んでるけど、あの辺の航路って今でも使ってるのかな?」
なんとなく気になってもらした疑問にセレンがスラスラと答えてくれた。
「あのイカみたいな大きな魔物を倒してからは魔物が少なくなったらしいわ。いまでは比較的安全な航路としていくつかの船が使ってるみたいよ」
「へぇ、詳しいな」
「聖教会から出る船があるからね。立場上ある程度そういった情報は回ってくるのよ」
そんな会話をしていると、扉の外から聞き覚えのある声が届いた。
「ギルドからお届け物でーす。開けて下さーい」
「この声ソフィアよね。届け物ってなにかしら?」
「さあ? とりあえず俺が出るよ」
扉を開けてみれば籠を抱えたソフィアが立っていた。籠の中には手のひらに収まる程度の大きさの細長い小瓶が二十個近く規則的に並べられていた。小瓶の中身は薄い青緑色の液体でソフィアの動きに合わせて揺れている。
「どうしたんだそれ?」
「ギルドで製造してる回復薬ですよ。それぞれの陣営に配ってるんです」
「回復薬っていうと以前ギルド長に見せてもらったことがあるやつかな?」
「たぶん違うと思いますよ。今回用意したのは町中やギルドで売っているものよりも即効性がある特別製ですから。本当はもっとたくさん用意したかったんですけど、高価な素材や珍しい素材を使っているので一人一本が限界でした」
ソフィアから籠を受け取って小瓶の数を確認する。事前に作戦に参加する人数はギルドへ伝えてあったため、ちゃんと人数分用意されていた。
「高価な素材なんかを使ってるのによく全員分用意できたな。全部の陣営を合わせると百人近くいただろ」
「そこは今回の作戦のために集めたお金をふんだんに使わせてもらいました」
「そういうことか」
戦力を出せない国が後方支援として資金とか物資を融通してるって話だったから、それを使って用意したんだろう。
「それでこの回復薬ってどれぐらいの効果があるんだ?」
「効果はギルドで売ってるものとほとんど同じで、四肢や内臓の欠損なんかは治せませんけどそれ以外であればほとんど治せると思います。ただしこっちは飲んですぐに効果が表れますよ。ギルド自慢の一品です!」
そう言ってソフィアは得意げに胸を張った。
「すごいな、すぐに効果がでるってほとんど治癒魔法と変わらないじゃないか」
俺たちの話を聞いていたシンディが隣にやってくる。
「その籠貸して下さい。みんなに配ってきます」
「悪い、頼んだ」
俺が配ってきても良かったんだけど、ここはリーダー役のシンディに任せた方がいいだろう。籠を渡すとシンディはすぐに部屋から出て行った。
「そういえばエンシェントドラゴンの角を使った薬ってもうできたのか?」
ノーブルと素材の交換をしてしばらく経っているから、ソフィアであればすでに色々と実験をしているんじゃないかと思い尋ねる。
「それならある程度形になってますよ」
ソフィアがポケットから回復薬と同じ見た目の小瓶を取り出した。ただし中身はかなり危険な感じがする。具体的にはどす黒い赤紫色をした毒々しい液体だ。
「えっと、それなに?」
「なにってこれがエンシェントドラゴンの角を使った古竜の秘薬の試作版ですけど?」
「…………それ飲めるのか?」
もし飲めと言われても俺には無理だ。ちょっと生理的に受け付けない。
「見た目は悪いですけどちゃんと飲めますよ。味はまあギリギリ吐き出さない程度には美味しいです」
遠回しに言ってるけどつまりマズいってことだよな。まあ俺が飲むわけじゃないし味については無視しよう。
「それで試作ってことはまだ完成してないのか?」
「はい。味の改良もしたいですし、配分をいじればもっと効果を高められそうなんでまだまだ完成とは言えません。ただ一定の効果は確認済みなので今回の作戦ではギルドの関係者にだけ配ってます」
「古竜の秘薬だっけ、その効果ってどんな感じなんだ?」
「身体能力がある程度上がるんですけど、評価時の結果だと冒険者ランクBの人がAランク程度まで上昇しました。だいたい一つランクが上がる感じですね。副作用として飲んでしばらくすると身体能力が著しく低下するので諸刃の剣ではありますけど」
副作用で逆に身体能力が下がるってなると短期決戦用だよな。強力な反面、飲むタイミングを間違えると苦しい状況になりそうだ。
「いくつか余ってますけど、お兄さんいります?」
ソフィアが小瓶を目の前で軽く振る。その中では毒々しい液体がタプタプと揺れていた。
「……いや、遠慮しておく」
「そうですか。もし欲しくなったらいつでも声をかけて下さいね」
回復薬を配る役目を終えたソフィアはあっさりと帰っていった。
「勝手に断っちゃったけどあれもらっておいた方が良かったか?」
振り返って確認すると、セレンとベルはそろって首を横に振った。
そろそろ空島に到着するという連絡を受けて、セレンたちと一緒に外の様子を見ることにした。そして甲板を出てすぐに異変を目の当たりにする。
「うわっ、なんスかあれ?」
「天変地異の前触れかしら?」
「これは一体……」
「空島に嵐が直撃しているのでしょうか?」
ライナー、セレン、ベル、シンディが思い思いに驚きの声を上げた。
俺たちが見ている先、飛翔船の進路上には空に浮かぶ大きな島のようなものがあった。ティナの報告では特殊な結界に阻まれていて見ることはできないとあったが、その結界はすでに破壊したのだろう。だから空島が見えることは想定内。
想定外なのは空島のさらに上、空の色が日の光を拒むかのように闇に染まっていた。異変はそれだけじゃない。不自然に発生している雷雲が空島の周りを囲っており、幾筋もの雷光が大蛇のように激しく暴れていた。