127 北の地にて
「さて、シヴァ様の体がどこにあるのかまったく見当がついていない状況ですが……探るべきはやはりグラードの住処でしょうか? それとも天使たちの前線基地か、もしくはあえて人里で情報を集めるという案も」
考えながら言葉に出すことで頭の中を整理するが、しかし次の行動指針とするにはいずれも決め手に欠けることに気づく。
シヴァ様と別れてからこれまでの間にあった出来事の中になにか手がかりがないか、いま一度振り返ってみることにしましょう。
中立都市を目前にして、大陸の調査という名目でシヴァ様たちと別れ、まずはなにを優先するべきかを考えた。
もちろんシヴァ様に提案したこちらの大陸の調査は必須。しかし人間たちはギルドを中心にして世界各地で起きている情報を共有している。念話は使えずとも魔法通信機という機械がそれを可能としている。つまり人が住むところの情報は基本的にギルド経由で入手することができる。
そうなると私が調査すべきは人の少ないところ。もしくはギルドの手が届かないところ。そうなるとここから北に向かい、魔族領の現状を確認するのが良いでしょう。
あとは封印されたシヴァ様がどうなっているか。以前シヴァ様が遠見の魔法で確認しようとしたときには見えなくなっていたと仰っていましたけれど、魔族領に足を運ぶのであれば魔王城にも赴いて様子を見ておくべきでしょう。
基本的な方針はこれでいいとして、目立たぬように人のままで行動するべきか、それとも移動速度を重視して魔犬に戻るか。
決断は一瞬で済ませた。すぐに魔犬状態に戻って北の地を目指して走り出す。
それから半日ほど経ったところで北の帝国が治める領地に入った。山道を越えたところに関所が設けられていたが、大きく迂回して険しい山道を進むことで人と会わずにやり過ごす。
また関所を超えたあたりから周りの景色が大きく様変わりした。山が薄っすらと雪に覆われ始め、気温も急に低くなって息が白く染まる。カムノゴルや中立都市付近は春が終わろうとしている頃だが、こちらはまだまだ冬の寒さを残しているようだ。
道中いくつかの町や村を通り過ぎたが、魔物の脅威におびえるような様子はなく、寒さに負けずに畑仕事に精を出す人々が多く見受けられた。
ここからさらに北東に進めば北の帝国、その首都がある。しかし今回は魔族領に向かうため西側へ進路を修正した。
星がうっすらと見え始める夕刻。戦いの気配がして足を止めた。
木々の影から様子を伺うと、悪魔と戦っている騎士たちの姿が見えた。
騎士は黒地に金の刺繍で水面に映る星々を描いたマントを身につけている。
あの柄はたしか北の帝国のものだったはず。そうなると北の帝国に属する騎士が国境を守るために巡回をしていたところ、悪魔と遭遇して戦闘になったということでしょうか?
騎士の数は五。その内一人は他よりも見栄えの良い鎧を身につけていた。おそらく彼が上級の騎士で、残りの四人を率いているのだろう。
敵対する悪魔の数は二。戦いの技術や感じ取れる魔力量など、総合的にみて下級悪魔の中でも弱い部類に入る。
だがそれでも下級悪魔は人々よりも強い存在だ。あのパーティーでは厳しい戦いになるだろう。
いまは上級騎士が一体を、他の四人で残りの一体を相手しているが、それもいつまでもつか。
手を貸して蹴散らすのは簡単だが、あまり目立つことはしたくない。しかし手を貸さずに見殺しにするのも気が引ける。
どうしたものか……そう悩んでいたところ、意外な結末が訪れた。
上級騎士と思わしき者が急に力強い魔力反応をみせ、何事かと意識を向けたときにはすでに対峙していた悪魔が上下に両断されていたのだ。残る一体もすぐに上級騎士の手で葬られた。
一体何が起きた? 単純に力を隠していて、それを解放しただけであれば問題はない。しかし先ほど感じた魔力反応、あれはどこか悪魔に似ていたようにも思う。
引き返して北の帝国を探るか? いえ、まずは最初にかかげた目標を優先すべきでしょう。帝国の調査は魔族領を調べ終えてからでも遅くはない。
それから西に向かって走っていると、時々天使たちが上空を飛んでいるのを見かけた。その都度足を止めて気配を消し、見つからないように隠れていたため進行速度がガクッと落ちる。
数日の間そのような事が続き、もしやこの近くに天使たちの拠点があるのではないかと思うようになった。気配を消しながら後を追うと、岩場を削るようにして造られた洞窟を見つけた。
注意深く観察すると、その中に複数の天使が居るのが判明した。中には上級天使に匹敵しそうな実力をもった個体もいそうだ。
「このようなところに天使の活動拠点があったとは。しかしなぜここに……?」
たしかここから南の方にはいくつかの国が点在していたはずだが、もしや天使たちは魔族領から魔物や悪魔が南下していくのを防いでいるということなのだろうか。
しかしそうなるとここだけではなく東西に伸びるようにして拠点をいくつか設けなければならないだろう。
「ついでに調べてみましょうか」
さらに西へと進めば似たような拠点が見つかるはず。
五日ほどかけて調べたところ、推測通り天使が使っている拠点をさらに二つ見つけた。おそらくはもっとあるのだろうが、現状では全てを探す必要はなく、推測が当たっていたという結果があればそれで良い。
「つまるところ人の領地と魔族領とを分断するための前線基地といったところですね」
拠点を探す間に気づいたことだが、魔物や悪魔たちの活動範囲が広がっていた。もし天使たちが前線基地を築かずにいたら、ここから南にある人間の国がいくつか地図から消えていた可能性もある。
「さて、思わぬところで時間をとられてしまいましたが魔族領の調査に移りましょう」
魔犬に戻って北に進むと、無人となった町や村をいくつも通り過ぎることになった。悪魔などの襲撃を受けた形跡があり、建物や道が壊れ朽ち果てている。
たしかシヴァ様の生まれ故郷もこの辺りだったはず。おそらくは他の町村と同様に廃墟と化しているでしょうが。
古い記憶を掘り返しながら北上して行くと大きな町が見えてきた。
執事の姿になって町に入り、雪が薄く積もった街道を歩きながら周りの様子を確認すると、予想通りまったく人気がない。代わりに犬や鳥の姿をした魔物が町を徘徊していた。
そもそも赤子のシヴァ様を預かったときには悪魔の襲撃を受けていたのだ。こうなっているのは当然の結果かもしれない。
町の外れから中央に向かって歩いている途中、無意識のうちに足を止めていた。
「これは――」
この気配、シヴァ様が魔王だった頃に感じたことがある。私の記憶が正しければこれはおそらくグラード。まさかこのような場所に居たとは。
もしこちらに気づかれて戦闘にでもなったらタダでは済まない。いますぐに町から離れるべきでしょう。
息をひそめながらゆっくりと町の外に出て、近くの丘に登って町全体を見下ろす。
魔法で視力を強化してグラードの気配があった場所、町の中央にある大きな屋敷を観察するがグラードが動く様子はない。
「どうやら気づかれてはいないようですね。とりあえずは一安心といったところでしょうか」
グラードがこの町を住処としているのかはまだ確証をとれていませんが、天使たちの前線基地と合わせて後日シヴァ様に報告することにしましょう。
それにしてもグラードは以前よりもずっと強力な気配を漂わせていた。それこそ魔王シヴァ様に匹敵するほどの。下手をすればシヴァ様よりも……
「なにをバカなことを」
不敬な想像を振り払うように顔を左右に振ってみるも、どうにも嫌な予感が拭えなかった。
それからさらに北へと向かい、住む者のいない古びた城下町を駆け抜け、ようやく魔王城に到着した。
大きな城門をくぐって中に入ったところで顔をしかめる。管理する者がいなくなるとこうも荒れ果ててしまうものなのかと。思わず掃除をしたくなってしまいますが、そんなことよりもまずは玉座の間を確認して、それから他のところを見て回るのが先ですね。
いくつかの広間と階段を通り、最上階にある玉座の間に辿り着いた。
「ここは一層汚れが酷いですね」
天使に天井を壊されたせいで雨風に晒された影響でしょうが。
そんなことを考えながら部屋の中を見回してすぐに気づく。
玉座の前で封印されていたシヴァ様の姿がどこにも無い。代わりに大きな穴が開いていた。
駆けるようにして穴に近づき、覗き込んで見るも下の階に落ちたというわけではなさそうだ。
「一体どこに……?」
まずはシヴァ様に報告をするべきでしょう。
ゆっくりと息を吐いて焦る心を落ち着かせ、シヴァ様との念話を繋いだ。
これまでの行動を振り返ってみても、無くなったシヴァ様の体に関する情報に繋がりそうなものは無さそうですね。
まずは魔王城の他の部屋などを確認して、目ぼしい情報が得られなければ次はここから近いグラードの住処に行ってみることにしましょう。もしグラードが町にいた場合は天使たちの前線基地に。
それから一日かけて魔王城を一通り見て回ったが無くなったシヴァ様の体に関する情報は得られなかった。
今度はこれまでと逆に南下していき、グラードが住処にしていると思わしき町に向かった。
町に到着したところで執事の姿に変わり、グラードを警戒しながら少しずつ町の中央に近づいて行く。
ちょうどグラードはこの町を離れていたのか、町の中心にある屋敷に気配がない。まずは一安心といったところか。
下級悪魔程度であればどれだけ居ようと問題ではないが、さすがにグラードに勝てるとは考えていない。出会った場合はすぐに逃げの一手をとれるように常に警戒は怠らないように気を付けねば。
まずはグラードが使っている屋敷にシヴァ様の体が隠されていないか確認していこう。そこに無ければ周辺の家などもしらみつぶしに。
グラードの住処やその周辺を調べ始めてから四日が経過した。調査自体は問題なく進んでいるが、シヴァ様の体に関する手がかりは一切見つけることができないでいる。
手がかりがまったくない状態で当てずっぽうに調べるのは非効率だとわかっているが、だからといってなにもしないわけにもいかない。
屋内を探す時にも扉を乱暴に開けたりと、少しずつ焦りが出始めているのが自分で分かる。
建物から出て路地の壁に背中を預け、冷えた空気で頭を冷やす。
ここでの調査は一度切り上げて別のところを調べてみるべきか。
グレイルの住処は不明なので次に調べるとすれば天使たちの前線基地。
フィオナと協力関係になったという話でしたが、天使側が情報を隠しているという線も考えておかなければいけないでしょう。それにフィオナが本当に無関係でも別の天使が隠したという可能性もなくはない。天使という組織が完全に一枚岩だという保証はないのだから。
そうなるとやはり知っていそうな者に直接確認するのが一番手っ取り早く確実か。
しかしその場合は誰に聞くかという問題があるし、期待する答えが返ってくるかどうかも怪しい。グレイルとグラードに至ってはそもそも一対一で出会うこと自体が危険で、質問するしない以前の話だ。あまりにもリスクが高すぎる。
頭の中で思考だけがグルグルと空回りしているような感覚に陥る。
正解はない。だがしかし、何かを選んで行動しなければ始まらない。
……最初に考えた天使たちの前線基地に行く案でいきますか。これ以上ここで時間を潰すよりかはいくらか有意義な結果になるでしょう。
背中を預けていた壁から離れて、町の外に向かおうとしたところでゾクリと背筋が凍り付いた。思わず振り返って町の中心、大きな屋敷の方に顔を向ける。
「ちっ、戻ってきたか」
ここは町外れにある小さな路地。グラードが住処にしている屋敷からは大きく離れている。気配を消して息をひそめていれば気づかれることはないはず。
ゆっくりと建物の影に隠れるようにして町の外に向かうが、その途中で転移魔法特有の空間の歪みが目の前に現れた。
気配は完全に消せていたはず。それなのに補足されるとは……
重い音を立てて地面に降りたグラードはニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「なに驚いた顔してるんだ。まあ気配を消したのにどうしてってところだろうけどよ。その点でいえばお前の気配はちゃんと消えてたぜ。ただその代わりに俺の縄張りを荒らす何者かの匂いが残ってたからそれを追ってきたってだけの話だ。他の奴らじゃ気づけなかっただろうけど、これでも俺は鼻が利くんだ、色んなやつを吸収してるからな」
グラードは竜の鱗に覆われている自分の胸をドンと叩いた。
なるほど、竜以外にも鼻の利く犬など様々な生き物を取り込んでいるのでしょうね。
まさかヘルハウンドの私が匂いで追われることになるとは。
「しっかしお前まだ生きてたんだな。まあシヴァが生きてるんだから、その配下であるお前が生きてても不思議はねえか」
グラードとの距離は家一軒分あるかないかという程度。やつなら一息で詰められるでしょう。
補足されたこの状況から逃げられるか? いえ、逃げなければいけない。多少のダメージは覚悟のうえで、魔犬状態で逃走に全力を注げばあるいは……
「おいおい、もしかして逃げようってのか?」
無言で相手を睨みつけると、グラードはやれやれと大げさに肩をすくめた。
「少しぐらい会話に応じてくれよ、まったく。まあいいや。なんの用で俺の縄張りを探ってたのか知らないが丁度いい。本番前の準備運動に付き合えや」
言うが早いかグラードは一気に距離を詰めてきた。想定していたよりもはるかに速い。
とっさに後ろへ大きく跳躍して距離をとった。グラードの拳がかすっていたのか、口元がわずかに切れて痛みが走る。
あと一瞬遅かったら顔が木端微塵に砕けていたところだ。
「ほう、よく避けたな。だてにあいつの側近はしてないってことか。いや待てよ、そもそもお前ってまだシヴァの配下なのか?」
「まさかその確認をする前に攻撃されるとは思ってもいませんでしたよ。ですがまあそれはいいでしょう。私はいまでも変わらずにシヴァ様に忠誠を誓っています」
「ようやく喋ったか。なるほど、お前はまだあいつの仲間ってことか。しっかしわかんねーなぁ。なにが目的でこの町を調べてた? いや俺がここに住み着いてるかを調べてたのか?」
グラードは腕を組んで心底不思議そうに首をかしげている。
こうしてグラードと対峙しているのは最悪の状況だが、シヴァ様の体について話題に出し、その反応を得るにはいい機会かもしれない。
もし知っていれば何かしらの反応が返ってくる程度にぼやかして話を振ってみるか。
「魔王城から無くなったものを探していただけだ」
さてこいつは知っているのだろうか。
「魔王城から無くなったものねぇ…………ああそういうことか、なるほど。残念だがお前の探し物はここには無いぜ」
「私がなにを探しているか分かったような口ぶりだな」
「封印された魔王の体だろ」
グラードはズバリと私が探しているものを当ててきた。そしてこの反応、こいつは知っている。
思わず目つきを細めて睨むようにしてしまったが、それが相手に正解だと教えることになった。
「どうやら合っていたみたいだな。ははっ、なんだあいつまだ魔王に戻ろうとしてるのか。いいねぇ、そうこなくっちゃな」
グラードはシヴァ様が人から魔王に戻ろうとしていると勘違いしたようだが、あえて訂正する必要もないだろう。むしろこの流れを利用してどこに移動させたのか聞き出す方が重要。そうであればグラードに理解を示すべきか。
「そうだ。シヴァ様は巨大な力を秘めているが人の器ではそれを制御しきれないでいる。ゆえに魔王の器が必要なのだ」
「用件は理解した。しっかし人から魔王の肉体への乗り移りなんてどうやるんだって話だけど、まあそこはあいつがなんか考えてんだろう。いいぜ、あれをどこに移したのか教えてやるよ。ただし――お前が俺に勝ったらな」
グラードは不敵な笑みを浮かべて言い放った。
どうせ勝てるわけがないと舐めているのだろう。たしかに私では勝つのは難しい。だがこの機会を逃せばおそらくグラードは二度とシヴァ様の、魔王の体に関する情報を話そうとはしないだろう。
無茶なのは理解している。しかしこの状況で退くこともまた困難を極める。前に進むか、それとも後ろに下がるべきか。
「ふっ、いいねぇ。そうこなくっちゃな」
二つの選択を前にして、私は一歩踏み出していた。