144 天照へ至るには
みんなと話し合ってシャンディアの旅館にもう一泊することが決まったところで、俺は一人別行動をすることにした。竜の一族が守っている封印の宝玉、それから深淵に対抗するための天照という力についてフィオナと話がしたかったからだ。
精霊の里に転移し、封印の宝玉を守っているフィオナのところへと向かう。二度目の訪問のためか、以前俺を止めた天使とも軽く挨拶を交わすだけで済んだ。
コツ、コツと石畳に足音を響かせながら古びた遺跡の奥へと進む。透き通る青空と陽光を受けて輝く木々の葉、そんな絵画の様な景色の中にフィオナはいた。
以前会ったときに比べてフィオナはかなり疲れているように見える。敵がいつ攻めてくるかわからない状況で気を緩めることもできず、ただ時間だけが過ぎていく。そうなれば疲労が溜まるのは当然か。適度に他の天使と交代をして体を休めてはいるのだろうけど、精神的な疲れはなかなかとれないのだろう。
閉じていた碧い瞳が露わになり、フィオナの視線がこちらに向けられる。軽く手を上げて応じると、柔らかい笑みが返ってきた。
それから簡単に挨拶を交わし、すぐに本題へと移った。シャンディアでのことをフィオナに一通り伝え、俺たちが持ってる情報を共有する。
「竜の一族が守っている封印の宝玉は無事でしたか。確認していただきありがとうございます」
「いや、確認するためとはいえ勝手にフィオナの名前を使って悪かった」
「かまいませんよ。近いうちに部下を向かわせようと考えていたのでその手間が省けました」
「そう言ってもらえると助かる。ところでフィオナは天照を使えるんだよな? どういう力なんだ?」
竜の一族の長であるゼムアから概要は聞いているけど、実際に天照を扱えるフィオナからも話を聞いておきたかった。
「そうですね、説明するよりも実際に見て頂いた方が早いかと思います。私に向かって深淵を放って頂けますか」
そう言うとフィオナはこちらに手の平を向けてにっこりと微笑む。
魔王時代に天使と戦った経験から、高位の天使が深淵に対して耐性をもっているのは知っている。ただそれでも当たれば怪我はするし、なによりいまは仲間として接しているフィオナに対して攻撃を加えることに抵抗があった。
とはいえ何もしなければ天照についてわからないままだ。ここはフィオナを信じて言われた通りにするしかないだろう。
「わかった。軽くいくぞ」
「はい。私も全力でこられたら防げる自信はありませんので弱めでお願いします」
謙遜のような気もするが全力を出すつもりはないので頷いておく。
人差し指の先から深淵を出して、爪の大きさぐらいの球体を作る。光を通さない漆黒の球体をフィオナに向けて放った。
ゆっくりと進む深淵の弾がフィオナの手の平にぶつかった。結界とも異なる不可視の力が深淵を拒み、バチバチと白と黒の火花を散らす。
深淵をただの結界で防ぐこと自体は可能だ。だけどそのときは相当の魔力を消費することになるし、なにより目の前で起きてる様に反発するような感じにはならない。
しばらく火花を散らしていた深淵の弾は、フィオナの守りを突破することなく消滅した。
「いまのは天照で深淵を相殺したって理解であってるか?」
「ええ」
「天照を攻撃に用いることはできるのか?」
「可能です。深淵のように攻撃対象を崩壊させるような効果はありませんが、あらゆる攻撃や魔法に付与することが可能で攻撃の威力や効果などを高めます。これは経験則からくる推測ですが、攻撃に用いた場合は悪魔に対して効果が高くなるようです」
天照の特性をざっくりまとめると深淵を相殺可能で、さらに自身のあらゆる能力を高める効果があるといった感じか。深淵と違って汎用性が高く、使いやすそうな印象を受ける。
「どうやったら天照を使えるようになるんだ?」
「私の場合は天使として生まれた時点で天照を扱えたので正確なことはわかりません。ですが可能性の話でもよければお話することはできます」
「それでもかまわない」
「わかりました。まず天照に至ったであろう者にはいくつか共通することがあります」
「共通すること?」
もしそれがわかっているのであれば、意図的に天照を得ることも不可能じゃないだろう。その共通する事というのが俺でもできることであればの話だが。
「はい。それは人々の上に立つ存在、もしくは偉大な功績を残した人物であること。あるいは人々に希望を与える存在」
「……えーっと、もう少し具体的には?」
抽象的すぎていまいちピンとこない。
「そうですね、それでは初めて天照を得たであろう人物について語りましょうか。私が天使として生まれるよりも以前のことです。現在シャンディアと呼ばれている地に双子の巫女がいました」
フィオナが生まれるよりも前って事は千年以上は昔の話か。
「一人は命を司る水の巫女。一人は戦いを司る火の巫女。二人がいた小さな村は彼女たちのおかげで繁栄し、いつしか町となり、国となりました」
「その二人の巫女が国興しの立役者ってことだな」
「そうです。そして二人のことを記す古い記録があるのですが、そこには水の巫女と火の巫女が奇跡の力を使い、人々の苦難を取り除いたとありました」
「奇跡の力?」
「流行病や怪我などを治す水の巫女、魔獣や悪魔を討伐した火の巫女。いまでいうところの魔法を用いたのでしょう。当時はいまほど魔法が一般的ではなかったようです」
魔法が一般的じゃない時代であれば、魔法を扱える者がもてはやされても不思議じゃない。それこそ奇跡の力を使う者として崇められることだってあるかもしれない。
「でもそれって単純に魔法が珍しかったから奇跡の力として認識されていたってだけで、天照とは違うんじゃないのか?」
「すみません、天照についてはもう少し後になります」
「悪い、続けてくれ」
どうやら俺は結論を急ぎ過ぎたみたいだ。
「その二人が寿命を迎えた後、この世界に天使と呼ばれる存在が生まれました。水を司る天使と、火を司る天使です」
「フィオナが生まれる前の話ってことだし、その水の天使と火の天使が生まれる以前は天使がいなかったってことであってるか?」
「その認識で間違いありません」
始まりの天使はステラだと聞いている。これは水の天使のことだろう。じゃあもう一方の火の天使は誰か? 俺の予想が間違っていなければそれは目の前の人物だ。
「ステラとフィオナ、二人が生まれたのか」
そう確認すると、フィオナはゆっくりと頷いた。
「いまの話だと双子の巫女がそのままステラ、フィオナに生まれ変わったってことだよな。フィオナも同じ考えなのか?」
「はい。ですが私もステラ様も巫女としての記憶はありません。ですからこれはあくまで可能性の話です」
「可能性とはいうけど、こうして話してるからにはある程度理由があるんだろ」
「多くの信仰を集めたり徳を積んだ人物、国を興した人物などが亡くなった後しばらくしてから強力な天使が生まれることがありました」
「なるほど。たしかに関連性はありそうだ。だけどこれまでの話だと天照に至る方法じゃなくて天使に生まれ変わる方法だよな?」
「そうですね。ここからが本題なのですが、天照と深淵、天使と悪魔はそれぞれ対になるものだと考えています」
「それがどうかし――ああ、そういうことか」
大小の違いはあるけど罪と穢れ、つまり深淵を宿していると悪魔に生まれ変わるという話は以前フィオナから聞いた。同じようになにかを宿していると天使として生まれ変わる、そのなにかが天照ということか。
これらから考えられるのは――
「天使に生まれ変わる条件がそのまま天照に至るための条件ってことか」
「そういうことです」
「なるほど、フィオナが可能性でよければと言っていた理由がわかった。確証を得るのは無理だな」
意図的に天使に生まれ変わる実験でもしないと証明することはできないだろう。でもそんな実験誰もやっていないだろうし、今後も行われないだろう。
「……いや待てよ? シルヴァリオ・グロウリードは生きてるうちに天照に至ったというか、使えるようになったって聞いたんだけど、他にそういった人物はいないのか?」
「私が把握してる限りではあと一人います。聖教会アレクサハリンの初代聖女で、先ほど話した例でいえば国興しに該当する人物です」
「一人か。シルヴァリオ・グロウリードを含めても二人。これじゃあ数が少ないから検証材料としては不十分だな。とはいえこれまでの話が完全に的外れってわけでもなさそうだけど」
どちらにしろ英雄、あるいは国興しをしたすごい人物ってこと。
「私の予想では善い行いをすることで徳や畏敬の念などが高まり、天照へと至るのだと考えています。それが最初に話したような人物像です」
なんて言ってたっけ? 人々の上に立つ存在、もしくは偉大な功績を残した人物であること。あるいは人々に希望を与える存在、だったかな。
「なんとなくだけど理解したよ。俺には無理そうだ」
「そうでしょうか? 状況次第では十分可能性があると思いますけれど」
「よしてくれ、さすがに買い被りだ。それよりもいまの話で思い出したことがある。以前ティナが言ってたんだけど最近天使が増えてないって。昔に比べて英雄とか国興しの人物が減ってるから、天使に生まれ変わる数も減ってるってことになるのか?」
「それもありますけれど、たとえばあなたは自分の国の王についてどう考えていますか?」
「どうって……特に考えたこともないな」
これはなにも俺だけに限った話じゃないはずだ。カムノゴルの住民に同じ質問をしてもほとんどの人が俺と同じような感想を抱くだろう。
一般常識として国を治めている王の名は知っていたとしても、実際に会ったことのない人物に対して興味は湧きにくい。というよりも政治に関わる人物でなければほぼ無関心といってもいいんじゃないだろうか。よほどひどい政治でなければ誰が王になったとしても多くの人は気にしないだろう。
そんなことよりも今日の夕飯をどうしようとか、そんな一見するとくだらない日常の悩みの方が大事だったりする。これが王城で働いている人や、王都に住む人たちならまた違うのかもしれないが。
「昔はそのような事が許されなかったのです。二人の巫女を例に挙げれば、どのような偉大な行いをしたのかを親が子へ伝えたり、毎日感謝の祈りを捧げる時間がもうけられていたようです。人々に巫女のことを尋ねればいかにすばらしい指導者なのかを説かれ、少しでも不敬な言動をすれば問答無用で処罰されるような、そんな時代だったのです。言葉は悪いかも知れませんが国ぐるみでの洗脳に近いでしょう」
「洗脳とは穏やかじゃないな」
だけどそれをすることで国を大きく、さらに平和な時代を維持できていたのかもしれないと思うと複雑な気分だ。
「しかし、時代が移り変わる中で民が王へ向ける意識や感謝というものが薄れていきました。また、国力が未熟な間は特定の力ある者が英雄として褒めたたえられていましたが、国が安定するにつれてそういった個の力が活躍する機会はだんだんと減っていったのです」
一通り話し終え、フィオナがちいさく息をつく。
「いままでどうして天使が少ないのかわからなかったけど、そういうことだったのか」
これまでの話をまとめると、天照へ至るには多くの人から感謝されたり崇められることが重要。また、天照に至るような人物は天使に生まれ変わる。
シルヴァリオ・グロウリードの場合は魔王ステラとの戦いの中で多くの人々を救ったりしたのだろう。その過程で感謝や尊敬を集めた。
最近の支配者層が天照へ至れないのは、支配者と民衆の精神的な距離が離れたから。逆にいえば王の権力や支配力が強く、多くの民が王へ心酔しているような場合はいまの時代でも天照へ至る可能性がありそうだ。
結論として天照を狙って習得するのはほぼ不可能、個人でどうこうなる話じゃない。もし習得したいなら国といった枠組みで計画をしないとだめだろうな。その場合でも数十年はかかりそうだが。
「天照に至るのが難しいってのはわかったし、天使が減ってる理由もなんとなく理解した。でも逆に悪魔が減らないのはどうしてなんだろうな」
純粋な悪意を持った人というのもいるにはいるだろうけど、それは例外的な存在だと思ってる。じゃあどういった人が悪魔に生まれ変わるのだろうか?
誰かにされた良いことは、その場では感謝するかもしれないけれど意外とすぐに忘れたりする。それに対して嫌なことは思いのほか長いこと覚えてるものだ。
それ以外にも相手にとっては善意の行いが、自分にとっては不快なできごとだったってこともあり得る。
そういった嫌なこと、不快な記憶が悪意の芽へと変わり、心の奥底で燻り、少しずつ成長していつしか爆発する。自分の中だけで抑えられればいいけれど、その悪意が周囲へまき散らされることもあるだろう。
そう考えると人は天使よりも悪魔になりやすいのかもしれない。
「人は善意よりも悪意に対して敏感で、長く、深く心に影響を与えるのだと思います」
短い言葉の合間から、フィオナも俺と似た考えを持っていることがうかがえた。
「フィオナも似た考えか」
「あなたもですか?」
「まあな」
「しかし天使は年々数を減らしているにもかかわらず、悪魔は倒しても倒しても増え続けるというのは皮肉なものですね。天使も悪魔も、本質的には人とそう変わらないというのに」
普通の人たちは知らない事だけど、天使も悪魔も人の生まれ変わりみたいなものだからな。魂という観点でみるとそう違いはないのだろう。そう考えれば俺やノーブルが人に生まれ変われたのも納得だ。
以前だったら考えることすらしなかった事だけど、もしかしたら魔人化で悪魔へと変質するみたいに、天使化みたいなことも可能なのかもしれない。まあ俺は天使ってガラじゃないから可能だとしてもやらないけど。
「そういえばグラード――”歪獣”が深淵を使ってたんだけど、あいつがまた悪魔として生まれ変わると思うか?」
「深淵を? そうですね……直接見ていないので深淵の程度がわかりませんが、数十年あるいは数百年後に悪魔として生まれ変わると思います。そのときには記憶も失い深淵が使えなくなっているでしょうが、それなりの強さをもった悪魔になると思います」
「結構先だな」
「そうですね。深淵が強いほど生まれ変わるまで時間がかかるようですので、おそらくはそれぐらい先になるかと」
「時間はかかるけど、やっぱり悪魔として生まれ変わるのか」
天照に至れば天使に、深淵に至れば悪魔に生まれ変わるのがほぼ確定するってことは、もし俺が死んだ場合――
「どうしました?」
頭の片隅で生まれた不安を押し殺して、不自然にならない話題を選ぶ。
「いや、気にしないでくれ。さすがに百年後に生まれ変わられたらそのときは俺も寿命で死んでるよなって。未来でグラードの生まれ変わりを倒せるやつがいればいいけど」
「それに関してはその時代に生きる人々や天使たちに期待ですね」
フィオナの性格からするとずいぶん他力本願というか、違和感があったけどそれも仕方ないだろう。いくら天使とはいえフィオナが数百年先まで生き続けているなんて保証はできない。未来がどうなるかは誰にもわからないんだから。
だから俺は小さく「そうだな」と相づちを打つだけにとどめた。
それにしても善いことをすれば天使に、悪いことをすれば悪魔に生まれ変わる。言葉にすれば単純で、だけどその本質はひどく歪に感じる。
誰かにとって善いことが、誰にとっても善いわけじゃない。反対に誰かにとって悪いことが、誰にとっても悪いわけじゃない。立場や見方、時代によっても善悪は変わるものだ。
この善悪の基準は一体誰が、どうやって決めてるのかと疑問に思ったところでおそらくは誰にも答えられない。この世界を創造した神とやらが気まぐれに決めているのか、あるいは――
そう、あるいは多くの人が無意識のうちに感じている善悪がそのまま天使や悪魔へと生まれ変わる基準になっているのかも……なんて考え過ぎか。