137 温泉宿
ティナとはカインの家で別れ、俺たちはヨミの両親が経営しているという宿に向かった。
ヨミの歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら、どんな感じの宿なのか聞いてみる。
「ヨミの両親って二人とも宿の経営に関わってるの?」
「はい、でもだいたいはお母様が一人でみんなをまとめてます」
「それじゃあお父さんはなにをしてるんだ?」
そう尋ねるとヨミは両手で剣を振る仕草をしてみせた。可愛らしいかけ声と共に上段からの切り下ろし、下段からの切り返しと続く様子はなかなか様になっている。踏み込みもしっかりしているし、子どもが見よう見まねでやってるんじゃなくて、ちゃんと剣の修行をしているのが見て取れた。
「お父様はカイン様の道場で鬼人流という剣を教えてます。道場が休みの日などはお母様と一緒に宿をしてるんですよ」
「あの道場で剣を教えてるのか。鬼人流ね……ライナーは聞いたことあるか?」
「いや、聞いたことないッス」
「むぅ……大陸の方には広まってないんですね」
カインの家での対応や話しぶりはどこか大人びていたけど、こうして口をとがらせて残念がる様子は年相応に幼いな。
「アニキ、鬼人流がどんなものかちょっと気になりません?」
「そりゃ気にはなるけど」
「だったら明日道場にいらして下さい。明日は稽古の日なので道場でお父様が剣を教えてますから」
鬼人流を広めるチャンスとばかりにヨミが食い気味に話す。
その勢いに押され、俺は少しばかり考えてみることにした。
「そうだな……」
俺たちのパーティーはセレンを除いて全員が剣を使う。
俺は戦闘中に魔法を使うから多少我流が入っているけど基本的に剣神流だ。ライナーは言うに及ばず。アリスは俺と同じで魔法を使うのと、フィオナから教わったという戦い方が大きく影響しているみたいで我流になるのかな? ベルは聖教会で代々受け継いでいる剣術を基本として、今は俺とライナーから剣神流を学んでいる最中だ。
そこに新しい流派、鬼人流の技術を取り込めるかどうかだけど、こればっかりは見てみないとなんともいえない。
エイクシー大陸とデルキ大陸にはいくつか剣の流派が存在しているんだが、いままでは剣神流が一番強いからあえて他流を学ぶ必要がなかった。でもそれは剣神流に匹敵する流派がなかったからだ。もし鬼人流が剣神流に並ぶほどの流派ならその技術を学ぶのは悪くない。
「竜の一族と会って、その後でもよければ」
「ぜひ!」
目を輝かせて喜ぶヨミには悪いけど、しっかり学ぶほどの時間はとれないんだよな。
というかノーブルと素材の交換もしないといけないんだけど、俺はどのタイミングで中立都市に戻ればいいんだ?
それから里のはずれまで歩くと、石壁に仕切られた敷地が見えてきた。石壁の中には三階建ての立派な旅館が建っている。
「あそこがヨミの家というか宿なのか?」
「はい。まだ部屋に空きがあるといいんですけど……」
俺たちをここまで案内しておいて空いてませんでした、ってなったら気まずいもんな。少し不安そうにしているヨミの肩を軽くポンと叩いた。
「空いてなかったら仕方ないさ、その時はまた別のところに泊まればいいんだから。それに俺たちの場合は一度中立都市に戻って、それから改めてこっちに来るって手もあるんだし、ヨミが気にすることないよ」
「ありがとうございます」
俺の言葉に不安がやわらいだのか、ヨミは表情をゆるませた。
旅館に入ると明るくハキハキとした声に出迎えられる。
「温泉宿『百鬼』へようこそ、ってヨミくんじゃない。後ろの人たちはお客様かしら?」
呼ばれたヨミは受付に近づいて、二人並んでいるお姉さんのうち声をかけてきた方に答えた。
「はい。一泊されていくそうです。今日ってまだ空いてますか?」
「確認するからちょっと待ってね。……大部屋が一部屋空いてるわよ。ここなら五人泊まれるわ」
「よかった。皆さん、ちょうど一部屋空いてるそうです」
クルッと振り返るヨミの顔には笑みが浮かんでいた。受付の二人も俺たちの様子を伺っている。
中立都市では俺とアリス、セレンとベル、ライナーで三部屋とってるけど、たまにはみんな一緒の部屋でもいいだろう。旅をしてると男女関係なく同じところで寝泊まりすることも普通にあるしな。一応みんなの顔色を確認するけど特に問題はなさそうだ。
「じゃあそこをお願いします」
俺が受付に向かって手続きを行う。
正式な場面では基本的にセレンとアリスが代表を務めるけど、こういった場面ではなんだか俺がまとめることが多くなってきたな。
一泊と二食分のお代を払って手続きを終えると、これまで黙っていたもう片方のお姉さんが受付の奥から出て来た。
「それでは皆様、ご案内いたします」
ヨミとはその場で別れ、お姉さんの案内で部屋へと移動した。
案内された部屋は三階にあり、五人と言わず十人ぐらいが泊れそうなほど広かった。明るすぎない落ち着いた照明が部屋の中を照らしている。
案内役のお姉さんは旅館での注意事項、装備や持ち物の管理方法などを俺たちに教えてくれた。最後に食べられないものや、箸というものを使えるかどうかなどの確認をすると「それではごゆっくりお過ごしください」と言って部屋を出て行った。
しばらく休んでいると部屋に夕食が届けられた。それらを美味しく頂いた後、ティナから勧められた温泉に入る流れになった。
体を洗い終えた俺とライナーは温泉に浸かると、二人そろって大きな息を吐く。
大きめの石に背中を預け、空を見上げるような体勢になる。体温よりも少し熱めの温度がなんとも心地いい。
薄もやの白い湯気が空に昇って消えていくのをしばらくの間、ボーッと眺めていた。
「なあライナー」
「なんスか?」
俺たちは温泉に浸かって力の抜けた声で会話を続ける。
「次の戦いの前に一度カムノゴルに帰るか?」
「そうッスね。そろそろレインに会いたいなぁって思ってたんでさんせー」
「俺もアクア姉たちの様子を見ておきたいし」
「じゃあ明日か明後日あたり?」
「そうだな。そんな感じで」
カムノゴルに帰るとなると、やっぱりサーベラスの件をみんなに伝えないとダメだよな。師匠とアクア姉、レインには伝えるとしてカイトとマリンはどうしよう。あの二人結構サーベラスになついてたからな。
少し気が重くなって、思わずため息が漏れた。
「どうしたんスか?」
「いや、サーベラスのことをカイトとマリンに伝えるかどうかちょっと迷ってさ」
「あー……それは確かに」
どこか遠くで生活してるとか嘘付くのもありか? マリンはまだ死ぬってことをわかってないだろうから誤魔化せそうだけど、カイトはなんとなく察するだろうな。
「ところでさ、俺と本気の戦いをして一太刀入れるまではレインに告白しないって本当か?」
あまり重い話題を続けたくなかった俺はあからさまに話題をそらした。
「ぶっ!? ど、どこでその話聞いたんスか?」
「どこで聞いたかは別にいいだろ。ちょっと気になってな」
「いやまあ……」
ライナーが気恥ずかしさからか口元を湯船まで沈めた。吐く息がブクブクと水面にたくさんの泡を生み出している。
その様子を横目に見ながら俺は続けた。
「この前の精霊の里での戦いでお前死にかけただろ。次の戦いでも同じかそれ以上の激戦になる可能性だってある。お前が命を懸けてまで戦う必要はないんじゃないかって思ってさ」
ライナーのことは戦力としては期待しているけど、レインの幸せを願うならこのタイミングでカムノゴルに帰した方がいいのかもしれない。そう思って思わず口にしてしまった。
ライナーは湯船から顔を出すと、眉を寄せて少し怒ったような顔になる。
「だからカムノゴルに戻れって? なにを今更。そりゃ最初はなんとなくアニキに付いて来ただけッスけど、グレイルが魔王ステラを復活させようとしてるなんて知って、オイラだけとんずらできるわけないじゃないッスか」
「サーベラスみたいに死ぬかもしれないんだぞ」
「そんなの冒険者になったときに覚悟してる。アニキだってそうでしょ?」
「……それもそうだな。わるい、変なこと聞いた」
いつまでも俺の後を追ってくる子どもの頃の印象が拭えないけど、ライナーだって自分で考えて自分の意志で俺たちと一緒に行動してるんだ。もう俺が変に気を使う必要はないのかもしれない。
「あっちはどんな話してると思います?」
気を遣ったのか、今度はライナーの方から話題を変えてきた。
「さあな。さっき食べたご飯が美味しかったとか、そんなんじゃないか」
実際ここの宿で出された料理は美味しかった。
春の山菜を揚げたものや出汁の効いた煮物、それに魚の刺身などがあり、そのどれもが見た目も味も一級品だった。
あと外で気になっていた匂いは米というものだったらしい。三角形に握られていて醤油、味噌といった調味料をつけて焼いたそれらに俺の胃袋は一発でわしづかみにされた。
「明日の朝というか、体感的には昼? 夜? ごはんも楽しみッスね」
「そうだなぁ」
ゆるく相づちを打った俺は、ぼんやりとアリスたちがいる方へと意識を向けた。竹筒で出来た仕切りの奥から、会話の内容まではわからないけれど、どこか楽しそうな声が聞こえてくる。
アリスは胸元から腰を隠すように巻いていた布タオルをとると、濡れた髪を包み込むようにして頭上にまとめた。大きな石で囲われた温泉に足先から温度を確かめるようにゆっくりと入っていく。肩まで浸かったところで、布タオルがすべり落ちないように指先で位置を調整しながら空を仰ぎ見た。
「星がきれい……」
「満天の星を見ながらお湯に浸かれるなんて贅沢よね」
「ええ、まったくです」
アリスの隣に並んだセレンとベルが同じように空を見上げて小さく吐息を漏らした。
「戦いが終わったらまた来ようかなぁ。あ、でも転移魔法が使えないとダメか。たぶんかなり遠いよね、ここ」
「シヴァに頼めばいいじゃない。アリスの頼みなら喜んで受けるでしょ。あたしもご一緒したいけど今度は二人でゆっくりすれば? 貸切風呂ってのもあるらしいから、そこなら二人一緒に入れるわよ」
セレンはからかうように目元を細めてチラッと横目にアリスを見る。
「そういうのもあるんだ。全部片付いたらお願いしてみようかな」
アリスは肩に湯をかけながら、セレンの言葉を素直に受け取った。
恥ずかしがったりといった反応を期待していたセレンは肩透かしを食らい、ほんの少しだけ残念な気持ちになる。以前ならもっと可愛い反応をしてくれたのにと。
「ところでベル、あなた最近シヴァと一緒に修行しているみたいだけれど、一体なにをしているの? アリスとライナーが一緒に修行するって言っても『危険ですから』って断ってるみたいじゃない」
「それは……」
ベルは口を閉ざして水面を見つめるように顔を伏せた。
「実は私も気になってたんだ。シヴァに聞いても教えてくれないから」
「アリスにも秘密なんだ。意外ね」
「その、危険な修行をしてるのは本当です。私はこのパーティーで一番弱いですから、少しぐらい無茶なことをしないとみんなに追い付けないと思って……」
「ふーん。具体的になにをしているかは教えてくれないのね」
セレンが問い詰めるような冷たい口調で圧をかける。しかしそれでもベルは口を割らなかった。
「いまはまだ言えません。それにもしかしたら聖教会の教えに反することをしているのかもしれません。ですがそれでもこの選択が間違いだとは思っていません。きっとみんなの、セレン様の役に立つはずです」
ベルはセレンの顔をしっかりと見ながらそう言い切った。
「……はぁ、真面目なあなたがそこまで言うならもう聞かないけど、あんまり無茶はしないでよ」
「すみません」
ベルは申し訳なさそうにしながらも、セレンの「無茶はしないでよ」にわかりましたとは答えなかった。
そんなベルの様子にセレンはあきれた風に肩をすくめた。
「仕方ないわね。じゃあこの話はおしまい。なにか別のこと話しましょう」
セレンの振りに、アリスが待ってましたとばかりに間髪入れずに答える。
「じゃあさっき食べた料理についてとかは? 大陸の方にない繊細な味付けだったから、作り方とか知りたいなって思ってるんだよね」
「そうね。王都や聖教会に戻って再現できるかはわからないけど、宿の人に作り方聞いてみようかしら」
「教えてくれるかな?」
「まあダメならダメでいいじゃない。もし作り方がわかって、同じような食材を確保できるなら王都や聖教会にお店を開くのもありね」
「お店?」
「そう、お店。結構稼げそうじゃない?」
「結構稼げそうって、セレンってお金持ちになりたいの?」
「勘違いしないでほしいんだけど、別にあたし個人でお金が欲しいわけじゃないわよ。聖教会の財政の足しにでもなればいいなって思って」
どういうこと? と首をかしげるアリスに対してセレンは説明を続ける。
「アンジェリカ様のことは尊敬してるけれど、お金にはあまり執着がないというか苦手意識を持っているというか、しっかり腰を入れて稼ごうって人じゃないから。アンジェリカ様だけじゃないわ。歴代の聖女に選ばれる人は大体似たようなものだったらしいのよ。……ああ、でもそんな人だからこそ聖女に選ばれるのかしら?」
肩を落とすようにしてセレンが小さくため息をつく。
「それにもし次の戦いでグレイルを倒せたら古参悪魔がいなくなるでしょ。そうしたら次は普通の悪魔、その次は凶暴な魔物を討伐する流れになるはずよ。そういったのを全部討伐し終えたら聖教会の立場が弱くなると思うのよね。戦いがなくなればあたしたちの治癒魔法は段々と使われなくなっていく。不要になることはないでしょうけれど、必要性が少なくなるのは確実よね」
セレンはどこか遠くを見ながら、近い未来を幻視しているかのように心の内を語る。
「宗教としての教会は残っても治癒魔法を生業とする組織としては小さくならざるを得ない。そうなったときでもみんなから必要とされる組織でいられるように色々とやっておきたいのよ。もしかしたらこれまでの聖教会じゃなくなっちゃうかもしれないけれど……」
「セレンってそんなことまで考えてたんだ」
「私も初耳です」
二人が尊敬の眼差しでセレンを見つめると、セレンは耳まで赤くしてフイっとそっぽを向いた。
「いいじゃない、別に。どちらにしろまだまだ先の話よ。まずは次の戦いに勝てるように全力を尽くしましょう」
「そうだね。みんなで力を合わせてがんばろう!」
「はい」
アリスが力強く答え、ベルが小さく頷いた。
それから何度も話題が移り変わり、アリスがのぼせそうになるまで三人の談笑は続いた。