117 手料理
どうして剣を学びたいのかソフィアに聞くと、
「空島に到着してそれで終わりじゃないの! そこからようやく冒険の旅が始まるんだよ! 護衛は連れて行くけど、最低限自分の身は守れた方がいいでしょ?」
という意外とまともな理由だった。でも普通は護衛に任せて終わりな気がするんだけどね。
ただ動機はわかったし、教えるのもやぶさかではない。
早速ソフィア用に土魔法で刃を潰した剣を作った。初心者のソフィアが実剣を使うのは危ないからな。さらに外側は簡単に壊れないように強度を上げて、軽くするために中は空洞にしてある。
「これ使ってみて」
「ありがとう。じゃあいくよー。えい! やあ! とう!」
「いいぞ。その調子だ」
正直なところソフィアは剣を振るときに腰が引けてるし、真っ直ぐ振れていないしで全然ダメだったりする。なにより俺たちが数日教えたぐらいじゃ、自分の身を守る程度すら身につかないだろう。
だから細かいことは後回しにして、まずは楽しむことを優先する。もしソフィアが今後も本格的に剣術を学びたいというなら、そのときはちゃんと教えよう。
それからしばらくして、空にオレンジ色が混ざり始めた頃。
家の正面側から裏庭に向かって近づいてくる気配を感じ取った。
ソフィアへの剣の指導を止めて、裏庭にやってきた人物を確認する。
「あ、シヴァも来てたんだ」
アリスだった。その後にセレン、ベルの二人も出てきた。
「宿で待ってようかとも思ったんだけどね。ところでその荷物はどうしたんだ?」
そういえばアリスたちがどこでなにしてるのか聞くの忘れてたな。
三人はそれぞれ籠を抱えている。籠から食材がはみ出してるってことは夕飯の買い出しをしていたみたいだけど。
「これ? これは夕飯の材料だよ。こっちで食べることになったから、シヴァのことも呼びに行かないとって話してたんだ。でも丁度良かった」
夕飯の買い出しって予想はあってたのか。
「なあソフィア。どういう流れでこんなことになったんだ?」
「それはね…………私がお姉ちゃんたちの手料理を食べたかったからだよ!」
腰に手を当てて、剣を片手で空に突き上げるという謎ポーズ。あ、腕がプルプル振るえてる。両手なら大丈夫でも片手じゃ重いんだな。
まあソフィアのことは置いておくとして、いまの説明じゃよくわからない。もしかして手料理を作ってもらうのがアリスたちへのお願いなのだろうか? もしそうだとするなら馬車の技術料と比べて随分と安上がりな印象だけど。
「ライナーどういうこと?」
最初からアリスたちと一緒にここに来ていたライナーに補足を求めた。
「アリスさんたち三人はソフィアのメイドとして十日間働くことになったんスよ」
「へーメイドか。それでアリスたちが食事を作ることになったと。でもなんでメイド? 普通に本職の人を雇えばよくない?」
きっとソフィアならメイドを雇うお金ぐらい持ってるだろ。
「それじゃダメなんです!」
剣の重さに負けてへばっていたソフィアが割り込んできた。
「ダメなんだ」
「そう。これには深い訳があるんです。話すと長くなりますけど聞きますか?」
ものすごく聞いてほしそうな顔してる。
でもこれは聞いたらダメなやつだということを俺は知っている。きっとなんか変なこだわりがあるんだろう。
「深い訳があるのか、なるほどね。わかった。だから話さなくて大丈夫だよ」
「実はですね。私、兄はいるけど姉はいないんです。だから時々甘えさせてくれるお姉ちゃんが欲しかったなーって思ったりして。でも雇ったメイドだとそこまで個人的な頼みはできないですし、お姉ちゃんって年の人って意外といないですし、そんなわけでピンときたんです!」
結局話すのね。
「色々話を聞いてもらったり、頭なでなでしてほしいなーとか。ちょっとクールな感じのお姉ちゃんに頼ったりも捨てがたいですよね? でもでも可愛い妹も欲しかったんです。はっ! 見て下さい」
地面に剣を刺して、空いた両手をアリスたちの方に向けて伸ばす。
「アリスさん、ベルさん、セレンちゃんとタイプの違う女性が三人。そう、神は言っている、ここで願いを叶えろと!」
たぶん神様はそんなこと言ってないぞ。あとやっぱ聞いたらしょうもないやつだった。
というかいまの話の感じだとセレンが妹役っぽいけど、年齢的にはどっちが上なんだろうな。
「ちなみにソフィアって年いくつ?」
「十七です!」
「セレンと同い年じゃん。それでも妹なの?」
「私の方が年上っぽくないですか!?」
ソフィアを見て、セレンを見る。
今日はちゃんとした恰好をしているし、たしかに見た目だけならソフィアのほうが年上に見える。
でも中身はセレンの方が大人だよな。いや、そうでもないか? セレンも割と子どもっぽいところある気がするし、意外といい勝負かもしれない。
「どっちが年上っぽいというか、同い年でしょ」
どちらかを選べば、選ばれなかった方からなんか言われるかもしれない。だから俺は濁した回答をした。
「えぇー」
ソフィアはわかりやすく落ち込んだ。セレンは笑顔なんだけど、なぜかそれがちょっと怖い。どっちも選ばないというのもダメだったか。
アリスたちが料理のために家に入ってからも、ソフィアとの稽古は続いた。体力なんて全然なさそうなのに元気にいまも剣を振っている。
だけどそんなソフィアも空腹には勝てなかったようだ。ぐーっとかわいらしい音が俺のところにまで聞こえてきた。
「うぅ……」
一歩下がって、お腹に手を当てて少し恥ずかしそうにしている。
お腹の音なんか気にしないタイプだと思っていたからちょっと意外かも。
「日も暮れてきたし、ここらで一度終えるか。食事もそろそろできてそうだしな」
「はーい!」
ソフィアは元気な返事をしてささっと家の中へと入っていった。
家の方から美味しそうな匂いがこっちにまで漂ってきてる。アリスたちはなにを作ったんだろうか。
リビングに入ると、大きめのテーブルに料理が並び始めていた。見た目からして美味しそうだ。
普通の食事に比べると品数が多いのはアリスたちが三人で頑張ったからだろう。
「あとは飲み物を持ってくるだけなので座って待っていてください」
ベルがせっせと配膳をして、木製のトレイに乗せていた料理をすべてテーブルに並べたら台所の方に消えて行った。
「そういえばソフィアのお父さんとかはどうしたんだ?」
適当に席に着いてから、ふと気になったことを尋ねた。
こうしてヴァイオレット家に来てるけど、今日はソフィアにしか会ってない。
「お父さんとおじいちゃんの二人は、ここのところお兄ちゃんの手伝いでよくギルドに行ってるんだよね。だから今日はいないよ。それにお母さんも外に働きに出てるから、最近は一人でごはん食べることが多かったかな」
この前来たときにソフィアのお母さんを見なかったのはそういう理由だったのか。
「そうなんだ。ちなみにギルド長ってまだここに住んでるのか?」
「ううん、お兄ちゃんは私が子どもの頃には家出ちゃってたよ。たまに顔見せに帰ってくるんだけどね。いまはギルドに住み込んでるんだったかな?」
「仕事が多いとかそういった理由で?」
「それもあるんだろうけど朝と夜の移動時間がもったいないって言ってたよ。お兄ちゃん仕事大好きだから」
「なるほどね」
ギルド長ってそういうタイプだったのか。でも意外ってこともないか。むしろ仕事熱心だからこそあの若さでギルド長になれたんだろうし。
「お待たせ」
アリスたちが飲み物を持ってやってきた。
お腹を空かせたソフィアは急かすようにみんなを座らせて乾杯の音頭をとって、料理を食べ始めるとご満悦といった表情を浮かべた。
「今日は色々あって楽しかったなぁ。料理も美味しいし」
「色々ってたとえば?」
「うーん、アリスさんたちとお友達になれたし、みんなと服屋さんに行ったり、剣を教えてもらったり」
そのお友達には俺やライナーも含まれているのかな? まあ知り合いっていうよりかはしっくりくるけど。
「アリスたちと服屋に行ったのか?」
「そうだよ。みんなの服を作ってもらうためにサイズを測ったんだ」
「へぇー、もしかして今日の恰好って服屋に行ったから?」
「これ? うん。さすがに汚れた作業用の姿じゃお店にいけないからね。そうだ、お兄さんのも用意しようか?」
「俺のも?」
なんかイヤな予感がする。
「そうッスね。アニキのも用意してもらいましょう」
ライナーが目を細めて逃さないとばかりに俺を見ている。
「いや俺のは別にいいよ」
「いやいや、アリスさんもアニキがあの恰好してるところ見たいッスよね?」
「シヴァがあれ着てるところかぁ……うん、ちょっと見たいかも」
くっ、アリスを味方にするとか卑怯だぞ。楽しそうにそう言われると俺としては断りづらい。
「まあ別に着てもいいけどさ、あのとか、あれとかじゃなくて具体的にどんな格好なの?」
そこのところはハッキリさせてほしい。恥ずかしい系の服だったら先に覚悟しておきたい。
「サーベラスがよく着てる服ッスよ」
「あいつがよく着てるってことは……執事服か?」
「正解。アリスさんたちがメイド服。オイラ達が執事服」
気構えていたけど割とまともな格好だった。ただ俺がそういう恰好しても似合わないんじゃないかと思うんだが。
そういった心配が顔に出ていたのかアリスが覗き込んできて、
「大丈夫。シヴァなら似合うよ」
と言ってくれた。
まあ着るだけ着てみて、似合わなかったら騎士服に戻ろう。
「たださ、そんなすぐに作れるのか? アリスたちがソフィアのところで働くのって十日間だけなんだろ?」
アクア姉が服を作ってるのを見た事あるけど、あれ結構大変そうだったんだよな。
「大丈夫。お金で時間を買ったから! たぶんアリスさんたちの分は三日、四日後には出来上がってるはず!」
「……そうか」
いくらお金を積んだのか知らないけど、服屋の店員さんたちのことを無性に応援したくなった。
食事が終わり、片付けは俺とアリスでやることになった。
作ってもらったんだから片付けは俺がやるよと言ったら、アリスが私も手伝うよという感じで。ライナーは空気を読んだらしく、上げかけていた手を静かに下ろしていた。
食器を洗い終えて、二人並んでお皿の水気を拭いている最中のこと。
「ねえ、シヴァはさっき食べた料理だとどれが一番おいしかった?」
「どれって言われると……唐揚げかな。外はカリカリで、中は柔らかくて、口の中で肉汁がジュワーっと広がっていくのが俺的に高評価だった」
あれはまた食べたい。というか毎日唐揚げでもいいな。
「ほかには?」
「ほか? そうだな……オムレツかな。中に入ってたひき肉の甘じょっぱい感じが良かった」
「そうなんだ。えーっと……魚のソテーとかスープはどうだった?」
「魚とスープか」
魚の方はレモンの酸味と香りが爽やかなあっさりとした味付けだったよな。
スープの方は見た目澄み切った黄金色。味は様々な野菜のうまみが凝縮されていて、俺にはうまく説明できないけど、素直に美味しいと感じる一品だった。
「どっちも美味しかったよ。でも先にあげた二つのほうが好きかな」
俺の答えがよくなかったのか、アリスが少し気落ちしてるように見える。
なぜだろ――あっ。
「もしかしていまの二つってアリスが作ったの?」
「うん。そうなんだけど、あんまりシヴァの好みには合わなかったみたいだね。ごめんね」
「いやいや、全然謝る必要ないって。さっきも言ったけど美味しかったよ」
「ありがと。でも好みじゃないんだよね?」
「好みじゃないというか、先にあげた二つのほうがより好みだったというか」
正直今日の料理は全部美味しかった。でも好みの味のものの方が美味しいと感じてしまうのは仕方ないことだろう。
「ちなみにさ、今日の料理って誰がなにを作ったのか教えてもらってもいい?」
「セレンが唐揚げ、ベルがオムレツ、私が魚のソテー。サラダとかの付け合わせはセレンとベルが協力して作ってたかな。あとはスープも欲しいよねってなって、それは私が作ったの」
「なるほど」
アリスだけじゃなくて、セレンとベルの二人も料理上手だったんだな。
「セレンの言った通りだったな」
「セレンが?」
「シヴァとライナー、それにソフィアちゃんはわかりやすい味付けの方が好きだと思うよって。シヴァに関しては屋台とか、昨日の夜も味付けの濃いものを結構食べてたでしょ」
まさかそんなところを観察されていたとは。
「私もそれは知ってたんだけどね。ただお母さんから教えてもらった料理なら、それでも一番おいしいって言ってくれると思ったんだ。ちょっと考えが甘かったなぁ。ざんねん」
これはなんてフォローをいれるべきか。セレンとベルが作った料理の方が好みってのはもう取り消せないし。
「アリスが作ったのってお母さんから教えてもらった料理だったんだ」
「そうだよ。他にも色々教わったんだけど、私の家の料理ってあっさりしたものが多いんだ」
「それならさ、今度アリスの家の料理を俺に教えてよ」
「私がシヴァに? シヴァって料理作れるの?」
「簡単なのならできるよ。アクア姉が育児で手が空かないときとかは俺やレインが用意してたし。だからさ、一緒に作ってみない?」
俺と一緒に料理をしている場面を想像していたのか、アリスの返事が少しだけ遅れた。
「うん、楽しそう」
「それにさ、いまはまだセレンたちが作った料理の方が好みだけど、これからどうなるかはまだ分からないじゃん。これから何度もアリスの手料理を食べていくうちに、そっちの方が好きになるかもしれないし」
「そうだね。でも私の好みを押し付ける気はないから、どんな料理が好きとか教えてね」
「それをいうなら俺も同じだよ」
アリスは楽しそうな様子で食器拭きに戻った。
よかった。どうやらうまくフォローできたみたいだ。
「でもアリスの手料理がこんな早く食べれるとは思わなかった。美味しかったしまた食べたいな」
「いいよ。というよりもソフィアちゃんの下で働いてる間は私たちが作ることになりそうだよね」
「そうだな。でも今回だけじゃなくて、アリスの手料理なら毎日でも食べたい」
まあグレイルたちとの戦いが終わらないと、どこかに腰を落ち着けることもできないから、毎日料理を作るってのは難しいだろうけど。旅をしてる間はどうしても簡単な食事になっちゃうしなぁ。
「どうしたんだ?」
アリスがキョトンとした顔をしていた。そうかと思えば一度目を伏せてから顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、それってもしかして――プロポーズ?」
「へ? プロポ……あ」
たしかに手料理を毎日食べたいって、受け取り方次第じゃプロポーズに聞こえてもおかしくない。おかしくないのか? どうだろう? 落ち着け俺。
「えっとそういう意味で言ったんじゃなくて。あ、でもアリスとそうなるのがイヤってわけでもなくて」
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ、わかってるから。でもね、毎日食べたいって思ってもらえたの嬉しかったよ。ありがと」
ほんのりと頬を赤らめて微笑むアリスは、言葉がでなくなるほどとても魅力的だった。