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128 勝利のために

 グラードとの戦いで後手に回っていては最初から勝ち目はない。ならばこそ先手必勝、こちらから攻める。


 一瞬で距離を詰め、全力でグラードに殴りかかった。だがこの一撃はグラードの体をわずかに後ろへと押し込んだだけで、軽々と手の平で受け止められる。


「速くて重い、いい一撃じゃねーか」


 涼しい顔で軽口をたたくグラードへすぐさま拳を中心とした打撃を連続で放つ。時折足払いや頭部狙いの上段蹴りなども混ぜるが、そのことごとくが防がれた。


 グラードは戦った相手を取り込むことでその技や性質、姿をある程度取り込むことができる。そのため注意すべきは多種多様な攻撃手段にあると考えていましたが、体術のレベルも相当なものですね。


 しかしこと格闘戦で私が負けるわけにはいかない。さらに速く、もっと速く、二倍で足りなければ三倍で、それでも足りないならば四倍で。


 体の内側から聞こえてくる悲鳴を無視して限界まで速度を上げたところで、ようやくこちらの攻撃が当たるようになってきた。一撃の威力はそこまでではないが、手数を重視してこのまま押し切る。


 そして拳が不可視の領域に達したところで、グラードは転移を使って私から距離をとった。


「逃がすか!」

「逃げるかよ!」


 グラードがそう叫びながら一気に距離を詰めてきたので、こちらも迎え撃つ形で駆け寄る。


 顔面に迫る拳は首を左側へと捻って躱し、交差の瞬間にカウンターの突きを放つと、グラードの腹部へこちらの右腕がきれいに突き刺さった。


 しかし肉体を突き破る感触はなく、ドロドロとした液体の中に手を入れているかのようだ。


 そして好戦的に笑うグラードの顔を間近に見てようやく誘われていたことに気づく。


「――っ!?」


 薄っすらと透ける黒い粘液状のものが腕に絡みつくようにして肘、肩へと上ってくる。


 さらにグラードの体全体がドロドロに溶けて大きな布のように広がり、正面から覆い被さってきた。


 とっさに腕を抜いて後ろへ下がる。付着した粘液は振り払ったがすでに右腕は真っ赤に(ただ)れていた。


 一度距離をとろうと後ろに跳躍しかけたところで嫌な予感がして振り返る。するとすでに粘液状の壁に囲まれていた。


 ここで結界を張って耐えたところで逃げられずに終わるだろう。多少のダメージは覚悟の上でこの壁を突破するしかない。


 背後の壁の中から薄い部分を瞬時に見分け、灼熱の炎を身に纏い、腕を顔の前で交差させて粘液状の壁に突っ込む。


 粘液が焼けるジュッとした音と焦げるような嫌な臭いを間近に感じながら壁を突き破り、その勢いのままグラードからさらに距離をとった。


 これでひとまずは囲まれている状況から脱せたか。


 すぐに体を反転させて追撃に備えながらさっと体を見下ろす。あちこちに付着していた粘液はほぼすべてが消えていた。どうやらあれは炎で焼けるようですね。それならば私にもやりようはある。


 ボロボロになった執事服を内側から吹き飛ばすようにして瞬時に元の姿、魔犬へと姿を変える。


 大きく口を開けて一瞬の溜めをつくり、灼熱の炎を辺り一帯にまき散らした。


 炎の直撃を受けた粘液状の物体は黒い煙を上げて、その体積をどんどん小さくしていっている。


 これで私の勝ちなどと考えられれば楽なのですが、そう簡単にはいかないでしょうね。


 やはりというべきか、粘液状の物体は炎の中から逃げ出すようにして上空へと飛び出し、最初に出会ったときの歪な獣の姿へと戻っていった。


「その見た目、さっきの炎……俺の知ってるやつと毛色は違うけどヘルハウンドだな。特殊個体ってところだろうが、それがお前の正体か。そうなると少しばかし相性が悪いな」


 グラードは一人で納得すると、言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。


「まあ本来の俺にとってはってだけで、大した問題じゃないんだけどよ」


 グラードは上空に留まったまま両腕を大きく広げ、再びその体を粘液状に変化させると、今度は背中の部分から真っ白な翼が現れた。さらに頭部から金色の髪が長く伸び、顔も人のものになる。


 身に纏う法衣も魔法で作ったのだろう、ぱっと見ただけでは偽物だとは思えないほどに、ある存在を連想させられる。


「天使、だと?」


 魔犬になったことで一段階低くなった声があたりに響く。


 この呟きにグラードとは思えないほど透き通った声が返ってきた。


「なにを驚いている。俺が戦った相手を取り込むことができるのは知っているだろ?」


 獣やドラゴンなどに姿を変えられるのは知っていたが、まさか天使にまでなれるとは。


 技や魔法も天使のものが使えるようになるのだろうか? もしそうであれば今度はこちらの相性が悪くなる。いや、それを狙って天使になったとみるべきか。


「それじゃあ続きを始めるとしよう」


 グラードの両手に大量の光が集まったかと思えばすぐに攻撃が始まった。一つ一つは小さな光、だがそれが雨のように広範囲に降ってくる。


 避けることを諦め周囲に結界を張ると、光の雨と結界がぶつかってバチバチと小さな音が大量に鳴り続ける。


 このまま攻撃が止むのを待つべきか、それとも攻勢にでるべきか。魔力の総量で劣る私が守りに徹するのは悪手であろう。


 それに攻撃は一向に止む気配がなく、範囲を私のところに絞っているのかむしろ徐々に勢いが増してきている。結界の外は光で全く見えない、雨というよりも滝の中にいるかのようだ。


 そうこう考えているうちに足場が揺れだした。周囲の地面が抉れてここにも影響が出始めたのだろう。


 結界を維持しながら高速でジグザグに移動してもグラードの攻撃から逃れられない。やはりここはあえて攻撃の中心に向かって行くしかなさそうですね。


 空中に足場を作り、グラードがいる場所を目指して一直線に駆け上る。グラードとの距離が近づくほどに攻撃の勢いが増して結界にかかる圧力が高まり、巨大な岩を押しているかのようだ。


 結界が綻び始め、耐久力の限界に達する直前でようやく光の雨を抜けてグラードの上に飛び出た。


 大きく口を開けて眼下の天使に向かって牙を突き立てる。


「ガアアァァァ!」


 グラードが張った結界に牙が刺さり、そのまま力任せに喰い破った。その後の突進はギリギリのところで躱されたが、私の攻撃でも結界を破れることがわかったのは幸いですね。


 グラードの前後左右、さらに上下、全方位を駆けまわり隙ができるのを待つ。


「なんつー速さしてんだよ、お前。この俺が全く見えないとか相当だぞ」


 再び張られた結界に攻撃を入れては離れてを繰り返し、グラードの意識をかく乱する。


 こちらの攻撃が百を超えたあたりでグラードの正面に残像を置き、同時に背後へ回る。そしてかく乱するための攻撃ではなく、強固な結界を破るために全力で牙を突き立て、かみ砕き、できた隙間からグラードの背中に向けて前足を振り下ろした。


 炎を纏わせた爪が敵を引き裂く――完璧に決まると確信していた一撃は(くう)を切った。


「ガッ!?」


 背中に強烈な衝撃を受けて一気に落下し、地面が大きく陥没して体が半ば埋まる形になった。


 すぐに起き上がって地面の中から飛び出るがどうにも足元がふらつく。喉の奥から込み上げてくる鉄臭い血を吐き出して、荒い呼吸を繰り返した。


 空を見上げるとグラードの拳から煙が上がっていた。背中に受けた衝撃から推察するに、さっきの光の雨を濃縮したようなものを殴るときに爆発させたのだろう。


 しかし視覚外からの攻撃に対してこうも見事に反撃を入れてくるとは。


「見えてはいなかったはずだが……」

「結界を破られてから次の攻撃がくるまでにほんのわずかな時間があった。それだけあれば十分だ」


 つまり結界を破られた瞬間に私がいる方向を特定して転移、反撃してきたのか。


「まあでも今の攻撃はなかなか良かったぞ。俺が相手じゃなければいい線いってたんじゃないか。それにお前どんだけ頑丈なんだって話だ。これでも殺す気で殴ったんだぞ」

「貴様からの賛辞などいらぬ」

「ひでぇな、せっかく褒めてやったってのに。だがその強がりもいつまで続けられる? まともに俺の一撃を受けて生きてるのは素直に賞賛するが、見かけほど無事じゃないだろ。もうさっきまでの速さで動き回ることはできない、違うか?」


 これには無言を貫くが、それが答えを言っているようなものだろう。


 グラードの読み通り先ほどの攻撃で体の内側にまで深いダメージを負った。この状態で戦いを続けたところで結果は目に見えている。


 いや、最初から結果は見えていたのだ。戦いが始まる前にシヴァ様の体を引き合いに出されて冷静な判断ができなくなっていただけのこと。


 ここはプライドを捨てて逃げるべき。問題はその逃げ出す隙がまったくないということだが、さてどうしたものか。


「まだ目は死んでないみたいだけどこっから挽回するのはもう無理だろ。そんなお前に一つ提案だ」

「提案だと……?」


 グラードはわざわざ地面に降りてきて私の正面に立った。


「戦ってわかった。お前は強い、それこそ今まで俺が戦って取り込んできた悪魔や天使の中でも上位に位置するほどに。そうなるとこのまま殺すのも惜しいなと思ったわけだ」


 この口ぶりからすると場合によっては休戦もありえるかもしれないが、どうにも話が見えない。


「何が言いたい」

「俺の部下になれ」

「私にシヴァ様を裏切れと、そう言っているのか貴様は」


 言葉に怒気を乗せてグラードを威圧する。


「そうだ。あいつにあって俺にないもの。それが少しだけ眩しくてな。俺に忠誠を誓う誰かが欲しいと、そう思ったんだよ」

「頷くわけがないだろう」

「まあ答えは分かっていたんだけどよ。そんなお前だからこそ部下として欲しいと思ったんだが、こればっかりは無理か。まあ残念ではあるが仕方ない。逃げてもいいぜ、見逃してやるよ。ただそうなったら俺はあいつの所に向かうだけだ。俺にとってはあいつとの戦いが本番で、この戦いはただの前哨戦だからな」


 私のことを軽んじる発言にはわずかながら苛立ちを覚えるが、そんなことよりも聞き逃せない部分があった。


「シヴァ様がいまどこにいるのか知っているかのような口ぶりだな」

「中立都市だろ。あそこを戦場にしたらギルドや天使が邪魔してきそうだが、それでも構わねぇ。本当なら一対一の状況を作りたいんだが邪魔が入りそうだからな。だったら最初から全員一緒に相手をするだけだ」


 少しずつグラードから感じる魔力が大きくなり、地面が、空気が震え出す。


「これからの戦いであいつが元の力を取り戻せば最高だが、それが叶わないなら俺がグレイルから魔王の体を奪ってきてやる。それを使って魔王に戻ったらまた再戦だ。それで今度こそ俺が最強だと証明してやる!」


 グラードから溢れ出る強烈な覇気に思わず一歩後ろに下がってしまった。


 まさかこれほどまでシヴァ様にこだわっていたとは……


 もし私がここで逃げたらグラードはすぐにでもシヴァ様の下へ向かうだろう、つまりは中立都市へと。


 グラードが言っていたようにあそこであればギルドの本部がある。それに天使の部隊も常駐しているはずだ。


 ケネスを倒したというアリス様や、戦力的にはまだ発展途上ではあるがライナーたちだっている。


 いまここでシヴァ様に助けを求めて転移して来てもらうよりも、そちらで迎え撃つ形にした方が勝率はずっと上がる。


 冷静にそう考える傍らで、心の中に無視できないほどの不安が生まれる。


 目の前に立ちふさがるグラードは、そんなことなど笑って吹き飛ばすほどの規格外な存在へと成長しているのではないかと。認めたくはないが、魔王として君臨していた頃のシヴァ様と同じ領域に達しているのではないかと。


 それになによりも中立都市を戦場にした場合、多くの住民たちに被害が出るのは明白。


 たとえギルドや天使の協力を得てグラードを倒せたとしても、中立都市が焼け野原と化したらシヴァ様はどう思うだろうか? きっと自分が原因で周りに被害をだしてしまったと自らを責めるだろう。


 そして私自身もグラードを倒すために見知らぬ誰かを犠牲にするという選択ができずにいる。


「シヴァ様は甘くなられたと、そう思っていましたけれど」


 自然と口元に笑みが浮かんだ。主の影響を受けていつの間にか私も甘くなっていたのですね。


 強敵を倒すためならば多少の犠牲は仕方ないと、そう割り切ることができなくなっていた。


 中立都市で迎え撃つ案はあり得ない。しかしそうなるとグラードを倒せるだけの戦力をここ、もしくはどこか別のところに集結する必要がある。だが現実的なところですぐに転移できるのはシヴァ様と数人程度が限界だろう。そんな戦力でグラードを倒せるはずがない。


 中立都市を戦火に晒すことなくシヴァ様がグラードに勝つ、そのためには――


 ふと脳裏に一つのイメージが浮かび上がる。


 しかしそれを実現するためにはいくつか越えなければいけないハードルがある。


 可能性は限りなく低いだろう。もしかしたら最初からありえない、私の妄想に過ぎないのかもしれない。


 しかしそれでもあのお方ならば掴み取ってみせると、不思議と確信をもてた。ならばこそ迷いはない。

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