134 禁断の果実
ベルが魔人化を習得したい理由は自分の実力が不足していると考えてのこと、それはこれまでの会話で理解した。
敵であるダリウスやジルベールも使っている魔人化。ましてベルは聖騎士で、セレンの護衛を任されるほどの立場だ。そのベルが悪魔の力を使う事を悩まないはずがない。それでも出た答えがさっきの言葉なんだろう。
だったら俺が悪魔の力を使うことの是非について問うのは野暮というもの。そういったことはすでに覚悟の上でここに来ているはずだ。だから俺が確認しておかないといけないのは別のこと。
「この事、セレンは知ってるのか?」
頭を下げたまま身じろぎ一つしないベルに問いかけた。
「それは……」
口ごもるってことはセレンに相談せずに独断で動いたのか。セレンに黙ったままベルに魔人化を教えたらさすがにまずいよな。でも相談したらたぶんダメって言う気がするしなぁ。
俺は腰に両手を当て、小さくため息をついた。
「頭を上げてくれ。たぶん悪魔の力を使うことについて悩んで、それでも俺の下にやって来たんだろ。しかもセレンに黙ってな。真面目なあんたにしては珍しいけど、その分本気だってこともわかる。だから俺もちゃんと考えて誤魔化さずに答えるよ」
ベルはゆっくりと姿勢を正した。どこか緊張しているように見えるのは、俺がどう答えるのか想像つかないからだろう。
自分でも不思議だけど、魔人化を教えることに抵抗はなかった。一緒に旅をしてきて信頼できる相手だと認めているから? まあそれもあるだろう。でも本当の理由はそうじゃないって自覚してる。これをベルに伝えるかどうかは少し悩ましいな。
まあそれは置いておいて、魔人化を教える場合に考えないといけないことがいくつかある。そこら辺含めてちゃんとベルに教えないといけない。
まず魔人化の魔法の難易度。まあこれについては大丈夫だろう。ベルは魔法が使えて、さらに聖騎士でも上級に位置する技量がある。しっかりと教えれば数日で魔法を発動させるところまではいけるはずだ。
次に俺と違って理想とする悪魔像が確立されていない件。魔人化においてこの理想の悪魔像ってのは、どれぐらい器を大きくできるかに直結するからかなり重要だ。
ダリウスたちみたいに下級悪魔を参考にするのは微妙だし、かといって他の上級悪魔や古参悪魔ってのもなぁ。だからといって俺の姿を真似られるかっていうとどうだろう? あの姿は過去の自分を再現したからこそ成功したと思ってる。
まあ器を大きくできれば悪魔にこだわる必要はない。ただ前例がないから上手くいくかどうかわからない。
仮にこの理想の悪魔像が解決しても根本的な問題が残ってる……んだけど、これの解決策は今日偶然手に入れてしまった。でもこれは正直使いたくない。ベルだってさすがに想定していないだろう。
だけど、それでもやるというなら俺は全力でベルの事をサポートしようと思う。
という訳で俺の答えは決まった。
「魔人化を教えてもかまわない」
些細な変化だけどベルの表情が安堵にゆるむのがわかった。
「喜ぶのはまだ早いぞ。たとえベルが魔人化を習得できたとしても、それだけで強くなるのは難しい」
「ほかにもなにか習得しなければいけないのでしょうか?」
表情を真剣なものに戻したベルがゆっくりと距離を詰めてくる。手を伸ばせば届くところまで近づいてようやく止まった。
魔人化の本質は強大な魂に耐えられるように、肉体を擬似的に悪魔のものへと変えて強化することだ。逆にいえば肉体を強化できても、覚醒していない状態じゃ大きくなった器を満たせない。
このことをどうやって説明すればわかってもらえるかな。
「あれは魔力量と肉体のバランスがくずれている人が使うことを想定してる」
「どういうことですか?」
「覚醒すると魔力が増えて、さらに肉体も強化される。だけど覚醒していないのに魔力量だけが覚醒後並みに強い場合がある。ただこの状態って肉体に足を引っ張られて全力が出せないんだ。だからそういう人、というか俺が全力を出すためには肉体も強制的に覚醒後並みに強化する必要があったんだ」
実際は強化が足りなくて片腕を失うことになったけど。
「その強制的に肉体を強化する魔法が、あなたの使っている魔人化ということですか?」
「そういうこと」
「なるほど。……私は他の人と比べて特別魔力が多いわけじゃない。それだと肉体だけ強化しても効果が薄いということですね」
魂だとイメージしずらいと思って魔力量に置き換えて話したのが功を奏したのか、一発で理解してもらえたようだ。
「ただ、それについても解決できるかもしれない」
「なにか方法があるのですか?」
「ダリウスやジルベールが魔人化を習得したときに使っていたという悪魔球、これを使えば強制的に魔力量が増えるはずだ」
腰に付けたポーチから悪魔球を一つだけ取り出して、手の平に乗せた状態でベルに見せた。
やはりというべきか、ベルは悪魔球を見て顔をしかめた。
「どこでそれを……?」
「グラードに勝った戦利品って考えてくれ」
かなり説明を省いたけど、あながち間違ってはいないからこれでいいだろう。
「これが本物かどうかの確証はまだとれていないんだけど、俺は本物だと思ってる」
「それを使えば強くなれるんですか?」
「絶対とはいえないし、これを使うことでなにか悪い影響がでるかもしれない。だけど強くなれる可能性は高いだろうな。どうする?」
これにはベルも悩むだろうと思っていた。だけどそんな俺の予想を裏切るように、ベルは一瞬の躊躇いもなくその身を闇に染める決断をした。
「使います。使って強くなって、今度こそ私がセレン様を護ります」
眩しいほどの決意に、俺はしばらく返す言葉を失った。
「…………そっか、わかったよ。じゃあまずは魔人化の魔法を教えるところからだな」
「ありがとう」
そう言うベルは、俺がいままで見てきたベルの表情の中で一番柔らかな笑顔を浮かべていた。
「なあ、一つ聞いていいか。どうしてそこまでしてセレンに尽くそうとするんだ? 護るために強くなる必要はあるだろうけど、それでも悪魔の力に手を出すのって相当な覚悟がいると思うんだ」
なんというか、単純にベルの責任感が強いからってだけじゃない気がする。
「それは……私、今でこそセレン様の護衛を任されるほどになりましたけれど、以前は落ちこぼれだったんです」
「ベルが?」
どちらかといえば優等生なイメージがあったからちょっと意外だな。
「はい。騎士になって数年経った頃、今から五年ぐらい前でしょうか。後から入ってきたシンディたち後輩に追い越されて伸び悩んでいたときです。どうすればもっと結果を出せるのか悩みながら、当てもなく大聖堂の中をさまよっていました」
当時のことを思い出しているのか、ベルは目を閉じて話を続ける。
「そうしたら人気のない部屋でセレン様が自分の手にナイフで傷をつけて、それを治癒魔法で癒してというのを繰り返しているところを目撃したんです」
俺も船上で見たやつだな。あいつ本当に昔っから同じことしてたのか。
「セレン様はその頃から神童と言われていたので、裏でそんな努力をしてるなんて思ってもいませんでした。でも、それと同時に少しだけ親近感がわいたんです。だから思い切って話しかけて、伸び悩んでいる自分の境遇を相談したんですよ。あの時のセレン様の言葉はいまでも覚えています」
『この世に落ちこぼれなんていないわ。いるのは正しい努力のやり方を知っていて、なおかつ行動に移せる人と移せない人、そして間違った努力のやり方を続ける人と、なにも行動すら起こさない人の四通り。才能があるように見える人は、正しい努力のやり方をたまたま最初から知っているだけ。だから正しい努力のやり方を知らない人は誰かに教えてもらうか、自分で時間をかけて見つけるしかないの。あなたはどうかしら? 騎士として評価されるためにどんなことをしたの?』
「……それまでの私は体力がなくなるまで剣を振って、魔力が尽きるまで魔法を撃ち続けるだけでした。ただただ毎日同じことの繰り返し。どうすれば強くなれるのか、どうすれば効率良く魔法を放てるか、そういったことを考えるのを放棄していたんです。こんなに疲れるまで頑張ったんだからこの努力はいつかきっと実を結ぶはずだって。でもそれじゃあ変わらない」
どこか自虐的に話しているのに、過去のものとして乗り越えたからだろうか、声音に暗さは感じられなかった。
「自分の得意なこと、苦手なこと、それらを伸ばしたり補うにはどうすればいいのか考えて、毎日小さな目標を立てて達成していく。それを一日も欠かさず繰り返す。しかも正しい努力ができているかどうか、定期的に、客観的に見直さないといけない。それをずっと繰り返さないと成長しない。そんな単純で、大切なことをセレン様は教えてくれたんです」
ベルは話し終えると、閉じていた目をゆっくりと開けて小さく笑った。
「……五年前ってことはセレンまだ十二才だよな?」
「そうですね。そして私は十五才でした。三つも年下の女の子に教えられたんです」
あいつ実は俺みたいに転生してるんじゃないかと疑うほど、昔からしっかりしてたんだな。というかしっかりし過ぎだろ。転生してる俺より精神年齢上だったりして。
「それで、今の話がどう繋がるんだ?」
「セレン様と出会ったからこそ今の私があります。この恩を少しでも返したい。あの方に尽くして役に立ちたい」
端から見ればもう十分尽くしてるし役立ってる気がするけど、まあそれを外野が言っても無駄か。
「だからこそ強くなりたいと願っているのなら、この選択をするのが正しい努力のやり方なんだと思うんです。それにたとえ失敗したとしても、この方法ではダメだったという成果を得られますから」
「失敗を成果って捉えられるのがすごいな」
一体どれだけの人がベルと同じ選択をできるだろう? 普通はその失敗を恐れて、なにかしら理由をつけて行動すらできない人の方が多いんじゃないだろうか。
これまでずっと一緒に旅をしてきたけど、ベルとはどこか距離を感じていた。それがこの短時間で縮まったような気がする。こういう話って普段の会話じゃしないからな。
「一般の人たちからすればきっと、ベルがしようとしているのは悪いことなのかもしれない。悪魔の力を取り込むなんて後ろ指を差されかねないし、万人が選べるものじゃないのはたしかだ。だけど俺はそれほどまでの覚悟でセレンに尽くそうとするベルを尊敬するよ」
「べ、別にあなたに尊敬されたいなどと思っていません」
「まあそれはそうだろうけど……」
ふいっと顔を背けたベルの頬がほんの少し赤らんで見えたのは気のせいってことにしておこう。
「その、私は間違っているでしょうか?」
どこか自信なさげに言うベルに、俺は背中を押す気持ちで答えた。
「強くなる、その一点に関していえば正解だと思う」
「よかった。あなたにそう言ってもらえると自信がつきます」
それにしても正しい努力か、俺はできているだろうか。戦いやそれ以外にも色々、見直すべきことは多いかもしれない。
「さて、ここで教えるのはちょっとマズいから外に出るぞ」
中立都市の中で魔人化を使うと騒ぎになるかもしれない。それに今は人目がないけど、ここに誰かがふらりとやってくる可能性だってある。
来た道を戻るため、ベルに背中を向けて歩き出そうとしたところで止められた。
「待って下さい。その、伝授してもらう代わりに何かお礼をと思うのですが」
「お礼?」
「はい。ですが私には今回の件に見合うだけのものがありません。地位もなければ財産も。もし金品でというのであれば時間はかかるかもしれませんが、必ず返しきるのでしばらく待ってほしい。それ以外でとなると……」
ベルが普段と違うしおらしい雰囲気で何か言おうとしている。胸元に引き寄せていた両手がきゅっと握りしめられ、だんだんと頬が赤らんでいき、恥じらうように伏せていた瞳が正面を向いて目が合った。
――っ、ベルが何を言おうとしているのかピンときた俺は、口を開きかけているベルに手の平を向けて制止した。
「お礼とかお返しとか、そういったことは考えなくていい。あと俺にはアリスがいるからそういうのは困る」
「……そうですね。軽率でした、申し訳ありません」
ここで謝られるってことは俺の予想が当たっていたんだろうな。「なにを言ってるのですか?」って突き放してくれていた方がどれだけ良かったか。そうしたら「俺の勘違いだった、すまん」って軽く流せたのに。
ちょっと気まずい雰囲気になって、しばらくお互いの様子を見る感じになってしまった。
「えーっとだな、さっきも言ったけど対価はいらない。その代わりに約束してほしいことがある」
「約束ですか?」
一度深呼吸して気持ちを仕切り直し、しっかりとベルの目を見て言う。
「魔人化の魔法以外にも俺が教えられる事はすべて教えてかまわない。だから――死なないでくれ」
実力が足りなくて仲間が死ぬなんてこと、考えるだけでもしたくない。だけど強くなればその分死ぬ可能性は減るだろう。これがベルに魔人化を教えようと思った本当の理由。
まあ強くなったことで無茶をされたら意味ないんだけど、そこまで考えたら何もできなくなっちゃうからな。
サーベラスが死んだことで、自分の精神的な弱さを自覚した。いや、もしかしたら誰だってもってる弱さなのかもしれない。確かなのは、もうこれ以上誰かを失いたくないということ。
俺のそういった気持ちを察したのか、ベルは優しく微笑んだ。
「わかりました。それがあなたの望みというのであれば」
さっきと違って今度は俺が気恥ずかしくなって目をそらすはめになった。
「次の戦いまでそう時間があるわけじゃない。今日から始めるぞ」
「はい」
それから中立都市を出て人気のないところまで移動し、真夜中までベルに付きっきりで魔人化の魔法を教えることになった。