129 静かなる怒り
今日はアリスたちがメイドとして働く最終日。そのため女性陣は豪華な夕食を用意しようと張り切って買い物に出かけていた。
ライナーはなにかを察したのか、この前一緒に稽古をして仲良くなった竜騎士たちのところに行っている。
つまり俺だけがヴァイオレット家に残されたということになる。
案の定遊び相手を探していたソフィアに捕まり、剣の稽古に付き合う羽目になった。
「なんで俺一人でソフィアの世話を焼いてるんだろう……?」
恰好だけじゃなくって本格的に執事に片足を突っ込んでいる気がしないでもない。
家の中から裏庭に戻ってきてもソフィアは地面に座って壁に寄りかかっていた。
「ほら、水持ってきたぞ」
トレイから水の入ったコップを手に取りソフィアに差し出す。
「ありがとぉ」
地面にへにゃりと座って、壁に背中を預けていたソフィアはコップを受け取ると一気にそれを飲みほした。そしてすぐに空になったコップが俺の前に差し出される。
コップと一緒に持ってきていた水の入ったティーポットを掴んで注いでやると、今度はゆっくりと飲み始めた。
「ふぅー生き返ったぁ」
「そりゃよかった。すぐに稽古に戻るか?」
「もうちょっと休ませてください……」
「りょーかい」
ソフィアの隣に腰かけ、トレイも地面に置く。
「そういえば船の魔法陣を改造してもらったお礼なんだけど、なにがいいとかある?」
「そうだなぁ……」
「私にできることならなんでもいいよ! あ、でもエッチなのはなしで」
ソフィアが顔の前で腕を交差させてバツを作った。
こいつはなに変なこと言ってんだか。
「そんなこと頼むわけないだろ、アホ」
「アホって酷くないですか!? 小粋な冗談なのに……」
俺の反応がお気に召さなかったのか、ソフィアは口をとがらせてふくれている。
一体どんな答えを期待していたのやら。
「まあ冗談は置いておいて、じゃあなにがいいです?」
「じゃあメイド服をもらっていいか?」
今日でアリスたちの契約が終わる。あのメイド姿をもう見れないのはちょっと、いやかなり惜しいからな。
「えっ、お兄さんってそんな趣味があったんですか? あ、でもでも……ありかなしかで言えばありかも?」
「お前はなにを言ってるんだ?」
恐る恐る確認すると、ソフィアは両頬に手を添えて恥じらうように斜め上の回答を返してきた。
「なにってお兄さんがメイド服を着るんですよね? ちゃんとみんなには黙ってますから安心して下さい」
「どうしたらそういう解釈になるんだ! 俺じゃなくてアリスにまた着てほしいんだよ!」
「いやだなーわかってますって、冗談ですよ。いい反応ありがとうございます」
今度は満足げな顔でそんなことを言いやがった。
「なんかもう一気に疲れてきた……」
剣の稽古に付き合っても疲れないのに、会話だけで精神的に疲れるってなんだよ。
「あはは。でもでも、メイドと執事の服は私が着て欲しくてプレゼントしたものなのでお礼にはならないですねー」
「これプレゼントだったの?」
「そうですよ。返されたとしてもサイズをそれぞれに合わせてるので他の人じゃ着れませんしね」
「それもそうか」
お礼っていってもソフィアからお金をもらうのもなんか違う気がするし、どうせならもっと違うことにしたい。
「そうだな、じゃあ服繋がりで戦闘にも耐えられるような丈夫な服とかって用意できるか? 前に実戦向きの装備がどうのって言ってただろ」
「ふっふっふ、これは私への挑戦ですね。受けて立ちます! お兄さんを満足させる一品を作り上げましょう!」
「お、おう……頼んだ」
挑戦とかそんなつもりはまったくないんだが、まあいいか。
「じゃあもう少し休憩したら稽古の続きお願いしますね」
「ああ」
それっきり静かになったソフィアはボーッと空を見上げて休んでいる。
俺もソフィアにつられて上を向くと、雲一つない青空が広がっていた。
ぼんやりと体を休めながら、サーベラスから念話を受けたあの日のことを思い返す。
サーベラスから報告を受けてすぐに俺はフィオナに会いに精霊の里へと転移した。
封印の宝玉を守るために警護を増やしていたのか、他の天使たちに一度止められたけど、そこは名前を名乗るとあっさり通してくれた。
「もうちょっと手間取ると思ってたんだけどな」
フィオナが俺のことを天使たちに話してくれているというのはエルザから聞いていたから、たぶんそれが関係してるんだろうけど。
古い遺跡の跡地にも見える場所へと足を踏み入れ、石畳を進み、以前フィオナと会った広間にやってきた。
今日は最初から結界を解除していたようで、すぐにその姿を見ることができた。前と同じように今日も台座の奥に座って封印の宝玉を守っていた。
「こんなにもすぐにお会いすることになるとは思ってもいませんでしたけれど、なにか問題でも起きたのでしょうか?」
「ああ、実は――」
サーベラスからの報告を簡単にまとめてフィオナと共有する。
「ということで、どうやら俺の体がどこかにいったらしいんだ。封印した当人ならなにか知ってるんじゃないかと思って確認に来たんだけど、どうかな?」
「いえ、残念ならこちらでは把握できていませんでした」
フィオナが申し訳なさそうに瞳を伏せた。
封印したのならちゃんと管理しておいてほしいところだけど、天使たちも数が少なくてそこまで手が回ってなかったんだろうな。
「そうか。フィオナが知らないってなると、悪魔側の誰かがどこかに移動させたってことになるのかな」
「おそらくはそうでしょう。前回確認したのは聖教会が”傀儡の王”に襲われる少し前になりますが、そのときにはちゃんとありました。ですから無くなったのはここ最近ということになります」
”傀儡の王”……ロザリーの襲撃前はあったのか。そうなると怪しいのは俺の正体がグレイルにバレた後あたりだろうな。
「実は俺の従者が探してるんだけど、見つかるかどうかは正直微妙なところだと思ってる。俺は正体を隠してるから表だって動くことはできないし、そっちで探すことはできないか?」
「元々こちらの監視体制が不十分だったためにこのような事が起きてしまったので、はいと返事をしたいところなのですが……」
「動けない?」
「そうですね。人間の町を守護したり、魔族領の警戒などに回しているので自由に動かせる配下がいません」
やっぱりそうなるよな……というかちょっと待てよ?
「もし仮に悪魔の誰かが盗んでいたとして、そもそもあの封印ってグレイルやグラードだけで解除できるものなのか?」
俺を封印した魔法は天使と悪魔が協力して発動させたものだ。あれを誰か一人で解除するってのは難しい気がする。
「少なくとも天使側の協力が必要になります。ですがグレイルならあるいは……」
そこでフィオナは口をつぐんだ。
だけど「グレイルならあるいは解除できるかもしれない」と、続いたんだろうなと予想するのは難しくない。
「前から気になっていたんだけど、もしかしてグレイルって――」
「フィオナ様、交代の時間ですよ。今日はちゃんと休んで下さいね。フィオナ様が倒れられたら大変なんですから」
俺がフィオナに質問を投げかけようとしたところで陽気な声にさえぎられた。
振り返って後ろを向くと、ティナが少し離れたところで立っていた。
どうしてキミがここにいるのといった感じの視線を向けられるが、これには反応せずフィオナの方に向き直る。
グレイルの件については他の人がいる状況で話す内容じゃないな。
「シルヴァリオ、この話はまたいずれ」
フィオナも同じように考えたのだろう。今日のところはここら辺で切り上げるか。
「はい。今日はこうしてお話をするお時間をいただき、ありがとうございました」
ティナの前なのでフィオナに頭を下げてからその場を後にした。
あのときティナがやってきたせいで質問できなかったけど、グレイルはやっぱり天使なんじゃないかと思う。あの特徴的な四対の翼は天使のものに似てるし。
仮にグレイルが元天使だとするなら、あいつ一人で封印を解けるのかもしれない。
そうなると今度は俺の体をなにに使うんだって話になるんだけど……
「よーし、休憩終了! お兄さん、稽古の続きお願いします」
「ああ、わかったよ」
この件はまた近いうちにフィオナと相談だな。
元気よく立ち上がったソフィアに続いて俺も腰を持ち上げる。
壁に立てかけておいた剣を取り、庭の中央へ歩いて行く途中で念話が届いた。
『シヴァさま……』
サーベラスの息も絶え絶えといった弱った声に、俺の中で警戒が強まる。
『なにがあった?』
『いますぐそこから、人の……いない場所へと、お逃げください…………』
『サーベラス? おい、どうした!? 返事しろ、サーベラス!』
サーベラスからの一方的な念話が途切れた。こちらから繋ごうとしても繋がらない。
それにいままでずっとあったサーベラスとの繋がりが陽炎のように揺らいでいる。
サーベラスの身になにがあった?
今にも消えそうなほど小さくて断片的な魂の繋がりからサーベラスの位置を特定して、すぐに遠見の魔法を使う。
地上を見下ろす形で見える視界には燃え広がる炎の海、抉れた大地、倒壊する建物などが映った。
そこからさらに視界を地上に近づけていくと、獣の顔に竜の上半身、下半身には甲冑を身につけた格好のグラードだけがいた。
――サーベラスがいない。
ドクンと心臓が大きく脈打った。どんどんと鼓動が速くなり、息も荒くなる。
「大丈夫?」
心配そうに声をかけてくるソフィアに返事をすることもできず、俺は呆然と立ち尽くしていた。
「ねぇ、本当にどうしたの? どこか痛いとか?」
心の中に大きな穴が空いたような、そんな虚無感が襲ってくる。代わりに胸の中を冷たいナニかが満たして――燃え上がった。
無意識のうちに剣を握る手に力が入る。
たった一人で向かったところで死にに行くようなものだ。理屈じゃアリスたちやティナといった天使に協力してもらうのが一番だと分かってる。ギルド長たちが頑張って準備している古参悪魔討伐計画を待つのが勝率を高めることになるってことも。
だけどこの瞬間にもどんどんサーベラスとの繋がりが希薄になっている今、そんな悠長なことは言ってられない。
「悪い、急用ができた」
「え、えっ?」
「グラードを殺しに行く」
自分でも驚くほど低くて冷たい声が出た。
ソフィアも俺の急な態度の変化に驚いて一歩後ろに下がった。
「グラードって誰よ? というか殺しに行くってどういうこと……?」
俺とグラードの実力差は精霊の里での戦いで身に染みてる。無茶なことを言ってるのは自分でも分かってる。
もしかしたら生きて帰ってこれないかもしれない。だけど、それでも、冷たく燃え上がるナニかがいますぐ奴を殺せとうずくんだ。
「ちょっと待ち――」
静止するソフィアを置き去りにして、俺は一人でサーベラスの魂の反応がある場所へと転移した。
空中に飛び出た俺の眼下には破壊し尽くされた町が広がっていた。
こうして直接被害状況を確認すると、遠見の魔法で見ていたときの印象よりもずっと激しい戦いだったことが分かる。
ただこれだけの戦いがあったというのに騒ぐ人影が一切見えないということは、最初から誰も住んでいなかったのだろう。それだけは幸いというべきか。
そんな破壊の跡が残る地上にはただ一人、グラードだけが立っていた。
ここにいるはずのサーベラスがいない。それなのにグラードの中からサーベラスの魂の反応がわずかに感じられる。
そう認識した瞬間、相手に気づかれるかどうかなど一切考慮せず、ありったけの魔力と殺意を解き放ちながら眼下の敵に向かって空を駆けた。
大振りに打ち下ろした剣撃はグラードをかすめて地面に深い溝を刻む。
回避と同時に俺から距離を取ったグラードに剣先を向けて構え直した。
「急に出てきたと思ったらいきなりかよ。つーかなんだその格好は」
「サーベラスはどうした」
執事の格好については反応せず、グラードを射抜くように睨みながら、冷静さを装って問いかけた。
ただしこれは答えのわかっている問いかけでもある。それでも訊かずにはいられなかった。いまもグラードから感じるサーベラスの存在、それがなにかの間違いであってほしいと願って。
だけど返ってきた答えは想像した通りの最悪だった。
「もうわかってるんだろ? それを感知したから血相を変えてここにとんできた、違うか? まあそれでも俺の口から正解を聞きたいってんなら教えてやるよ。あいつなら俺の中にいる。それが答えだ」
グラードは腰に手を当てて胸を張り、堂々と言い放った。
俺の中にいる。ああ……つまりあいつは、サーベラスは――グラードに取り込まれたのか。
「どうして、なんて理由は聞かない。あいつが逃げずに戦うと決めたならそれなりの理由があったんだろう。だから俺は俺の理由でお前に剣を向ける」
いまからサーベラスを救い出すのは絶望的だろう。転移前に感じていた魂の繋がりだってすでに消えかかっている。
だけど、それでもまだ完全に消えたわけじゃない。きっとあいつはまだ戦ってる、いまも抗ってるんだ。だったら俺がやるべきことはたった一つ。
「ほんの欠片しか残っていないのかもしれない。だけど、それでも俺はお前を倒してサーベラスを取り戻す」
「はっ、いいね。こっちもいまから中立都市に行って全面戦争始めるかって気でいたけど、お前から来てくれて助かったぜ。これで正真正銘、一対一の戦いができる」
俺がここに来なかったら中立都市でグラードと戦うことになっていたのか? そうか、だからサーベラスは人気の無いところにって。
サーベラスがどんな理由でグラードと戦ったのかは知らない。だけどあいつは意味もなく無茶な戦いに挑むような奴じゃない。
それでも考えてしまう。どうして俺に助けを求めなかったんだと。
「最初っから本気でこいよ。じゃないとすぐに死ぬぜ?」
「お前に言われずともそのつもりだ」
俺が魔王シヴァだということは前回の戦いでバレている。いまさら正体を隠す必要はない。
一瞬で魔人化を終えてグラードに斬りかかった。
渾身の一撃は硬質化したグラードの拳と打ち合いになり、鈍い音を響かせ、辺りに衝撃をまき散らした。