14 魔人化を試してみたら
ダリウスとジルベールが道場を襲撃してから十日が経った。
あの二人は一応貴族の子ということで、調査をするにも色々面倒臭いやり取りが発生したらしい。さらには王都に居を構える本家まで絡んできたから余計に時間がかかったとか。
それに業を煮やしたガイは、町長宅にある魔法通信機を使って王都にいるナナリーさんに協力を依頼した。ナナリーさんが主体になってグレイグル家とアンドレイヤ家を取り締まり、やっと調査が進み始めたとのこと。
そんなことがあった裏で、俺は寝る前にしている魔法の修行時間を使って、自分専用の魔人化魔法の構築を試していた。
今日も部屋で一人、ベットの上で瞳を閉じながら集中しているところだ。
あのときダリウスとジルベールは魔道具をかみ砕いていた。そうすると魔法陣が出現して黒い霧が溢れた。黒い霧は二人に吸い込まれて、それが晴れたときには悪魔へと姿を変えた人間――魔人になっていた。
一連の流れから魔道具には魔人化の魔法を発動するための魔法陣が封じ込められていたと考えられる。噛み砕いて魔道具の一部を取り込むことが、魔法の対象を特定するために必要な手順だろうか? そういえば魔道具に魔法陣を組み込むような使い方はアリスに説明してないな。
術者がいなくても魔力さえ満たせば術を発動できるようにしたものが組み込み型魔法陣。これは単純に魔法を強化するだけの魔法陣に比べると難易度が高い。
しかもあの魔道具は魔法陣自体を石版や地面などの物に書いてそこに魔力を流すような使い方じゃなかった。魔道具を壊したら魔法陣が展開されて、魔道具に込められた魔力が自動的に魔法陣に注ぎ込まれるようになっていた。
果たして人間にこのレベルの魔道具が作れるだろうか?
そんな疑問を後押しするのが展開された魔法陣に描かれていた術式。あれは悪魔族が古の時代に使っていたとされる言語と記号が使われていた。もしや古い時代の悪魔が関わっているのでは?
そんな疑問が生まれたが確認のしようもないので今は置いておく。古に作られた魔道具が残っていた可能性もあるしな。
展開された魔法陣の術式を思い出しながら、術式から魔法の解析を試みる。一瞬だったため全てを確認できたわけではないけど、肉体を悪魔のものに作り変える内容だったはず。二人が自我を失ったのは肉体の変化に魂が耐えられなかったからだろう。
どうすれば魔人としての力を持ったまま、自我を失わずに済むか。そこがポイントだな。
そんなこんなでやっと魔法の構築を終えた俺は孤児院の裏山、その中腹までやって来ていた。
あれから色々と考えて、俺が魔人化の魔法を使うのは問題ないだろうという結論に落ち着いた。若干楽観的ではあるが。
封印の影響で人間へと転生しただけで、俺の魂自体は悪魔と同じはず。人間の肉体を得ている今の状況のほうがイレギュラーなんだ。
魔人化の魔法で肉体を以前の悪魔のものに作り変えたとしても、肉体の変化に魂が耐えられないということは起きないだろう。なんせ封印される前の自分の肉体へ変えるだけなんだから。
そうは言っても実際にやってみないと本当に問題ないかは分からない。もしものときは誰かに気絶させてもらうしかない……
そんな訳で側にはアリスが控えている。もしも俺が自我を無くしたときは止めてもらうようにお願いした。
あんな事件の後だ。魔人化の魔法を試したいと言って頼んだときは、眉を歪めてすごく嫌そうな顔をして止めてきたけど、一度だけと約束して協力して貰えることになった。
「アリス。もし俺が自我を無くしたら遠慮なくぶっ飛ばしてくれ」
「う~ん。やっぱり止めない?」
「ごめん、一度だけ試してみたいんだ」
「わかったけど……あの二人みたいになったら嫌だよ……」
「大丈夫だよ」
そう言いながらアリスを安心させるように小さく笑みを返す。
俺はアリスから距離をとって、大きく深呼吸をした。
一度目を閉じ、魔力を全身に行き渡らせて集中する。
イメージするのは以前の自分――魔王と呼ばれていた悪魔。
「いくよ」
かけ声とともに目を開けて魔法を発動させた。
黄金色の魔法陣が足元に現れて、そこから眩しいほどの光が溢れ出てくる
その光に包まれた俺は、内側から悪魔へと変わっていくのを感じる。
それからすぐに光と一緒に魔法陣が消えた。
これで魔人化の魔法は発動したはず。
とりあえず魔法を発動させただけで自我を失うみたいなことがなくて安心した。
さて次はちゃんと魔人化ができているかどうかなんだけど……
両手を体の前に持ち上げて眺めてみても、特に変わった様子がない。ダリウスとジルベールは肌の色まで変わっていたからこれは失敗かな。
少しがっかりした気分で顔を前に向けると、なぜかアリスは腰を落として臨戦態勢になっていた。
「どうし」
たんだよと、最後まで言い切る前に俺はその場に倒れた。
「シヴァ! だいじょ……しっか…………」
目の前が真っ暗になって、アリスの声がだんだんと遠くなっていく。
すー、すーと小さな寝息がすぐそばから聞こえる。
この間みたいにレインが潜り込んできたのかな? 寝ぼけた頭がそう判断する。
それにしてはなんだかレインとは違った匂いがするような? レインの匂いも好きなんだけど、今はなんだかドキドキするような、ずっと嗅いでいたいような甘い香り。
そういえば最近この香りをどこかで……
瞼を持ち上げて首を横に向けると、人形のように整った顔立ちの可憐な少女――アリスの寝顔で視界が埋まった。
拡がるように伸びた長いまつげ、血色の良いふっくらとした頬、張りと艶のある綺麗なピンク色をした唇。透き通るような白い首筋。光沢のある黒髪が鎖骨のラインを覆い隠している。
夢でも見てるのかな? そう思った俺は一度目を閉じて、それからゆっくりと開きなおした。
さっきと変わらず、腕を枕代わりにしてうつ伏せで寝ているアリスが目の前にいる。
どうやら夢ではないらしい。
それにしても可愛いな、ってそうじゃないだろ俺。
「えーっと、つまりどういうことだ?」
さっぱり意味がわからない。
さっきまで俺は孤児院の裏手にある山に居た筈だ。なんでアリスが隣で寝てるんだ?
アリスを起こさないように静かに上半身を起こして、ぐるっと周りを見てすぐにここが自分の部屋だと気づいた。
腕を組んで、どうしてこうなっているのかを考える。
俺は魔人化の魔法を試すためにアリスと一緒に裏山へ行っていた。そこで魔人化の魔法を発動させた。両手に変化が無いから魔法は失敗したのかと思ったところで急に意識を失った。最後にアリスが何か声をかけてきていた気がする。
考えられるのは二つ。一つ目は自我を失ってアリスに気絶させられた。二つ目は魔力を使い切って倒れたとかだろう。どちらにしろアリスにここまで運んでもらったことは確かだな。
「ん、うぅ~ん」
もぞもぞとアリスが身を動かして目を覚ます。ぼーっとした眼差しはまだ夢の中に片足を突っ込んでいるようだ。
「おはよう。アリス」
「……おはよう」
体を起こして目を擦っているアリスに挨拶すると、とろんとした声音で返される。
「もしかして俺、自分を見失ってた?」
「うぅん。急に倒れちゃったからびっくりしたよ」
どうやら二つ目のほうだったみたいだ。
「そっか。ここまで運んでくれてありがとな」
「うん。でも髪と瞳の色が急に変わっちゃったときはびっくりしたよ」
「え?」
「ん?」
「髪と瞳の色が変わってた?」
「うん。髪が白っぽい金色で、瞳が真っ赤だったよ」
最後のほうははっきりとした声音でアリスが答えてくれた。
髪が白っぽい金色、瞳が真っ赤。悪魔時代の自分に重なる外見だ。つまり魔人化の魔法自体は成功していた?
そうなると魔人化しただけで魔力を全部使い切ったってことになるんだけど……えぇ、実戦じゃ使えねぇじゃん。あの二人が大丈夫だったのは魔道具の魔力を使って発動したからなのかな?
「でも良かった。シヴァがあの二人みたいにならなくて」
俺の心の内など知らないアリスはそう言って優しげな笑顔を見せてくれる。
「そうだな。協力してくれてありがとう、アリス。ところでどうしてアリスも一緒に寝てたんだ?」
「うん? シヴァをここまで運んできて寝かせた後、一人で修行しようか悩んでたんだけどね。シヴァが寝てるのを見てたらなんだか私も眠くなってきちゃって。この間レインちゃんがシヴァと一緒に寝たって言ってたし。私も少しだけって思ってお邪魔したら、自分のベットと違っていい匂いするなぁって。そうしたら……いつの間にか寝ちゃってたみたい。えへへ」
最後のほうは照れたような、恥ずかしがるような顔を見せるアリスに、俺は何も言えなくなっていた。
気持ちを切り替えるようにこの後のことを提案する。
「まだ夜まで時間あるし、どうしようか?」
「魔法の修行! この前シヴァは土の剣で戦ってたのに、私はできなかったから練習したい!」
「アリスは魔力を広げるのは巧いけど収束させるのが苦手みたいだからなぁ」
「苦手だから練習するんだよ!」
アリスが先にベットから下りて部屋を出たので俺も続く。
さて、魔人化の魔法で自我を失わないことは分かった。後は実戦で使えるようにするにはどうすればいいか、それが今後の課題だな。