120 モルオレゴンの巣穴
いきなりアリスのお母さんと出会ってしまった。
まさかこんなところで会うとは思ってもみなかったから、正直どんな対応をすればいいのか戸惑う。とはいえここで黙ったまま無視するわけにもいかない。
「アリス……いえアリスさんとは恋人同士の関係です。それで俺、じゃなくて私はシルヴァリオといいます。よろしくお願いします」
とりあえず名前を言って頭を下げた。これで最低限の挨拶はできたか? できたということにしておきたい。
正直突然のできごとに緊張してて頭がうまく回ってない。
というかギルド長がアリスに依頼をしようとしたのって、アリスのお母さんがここにいることを知ってたからだろうな。ギルド長、そういうことはちゃんと教えてくれよ。
「シルヴァリオ君っていうのね。私はクレア・ガーネット、アリスの母です。よろしくね」
微笑む姿がアリスに似ていて、それでいて大人の色気というか十年、二十年後のアリスってこんな風なのかなと考えるとちょっとドキッとする。
「でもあの子に恋人ができてたなんてびっくりだわ。そういえばシルヴァリオってたしか……ねえあなた、もしかして八年前にアリスにお守りをプレゼントしてくれた男の子?」
「はいそうです」
「そう。あの子ちゃんと初恋を実らせたのね」
「初恋?」
クレアさんは懐かしむように目を細めて、当時のことを教えてくれた。
「そうよ。まだ子どもだったからあの子が自覚してたかどうかはわからないけど、母親の私から見れば一目瞭然だったわ。あなたがプレゼントしてくれたお守りをすごく大事にしてて、私たちにも自慢して見せてくれたのよ。夜寝るときもぎゅーっと握って、可愛かったわ。ただお父さんは絶対に娘は渡さないって、まだ見た事もない子ども相手にみっともなく嫉妬しちゃって」
しょうがない人なんだから、と最後に小さく呟いた。
アリスのお父さんか。そういえば聖教会に向けて出発する前に、両親は鉱山で働いてるってアリスが言ってたような気がする。
そうなるとアリスのお母さんがここにいるんだ。お父さんもいるんじゃないか?
「クレアさん、アリスのお父さんとは一緒じゃないんですか?」
「あの人は現場でまだ仕事をしてるわ。シルヴァリオ君がいるって分かってたなら無理やりにでも一緒に戻って来てたのに、残念ね」
「いえいえ、仕事であれば仕方ないですよ」
いきなりアリスのお父さんと出会ってたら俺は驚きでたぶん固まってたと思う。
「あの子は元気でやってるかしら?」
クレアさんは子どもを思いやる母親の表情で言った。
「ええ、元気にやってます。アリスはいま中立都市にいて、数日前にはクレアさんから教わったっていう料理を作ってもらいました」
グレイルたちとの戦いのこととかは心配するだろうから言わない方がいいよな、きっと。
「そうなの。ちゃんと美味しく作れたかしら?」
「ええ、美味しかったです」
「ふふっ、それは良かったわ。ところでシルヴァリオ君はどうしてこんなところにいるの?」
事情を知らなければ当然の疑問だよな。簡単にここに来た経緯を説明しようとしたところで、後ろから割り込んでくる声があった。
「モルオレゴンの討伐に来てくれたのよ」
「え、そうなの? アテナちゃん嘘ついてない? あの魔物ってすっごく強いって話だったわよね?」
「嘘じゃないわよ。それにシルヴァリオ君はSランクの凄腕って書いてあるから心配しなくて大丈夫よ。娘の彼氏に会えてテンション上がるのは分かるけど、その辺にしときなさい」
「むぅ、それじゃあ仕方ないわね」
どこか残念そうにしながらクレアさんは俺の方に向き直った。
「本当はもっとお話を聞きたかったんだけど、これ以上お仕事の邪魔をするわけにはいかないわね」
「邪魔なんてとんでもないです」
「魔物の討伐頑張ってね」
「はい。任せて下さい」
クレアさんとの出会いは予想外だったけど、良い印象を与えられたかな?
それからタッカーさんに道案内をしてもらい、魔石が採れるという採掘場までやってきた。
「ここが入り口だ。モルオレゴンの塚はこの坑道をまっすぐ進んだ先で見つかっている」
タッカーさんは山の中にぽっかりと開いた入り口を指差して教えてくれた。
「案内ありがとうございます」
「しかし本当に一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。それよりもタッカーさんはここにいて大丈夫なんですか? モルオレゴンが急に外に出てきたりとかは」
「それは問題無いと思いますよ。仮に外に出てきてもこちらから攻撃をしなければ襲ってはこない、臆病な魔物なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうでなければみんなとっくに逃げていますよ。まあさすがに塚が見つかったここで採掘作業を続けるほどの勇気はありませんでしたけど」
それもそうか。危なかったらさすがにみんな避難してるよな。
タッカーさんとはその場で別れて、一人で坑道に入った。
中は真っ暗だったから、頭上に魔法で松明代わりの光を出して進む。
「モルオレゴンが作った塚があるって話だけど……あれかな?」
坑道を進んだ先にある広場で、地面が盛り上がっているところを見つけた。塚に近づいて中心部を確認すると、井戸みたいに深くて広い穴が掘られていた。
「ギルドで聞いてたけど、ほんとうに牛とか馬でも通れるぐらいデカいんだな」
この穴の中に入って調査をするのはやりたくないんだけどなぁ。
とりあえず魔力探知でどこにいるのか確認するか。
「………………いた。これかな? これだよなたぶん?」
大きな魔力反応が地下に一つだけポツンとあった。思ったよりは近くにいる。
向こうからこっちに来てくれたら楽なんだけど、誘い出す方法が思いつかない。
塚の淵の部分から穴の中を覗き込む。
結構深いところにいるっぽいけど、この塚が相手のところまで通じているかどうかわかんないんだよな。
穴の中に入る前にちょっと調べてみるか。
魔法で風を起こしてそれを塚の中に送り込む。送り込んだ風には魔力を混ぜているから、これを魔力探知で確認すれば穴の中の構造が立体的に把握できるはずだ。
「よしよし。うまくいったみたいだな」
最初に感じ取った大きな魔力反応があるところまでの道を見つけた。
飛行魔法を駆使して穴の中を下りていく。いくつか横穴を通り過ぎて最下層に降り立った。暗い横穴が、奥へ奥へと伸びている。
行く先を魔法の光で照らしながら道なりに進む。分かれ道は事前に調べてあるから間違えることはない。そうして歩いて行くと大きな空間に出た。大きな屋敷がすっぽりと収まるぐらいの広さがある。
その空間の一番奥で、のっそりと蠢く影を見つけた。
「あいつがモルオレゴンかな?」
ギルドで見た姿絵と少しだけ違う。鱗にトゲトゲが付いていて攻撃的な印象を受けた。
突然の侵入者に警戒しているのか、モルオレゴンは臨戦態勢になっていた。いますぐにでも飛びかかってきそうだ。
「ジャャャォァァァ!」
「いきなりかよ」
こっちから攻撃しなければ襲ってこない臆病な魔物って聞いてたんですけど!?
横に飛んで敵の突進を避けた。すぐに剣を抜き、カウンターを入れようと構えたところで動きを止める。
「潜ったか、面倒だな」
出来たばかりの塚を睨みつけても一向に出てこない。
相手の魔力を探れば地中を移動しているのがわかる。
グルグルと動き続けて、俺の真下で止まった。一気に俺目掛けて上ってくる。
バックステップと同時にさっきまで自分が立っていた場所に向かって”斬竜剣”を放った。
キンッ――高い金属音が巣穴に響く。
「マジかよ……」
モルオレゴンは地中から出てくるときに体を横向きに高速回転させていた。それで剣の入りが浅くなって、さらに鱗に付いてるトゲトゲに弾かれたのか。
回転を止めて地面に降り立ったモルオレゴンの鱗には、ほんのわずかに抉れた跡が残っていたけど、これじゃあダメージは無いに等しいだろう。
モルオレゴンはすぐにまた地中へと潜っていった。
さて、どうやって対処するかな。地中から出てきたところを狙って切るのが難しいってのはいまので分かった。腹部には鱗がなかったからそこが狙い目ではあるんだが、これもなかなか難しいだろうな。地中にいるときにはそもそも手が出せないし……よし、地上に出て来てそこからまた地中に潜るまでの間に、氷の魔法で身動きをとれないようにするか。
再度地中から飛び出してきたモルオレゴンをさっきと同じようにバックステップでよける。
左腕を前に伸ばして、相手の着地に合わせて魔法を発動させた。
「”アイスフィールド”!」
モルオレゴンの周囲だけに範囲を絞って威力を上げ、一瞬で氷漬けにした。さすがにこれで身動きとれないだろうと安心したところで、バリンッと音を立てて氷が砕け散った。
ギルドで話を聞いた限りだとこれでほぼ間違いなく動きを止められるってことだったんだけどダメじゃん。
モルオレゴンは氷漬けになっていた影響なんかまるで感じさせない動きでまた地中に潜った。
「……こいつ特殊個体だよな?」
明らかにギルドで聞いてたよりも強い気がするし、たぶん間違いない。姿絵には描かれてなかったトゲも生えてるしな。
「倒すだけなら方法はあるんだけど、どうしようかな」
深淵を使えば間違いなく倒せる自信はある。だけどそれには別の問題があって使えない。今回は討伐依頼だからちゃんと討伐対象を倒したっていう証拠が必要になるんだけど、深淵を使ったらほぼ確実に死骸が残らない。あといままでの感じからして俺にダメージが返ってくるからできれば使いたくない。
次に”天地求道剣”。さっきは剣を弾かれたけどこれならおそらく問題なく切れるはず。ただこっちは技の威力から考えて巣穴ごと真っ二つになるだろうな。下手すれば上の坑道にまで影響がでて、地崩れを起こしかねない。つまりこんな場所で使うような技じゃないってことだ。
この巣穴丸ごと凍らせればさすがに止められるかな? いやでもそれやるとあとで魔石探すのが大変だ。
そうこう迷っている間も相手は待ってくれない。何度も突進され、地中から襲いかかられ、それを全部紙一重で躱し続ける。
一向に攻撃が当たらないことに苛立ったのか、これまでと違って少し大きめに跳躍して突進してきた。
モルオレゴンと地面の間にできたわずかな隙間――そこに勝機をみつけた。
地面すれすれまで体勢を低くして、正面から飛び込んでくるモルオレゴンの腹部に潜り込み、そのまま背中まで振り被った剣を両手で振った。
「はあぁぁっ!」
鈍い音を立てながらモルオレゴンが俺の頭上を通過していった。
剣を振り下ろし終えた俺はすぐに立ち上がって背後を向いた。
モルオレゴンはピクピクと痙攣をして倒れている。体の下には血だまりができて、それがあっという間に広がっていった。わずかに動いていた手足もすぐに止まった。
「よし、討伐完了」
思ってたよりは手こずったけど、怪我もなく倒せてよかった。
あとは巣穴の中にモルオレゴンが集めた魔石がないか調べて終わりだな。