126 遠い空
『どうしたんだ?』
サーベラスからの念話に軽く応答すると、思いがけない話が飛び込んできた。
『シヴァ様の体が無くなっていました』
『はぁ?』
思わず変な声がでた。こっちの大陸について情報を集めてもらっていたからその報告だろうと考えていたんだけど……
顔にも驚きが出ていたみたいで、セレンが目を細めて怪しむような眼差しを向けてきた。隣で座っているアリスも不思議そうにしている。
『俺の体が無くなっていたってどういうことだ?』
『言葉の通りです。城に封印されていたはずのシヴァ様の体が無いのです』
一瞬サーベラスが俺をからかっているんじゃないかと疑ってしまった。だけどそんなことはあり得ない。こいつは俺に対してはそういったことを一切しないからな。
しかしそうなると本当に俺の体が城から消えたってことになるんだが。
『……少し待て』
『了解です』
カップに残っていた紅茶を一気に飲み干して席を立つ。
「ちょっと外に出てくる。サーベラスから念話がきてるんだけど長くなりそうなんだ」
二人にそう伝えて、俺は一人で造船所の出口に向かう。階段を上って建物を出ると、真上から降り注ぐ日差しを受けて肌がじんわりと汗ばんだ。
遠くに目を向けてみればライナーとベル、それに竜騎士の人たちかな? みんなで稽古をしている様子がうかがえた。
俺は建物から少し離れた木陰に入り、腕を組んで太い幹に背中をあずける。
『待たせたな。それでいまどこにいるんだ?』
『魔王城に』
つまり俺の体がちゃんと封印されたままなのかを確認しに行ったら消えていたから、それで慌てて連絡してきたのか。
誰かが俺の体を封印ごと消滅させたのか、それともどこかに移動させたのか。現状だとどちらなのか判断がつかない。
前者ならまあ問題はない。あれは抜け殻、正直無くなったところで困りはしない。ただ後者だった場合はどういった目的に使うのかが気になるところだ。まさか何の目的もなく移動させるなんてことはしないだろう。
『ちなみに現場はどんな感じだ? たしか玉座付近で封印されてたと思うんだけど、そこら辺が丸ごと破壊されてるのか?』
『シヴァ様の体が置かれていた床ごと無くなっています。それ以外では特に目立った変化はありません』
『なるほど』
破壊の跡がないなら転移魔法で床ごとどこかに持っていったのかな? そうなると天使か悪魔のどっちかってことになるんだが。
『実はお前がいない間に色々あってな。当初の目的だった精霊の里に行ってフィオナに会うことはできたんだけど、そこでグレイルとグラードの二人と戦闘になった』
『その戦い、どのような結末に?』
『どうにか二人を追い返すことはできたから引き分け……って言いたいところだけど、こっちは片腕失ったし俺の負けかな。あとアリスたちがケネスと戦いになったんだけど、こっちはアリスたちが勝った』
『私がいない間にそのようなことが……』
サーベラスが驚くのも無理はない。俺だって精霊の里に行って戦闘になるだなんて思ってもいなかったからな。
『まあその戦いで俺が人間に転生したことがグレイルたちにバレたんだ。あと天使側だとフィオナにも正体がバレたんだけど、こっちとは協力関係になったんだ。それと腕に関しては聖教会のアンジェリカさんに治してもらったから安心しろ』
だいぶ省略しての説明だからわからないところも多いだろうけど、重要な部分はこれで伝わったかな?
『……フィオナという天使は信用できるのでしょうか』
俺に対しての問いかけというよりも、敵だった天使への反感からでてきたのかな? サーベラスがそう零してしまうのも無理はないけど。
『天使全体って話だと何とも言えない。ただフィオナ個人でいえば信用していいと思ってる』
『シヴァ様がお認めになったのであれば否はありません。そうなるとグレイルかグラードが怪しいですね』
『そうだな。破壊の跡がないってんなら盗んだんだろうけど、何に使うのやら』
これを天使側が把握してるのか、今度フィオナに確認したほうが良さそうだな。
『俺の体が無くなった件については一旦ここまでにしておこう。元々はこっちの大陸について調査してもらってたはずなんだが、そっちの方でなにか報告することはあるか』
『そうですね……二つ、いえ三つほど』
それからサーベラスの少し長めの報告を聞いた。下で聞いてたらアリスたちの前でずっと無言でいるところだったから、やっぱり席を外して正解だったな。
『いまの話をざっくりまとめると、北の帝国の兵士たちが下級悪魔と戦ってるところに出くわした。その戦いを覗き見てたら上級騎士っぽいやつが一人で下級悪魔を倒してたと。それにグラードの住処らしき場所と、魔族領付近にある天使たちの前線基地も見つけた』
『その通りです』
俺の周りが強い人たちばかりだから忘れそうになるけど、下級悪魔ってのはギルドの目安だと上級騎士が五、六人程度の隊を組まないと倒せないぐらいの強敵だ。
北の帝国が強いのはなんとなくわかっていたけど、上級騎士が一人で下級悪魔を倒せるってちょっと気になるな。
グラードの住処ってのはギルド長や天使たちは把握してるんだろうか? まあこっちも住処らしき場所っていうので断定じゃなさそうだし、この時点で報告するのは微妙だな。
天使の前線基地に関してはフィオナと協力関係になっているから変に探りを入れるのはやめておいた方がいいだろう。
しかしサーベラスと別れてからまだそんなに経ってないのに結構調べてきたな。さて、サーベラスにはこの後どうしてもらおう。
このまま調査を続けてもらうってのが一案。ただなんの調査をしてもらうかっていうと、パッとは思いつかない。消えた体についてもそんなすぐに見つかるとは思わないしな。
次に中立都市に戻って来てもらう案。元々サーベラスが天使に見つかったらマズいと考えて別行動させていた。だけどフィオナと協力関係になったいまなら問題にならないだろう。
そうなると調査よりも一度こっちに戻ってきてもらった方がいいかもしれない。
『調査結果については了解だ。こっちの状況としては近いうちにギルド主導で古参悪魔討伐計画ってのを実行するんだけど、俺たちはそれが開始されるまで中立都市で待機してる予定だ』
『古参悪魔討伐計画ですか?』
『簡単にいえば複数の国や天使たちで協力して、グレイルとグラードを倒そうぜって作戦。どれぐらいの実力者が集まるのかは未知数だけど』
『なるほど。ちなみにシヴァ様は中立都市でなにをされているのですか?』
なんとも答えづらい質問を……実際は微妙に違うんだけど、執事やってますって伝えたらどんな反応するかな?
『あー……執事みたいなこと?』
『どうしてシヴァ様がそのようなことをされているのですか』
鬼気迫る感じでサーベラスに問い詰められた。いや念話越しだから実際に詰め寄られてるわけじゃないんだけど、それぐらいの圧を感じる。
『え、どうしてって言われると俺もちょっと答えに窮するというか、その場の流れというかなんというか』
『魔王として君臨されていたお方がなんという……』
『まあまあ。なにも本気で執事になったわけじゃない。少しの間執事の恰好をしてるだけだよ』
サーベラスからの反応がない。これはもしやお怒りになっているのではなかろうか。どうにかしてサーベラスの意識を執事からそらさないと。
『そ、そういえばさっき紅茶を飲んだんだけど、久しぶりにサーベラスが淹れたやつを飲みたくなったよ。一度こっちに戻ってくるか? フィオナと協力関係になったから、いまなら天使たちにサーベラスの存在がバレても問題ないだろうし』
『いえ、まだ大した収穫もありませんので。それにシヴァ様の体についてこちらで調査を行いたいと考えています』
俺が戻ってくるように促したのに、それを蹴って調査を続けるなんて意外だな。意地を張っているというかなんというか。
まあなにかあれば魂の繋がりを辿ってサーベラスのところに転移することもできるし、ある程度自由に行動させておいてもいいだろう。
『わかった。あまり無理はするなよ』
『ありがとうございます』
『そういえば何か欲しい物とか、俺にしてほしい事とかってあるか?』
最後に思い付きで聞いてみる。こいつには今まで苦労をかけているからな。何かお返しじゃないけど、俺にできることがあれば叶えてやりたい。
『何かを欲することなどありませぬ。この身、この魂、そのすべてをシヴァ様に捧げておりますゆえ。道具のようにお使い下さい』
『道具のようにってお前なぁ。それにしてもずいぶんと昔のことを』
俺とサーベラスが初めて出会った日に交わした契約。それをこいつは今でも忘れずにいるのか。
『覚えておいででしたか』
『俺とお前が交わした契約だ、忘れるかよ。ただその契約が果たされる日がくるとは思ってないけどな。まあなにか思いついたら言ってくれ』
『もしも、もしも一つだけ望みを聞いていただけるのであれば』
『なんだ? 言ってみろ』
どこか遠慮気味のサーベラスを促す。
『かつて魔王として君臨されていたあの頃のように雄々しく、凜々しいお姿を拝見させていただければと』
『…………そうか。考えておくよ』
『それでは失礼致します。必ずや情報を掴んでまいります』
『ああ、頼んだ』
サーベラスとの念話を切ったところで思わず大きく息を吐いた。
「あの頃のようにか……難しいことを言ってくれる」
この十年近くで俺の考え方は大きく変わった。
血のつながりのない俺を育ててくれたアクア姉、お兄ちゃんと慕ってくれるレイン、父親代わりであり剣の師匠でもあるガイ。キツイ剣の修行を一緒に超えてきたライナー。他にもいろんな人から影響を受けてる気がする。
なにより俺の一番深いところを変えたのは――
背後の木に体重をあずけて見上げた空は雲一つない快晴で、思わず目を細めるほどに眩しかった。
シヴァ様との念話を終えてまぶたを持ち上げる。
玉座に座って不敵な笑みを浮かべるシヴァ様のお姿が目の前に浮かび上がるが、しかしそれは自らが望んだこうあってほしいという幻影にすぎない。
現実は天使の攻撃を受けて天井が吹き飛び、雨風に晒されて薄汚れた玉座があるだけ。そこにあるべき主の姿はどこにもない。
念話の終わり際に伝えた望みが叶うことはないと頭では理解している。
シヴァ様は優しくなられた。そして甘くも。それ自体は好ましいと感じる。
しかし、しかし……それでもやはり思ってしまう。
たとえシヴァ様が望まぬと分かっていても、魔王として君臨していたあの頃のお姿をもう一度見たいと願うのは罪でしょうか。
遠くから聞こえる雷の音につられて見上げた空は暗い灰色。厚い雲に覆われていて、いまにも雨が降り出しそうだ。